第14話

 こうしてアオハらの旅は順調に続き、マウリを離れて二日目には遺跡外縁部に到達した。

 道標とした沢は途中でいくつもの水脈と合流し、やがて大きな一つの流れとなって、この地底第八階層の高い外壁に口を開けた洞穴へと流れ落ちていった。

 名もなき集落へは、それから半日もかからずに辿り着けた。

 森の開けた場所にあったこの集落は、マウリと比べても規模が小さく、まばらな民家と一軒だけのよろず屋があるのみ。剣王国領の政策で、旅の騎士向けの拠点として細々と運営されてきたのだろう。

 姿の目立つリュミオラを最初は森で待たせようと思ったが、彼女は集落に入りたがった。

 アオハはそれに応じてやることにし、リュミオラを腕に抱き上げた。蟷螂の体躯から小さなリュミオラが外れる様に仰天したマルが、慌てて自分のローブを着せてくれた。

 それでも集落の住民から向けられた奇異な視線に、彼女をこのままにするのは限界と感じた。


 三人と一羽で立ち寄ったよろず屋で、この地域では目にしないものを見つけた。

 それはレリクス動力車と呼ばれる、馬の代わりにレリクスの技術を使って動く乗り物だった。

 店舗の裏に放置してあったそれは、四つの車輪に御者台、そして荷台を覆う幌を備える、馬のない荷馬車のような形をしていた。学院主都でなら輸送手段として普及しているが、これはいつ剣王国領まで持ち込まれたのか、かなり旧い年代に作られたものだ。


「外にレリクス動力車が置いてあるようだが、あれを譲ってはいただけないだろうか? 自分たちは荷馬車を失って、途方に暮れていたところなんだ」


 もう嘘をつくのにも躊躇いがなくなっていた。それでも頭上に星々は巡るのだから。


「ああ、あいつぁ売り物じゃねえんだ。仕入れ用に使ってたんだが、もう随分昔に動力が壊れちまってな……」


「そうなのか。剣王国領内では、こういうレリクス仕掛けの品自体が珍しい。よければ自分が修理してみせよう。知識ならある」


「なんだい兄ちゃんら、学院領から来た人かい? ここいらでは見ない顔ぶれだね」


「りゅ……」


 アオハが胸に抱きかかえているリュミオラがやはり目を惹くようで、店主の視線から逃れるように、彼女はフードの奥に顔を隠してしまった。首に回された手に力がこもる。


「店主殿。わたくしたちは訳あって早急に主都まで戻る必要があるのです。だからこれを」


 アオハの脇からカウンターに背伸びしたマルが、何かを店主の手のひらに差し出した。

 あの錠前のペンダントだ。今しがた起動させたのか、マル自身も本来の黒髪に戻っている。


「マル! これを対価に動力車を手に入れるつもりか!?」


 店主はさも不思議そうにそれを持ち上げると、片眼鏡をはめて品定めする。ペンダントヘッドは赤銅色の小さな錠前にしか見えないが、精緻な彫刻が施されている点が特徴的だ。


「そのペンダント、剣王エイフェットに献上すれば、動力車の価値と同程度の報酬くらいならきっと得られるはずです。いま信用が必要であれば、わたくしの瞳をご覧ください」


 そのように告げ、両眼を指先で示してみせる。

 同時に、店主の目に畏怖の色が宿った。


「あなた……なんてこった。車は差し上げるが、こんな大層なもん、どうせいと……」


「そいつはマルにとって大切なものじゃないのか! それに君が今後正体を隠せなくなる」


 そうアオハは咎めるも、


「ううん。もう自分を隠すのはやめることに決めました。わたくしの顔も知られてしまいましたし、どのみちこれからはハンターとして生きていくつもりでしたから」


 当然、マルリアンにも考えあっての行動で、理由を告げた上で我を通すのだ。


「だが、君だって自分の家の再興を願ったことくらいあるだろう?」


「いいえ? わたくしの帰るべき家は、もう学院領にこそあるのです! おいで、リュミ」


 そうやって微笑を置き去りに、アオハの胸にいる小さなリュミオラの手をマルが引く。そうなれば、今はリュミオラの足代わりとなったアオハだから、後を付いていくしかない。

 暗がりの店内から出た太陽の下、黒髪のマルリアンが動力車に向かい駆けていく。


        ◇ ◆ ◇


 レリクス動力車の修理は、予想外に呆気なく終わった。車輪を動かすための動力機関が御者台の底部に備わっており、それへの魔力供給器に何らかの不具合があったようだ。

 レリクスブレイカーを使って、アオハが魔力供給器への干渉を試みた。

 もっともそれだけでは動力の復旧はできなかった。試行錯誤の末、意外なことに活路が見出された。


「――――〈意志をこの手にヴィル・ピアサー〉」


 なんとリュミオラの手が発する魔力で刺激を与えると、魔力供給器が再始動したのだ。

 三者は手を叩き、成功を互いに称え合った。


 アオハは集落で食料や旅の備えを調達してきた。

 それだけではない、よろず屋の店主と再交渉し、錠前のペンダントヘッドだけでも取り返してきたのである。


「アオハ、どうやって店主殿を言いくるめてきたのですか?」


「鑑定すべきは機能や材質よりもその由縁だから、これは鎖だけでも価値があると納得させたんだ。それにこのオンボロ一台じゃどう考えても割に合わないのは僕にだってわかる」


 そうして目をつぶらに見開いたマルの手のひらに、ペンダントヘッドを乗せてやった。


「鎖もいつか見繕って返すよ。マルはまだそれを手放す時期じゃない」


 そう伝えると、彼女は物憂いの表情をしてそれを胸に抱きしめ、最後に微笑んでくれた。


「では、この剣も本来持つべき者のもとへ返さねば、釣り合いが取れませんね」


 褒美とばかりに懐から取り出されたのは、アオハが託したレリクスブレイカーだ。

 今度は躊躇いなくそれを受け取ることにした。


「りゅー! /アオハとマル/見つめあう二人? /リュミぴんち?」


 両者を交互に見比べたリュミオラが、そんな呟きをこぼした。


【常日頃から心の豊かさを見せることこそ、正妻のあるべき姿であるぞ、我が一番弟子よ。そもそも乳房の豊満さであれば、あの未成熟な小娘ごときそなたの敵では――ぐごぎがッ】


 マルに捻り上げられるロボを視界から押し退け、リュミオラにも入手品を渡す。


「ほら、こういうのも手に入れてきたんだ」


 アオハが差し出したのは、辺境地の村娘が着るような、彩りも煌びやかな民族衣装だ。


「りゅむ? /これ、なに? /リュミと違う色がたくさん/これはリュミの?」


「そうだ、リュミの新しい服だよ。似合いそうな色を僕が選んだ。これを着れば、いつもの鎧やローブとは違った世界をお前も見ることができる」


 幌に覆われた荷台に彼女を下ろすと、マルに着付けを任せる。

 すぐに中からリュミオラの歌が聞こえてきて、マルまで鼻歌で応じた。二人はいつの間にか打ち解けていたようだ。

 動力車の荷台には、旅の荷物一式と、蟷螂の体躯も積み込んだ。これで幌を閉じてしまえば、リュミオラを関所の向こうに連れ出すのも難しくないと思えた。

 しばらくして幌が開くと、目にも鮮やかな民族衣装に身を包んだリュミオラが、上機嫌の顔をして樽に腰を下ろしていた。

 長いスカートの裾から覗く魚の尾ビレみたいな爪先をぶらぶらとさせ、特等席だと言わんばかりの笑みをたたえる様には目を奪われてしまう。


「りゅふ/どうだ」


【ふむ。馬子にも衣装なる旧い言い回しがあるが、その喩えはあたらないと言えよう】


「かえってリュミが目立ってしまいそうですわ。町ではわたくしが傍にいましょう」


「ああ、色々と助かる。でも、こうまで色合いが派手だとは、流石に考えもしなかった。リュミに寸法が合ってよかったけれど」


「リュミに/にあう?」


「ああ、とても似合っているよ。新しい発見をしたと言っていい」


 そう伝えると、パッと花が開いたような笑顔が、この魔神の顔に浮かんだのだ。


        ◇ ◆ ◇


 こうして旅の軌道に乗ったアオハたち一行は、街道でレリクス動力車を走らせ、翌朝には昇降機の町アンカーテへと到着することができた。

 遺跡外縁部に面したアンカーテは、同じ構造をした学院主都に比べれば規模は半分以下だ。

 とは言えマウリに比べるべくもない過密度で、関所へ向かう間も、アオハらの動力車は大通りを行き交う荷馬車や人混みを、ゆっくりと掻い潜って進む必要があった。

 混雑する町の空気が殺気立って見えたのは思い過ごしではなかった。

 大がかりな装備を買い集めた騎士たちの一団から聞こえてきた〝魔獣の討伐隊〟〝魔術師の首に懸賞金〟という声。

 邪悪なラーグナスの所業は、いつの間にか騎士の国に轟いていたのだ。


 ようやく関所に辿り着けたころには、この地底第八階層も正午過ぎになっていた。


「――遅くにすまない。自分はイスルカンデ星教会から来た異産審問官だ」


 動力車の御者台から降りたアオハは、正門前で衛兵役を務める騎士に異産審問官であると明かし、身分証としてレリクスブレイカーを提示した。

 衛兵が差し出した認証用レリクスと反応させ、偽りないことを証明する。


「教会の方がこのような時分にどちらへ? 見れば、随分と大きなものを運んでおられる」


 衛兵が停車した動力車を促す。

 星教会の人間が剣王国領に出入りするのは稀だ。それも相手が異産審問官とあれば、領内に危険を持ち込む存在と受け取られても不思議ではない。

 だからこそ、あえてこう説明した。


「積み荷は少々危険を伴う品だ。自分は急務のため星教会支部へと急がねばならないんだ。あなた方の領に迷惑は掛けたくない。察していただけると助かる」


 二名の衛兵が互いに顔を見合わせる。

 すると片方が、思い出したようにこう口にした。


「まさか例の騒ぎのことか? 何でも恐ろしい魔術師が現れて、見たこともない怪物に人を襲わせてるって、我が領内でも大騒動になっている。学院領でも、確か大勢の異産審問官が殉職されたと漏れ伝わってきているが……」


 それは、今ここで詳しく聞き出したい話題だった。それでも努めて訳知り顔をつくり、先を目指さざるを得ない状況を呪った。


「……チッ、もうここまで噂が届いていたか。ああ、その件とも繋がりがある。剣王国領内にアレをとどめるとどうなるか保証できない。早く積み荷を運ばせてくれ」


 ところが、もう片方の衛兵が余計な口を挟んできた。


「まさかあの中身、〝異産〟てやつなんじゃねえか。念のため積み荷も調べた方が……」


 躊躇いつつ、アオハも無言で頷くしかない。

 衛兵二人は、積み荷を調べる役目をなすりつけ合うような素振りをしてから、片方が恐る恐る動力車へと近付いていった。

 彼の手が幌に触れた時のことだ。

 中から「りゅ」と声が聞こえ、それに驚いた衛兵が飛び退いた。出で立ちよりも臆病なのか、腰の騎士剣に手を添え臨戦態勢だ。

 そこでマルが機転を利かせてくれたのだろう。彼女が中から姿を見せ、そしてこう言う。


「静かにしてくださいまし。あまり刺激しますと、アレが機嫌を損ねますので」


 ちょっとやり過ぎだろうと頭を抱えることになる。何故ならマルが衛兵にそう伝えた直後、動力車ががたんと大きく揺さぶられたからだ。


「ひぃっ――――う、動きやがった!?」


 途端に度肝を抜かれた衛兵は尻餅を突いてしまい、すぐに後ずさって相棒の元へと戻ってしまった。疑うまでもなく、リュミオラがあの巨体を荷台で揺らせただけだ。


「しまった……まだ封印が不完全だったか。早く教会に戻って封印師に頼まねば……」


「あ、ああ……わかった。わかったから早く出てってくれ! おい、門を開けてやれ」


 領内から出て行くのなら関知しないとばかりに、正門を閉ざす鉄格子扉が左右に割れた。


「頼むから、二度とそんな怪物を剣王国領まで連れてきてくれるなよ!」


 などと衛兵に怒鳴り付けられ、リュミオラを思えばアオハも顔を引きつらせるしかない。

 それ以上は何も詮索されず、アオハたち一行は昇降機内へと収まった。


 蛇腹扉が閉じ、薄暗い昇降機内にほのかなレリクスの灯りがともされた。

 上昇を始めた昇降機の中。動力車から降り立ったアオハとマルは、不満げに睨み合う。


「まったく、あんな大嘘をつくだなんて、あなた聖職者失格ですわ」


「ああ、確かに君の言うとおりだ。嘘つきはお姫様失格だな」


 互いにそんな皮肉を言い合ってからまた顔を見合わせ、同時に噴き出してしまった。

 こんなにも屈託なく笑えたのは久方ぶりに思えた。


【ああ、まったく、あのふたりは随分と親密になったものだな。あれこそが夫婦のような間柄であると人の世では言われるそうだぞ、我が一番弟子よ】


「トリがえらそうにいうな/ししょー、トリのくせに/りゅむむむ……」


 笑い転げるアオハたちを、荷台に腰かけて恨めしそうに見やるリュミオラ。その胸元に抱きしめられたロボが、八つ当たりという不可抗力に締めつけられていく。


        ◇ ◆ ◇


 昇降機が停止した先は、地底第三階層――学院領だ。

 ここ第三階層は、レリクスハンター育成機関である学院と居住区、商業区、農業区が一体となった主都を中心とした自治領だ。

 都市外縁を覆う壁の向こう側には、未だに無数のレリクスが眠る複雑怪奇な迷宮が広がっており、それらを総じて学院領と呼んでいた。


「やっと……ここに戻ってこられた……」


 御者台に顔を覗かせたマルが、生還できたことに感極まり、静かに言葉を振るわせた。


「ああ。あそこから生きて戻ってこれられただけでも奇跡だったというのに」


 石畳の誘導路に沿って、学院領側の関所を目指す。

 こちらの衛兵相手なら、アオハも普段から知った間柄だ。難なく領内へと通してもらえるだろう。


「あとはジオが無事隣町へと辿り着いてさえくれれば、わたくしはもう何も……」


 そう祈るように、胸元であのペンダントを握りしめた。


「――通せないって、一体どういうことだ!」


 声を荒らげるのは得策でないと理解していたのに、思わず口をついていた。

 アオハたち一行は、運悪く学院領側の関所で足止めを食らう結果になった。


「すまないが、これも上からの指示でね」


「上、って。一体どの組織がこんな横暴を……」


「主都評議会からの緊急通達だから、さすがに我々も逆らえん。例の騒動が一段落するまでは、何人たりとも主都からの出入りを禁じろ、とのことだ」


 ようやくここまで辿り着けたというのに、これでは途方に暮れるしかない。


「今日は町の連中がやけにピリピリしているな。騒動というのと関係があるのか?」


 鉄格子扉の向こうに見える学院主都の風景は、賑やかと言うよりは苛立ちめいた空気を感じる。ちょうどアオハたちが魔女の霊廟へと向かったあの日のように。


「あんただから話してやるが。なんでもこの前の事故で帰らずじまいになってた異産審問団のための救援隊――そいつらまで全滅しちまったって、町で噂になり始めてる」


「……全滅だって!? 救援隊が出されていたのか……。一体何にやられたって言うんだ」


「さあな、俺には見当もつかんが――噂からして異産に殺されたことに疑いはないだろう。きっと異産審問団を壊滅させのと同じヤツだ。あんたはあそこに行ってなくて命拾いしたな」


 そこで片割れから「おい……」と制止される憲兵の男。アオハが問題の異産審問団に加わっていたことまでは彼らも把握できていないらしい。

 だがアオハは愕然としていた。霊廟の魔神たちは一体残らず殲滅されたはずなのに。


「救援隊は、星教会に泣き付かれて渋々学院側が送り込んだ、それこそ一線級のハンターたちだった。まったくもって殺され損さ。このとおり、町が険悪な雰囲気にもなる」


 いても立ってもいられなくなり、憲兵に詰め寄ったアオハがまくし立てるように言った。


「なら僕を通してくれ! 問題の異産についての情報を持ち帰ってきたんだ!」


「しかし、我々もただの兵隊だ。あんたの情報とやらが重要か判断できる立場になくてな」


「だったら星教会の人間をここに呼んでくれ! それくらいならできるだろうが!!」


 冷静ではいられなかった。未だに異産の脅威が去っていないことを知ったせいだ。

 アオハのただならぬ剣幕に、困惑した憲兵たちが互いに顔を見合わせる。


「――お兄さん、どうか少し落ち着いてください」


 見かねたのか、傍らから心配げな顔をしたマルが助け船を出してきた。


「……ああ、すまないマル。人死にとなると、どうにも冷静でいられない……」


 呼吸を落ち着かせ引き下がるアオハを気遣いつつ、マルは二の句を継げなかった憲兵らを見上げてこう伝える。


「あの、お願いがあります。学院のオードレット副長に伝言を。『マルリアン・シュナイドラが戻った』と」


 艶やかな黒髪から覗く上目づかいの視線が、戸惑いの憲兵らに強く訴えた。


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