Ⅱ よみがえりし異産
第3話
人々が知る限り、先史時代に栄えたあらゆる文明は、〈大断絶〉の呪いによって百年前にその歴史を絶たれたとされている。
果たして〈大断絶〉がいかなる奇跡だったか見た者はおらず、〈大断絶〉以前に生まれ落ちた者もまた、その真相を後世に伝えることなく息絶えていったという。
そうして文明の仕切り直し期へと追い落とされた人間は、もはや住むことの叶わなくなった大地から逃れ、世界中に残された途方もない規模の先史文明遺跡に寄生するようにして都市を築き、今もその内部に息づく
アオハたちが暮らす大剣ハンマフォートも、〈大断絶〉後に生き残った人々が身を寄せる先史文明遺跡のひとつだ。
その地底第三階層――学院領と呼ばれるレリクスハンターたちの自治領では、今朝から主都の目抜き通りを埋め尽くさんほどの人の賑わいだった。
もっとも今日ばかりは市場の盛況による混雑ではない。
平時であればびっしりと軒を連ねるはずの露店は路地裏へと押しやられ、主都北端に位置する塔を包囲する格好で、ハンターを中心とした群衆らが一斉に怒号を飛ばしているのだ。
曰く、
――星教会は遺跡探索の妨害を即時中止せよ!
――異産審問官によるレリクス規制を許すな!
押し合いへし合いで抗議の拳を振り上げる群衆らを、町の憲兵たちが押し止めている。
そしてその人波の間を縫うように、アオハたち異産審問官が足早に塔へと向かっていた。
「やれやれ、この威勢のよさは星教会側も見習うべきだな。ただ朝っぱらからこうもむさ苦しくてはかなわん……」
先を行く先輩格のそんな言い草には、アオハも苦笑するしかない。
通りに投げ込まれたゴミに幾度もつまずきそうになりながら、レリクスブレイカーの鞘でひらひらと扇ぐ先輩格。主都の天井へと昇り始めた地底第三階層の太陽が、先史文明の魔法によって生み出された光量と熱量とをじりじりと強めつつある。
彼らが向かうその先には、遺跡外縁部の分厚い外壁と、それに一体化して築かれた高い塔がそびえ立っている。塔はさながらに天の梯子といった風格で、上空にかかる雲を抜け、この階層を塞ぐ天井を真っ直ぐに貫いていた。
群衆をやり過ごして、塔の正門に至る階段を上がる。その先で、塔を警護する憲兵隊と、整列する異産審問官たちの一団がアオハの視界に入った。
◇ ◆ ◇
塔の内部には、遺跡内の各階層を行き来するための昇降機が備えられていた。荷馬車丸ごと一台すら積載可能な昇降機の籠に、アオハら異産審問官が次々に搭乗していく。
「皆さん、無事に使命を果たしてきてください。星々の巡るままに――」
町での待機組からの見送りの言葉を断ち切るように、昇降機の扉が閉じた。
間もなくして底面がごとりと揺れ、籠が下階層へと降り始めた。
下降を始めてすぐ、先陣を切る白服の男に呼ばれ、アオハは彼の傍らに寄った。
「……ラーグナス枢機卿、自分に何か」
異産審問官たちとは真逆の、女性のように長く伸ばした頭髪から外套、手袋に至るまで白一色の装いをした、明らかに高位と見える聖職者。
これより執行される異産審問の提起者兼指揮官でもある男、ラーグナス・フランヴェイラ。イスルカンデ星教会を束ねる枢機卿の一人で、主都に建てられた教会支部の代表者だ。
「昨日に続いて苦労をかける。遺跡内の人払いは穏便に済ませられたかな?」
「ハンターへの警告は概ね完了しましたが、未だ帰還していない隊の報告をいくつか受けております。階層からひとり残らず排除というのは、一部ハンターからの反感が強く……」
そのように事実を事実として報告するしかなかったが、
「それは構わんよ。一人や二人紛れ込んできたところで、任務に影響はない。我々がやるべきは、相手への歩み寄りの努力を常に絶やさぬことなのだ」
上官にあたるラーグナスは、部下らの失態にもその整った顔つきを歪めることない。純白の外套から伸ばされた右手が、乱れていたアオハの襟元を正した。
「気にいらんか? 我々星教会と学院領の関係というのは、昔からこういうものなのだ。己が被害者になってからでないと本質を理解できない。残念ながらそれが人というものだ」
自嘲気味にラーグナスが呟くのを聞いて、アオハはこう切り出した。
「あの、枢機卿。何故にまだ見習いである自分まで今回の異産審問団に加えられたのですか? ここまで大規模な人払いをするなど、かなり重要な異産審問なのでは?」
胸の内に淀むものを代弁するかのように、右肩で役目を待つロボがわずかに首を傾げた。
「ふむ、つまりこの私が君を贔屓していると?」
「あっ……いえ! 自分はそんなつもりで申し上げたのでは……」
「フフ、わかりやすい若者だな。確かに君は私が保護した子どもたちのひとりだが、私はその誰もを平等に扱ってきたつもりだよ」
そう言って、指先が眼帯にそっと触れる。不安と葛藤とを見透かしてくるかのようなラーグナスの青銀の瞳に射貫かれて、アオハは二の句が継げなくなる。
「そもそも私が君を異産審問官に抜擢したのは、君に素質があったからだ。此度も君の能力が要求されての人選。元より君は父君の研究を受け継いで、古代言語の解読技術において右に出る者はいない。活躍に期待しているよスカイアッド」
同僚らの前で気兼ねなく言ってのけたこの男に、アオハはただ頭を垂れるしかなかった。
そこで隣に肩を並べていたアオハの先輩格も口を開いた。
「――ラーグナス枢機卿。我々は今回の異産審問について、概要すらまだ教えられておりません。この規模の審問団、それに階層そのものへの退去令まで。我々は一体どれほど危険な異産を審問にかけるので?」
「それほどまでに危険な異産だからこそ、未だに秘匿しているということだ。噂を聞き付けたどこぞの盗人に、財宝か何かと勘違いして掻っ攫われては元も子もない。君も忘れたわけではあるまい、十年前のあの惨劇を」
「――――ッ!!」
十年前の、惨劇。
その言葉を耳にした刹那に、心臓がひときわ大きな鼓動を返し、気付けばかつて左眼があった場所を無意識に押さ付けえていた。眼帯の奥の傷痕がひどく疼いた気がした。
「そこまでの力を持つ異産とあれば、この人数だけで審問にあたるのは些か心許ありません。今からでも教会本部に増援を要請すべきでは?」
この先輩格の男は、学院主都の教会支部に駐在する異産審問官たちのとりまとめ役でもあった。団の長として、率先して枢機卿に進言するつもりでいただろうことが表情からもわかる。
「ゆえに、信頼に足る人間だけを連れてきたのだ。異産の取り扱いには格別な慎重さを要する。〝盗人〟と例えた意味が、君にはよくわかっているはずだ」
「…………真の悪は異産そのものではなく、それを見定める人間の内に潜む、と」
彼の答えに満悦した表情を浮かべるラーグナス。
「なに、この私みずからが直接現地までおもむき陣頭指揮を執るのだ。いざという時の策も講じてある。私に付いてくればわかるよ。心配は無用だ」
鷹揚に答えたラーグナスの思惑を察したかのように、昇降機の操作盤に投影された魔法刻印が地底第十階層を示し、目的地への到着を継げる振動が籠を揺さぶった。
◇ ◆ ◇
到着した地底第十階層で、彼ら異産審問官を待ち構えていた者たちがいた。
昇降機前の通路に整然と隊列を組んでいた一団は、一様に鋼の甲冑で全身を固め帯剣した、俗に言うところの騎士たちだ。それもこちらを上回る頭数が揃っている。
「――あの者たちは…………剣王国領の……」
同行した異産審問官の誰かが、騎士たちを一見してそう漏らした。
「そう、騎士団の方々だ。安心したまえ、私が星教会を代表して、ユーグリフィン剣王国から特別に招請した同志たちだ」
ラーグナスが配下に紹介するように、総勢三十名の騎士たちへと手を差し伸ばす。
騎士団の指揮官と思しき、
「お初にお目にかかる、星教会の精鋭たちよ。それがしはユーグリフィン剣王国、聖堂騎士団のひとり。名はザカン・オオガネと申す!」
兜から覗く掘りの深い顔付きに、栗毛の髪は獅子のたてがみがごとし。そして遺跡の果てまで轟かんばかりの声量で、異産審問官たちにその威風を刻みつけた。
眼力溢れる双眸がギッとアオハたちを捉え、さらにさらに儀礼的な口上を続ける。
「此度はラーグナス殿の要請を受け、我らが君主――剣王エイフェット配下の精鋭たちを引き連れここに馳せ参じた! 我らが正義の剣と騎士の魂を賭け、ともに悪を討ち滅ぼすべく戦おうぞ!」
ザカンと名乗った巨漢騎士が姿勢を正し、剣を面に掲げ咆哮を上げる。と、配下の騎士団もそれに倣い、ぶつかり合う金属音の斉唱が天井まで鳴り響いた。
彼ら騎士団がここに呼ばれた事情はわからないが、まずアオハは思う。
――うわ、なんて暑苦しい男なんだ。
否、論点はそこではない。そもそも星教会とは異なる勢力が異産審問に介入するのは越権行為だ。少なくとも、これまでにそのような合同作戦の前例はなかった。
【……我が王よ。あの男、聖堂騎士だ。かの剣王エイフェット直属の近衛騎士。騎士の中でもそこまで高位の人物が、堂々と教会側と手を取った……さて、あなたはどう見る?】
ロボが密かにそう耳打ちしてくる。
「枢機卿がことを内密にしておられた理由がこれで晴れた。騎士団が異産審問に協力することを、おそらく教会本部も学院側も関知していないはず。知れたら厄介なことになる」
ラーグナスが講じた策とは、ユーグリフィン剣王国との共闘だったのだ。
政治に長けた枢機卿の策ならただ従うのみだが、任務がここまで大がかりになったことにアオハとしても驚きを隠せない。
ザカンの格式ばった口上が終わると、ラーグナスは部下たちへと振り返る。
「さて、諸君らも知ってのとおり、彼らが統治する剣王国領は、レリクスの扱いを巡って学院領と長年対立してきた因縁がある。騎士はレリクスを忌避する。レリクスとは、誇りある騎士の剣とは道を違う諸刃の剣でもあるからだ」
そう語りながらラーグナスは踵を返し、元来た昇降機の前に立つ。
「――だが、我らイスルカンデ星教会は、絶対なる星々の下において常に中立を保ってきた。そして彼ら騎士と我らには共通する〝敵〟がいる」
「…………共通の、敵……」
思わず復唱してしまったアオハに、
「そう、それこそが〈異産〉――人の世の均衡を乱す、忌避すべきレリクスだ」
こちらに振り返ったラーグナスは、強い意志を宿した瞳で順番に部下たちの顔を見据え、そしてこう続ける。
「時に強すぎる力を秘めたレリクスが人の世に現れる。悪夢を呼び覚ますそれを〈異産〉とみなし、封滅することこそが我ら星教会の使徒の教えであり、使命であり、そして願いだ」
息を呑んで枢機卿の言葉を静聴する異産審問官たち。ザカンを始めとする騎士たちも、神妙な面持ちでこの演説に耳を傾けている。
「ここに集いし勇者たちに、今こそ我が秘密を明かそう。このラーグナス・フランヴェイラの始祖は、忌まわしくも先史の時代、闇に手を染めた邪悪な魔術師だったという」
そこでなされた思わぬ表明に、騎士たちにもアオハら異産審問官の間にもどよめきが走った。
そうして語られ始めたのは、アオハ自身これまでに問うたこともなかった、ラーグナス枢機卿の知られざる出自についてだった。
「私は、我が祖が生み出した数々の異産を受け継ぎ、それらを封滅してこの地位へと辿り着いた。そして全ての異産を葬り去りたいという我が悲願は、まだ終わりではない」
と、ラーグナスは身に付けていたペンダントを外す。星教会の象徴である二重の三日月をペンダントヘッドに施したものだ。
「私が受け継いだ異産の一つに、〈魔女の霊廟〉なる禁忌の場所へと至る鍵があった。その鍵こそがこれだ」
彼は思わぬことにそのペンダントヘッドを、昇降機の操作盤へと押し当てたのである。
誰もが予想だにしなかった現象が引き起こされた。操作盤にも使われている共通言語とは全く異なる種の文字が羅列となり、光を帯びて浮かび上がったのだ。
「私は枢機卿として、今こそお前たちに命ずる。我ら異産審問官はこれより、勇気ある彼ら精鋭騎士たちと共闘し、この先に隠されたものの正体を確認。それがハンマフォートの脅威となる異産と認められ次第、破壊せよ。これが今回果たすべき異産審問の全てだ」
ようやく明かされた異産審問の内容。息を飲む彼らの目前にその扉が開かれる――
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます