第11話
アオハはマルたちと手分けして、逃げ遅れた村人がいないか村中を探して回った。
ジオッタが報告したように、双頭の巨狼たちの狙いは村人を襲うことにはないらしい。あの魔法の尾っぽを使って、ただひたすら村の建物に火を放っているように見えた。
それでもこれが凄惨な状況に変わりはなかった。無謀にも巨狼に決闘を挑み黒焦げにされた騎士や、火の手から逃げ遅れた村人たちの亡骸を幾度となく目にする結果になった。
民家の納屋に身を隠していた子どもたちをマルが見つけ出し、リュミオラの騎槍が五頭目の巨狼を貫いたところで、この得体の知れない状況にあらたな変化が訪れる。
村の中央にそびえ立つ灯台――その灯室からレンズ越しに放たれる不動光が一瞬、大きな黒い影に遮られたのを、アオハの目が偶然捉えたのだ。
それは、アオハの目には、途轍もなく巨大なコウモリか何かに見えた。
ずん、と地鳴りがした。一寸置いて、あれほど夜空に主張していた灯台のともしびが、吹き消されたように失われた。
「見ろ、灯台の灯りが……」
失われたのは灯台の灯りだけではない。途端に、村にある変化が訪れたことに気付く。
村で一番の灯りが損なわれたはずなのに、むしろ傍らのマルたちの顔がはっきりと目にわかるようになったのだ。
理由は一つ。方々の景観を赤く染める炎が、急激にその勢いを増したからだ。
「――そんな、火の手が急に強まりました。どういうことなのでしょう……」
「うそだロ……アレが消えるはずないゾ! だって〈マウリの星〉は、昔の人間がつくったすっげえお守りの灯台なんダ」
ジオッタが茫然と呟いた灯台の由来に、ふと思い至る。
「そうか。あの灯台は守護塔の役割を持っていたのか」
「守護塔? ということは、学院主都にあるのと同じものでしょうか?」
「ああ、守護塔は外敵から人々の生活圏を守る重要なレリクスの一つだ。そいつが何者かに潰された。だから村全体にもたらされていた魔法の加護が失われ、火の勢いが強まった」
ただの憶測に過ぎないが、嫌な胸騒ぎがした。先ほど目撃した大きな影は、どう考えても常識の範疇を超えていたのだ。例えば村に火を放った魔獣――双頭の巨狼たちのように。
「マルと騎士殿は今すぐ子どもたちを連れて避難場所に向かってくれ」
「わたくしたちだけって、お兄さんは何をなさるおつもりですか? 一人では危険です!」
語気を強めたマルに、助け出した女の子たちがしがみついてしまう。
アオハは踵を返し、屋根に潜むリュミオラに合図する。灯台まで先行してくれと促す。
翼のあるロボが先んじて、後に続く彼女が民家の屋根をいくつも飛び越えていった。
「一人じゃないさ、先にリュミオラたちも向かっている。灯台の様子を見てくるだけだから安心してくれ」
袖を引く彼女をそっと振り払い、ジオッタに預ける。
「剣に誓って任されたゾ。ワンコどもはあらかた退けたみたいだけド、そっちも用心しろヨ」
わかってる、という笑みだけ返し、アオハはリュミオラたちの向かった先に続いた。
◇ ◆ ◇
マウリ村は、〈マウリの星〉なるレリクス灯台を中心にして、放射状に民家が建ち並び、そのさらに外縁部を高い城壁部で矩形に囲う構造をしている。
灯台は、この村には不相応なほど高く強固に築き上げられており、村のどこにいても位置を見失うことはなかった。
かたや村の民家は、そのどれもが灯台向きの窓を塞げる特殊な造りになっていた。マウリとはそもそも、遺跡であるこの灯台を発掘した人間が入植して築かれた村なのだろう。
レリクスと人の共存。失われた先史の技術であるレリクスを忌避する剣王国領においても、遺跡の中で生きていくには避けられない現実があった。
アオハの前方に、灯台の赤茶けた基礎部分が見えてきた。
手には細身の騎士剣。万が一を想定して、途中で拝借してきた装備だ。
――やけに静かだな。先行したリュミオラたちはどうなったのだろう。
円形に広がる灯台前の広場まで辿り着いて、打ち棄てられた屋台店の陰から様子を伺う。
この距離まで近付いても、戦闘の痕跡はない。灯台を見上げれば、灯室のあたりが半壊しており、砕けた煉瓦造りの断面が闇夜に輪郭を浮き上がらせていた。
そしてそこに、想像を絶する存在が居た。
未だに絶やされぬ炎が浮き彫りにしたそれは、大きな〝竜〟だ。
――そんな馬鹿な。竜は空想上の生物だ。書物の中でしか存在し得ないはず……。
だが、アオハの視界に映るあれは、歴史的に多くの想像画に描かれてきた竜そのものだ。
翼を持つ、白い鱗の竜だった。
高みに鎮座し、前脚で灯室の砕けたレンズに寄りかかっている。コウモリのような飛膜を備えた翼を背に畳み、長い尾を時おり蠢めかせては、灯台の壁面を叩きつけ鈍い音を響かせている。伸びた首の先にある三角形の頭部――その鎧のごとく厳めしい鱗の狭間から、黄金色の瞳が下々を睥睨している。
その眼下――村の中央広場で、光の騎槍を携えたリュミオラが白竜へと挑んでいた。
「――――りゅう! /敵か? /なんじ/リュミの敵か?」
言葉が通じると思ったのか、そう白竜に問いかけるリュミオラ。自分を見下ろす白竜に光の騎槍を突き付け、返答によっては交戦も辞さない構えだ。
かたや白竜は咆哮を上げるでもなく、高みから賢者のごとき眼差しを返すのみだった。
アオハの知識では、自然界にあのような超大型の爬虫類が存在し得ないとわかっていた。あの程度の翼と筋肉で、巨体を上空に持ち上げることは構造上不可能だ。
――ならば、導き出せる答えは一つ。あの白竜も双頭の巨狼と同じ魔獣――つまり何者かが放った異産に類する存在に違いない。
一触即発のリュミオラを制止するべきか、あるいは状況を見守るべきか。
その最適解を頭の中で探っていると、白竜が想定外の反応を見せた。
急激に白い光を放ったかと思えば、つむじ風のごとき大気の奔流が竜の周囲を吹きすさび、遂にはその場にあった体躯そのものが消えてなくなってしまった。
風が収まると、そこには一人の男が佇んでいた。
「りゅりゅ? /なんじ/なんじは/なにもの?」
「……お前のような異産が人語を理解するまでに成長したとは、さすがの私も驚かされたぞ。それは何者かが入れ知恵したのか、それともお前自身の意思か?」
リュミオラに話しかける男の声。
開けた周囲に残響してはっきりとはしないが、それでもアオハは彼が何者かを知っている。惨禍の炎に炙り出された姿が斯様に遠くとも、砕けたレンズに手を置く男の顔を、瞼の裏にありありと浮かばせることができる。
「……ラー……グナス……枢機卿……………………こんな、ことが……」
男の名はラーグナス・フランヴェイラ。イスルカンデ星教会の枢機卿。アオハが紛うことなどない、彼の生き様に最も強い転機を与えたであろう人物だ。
白く長い髪と外套とを夜風になびかせたラーグナスが、半壊した灯台からリュミオラを不敵に見下ろしている。竜に変化する不思議な術を使って、このマウリに突如として現れた。
「ラーグナス枢機卿――――――――!!」
それ以上考えるのも惜しくて、彼の前に飛び出していた。疑問も何もかも、直接聞き出せばいいのだから。
「枢機卿! ご無事だったのですね!! 自分はてっきり、あなたがあそこで……」
「りゅ……? /……/アオ/ハ?」
思いがけず割って入ってきたアオハに、光の騎槍を収めるリュミオラ。気勢を削がれたのか、ぽかんとした表情をして傍らに駆け寄ってきた。
灯台の上から注がれるかつての上官の表情は、ここからははっきりとは窺えない。が、思いがけず再会を果たした部下に、すぐに何か言葉をかけてくれるでもなかった。
アオハは手を大きく広げて、答えて欲しいと訴える。
「死んでしまわれたのかと…………他の皆のように、魔神たちに殺されて……」
くだんの魔神の一体が傍らに佇んでいた。同じ言葉を吐き、アオハの名まで口にして。
自分でも何かがおかしいとわかってはいた。
魔女の霊廟を最後に行方知れずとなっていた枢機卿が、今このマウリに忽然と立っている。そして霊廟で生まれた〈白き魔神〉を伴った自分が、炎に包まれたここで枢機卿と対峙している。
これではまるで、自分こそが異産を悪用する賊なのではないか。
――そうじゃない、履き違えるな。事実を見据えろ、アオハ・スカイアッド。
竜に変化する未知の力を、何故あのラーグナスが備えていたのかをアオハは知らない。
それだけではない、あの灯台の惨状は何だ。あれは誰がやった。
――この炎は、誰が焚き付けた。
認めたくもない現実に、今この心臓がそっと握られている。それでも答えを待つ。
ラーグナスが一瞥を送る。
と、あの双頭の巨狼たちが続々と暗がりから現れた。アオハたちの背後を取り囲み、退路を断ったのだ――そうするよう命じたラーグナスに従って。
「ラーグナス枢機卿……あなたは、一体何のおつもりでこんなことを!?」
「……辺境地で騒ぎになっていた人喰いの魔物の足取りを追っていたのだ。それが、奇しくもこのような再会になるとはな。あそこで死んだとばかり思っていたぞ、スカイアッドよ」
アオハには状況が飲み込めない。事実を認めたくもない。
だが、魔獣を使役し村を襲わせた黒幕こそが自分であると、あの枢機卿は自らアオハに証明してみせたのだ。
「――嘘だ。あなたはこんな真似ができる人じゃない」
「君は察しが悪い人間ではないと理解していたが、私の見込み違いか?」
「そうだ……あの時、ちょうどこんな炎に包まれた町で、死にかけた僕を救い出してくれたのはあなたじゃなかったのか!」
「スカイアッド、君は己を過去に囚われた哀れな人間だ。失った過去は取り戻せない。だが未来なら選ぶことができる。さあ、これ以上この村を焼かれたくなければ、連れ出したそこの魔神を私に渡すのだ。それはこの私が従えてこそ相応しい異産だ」
この男は燃え朽ちてゆく村を前にしてなお怯まず、脅迫までしてのけたのだ。
「では、これは全てあなたの仕業なのか。まさか、魔女の霊廟での異産審問もただの事故ではなく、あなたは最初からあそこで魔神の復活を企んでいたというのか!」
かつて命を救ってくれた恩人。炎の中に手を差し伸べてくれた大人。自分がなしえなかったことをやって見せたラーグナス・フランヴェイラが、今はおぞましいものに見えた。
「……どうして。どうしてなのですか、ラーグナス卿。あなたは何のために、何がなし得られると信じて、あんな大量虐殺をやったんだ!」
だが、炎の燃え盛るさなか、かつて手を差し伸べたアオハの悲痛な訴えにも、この男は表情一つ変えずにただ問い返す。
「スカイアッド。君にはこの私が何に見える?」
塔の高みに君臨するローブ姿は、眼下を埋めつくす炎の赤を浴びて、一層禍々しく映る。
「何に見える、だって? とても聖職者には見えない。僕の知ってるラーグナス・フランヴェイラじゃない! 人を殺して村に火を放った――あなたがかつて口にした〝邪悪な魔術師〟そのものじゃないか!!」
なのに、何故なのかこの男は、アオハの答えに満悦した笑みさえ浮かべて返したのだ。
「何故あなたほどの人間があんな真似をする必要があった! 何故魔神を復活させた! 何故人を殺した! 何故村を焼いた! 何のために! 一体何のために!!」
「残念だが、その疑問にもはや意味などない。ただ一点のみ理解せよ。このラーグナス・フランヴェイラは、邪悪なる魔術師の眷属だ。ラーグナス・フランヴェイラが邪悪な魔術師である限り、これからもこのハンマフォートに戦火を生み出し続けると知れ」
そう宣言したラーグナスこそが、紛うことなき巨悪の元凶であると認めるしかなかった。
「巡る星々よ……この世の正義はどこにある……」
真実に絶望し、膝を地べたにつく。
どうすればいい。自分を導いてきたラーグナス自身が、異産の復活と悪用を行っていた。
アオハの背後に控えるリュミオラは、黙して両者の対峙を見届けている。
その彼女に一瞥をくれると、ラーグナスは思わぬことを告げた。
「フフ……あの君が今や異産使いか。もう後戻りはできんぞ、スカイアッド。この場に立った君の前には、もはや二つの道しか残されていない」
「二つの道、だと? 何が言いたい」
「選ぶのだ。それは、魔神の力をもって邪悪な魔術師と対決する、血濡れた英雄となるか。あるいは、邪悪な魔術師の右腕となって魔神とともにこの世界の心理を曝くか――」
「今さらそんな問答を!」
アオハもそう食い下がるが、ラーグナスは一笑に付して続ける。
「――どちらの道を選ぼうと、君が異産使いである事実は永遠に覆せない。そこに居るのは何だ? 君自身も、魔女の霊廟から回収した魔神をこうして使役してみせたじゃないか」
それは、アオハへの揶揄だった。こうして〈白き魔神〉と行動をともにしているという、言い逃れしようもない事実への。
「君が連れ出した
自分についての揶揄でもあると理解したらしい。傍らにいるリュミオラの肩に力がこもり、闇色の手がいつでも武器を抜けるよう伸ばされる。
「君もこれから思い知ることになるだろう。あの〈大断絶〉から百年あまり。停滞を続けてきたこの世界は、先史文明の力を巡った大きな動乱に再び巻き込まれることになる」
塔から臨むラーグナス・フランヴェイラが、そんな予言者めいた口振りで。
「この私には力とそれを使える機会の両方がある。そのために今の枢機卿という地位すら手に入れた。そしてスカイアッド――君は偶然にも同じものを手にした。絶望から始まった今の君は、この私ととてもよく似ている」
「誰が似ているものか!」
絶望と激情とがせめぎ合うアオハの前に、ひとつだけ明らかな正義が残されている。
いま見えている光景は何だ。あの男がリュミオラを悪用すれば、これと同じ惨劇がまたどこかで引き起こされるかもしれない。そうなればさらに多くの人間が死ぬ、と。
アオハの全ては炎から始まった。炎に抗うために、自分はここまで辿り着いた。
「さあ、果たすべき役割を選べ、アオハ・スカイアッド」
役割、とこの男は言った。
ならば、とアオハは決断する。足もとに転がっていた騎士剣を拾い、それを高きに君臨するラーグナスへと突き付けた。
「僕はあなたの所行を認めない。異産を殺し合いに使うなら、僕はあなたを止める!!」
「ほう……この私に、躊躇わず刃を向けるか?」
一縷の光明のごとくその胸に宿った意志。憤怒の形相で、かつて自分を炎から救い出した男に立ち向かう。
これは、自分の闘いだと知る。
だが――
「あお/は……?」
茫然としたリュミオラの声が、すぐ傍で耳を打った。大きく見開かれた宝石のような瞳が、見たこともない恐怖に彩られたのを他人事のように見届けた。
途轍もなく熱い塊が胸を突き、肉と皮膚とを貫いた。
アオハの胸元から、銀色の矢が露出している。
赤く暖かな血が滲み、ぽたりぽたりと、石畳へしたたり落ちていく。四肢が震え、鼓動が絶え間ない痛苦に上塗りされていく。
「…………………………か…………はッ!?」
すぐに膝からくずおれ、己が手が赤く汚れていくのを、ただ茫然と眺めるしかできない。
「――この化け物使いどもめ! わしぃらの村からとっとと出ていきやがれ!!」
アオハたちの前方――灯台の陰に、いつの間にか村人たちが立っていた。あの番兵たちだろうか。手には木製のクロスボウが携えられ、その弓床がまだアオハを狙っている。
だがアオハは、遂には喉から溢れ出てくる血液にむせ、そのまま地面に倒れ伏した。
「あお……は/……アオハ? /アオハ/アオハ! /アオハッ! /アオハ――ッ!!」
心乱したリュミオラの声が痛々しい。なのに、もう彼女を抱きしめてはやれない。
【おい、我が王よ! しっかりするのだ――――】
どこに潜んでいたのか、羽ばたきの音が近付き、耳元にロボの呼びかけが聞こえてきた。
「ししょー!! /われのアオハ/アオハをたすけろッ!!」
彼女らの渇望も虚しく、アオハの意識は薄れゆく。この夜よりも暗い、地に横たわることすらできない暗闇の底へと沈んでいく。
「――実に愚かな結末だ。人間そのものが異産であるというのもまたこの世界の真理か。さあ、我がしもべたちよ、愚かな人間どもを喰らい尽くすがいい」
ラーグナスが命じるままに、足音が通り過ぎ、何かに向かい襲いかかる。
つんざくような誰かの悲鳴が、繰り返し聞こえてくる。
――や……めろ……………。
もはや、それも声をなさない。
「一匹たりとも逃すなよ」
冷酷に告げられる声も遠く、地に伏せ、消えゆく意識の最後に見えたもの。
アオハの視界が映す建物の陰で、こちらを見て怯え震えていたのは、なんとマルだ。
――ああ、マル…………くそ……死んで……たまるか……。
手を伸ばすも、マルは気絶してしまったのか、すぐその場に崩れ落ちてしまった。
渇望と未練だけを、沈んで行くこの暗闇へと道連れに。
最期に見た光景は、暗闇のずっと底――その最果てに燦然と輝く、暖かな白い光。
訪れた死は緩やかで、きっとヨアンに赦されたのだと、アオハはこの結末を受け入れた。
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