目的語は明確に

 仕事を終えたリカルドが社長室を出ると「例の部屋」だった。だがいつもと違って今は誰も来ていない。

 たまにはこの部屋でのんびりと過ごすのもありかとリカルドは腰を落ち着けることにした。


 この部屋は不思議だ。

 リビングとキッチンが隣り合わせの造りだが、キッチンにはいつも様々な食糧、食材、飲み物がそろえられている。訪れる者達が勝手に飲み食いしても次に来た時には補充されている。なので食糧事情のあまりよくない世界から来た者はこれ幸いとばかりにたくさんの食料を持ち帰るようだ。


 キッチンをぼんやりと眺めていたら、後ろのドアが勢いよく開いた。

 条件反射で軽く腰を浮かせつつ振り返る。


 真っ赤な短髪の女が厳しい顔で立っていた。

 白のシャツと茶色のパンツの上に皮鎧を装備している。

 トゥーティリア王子の教育係、アビ・ルーンだ。


 彼女を見るとトゥーティ王子の無垢な笑顔を思い出す。リカルドは口元を緩めて挨拶をした。


「あぁ、リカルド殿か。良い夜だな」

 アビは相好を崩した。


「何か困りごとですか?」


 すたすたとキッチンへ歩いていくアビの後ろ姿に尋ねた。

 リカルドがそう感じるほどに、入室時のアビの表情は厳しかった。

 さらに普段はあまり見ない鎧姿だ。戦いの後だろうかと尋ねてみたのだ。


「あぁ。片付けてきたが」


 アビは酒の瓶とグラスを二つ持ってきた。


「貴殿も飲むだろう?」


 付き合えと言外に語っている。

 リカルドはうなずいた。


 アビが持ってきたのはブランデーだ。彼女はまだ二十代前半と若いが酒は強いのだろうか。


「殿下が誘拐されかけたのだ」


 ブランデーをグラスに注ぎながらアビは語った。

 トゥーティ王子は頼み事をしてきた犯人の言葉を信用し、彼について行ったところ誘拐されてしまったらしい。アビ達が犯人の行方を突き止め無事に王子は怪我もなく帰ってきたが王城は大騒ぎになったそうだ。


 一国の王子が誘拐されたのだから騒ぎにもなるだろう。よくぞ無事に戻ったものだとリカルドはほっと胸をなでおろす。


 以前に会ったトゥーティは王位継承権を得るために旅をしていると言っていた。それ以降リカルドは直接会っていないが、旅を無事に終え、最近は王子としての公務もこなしていると聞いていた。

 さぞや立派になったのだろうと思っていたが、やはり純真なところは変わらないらしい。


「殿下の無事に」


 リカルドとアビはグラスを掲げた。


「実はな、殿下の誘拐に関わっていたのが宰相の昔馴染みだというのだ」


 ブランデーをぐいっと飲み、アビは「奴がこの度の事件に絡んでいるやもしれん」と心配事を語った。


 確か宰相はトゥーティと共に王位継承権獲得の旅をしていたのではなかったか。旅を無事に終えたということは宰相にトゥーティを害するつもりはないのではないか。たまたま犯人が宰相の昔の知人だったという可能性はある。

 リカルドはそう思ったが側近のアビが懸念しているということは、少しなりともそのようなそぶりがあるのかもしれない。


「犯人はどうなったのですか?」

「取り逃がしてしまった。ヴァンス、宰相が逃がしてしまったのだ。やはり奴は黒に違いない」


 犯人に逃げられたのでは真偽の確かめようがない。

 残るは嫌疑のある宰相ヴァンスに問いただすしかないがたとえ黒でも認めるようなことはないだろう。

 それに、アビの言葉の端々や口調から、どうもヴァンスに対する個人的感情が見て取れる。元々アビは彼をあまり快く思っていないようだ。


 私情を混ぜて判断するのはよくないだろうと思ったが、そこまで深く突っ込むべきでもないなとリカルドは相槌を打ちながら話を聞くにとどめておいた。

 だがアビの方からリカルドに問いかけてきた。


「リカルド殿だったらこういう時はどうする? 貴殿は頭が切れるから何かいい方法があればご教授頂きたい」


 うーん、と一つ息をついて答えた。


「正攻法としてはやはり犯人を捜し出すことを優先するでしょう」

「ほう……。正攻法、という事は裏道があるということかな?」


 しまったなとリカルドは内心ひやっとした。

 何かトラブルが起こった場合、表立って解決しようとする動きのほかに裏でいろいろと手を尽くす。

 いつもの調子で「正攻法では」と口にしてしまったが、まさかそこを拾われるとは思わなかった。


 ここでは――ここでもというべきか、マフィアの幹部であることは伏せている。敏い者には裏家業の人間であることは見破られているし問われれば否定しないが、あえて公表することでもない。


 アビはリカルドのことを貿易会社の社長だと信じている。正義感の強い彼女にはあまりマフィアであることは悟られたくはない。


「そうですね、その宰相の動向を探るためにわざと偽情報を流して様子を見る、といったところでしょうか」


 一番無難な案を示してみた。


「おぉ、なるほど!」


 アビはこれぞ名案とばかりに喜んでいる。


 ただこの策は十分に準備をして相手にも悟られないようにしなければならないので案外難しい。

 その辺りを(大事なので)二度言い含めておいた。


 解決策を得たことでアビは気が大きくなったようだ。先ほどから飲み続けているブランデーの減りが早くなった。

 思っていたよりも酒に強いのだなと感心しつつ、トゥーティ王子の近況を肴にリカルドもいつもより飲んだ。


 ふと気づくとアビの顔が真っ赤だ。呂律も少し怪しくなっている。


「アビさん、大丈夫ですか?」

「うん? 大丈夫だぞ」


 そうは言うがアビの目がとろんとしている。今にも眠ってしまいそうだ。


「今日はもうお帰りになった方がいいかもしれませんね。お待ちください、水をお持ちしますので」


 立ち上がってキッチンで水を汲んで戻ると、アビはもうすやすやと眠っている。

 張り詰めた状況から解放されて安心したところに酒が入ったからだろう。

 少し飲ませ過ぎたな、とリカルドは肩をすくめた。


 さて、アビをこのままここに放っていくわけにもいくまい。

 うまく彼女の世界とつながってくれればよいのだがと願いつつ、リカルドはアビを抱き上げた。

 さすがに皮製とはいえ鎧を装着したままの人は重い。

 安定させるためにしっかりと抱いて扉へ向かう。


 膝の後ろを抱える右手をどうにかノブにかけて回す。

 軽くつま先でドアを蹴った。

 目の前に広がっているのは、見覚えのある部屋だ。


「俺の部屋じゃないか」


 思わず素のつぶやきが漏れた。

 ならばもう一度と苦労して扉を閉じ、また開ける。

 目の前の光景は変わらず自室。


「連れて帰れというのか」


 二度目の素が出た。


 アビがぎゅっとしがみついてくる。本能的に不安定な姿勢を避けようとしているのかもしれない。

 ここで立ったまま思案するより自室に連れ帰った方がよさそうだ。


 アビを抱えて部屋に入る。彼女をベッドに降ろした。

 これからどうするべきかと思案して、目が覚めるまで客間のベッドで休んでもらうのが最善ではないが最良かと結論付けた。


 アビを抱えて客間に移動する。ベッドに降ろして軽く腕を振る。ずっと抱きかかえていると皮鎧もかなり重いのだと身をもって知った。


 ベッドの上で、アビは少し寝苦しそうに息を漏らした。

 鎧を付けたままだからだろうか。


 リカルドは鎧を脱がせようとしたが、なにせ鎧というものに触るのも初めてだ。どこをどうすればよいのやら。

 四苦八苦してどうにか手と足のパーツは外すことができた。


 アビが突然、むくりと上体を起こした。

 驚いて身を引いたリカルドの前で、寝ぼけ眼のアビは自分で鎧を脱ぎ始める。


 あっけにとられていたリカルドだったが、はっと我に返ってアビに話しかける。


「アビさん? 目を覚まされたならご自分の家に戻ったほうが……」


 だがリカルドがすべてを言い切らないうちに鎧を脱いだアビは再びベッドに横たわり、眠ってしまった。


 仕方がない。今夜はここで休んでもらおう。

 脱ぎ散らかされた鎧を部屋の隅に並べて、アビに寝具をかけて、リカルドはそっと部屋を離れた。


 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


 アビが目を覚ますと、見知らぬ部屋のベッドの上だった。

 驚き目を見開いて辺りを見回す。

 ベッドとテーブル、何やら怪しげな箱のようなもの。見たこともない全く用途の判らない物品……。


 一体何なのだと考えて、意識があった時のことを思い起こし、例の部屋でリカルドと飲んでいたのだと思い出す。


「リカルド殿の家、か」


 起き上がり、鎧を身に着けて部屋を出た。

 人のいる気配の方へと歩いていくと台所らしきところにリカルドがいた。


「アビさん。よく眠れましたか」

「あぁ、おかげさまで」

「それはよかったです。泥酔するまで気づかず申し訳ございません」

「いや、迷惑をかけてしまってすまない」

「迷惑というほどではありません。ただ、初めて脱がせたので苦労しました。横になっているところでしたからなおさら」


 リカルドから発せられた言葉にアビは言葉を失った。

 え? 脱がせた?

 紳士なリカルドが、まさか、自分が眠っている間に服を脱がせて……。

 アビはぽっと頬が上気するのを感じた。


「途中からご自分で脱いでくださって助かりましたが」


 なんだとっ!?


 頬どころか頭の中までかっと熱くなった。


 自分から服を脱いで、それから、どうなったのだ?


 聞かねばならぬとリカルドの顔を見つめていざ口にしようとするが言葉が出てこない。


「アビさん? どうかされましたか?」

「い、いや……、その……」

「顔が赤いですね。大丈夫でしょうか」


 リカルド額に手を伸ばしてくる。


 さらにパニックになったアビは、思わずリカルドを力強く押しのけていた。


「あっ、……すまない!」


 アビはどうしていいのか判らずに全力で逃げ出した。


 あとには、何が起こったのか判らないままのリカルドがぽつんと残された。


 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


 その後リカルドが何を誤解されているのかに気づき、アビと話をして誤解を解くまでにかなりの時間がかかってしまった。


「あんたも中途半端なことを言うからだよ。何を脱がせたのか目的語はきっちり言わないとなー」


 レッシュに散々からかわれてしまったのは言うまでもない。



(了)



 お借りしたキャラ:アビ・ルーン

 出典作品:トゥーティリア王子の宿題

 https://kakuyomu.jp/works/1177354054885688485

 作者様:千石綾子 様

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