第4話
ラーグナスのペンダントが奇跡を起こし、この昇降機に隠されていた先史文明のカラクリがよみがえった。昇降機内部に突如として出現したもう一機の籠が、異産審問官と騎士団とを載せ、さらに下階層へと降り始めていた。
「――ザカン様、こんなことあり得ません。第十階層より下がまだ続いていたなんて……あの者たちを本当に信用してよろしいのですか?」
「ふむ、我ら騎士が一体何を疑おうというのだ? それがしもおぬしも、ただ騎士の魂に恥じぬよう剣を振るうまでだ」
騎士たちもラーグナスの起こした奇跡に、動揺を隠せないでいた。声がこちらまで筒抜けだ。
大剣ハンマフォートに暮らす人々がこの百年あまりの探索で到達できた最下階層が、先の地底第十階層だ。さらにその先まで辿り着けた者などいないはずだった。
籠は一度も止まることなく進み、操作盤が最後に示したのは地底第十二階層だった。
昇降機から降り立った先は一つきりの部屋だった。まるで上から椀を被せたような、半球状の天蓋に覆われるドーム構造をしている。それも、アオハが知る学院主都の評議会議事堂、あるいは教会本部の大講堂を建物ごと収められるほどの容積がある。
ドーム内は薄暗く、魔法によるものと思われる光源が要所を照らすのみだった。
「なんと、ここは床が全て鉄でできているぞ……」
ザカンが驚愕の第一声を上げ、試すように甲冑の踵で金属製の床を踏み付けてみせた。
騎士らの背に続いたアオハにとっても、この階層は驚嘆すべき領域だった。
「この場所は、築かれてから最低でも百年以上は経過しているはず。なのに錆や腐食がまったく見当たらないとは、一体いかなる技術によるものなんだ……」
【この場所そのものがレリクスであると考えれば、別段不思議ではなかろう】
「――つまり、未だに〈大断絶〉の呪いの影響下にある、と?」
〈大断絶〉の呪い。遺跡の外世界すべてを不毛の地に変えるほど強大な呪いだ。ロボの解釈もあながち間違いでないように思えた。
ドームの中心へと進む自分たちの声と足音が残響する。それに混じって、次第に気味の悪い音が耳に届き始めていた。
「枢機卿。ここを魔女の霊廟と言われましたが、死者を祀る〝霊廟〟には見えません。ここは一体何を目的とした施設なのでしょう。それに、この奇妙な音は……」
その音は、アオハには鼓動に聞こえた。彼が知る生き物よりもずっと大きな体躯を持ち、そして途方もない容量の体液を常に循環させているような、そんな重苦しい鼓動。
「魔女の霊廟に祀られたものとは、〈大断絶〉以前にこの世を蹂躙した〝悪夢〟――先史文明の人間たちですら
やがて視界にそれが入った。この遺跡への侵入者の誰しもが戦慄するであろう、明らかに奇異な構造物が眼前に立ち並んでいるのがわかる。
――あれは…………何だ。まさか、棺なのか――
――あれが棺だと? あり得ん。あれほどの大きさ、巨人が葬られているとでもいうのか!
一斉にどよめきだした異産審問官らの狭間から、アオハもそれを目の当たりにする。
「――棺というよりは、卵……いや、繭なのかも――」
ドーム中心で光源に照らし出されていたのは、繭を連想させる物体。大人二人分ほどの身の丈を持つ白い風船形の何かが、規則的な配置で金属製の床面に埋め込まれていた。
「……八……九…………十四……ああ、もういい! いくつあるんだ……」
騎士の一人が数える間も、どくりと鼓動を打つ繭。それらは床を無軌道に這い回る管と繋がっている。繭の中には色の濁ったものや、殻が割れて中身が露出したものもある。おぞましい何ものかの骨がそこから覗いて、誰かの上ずった悲鳴が聞こえた。
「ロボ、これが何かお前にはわかるか?」
【さてはて、魔術師としての我が記憶域を探れど、これは何か巨大な生物の生態にかかわるものとしか説明できぬな、ううむ…………】
「――スカイアッド。これを見てくれ」
そこでラーグナスが呼びつける。
アオハが向かうと、ドーム中央に鎮座していたものに対峙するかのごとく、ラーグナスとザカンが立ち尽くしていた。
「こいつは――――なんて大きさだ……」
それは大人三人ほどの身の丈を持つ、ひときわ巨大な銀色の繭だった。そして、それを取り巻くように配置された円筒型の水槽が四器。
この巨大な繭は他とは異なり、殻が透き通っていて、内部が水銀のような液体で満たされていた。ただ時おり泡が立ちのぼる以外に、目を引く発見はない。
だが、水槽の方は違った。
「ぐっ……なんとおぞましい……これは……人の娘か――」
口元を覆う先輩格の目前、ガラス製の水槽――その四器すべてに、なんと裸体の少女がたゆたっていた。みな眠っているかの安らかな表情をたたえているが、彼女らの体躯はどこかしら切り取られたかのように欠損し、さらけ出した血管や臓器を溶液に浸している。
「鬼畜の所業か! これこそは、この遺跡の主が人の道を外れた研究を行っていた確たる証拠。かような非道、それがしの騎士の魂が見逃すと思いでか!」
唐突にいきり立ったザカンが腰の剣に手をかけ、柄に力を込めた。
「――ザカン殿、少し落ち着かれよ。その水槽の中に潜むものは人ではない」
余りに惨く、正視に耐えない光景だったが、アオハも違和感に気付いた。四器の水槽に浮かぶ少女たちが、みな一様にある特徴を持っていたからだ。
「これ、翼……? 羽が――まるで退化したみたいな羽が、背中から生えている……」
そう、彼女らの背から露出していた器官は、まさに翼としか形容しようがなかった。そこに生え揃っているはずの羽根が抜け落ちて、枯れ木のような有様になっている。ただ、ハンマフォート中を探しても翼を持つ人間など、空想の産物である妖精や有翼人くらいしか思いつかない。
戦慄する彼らに向け、この恐怖の本質を表すであろう名をラーグナスが告げる。
「この少女を模したものたちは、かつて〈
「マシン!? では、枢機卿殿はこの娘たちが本当に人ではないと申すか?」
「そう。我が祖の伝承にこう記されていた。〈大断絶〉以前の旧世界において破壊と殺戮の限りを尽くし、数多の国々を滅ぼしたとされる人造の破壊神――それがこの魔神だ」
さも恐ろしげにそう語ってみせたラーグナス。魔神の片鱗を自ら目の当たりにした彼ら一同は、恐れと畏怖とに続ける言葉もない。
「しかし、何故このような途轍もない魔物が遺跡の――我らの足の下で眠っておるのだ?」
「理由は単純なこと。我々が暮らすこの大剣ハンマフォートとは本来、悪逆なる魔女たちが支配した先史文明国家テクネト・アルキナの遺跡だとされる。そしてこの魔神も、魔女たちが地上全土を征服すべくして生み出した、恐るべき兵器のひとつということだ」
この場所が全ての歴史と繋がっているのだと、ラーグナスが両手で指し示した。
「ということは、まさか……こ、ここにある繭すべてに、その、魔神が……」
ごくりと鳴った誰かの喉が、やけに遠くまで響いた気がした。
「私もいま、己が目で見て確信した。魔女の霊廟とは、おそらく魔神の生産工場だ。ここで魔神を万が一にでも復活させてしまえば、学院領も、剣王国領も、いや、ハンマフォートの町すべてを焼き尽くすまで止められぬ、最悪の惨劇を引き起こす結果になる」
悪夢のような未来図を口にしたラーグナスに、ザカンは合点がいったのか再び騎士剣の柄を握りしめた。
「……うむ、枢機卿殿の強き意志、しかと承知申したぞ。我が剣の敵、ここにあり!」
そこでザカンが唐突に抜剣し、天に高々とその切っ先を掲げた。
「――ここに集った我らが使命を果たすべきときである! ハンマフォートの秩序と安寧のため、凶悪な魔神どもを根絶やしにせよ! 先史の亡霊が弱き民たちを永劫に脅かすことがないよう討ち滅ぼすのだ! そして我らこそが後世に名を残す英雄となろうぞ!」
――騎士の魂を我が剣に宿せ! 騎士の魂を我が剣に宿せ! 騎士の魂を我が剣に――
ザカンの口上に鼓舞され、各々に剣を掲げる騎士たち。
この異様な狂騒に飲まれ、アオハの意識も眩惑感のさなかにいるようだった。
アオハには覚えがあった。
かつて似た体験をした。小さいころ、人の手に渡った異産が町を火の海へと変え、父と母と、大切な人たちを失くしてしまったのだ。
あの忘れえぬ痛み。
少女そっくりなこの魔神たちも、あの惨劇を再現し得る未知の怪物なのだろうか。
周囲には鼓動を打つ繭もまだ無数に残されている。〈大断絶〉の呪いによって今日まで時間の流れから取り残されてきただけで、ここが未だに機能しているのだとわかる。
「……恐れるなスカイアッド。過去の苦しみに立ち向かう時だ。我々はこの存在を、歴史から永久に消し去らねばならん。封印ではなく、消すのだ。君にはその力がある」
「消す……ですか、枢機卿……?」
強い意志のこもった眼差しがアオハを射止め、そしてあるものを促す。
銀色の繭の正面に、直方体状の石盤が設置されている。昇降機の操作盤とよく似た構造のものだ。
「その石盤が、おそらくはこの魔女の霊廟を制御しているのだ。さあスカイアッド、お前の力で魔女の記した言葉を解読してみせてくれ」
「しかし枢機卿、自分が……僕が万が一、やり方を誤ったら…………あの繭が羽化して、魔神たちを復活させてしまうかもしれない」
それは、一番最悪で、一番赦しがたい結末。己がどれほどの覚悟をして異産審問官となったのかも忘れてしまいそうなほど、枢機卿の意志に応えるのが怖くなった。
「案ずるな。恐怖が君を苛むなら、この私が支えよう。君があの炎の中で生き残っていてくれて、私はどれほど救われたことか。だが異産は、君から父を、母を――そして家族を奪った。ならばそれを繰り返さないための鋭い刃となれ、アオハ・スカイアッド」
彼の言葉から一寸見えた光明に、決断の意志を奮い立たせ、鞘からレリクスブレイカーを抜く。そしてその切っ先を、石盤の表層を覆っていた光の被膜へと押し当てた。
レリクスブレイカーの備える力は、〈大断絶〉の呪いに干渉し、強制的に断ち切ること。
幾何学的造形をした古代文字が、刃の触れた石盤上をまるで魔法のように踊り始めた。
記された文字に指を滑らせながら意味を解読し、頭の中で組み立て直す。
「…………
アオハの喉が紡いだ古代言語がレリクスブレイカーを通じて、不可視の封印――その錠前へと送り込まれていく。今や失われた先史時代の魔法を、その刃が発動させているのだ。
「……何かを〝送り出す〟? ……〝胚〟を意味する古代文字とどこか似ているが……」
――あの繭を止めるにはどうすればいい? 施設の機能を調べる目次はないのか?。
「これならどうだ――――
「しかし、やり方が回りくどくはなかろうか、枢機卿殿よ? くだんの魔神がかように動かぬ木偶の坊ならば、こうして我らが騎士剣で片っぱしから切り伏せてやればよい!」
ザカンが意気揚々と剣を抜き放つと、傍らに鎮座する繭にその切っ先を向けた。
「待たれよ! 騎士殿の蛮勇で勝手に魔神と対決されては、こちらの生命に係わる!」
怒気をはらんだ声のラーグナスが割って入り、荒ぶる聖堂騎士を押しとどめようとした。
その刹那に起きた現象を、この場にいた誰もが咄嗟には理解できなかった。
「う、ぬおッ――――――――――――!?」
聖堂騎士ザカンが突き付けた剣が、その半ばから二つに分かたれていた。弾け飛んだ剣先は、いつの間にかアオハのすぐ足もとに突き刺さっている。
「何が起きた……のだ……??」
折れた騎士剣を茫然と掲げるザカンの目前――繭の白い殻に、大人の背丈ほどもある目玉が映し出されていた。
血のように赤い光の筋で描かれた目玉紋様。それがザカンを睨むと、瞬く間の早さで白い光線が放たれ、ザカンの騎士剣をさらに二等分してしまった。
からん、と金属片が床に転がり、それに反応した周囲の繭が一斉に大きく目玉を見開いた。
「みんな離れろ――――この繭は攻撃するぞ――――!!」
アオハが咄嗟に大声を上げる。おびただしい数の目玉がまばたきし、皆を睨み付けた。
「愚かな……なんということを…………」
愕然とした表情を浮かべ、ラーグナスが崩れ落ちる。
柄だけになり果てた己が騎士剣を、ぽかんと眺めたまま立ち尽くすザカン。そこに配下の騎士たちが飛びかかり押し倒した。
背筋に悪寒めいたものを感じ取る。アオハの背後――あの銀色の繭にもぎょろりと大きな目玉紋様がまばたきし、アオハのことをじっと見つめていた。
光線が目玉の中心から放たれ、アオハの顔をゆっくりとなぞっていく。舐めるように、額から鼻、唇、そして左眼の眼帯へと――
「――――いかん、退けスカイアッドッ!!」
皮膚に熱を感じた直後、ラーグナスに引き倒され、アオハは繭の脇へと転がった。
「――――――――――が…………ぐ……ッッ!?」
何が起こったのかはわからない。左眼の古傷が途端に疼きだし、頭の中を覗かれたかのような感覚とあまりの痛苦とで、次第に意識が薄れていく。
同時に、床に着いた手が地鳴りのような揺れを感じ取っていた。この魔女の霊廟内に、何らかの異変が起こり始めているのだ。
揺れは加速度的に強まり、遂には立っていられなくなるほどの鳴動へと変わると、霊廟の床が侵入者らの目前で分割され始めた。
分かたれた床の各々は昇降機のように、次々に下階層へ向かい下降していく。
「これは一体なにごとだ――地面が下がり始めておるだと――!!」
重装備が災いした騎士たちは、床に這いつくばったまま下階層へと飲み込まれていく。
まだ身軽な者たちは脱出を試みるも、次第に切り離されていく床同士は飛び越えられる距離ではない。混乱する人間たちは、繭を載せた各々の床もろともに地の底へと消えていった。
光線を浴びたアオハは朦朧とした意識のまま、その場から立ち上がることすらできなかった。地の底へと至る暗闇の斜面をゆっくりと降っていく。
別の床に飛び移ったラーグナスは、沈んでゆくアオハへと感情の読めない一瞥を送る。
そうして魔女の霊廟そのものが遂に、暗闇の底へと完全に飲み込まれることになった。
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