Ⅴ 二人と一体と一羽の旅路

第13話

 早朝にマウリを離れたアオハたち一行は、再び街道を逸れ森を進むことになった。

 剣王国領であるここは、ハンマフォートの地底第八階層に位置した。教会支部がある第三階層の学院主都まで帰還するには、昇降機の力を借りる以外に手段はない。

 去り際にジオッタから得た情報では、橋から沢沿いに下流を目指せば、やがてこの階層の遺跡外縁部に行き当たるという。そこに小さな集落があり、再び街道へ戻ってしばらく東へと進めば、昇降機を擁する関所の町アンカーテに辿り着く。

 可能な限り人目を避けられるルートだった。


 聞こえる川のせせらぎを頼りに、薄暗い森を進んで半刻ほど。

 根幹を苔に埋もれさせた樹木の間を縫うように小径が続き、ここも辛うじて人の通り道になることを窺わせている。近くにそびえる〈尖塔〉の一柱が太陽を遮り、枝葉を抜けてくる陽光に奇妙な瞬きを与えていた。

 鬱蒼と行く手を遮る枝葉をかき分け先頭を行くのは、このところ思わぬ連携を見せてきたリュミオラとロボの組み合わせだ。少し距離を置いて、その後ろにマルとアオハが続く。


「……とにかく、君には本当に驚かされたよ」


 マウリではろくな旅支度も調えられなかったが、それでも食料などの備えを少しでも得られたのは、全てマルのお陰だ。

 けれども、くだんのマルは厳しい表情のままで、かつてと立場が逆転していた。


「何を驚くことがありますか。わたくしが元王族だったから? それとも女だったから?」


 目を合わせようともせず、大股で先を歩く。彼女とはあれからずっとこんな調子だ。


「女の子だってことなら最初から気付いてた」


「なっ!? それを知っていて、これまでわたくしにあんな態度を取ってきたのですか!」


「ごめん、悪かったよ。マルのことを子どもだと、軽く見てしまっていたんだ」


 すると、ようやくこちらに見せたのがふくれっ面で、似合わない腕組みの仕草で不機嫌さを示してくれた。今は赤毛のマルに戻っていて、黒髪の時よりも活発さが覗く。


「でも君が何者であろうと、僕は君に感謝している。君と出会えてなかったら、僕もリュミオラもただでは済まされなかったかもしれないから……」


「あれは嘘偽りない事実ですから。あなたのした行為を認めたわけじゃありませんので!」


 ぐんと胸を張ってみせるマルリアン・シュナイドラである。


「だいたいですね、今まで散々わたくしたちハンターに偉ぶってきたくせに、アオハお兄さんは自分の役割を放棄しました。あなたは異産審問官失格ですわ」


 そう言いつつレリクスブレイカーをチラつかせては、


「これもわたくしが預かっておきますので」


 本来はアオハの所有物にもかかわらず、交渉の余地なしと言わんばかりの口振りだ。


「これをわたくしに託した勇敢な男は、あの場所で死にました。だからこの剣を託されたわたくしは彼の意志を継いで、町の教会までこれを送り届けなければなりませんからね」


 シレッと言ってのけるが、口調は幾分軽やかだ。それだけの余裕は取り戻せたのだろう。


「命がけでをわたくしのことを守ってくださった彼を、今でも心より尊敬していますわ」


 意外と辛らつな皮肉まで飛んでくる有り様だった。

 マルリアンというこの少女は、小さな見てくれほどは幼くないのだろう。そして彼女が何者であれ、アオハに釈明の余地などない。


「わかった。確かに僕にはもうそれを持つ資格がない。君に従うと約束するよ」


 アオハはもうリュミオラの処遇だけでなく、マルのことについても観念していた。感情がどうあれ、リュミオラという魔神を支える人間が自分以外にも必要だったからだ。

 マルはもう、リュミオラのことを以前ほどは恐れなかった。自分のように言葉を交わすことはなくとも、黙って彼女の後ろを歩く程度なら拒まなかった。


「ただ、昨夜はリュミが身体を張ってくれたお陰で多くの人々が助かったのも事実だ。それだけは覚えておいてやってくれ」


 それにマルリアンは無言で頷く。

 黙々と行く先を進むリュミオラは、自分の背中でぶつぶつ小言を述べる珍客の様子を、さも不思議そうに見やるのみだった。


        ◇ ◆ ◇


 マウリを発って以降の旅路は、これまでと比べればずっと穏やかなものになった。反してアオハが背負わされた宿命の重みは増すばかりだった。

 昨夜目撃した数々の異産。レリクスを埋め込まれた双頭の巨狼たち。そしてそれらを手駒に従えたのが、翼を持つ白竜へと変身したかつての恩師、ラーグナス枢機卿。

 ラーグナス・フランヴェイラは、アオハにとって特別な存在だった。絶望の底にいた自分を未来へと導いた人物であり、それだけでなく他の多くの子どもたちにも手を差し伸べた彼はまさに輝く星のようで、今のアオハの規範になった。


 ――そのはずなのに、どうしてあの方は……。


 魔女の霊廟で起きたあの惨劇を仕組んだのはラーグナスだ。アオハには、全てを上層部に報告する義務がある。だからこそ、早急に教会支部へと帰還しなければならない。

 だが、魔神を連れているこの状態で主都まで戻るつもりか、自分のやるべきことをちゃんと考えているのかと、道中でロボだけでなくマルにまで咎められてしまう始末だった。


「アオハ。あなたは教会に戻ると仰いますけれど。では、戻ってあの魔神をいかがするおつもり? その先を見据えた策と心構えがきちんとあるのですか?」


 策と言われては尻込みしてしまう。リュミオラへの思いを吐露するくらいしかない。


「リュミオラが今後人に危害を加える兆候がない限り、僕に彼女を封滅する意志はない」


「ではどうすると? 人が関わるべき相手ではないと、自然界に帰しますか?」


「彼女は野生動物ではないから。まあ、リュミならやっていけないことはないが……」


 あの灰色狼たちともうまく暮らしていける気もしたけれど、現実逃避でしかない。


「そうなれば異産審問官としてとるべき選択肢は一つだ。地底第一階層の教会領には、星教会の擁する異産の封印施設がある。それが〈禁忌戒牢きんきかいろう〉だ」


「禁忌戒牢……そんなものがあったなんて、わたくしも初耳ですわ」


「本当なら秘匿されるべき場所なんだけど、マルは特別だから教える」


「と……特別に扱われても、わ、わたくし………困ってしまいますので……」


 何故か顔を紅潮させるマルには、やはりどこか世間ずれした側面があるのかもしれない。


「いや、別にマルを褒めたわけではないんだけどな。とにかく、壊す方法がわからなかったり、手に負えない異産は、そこに封印するのが星教会での決まりだ。ただ、そこに物ではなく生物を封印した事例なんて聞いたことがないし、彼女を牢獄に閉じ込めるなんて僕は反対だ」


 想像するだけで胸が痛んだのだ。

 異産に心があれば、使い手の心も迷わせる。そしてアオハ自身も惑わされているかもしれないという、自問自答の日々が続いていた。


「リュミオラを魔女の霊廟に戻すことができればな。今はそれくらいしか思いつかない」


 わずかに言葉を止めてから、マルが同意の言葉を示す。


「……ええ、それが一番かもしれません。ですが、もしあそこに戻したとして、彼女という魔神を狙う人間といつか遭遇するでしょう。遺跡から利益を得ようとするのは、何もハンターだけではありません。あなたはそれを見過ごせますか?」


 他にも反論の余地などいくらでもあり、安易な発想だったと押し黙るしかない。


「そう……だな。マル一人にすらこれくらい議論になるんだ。星教会相手ならさらに大事だ」


「――ならわたくしからの提案です。学院に向かいましょう!」


 思わぬ提案に、マルリアン・シュナイドラというこの元王族の少女が、今はレリクスハンターの世界に身を投じていることをようやく思い出した。


「どうしてアオハお兄さんはそんな不思議そうな顔を? わたくしがハンターであることをお忘れかしら?」


 完全に見透かされていたようだ。開いた口を塞ぐと、クスリと噴き出されてしまった。


「でも、これから学院に向かって、一体どうするんだ?」


「学院とは遺跡の研究機関です。ハンマフォートで見つけられる先史文明の痕跡を研究してきました。その研究が気に入らないから、星教会は口を挟んでいるのではなくって?」


 そう言って浮かべたマルの笑顔は、この時ばかりは小悪魔の微笑みに見えた。


 学院こそが、リュミオラにとってもっとも安全な場所だとマルは主張した。

 学院とは、レリクスハンターの育成機関であるだけでなく、遺跡やレリクスの研究機関としての側面も併せ持っている。

 そもそも死んだアオハの両親が遺跡研究者だったのだから、知らない場所ではない。

 それに、マルにはもう一つ確信があった。彼女は、学院の最高権力者である学院長と懇意な間柄らしいのだ。

 マルリアンの出自を知る学院長なら、必ずリュミオラのことも匿ってくれるだろうと胸を張った。


「学院長も多忙な人間ですが、教会の石頭たちに託すよりはうんとマシですから」


 そう言うマルの表情がどこか誇らしげだったので、アオハも信じてやることにした。


 こうしてマルを伴った、二人と一体と一羽の旅は続いていった。

 アオハ隊が目指すは、昇降機の町アンカーテ。

 問題は、各自治領内で公的に使用されている昇降機は、一種の関所としての役割を持っている点だ。関所には当然ながら衛兵が配置されているため、リュミオラをどう連れ出すかが悩みの種だった。

 もう一点、厄介事の兆候を見落としていたのかもしれなかった。

 思えばアオハも、元より鈍い男であるという自覚はあった。人心に細やかな気配りのできる人間ではなかったのが災いしたのだ。


        ◇ ◆ ◇


 事件が起こったのは、翌朝すぐのことだ。

 眠りこけるアオハの意識が唐突に呼び覚まされたきっかけは、女性の短い悲鳴。

 焚き木の燻った臭いが鼻を突き、毛布をはね除けて朝露の降りた草むらから腰を上げると、野営地の周囲には何故か誰の姿も見当たらない。

 ぎい、と枝が軋む音がして、恐る恐る視線を上げたアオハが見たものとは――


「うわっ、リュミ――――!?」


 アオハの頭上に、残る一人と一体と一羽が勢揃いしていた。

 昆虫めいた脚を樹木の股に引っかけたリュミオラが、さながら巣で獲物を待つ蜘蛛の態勢でこちらを見下ろしている。

 その前脚――禍々しい両の鎌が羽交い締めにしていたのは、なんとマルだ。

 宙吊りにされた格好のマルは悲痛な表情を浮かべており、悲鳴を上げ損ねたその口も、リュミオラの真っ黒な手が塞いでしまっている。

 眠る時に戻したのか、今のマルは黒髪の異色虹彩だ。

 ただ羽織っていたローブは引きはがされ、下の着衣までリュミオラが剥いでしまおうとしたらしい。半分脱げた衣服からマルの白い肌と下着が覗き、それに奇異な視線を向け品定めするのが魔神リュミオラだった。


「…………お、お前……そこで何てことしてるんだ! マルを離してやってくれ!!」


 自分も同じことを過去にされた経験があった。おそらく彼女は、マルと自分の身体的な違いを確かめたいだけなのだろう。

 だが、知的好奇心を満たすための過程があんな乱暴極まりないものでは、埋めるべき互いの距離も埋められなくなる。


「ん……ッ!? んんん――――ッ!!」


 アオハの視線に気付いたマルの悲鳴も、リュミオラの手が押し殺してしまう。

 宙吊りにされたまま藻掻き始める彼女。無理に暴れれば服が脱げて落下してしまう恐れもあった。

 藻掻く度にマルの素肌が露出する。子どもだとばかり決め付けてきた彼女を妙に扇情的に見せ、迂闊にもアオハを躊躇わせてしまう。

 だが、怯えるマルのためにも、自分がリュミオラを抑えなければという使命感が勝った。


「――このっ、いい加減にしろ! そこから降りてこいッ、リュミオラ!!」


 気付けば、自分でも驚くほど強い言葉を投げ付けていた。それでも彼女を叱る役目が自分にあるのだと、己を奮い立たせて言った。


「りゅ……………………アオハ?」


 彼女には間違いを犯したつもりなどなかったのか、返ってきたのは困惑と、そして怯えすら覗く表情。けれどもアオハが向けた目がリュミオラを否定し、非難している。

 萎れたようにリュミオラの体躯から力が抜け、しょげた表情をして樹木から降りてきた。

 リュミオラへと駆け寄り、鎌に掴まれたマルを抱き寄せる。

 マルのローブは一部裂け、肩に切り傷までできていた。枝にかすめた程度の浅い傷口だ。

 けれども血の色を見た途端、胸に怒りが沸き起こってきた。


「このっ! お前、マルになんてことを――」


 思わず、リュミオラ相手に手を上げてしまっていた。


「――やめて!」


 なのに、どうしてだろう。この乱暴な手を包み隠すように、犠牲になったはずのマル自身にしがみ付かれてしまったのだ。


「幼いものや弱いものたちとの接し方はそれでは駄目。アオハこそ落ち着きなさい」


 彼女の思わぬ行動に絶句したアオハを押し退けると、マルはリュミオラに向き合う。


「わたくしに興味があるのですか? それとも、急に現れたわたくしが気に入りませんか? でもわたくしはあなたの主人を奪うつもりはないの。取ったりはしないよ」


 ローブを羽織り直すと、胸に手を当て、まるで小さな子を諭すように話すその姿。

 きっとマルを見くびってばかりだったのだと思う。己の未熟さも思い知った。


「主人は間違い/アオハはリュミのつがい/なんじにはあげないよ?」


 初めてリュミオラがマルと言葉を交わしたのを見た。

 もっともリュミオラもどこか意地の悪い目付きをしており、彼女の自由奔放さがマルを傷つけやしないか心配でもある。


「つがい? その……アオハは、男性としてこの子に慕われているのかしら?」


 困り果てたように俯き、両手の指を弄り始めたマルに、


「いや、リュミのは言葉通りの意味じゃない場合が多いから、真に受けないでやってくれ」


「アオハはリュミのだよ」


「わかってるよリュミ。さっきはごめん、あれは僕が悪い。マルもすまなかった」


 アオハの謝罪に、リュミオラは言葉もなく、ただどうしてよいのやらわからないといった目をして、後ろへと退いた。


【――かつてのシュナイドラ王家の姫君は、今や孤児院暮らしで、孤児たちの母親役も買って出ているのだそうだ。母性愛とはかくも素晴らしいものであるな、我が一番弟子よ?】


 唐突に口を挟んできたのは、近頃やけに大人しくしていたロボだ。

 ただその逸話は内緒で聞き出したものらしい。思わぬ暴露に、マルもこの時ばかりは顔を真っ赤にして非難を訴えた。


「それは内緒だって言ったでしょう! もうっ、小動物のくせに!」


 両手を振り上げて怒るマルはやはり外見相応の少女のもので、だからアオハも誓うのだ。


 ――僕がもっとちゃんとしないとな。手を差し伸べられるばかりじゃ駄目だ。この手が彼女たちの支えとなるように。


「さあ、それではリュミ。わたくしにそんなに興味がおありなら、少しお話ししませんか?」


 と、マルが思わぬことを申し出た。


「わたくしのことがもっともっと知りたいのでしょう? この服の中を見たいのでしたら、平等にお互いの全てをさらけ出しましょうか」


 乱れた服を整えようともせず、それどころか羽織っていたローブまで脱ぎ、たじろいで後ずさるリュミオラに迫っていく大胆さだ。


「――あと、そこ! ぽかんと見ていないで席を外しなさい! 朝食の支度でもしていて。さあ早く!」


 そうまで強く言われては、何ら失態がなくとも、脱兎のごとく踵を返すしかない。


「ロボも、ですよ! あなた、女癖が悪いと聞きました。昨日もわたくしのスカートを捲りましたね?」


【はて、どれについてやら記憶域が定かでないが、何せ猛禽類のすることであるからな】


「で、それが女性のスカートを捲っても許される言い訳になると思って? あなたがいかに素晴らしい魔術師様なのかは理解できましたので、どうかこれ以上わたくしを失望させないで」


 言葉に棘を生やしたマルには、アオハもロボも大人しく退散するほかないようだった。


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