第8話

 緑陰を抜け差し込んできた光の眩さが、死んだように途絶していた意識を揺り起こす。

 あの悪夢のような一日が明けた。なのに、自分は見知らぬ場所にこうしてひとり取り残されている。立ち止まって後ろを振り返ってしまうと、生の実感を見失いそうだった。

 と、そこでようやく異変に気付くことになる。いつの間にかリュミオラの姿がない。アオハの傍でうずくまり、自らの巨体を寝床のように折って大いびきをかいていたはずだ。

 ――まさかあいつ、勝手にここを離れたのか。

 わけもなく胸騒ぎがした。万が一、リュミオラが誰か他の人間と遭遇してしまったら。

 アオハはまだ異産審問官としての職務を放棄した覚えはなく、異産であるリュミオラを監視する義務を全うする意志だ。未知数の存在である彼女が誰かと接触するのは避けるべきなのだ。


 アオハは護身用に先端を研いでおいた木切れを握りしめ、リュミオラの行方を探すべく駆け出していた。

 思考が容易に読めるような相手でもないから、行き先の検討が付かなかった。まずは野営地から森を出てすぐの、昨日の滝壺へと向かう。

 そして生い茂る樹木が開けてきたあたりで、アオハの耳が確かにその〝声〟を拾った。


〝――われは刻欠けの乙女 彼岸に眠れり 旧き者――〟


 滝音を伴奏に高く高く、けれども細やかに張り上げられる、女性の声。


〝――われは永久なり 開闢の際にありありて わが口吻に彩られき終焉よ――〟


 舌が軽やかに言葉を紡ぎ、喉が美しい音色を奏で遠鳴りに響かせていく。


「歌…………確かに人の声だ。でもこんな場所で、一体誰が…………?」


 アオハはその疑問を解き明かすべく、木立の影から声がした方を覗き込んだ。

 昨日と変わりない大自然の風景。瀑布に抉られた滝壺の水面から、もうもうと湯気が立ち上っている。

 そしてその浅瀬に、〈白き魔神〉――リュミオラがいた。

 浅瀬はすぐに深みになっているのか、水面に出ているのはリュミオラの上半身だけ。それもあらぬことに彼女は裸体で、さながら人間の少女が水浴びしているようにも見える。

 ぱしゃん。水面を手ですくっては、肌や髪を濡らせていく。

 それが心地いいのか、彼女の喉が再びあらたな音を振るわせた。


〝――其は礎なれり 雨土に四肢根差し そらき星焦がれきて夢を抱くれ――〟


 ――まさか、これを………………リュミオラが歌っているのか!?


 リュミオラが――人の言葉すら知らぬあの〈白き魔神〉が、なのに人の歌を歌っている。


 ――それに、これはルミエイラの歌なのか? でも、僕の全く知らない解釈のものだぞ。


 この音色は確かに、不死人の歌姫ルミエイラが歌ったとされるものだ。当然ながら実在する人物ではなく、しかも実際の作曲者は〈大断絶〉後の人間だったはずなのに。


 ――それに、この歌詞。確かに言葉は僕たちのものだが、文法が滅茶苦茶だ。


 リュミオラが歌っているこれは、本来の歌詞に近しい意味の単語をちぐはぐに結びつけて、それらしく音色に乗せているようにも聞こえた。

 そんな不思議な彼女の歌に、アオハもいつの間にか心奪われていると、


〝――われは……刻欠け……の…………っ〟


 やがて歌声がひどく歪み、それはもう彼女自身にも押し殺せない嗚咽へと変わっていた。

 〈白き魔神〉が水面に身を伏せ、むせび泣きながらも歌った。自ら肩を抱き、歌えない歌を、それでも歌い続けようとした。


 ――ああ、なんてことだ。これは弔いの歌なのか……殺した仲間たちへの。


 頭の中でそう言葉にした刹那、アオハの疑問は消し飛び、胸が痛く締め付けられる。

 涙も拭わずに、泣きながら歌い続ける魔神リュミオラ。

 彼女が他の魔神たちをどう認識していたのか、もう知ることはできない。だが彼女に罪はなく、この悲しみをもたらしたのが誰なのかも忘れたつもりはない。

 アオハ自身も今まで視界から払いのけようとしてきた仲間たちの死を、そしてあの時なぜ彼女を抱きすくめたのかを思い出してしまう。そして遂には震えだし、その場に膝折っていた。

 と、急にリュミオラの歌声が止んだ。木々がかすかにざわめく。

 途端、脇の森から飛び出してきた灰色の影が複数。獣の四肢で地を駆け、リュミオラに向かい矢のごとき速さで猛進していくのが見えた。

 彼女の歌声を聞き付けたのか、森から現れたのは野生の狼の群れだ。

 立派な灰色の毛並みをした五頭の狼たち。

 群れのボスと思われる一頭が水際に座し、じっと狩りの情勢を睨んでいる。浅瀬に飛び込んだ残りの四頭が円弧を描いて囲み、水面に佇むリュミオラの退路を断った。

 なのに、全く怯えた素振りも見せないのが当のリュミオラだ。逆に好奇心を刺激されたのかケロッと泣き止んでしまい、無謀にも自分から狼たちへと近付いていくではないか。

 浅瀬に向かうにしたがって、水面下にあった〈白き魔神〉の全貌が露わになっていく。思わぬ巨躯に警戒したのか、狼たちの中に身のほど知らずな突撃を試みるものはいない。

 上体を低く構えて威嚇し、今にも飛びかからんばかりの狼たち。

 なのに一体何を考えたのか、リュミオラは足もとの狼たちに触れようと必死に手を伸ばし、


「うりゅっ――――」


 身を乗り出しすぎたせいか、なんとそのまま飛沫を上げ水に落ちてしまった。


「えっ――――どうした、リュミ――――――――!?」


 予想だにしないこの展開に、アオハは本能的に飛び出していた。

 野生獣相手に無謀だと知りながらも、正義感が勝ってしまった。滝壺までの斜面を、手にした木切れを振り上げながら駆け下りていく。


「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉッそこをどいてくれえぇぇぇぇッ――――!!」


 奇声を上げ迫り来るアオハを警戒してか、狼たちが一旦退いた。

 勢い余ったアオハは浅瀬で見事に転倒するも、這って水底を蹴り、微動だにしないリュミオラへとしがみ付く。


「ぐわぁっ――――!?」


 さらに残酷無比な光景に直面し、アオハも心臓が止まるかと思った。

 眼前に忽然と佇んでいる〈白き魔神〉の。胴体から千切れてしまったかように、蟷螂の上半分が消えてなくなっていた。


「りゅ……りゅりゅむむ……んっ……ぶくぶく――」


「リュミ…………ええっ!?」


 声がした方を探せば、なんとリュミオラの上半分が溺れかけているではないか。

 こんな無残な状態になっても、彼女はまだ生きているようだ。ただアオハの腰あたりまでの浅瀬なのに、必死に水面から顔を出そうと苦しげにもがいている。

 慌てて彼女の小さな上体を掴まえて、そしてアオハはさらに仰天することになる。


「リュミオラ……お前……〝脚〟が……」


 リュミオラに、人間と同じ脚があった。

 なんと鋼を脱いだリュミオラの上半身――少女の部分にはちゃんとした少女の下半身と脚があり、蟷螂を模した下半身から分離できる構造だったのを、いま初めて目の当たりにしたのだ。

 必死にしがみついてくる彼女の手はやはり、闇のように真っ黒だ。氷像めいた白肌が、肩から徐々に毒を含んだかのような黒に染められてゆく。

 人間そっくりだった脚部も同様だった。股の付け根あたりから真っ黒に変化を始める脚は、まるで実体のない影にも見えた。

 水を飲んでしまったのか、まだ苦しげにむせているリュミオラを慌てて水面へと抱き上げる。

 これまでに抱いていた印象よりもずっとずっと小さく、華奢で、そして異様に軽いその体躯。それとは真逆に、一糸纏わぬ彼女の体付きは女性的に成熟したものだ。水面から意地でも浮上しようとする大玉の果実が視界に入り、耐え切れずに目を背けてしまう。

 そんなアオハだったが、逸らせた視線が彼女の脚部を捉えたところで、女性の裸体を見てしまった罪悪感すら消し飛ぶような真実を知ることになる。

 リュミオラの真っ黒な脚には、なんと踵がなかった。

 指すらなく、両脚の先はさながら魚の尾ビレのような器官だけが伸びていた。とても人のように地面を歩けるような構造ではない。そもそも水底に立つことすらできないから、こんな浅瀬なのに溺れたのだ。

 それに自分が抱いているこの華奢な背中――ちょうど腰のあたりから、退化した羽のような器官が二つ生えているのにも気付いた。霊廟の水槽にいた少女たちと同じだ。

 瞳のレンズに角、白黒模様の肌。彼女はやはり人外の異産なのだと思い知らされる。

 だが彼女が何者であろうと、現状を打破しなければアオハにもこの先はなかった。リュミオラを腕に抱き、威嚇してくる狼の群れに対峙する。

 こちらを警戒してか、一定距離を置きながらも睨み付けてくる狼たち。手が塞がってしまったアオハには、唯一の武器だった木切れを振り上げることもできない。


 ――野生の肉食動物が人を襲う理由は何だ。飢え、縄張り意識、あるいは――恐怖。


 こちらが態度を決めかねてる間に、先に狼側が動いた。

 荒い呼吸に喉を鳴らし、河原を駆け迫り来る。左側から二頭、そして右側から一頭。


 ――しまった、挟み打ちだ。


 左右どちらを狙おうと、もう片方が背後からアオハの首に喰らい付くだろう。

 アオハは狼たちに背を向けると、リュミオラを抱いたまま死に物狂いで水の抵抗に逆らい、浅瀬に屹立する彼女の半身へと取りついた。


「――リュミ! ここに上れっ!!」


 彼女が元ある半身にしがみついた直後、アオハの袖が恐るべき力で引きずられる。四肢で巧みに水を掻きながら追ってきた一頭が、遂にアオハへと襲いかかったのだ。

 狼は四肢で巧みに水を掻きながら、強靱な顎でアオハの全身を振り回そうとする。アオハは力尽くでリュミオラから引き離されてしまった。


「――――――――りゅう」


 直後、それを遮るかのような声が放たれた。

 馬上の王が配下に命じるかのように、己が半身に膝を揃え腰かけるリュミオラが狼たちを睥睨している。その表情は威圧というには静かで穏やかなものだったが、アオハの服をくわえていた狼が唐突に力を緩め、群れの他のものたちも立ち止まってしまった。


「…………これは……何が起こった。狼たちが……お前がやったのか、リュミオラ?」


 解放されたアオハは、リュミオラの足もとへと駆け寄る。


「――っくちゅん! /……………………ふ、ふりゅうぅ……」


 緊迫感を断ち切るようなくしゃみが轟いた。見事に垂れた鼻水を拭う間抜けな魔神が、あの狼たちを手懐けたとでもいうのか。

 ただ、彼女は何が気がかりなのか、ふいに森へと視線を釘づけにして、細めた目に紫のレンズを数度瞬かせた。

 足を止めた狼たちも耳をそばだてて警戒の姿勢を示す。だがそれはこちらにではなく、リュミオラの瞳が見据える先と同じだ。

 樹木から一斉に鳥たちが飛び立った。森が急にざわめき始めたようにも見えた。

 それが何の予言だったのか、森の奥から、またあらたな来訪者が現れた。

 黒く、昏い毛並みをした、恐ろしく大きな狼。一目してこの森の主と思わせる、堂々たる風格。

 ゆっくりとその鎌首をもたげる巨狼。数は二頭――そう、アオハには見えた。


「違う、あれは二頭じゃない……」


 二頭いるかに錯覚されたその巨狼は、確かに一頭分の体躯だった。

 双頭の巨狼だ。漆黒の体躯は首から分かたれ、二頭が獰猛な牙を剥いている。こちらを睨む琥珀の眼光が。この巨狼はそれぞれの額に、三つめの眼を持っていたからだ。

 見れば先ほどの灰色狼たちは、突如として介入してきた双頭の巨狼に対して上体を落とし、鋭い牙を剥いて威嚇行動を示していた。


「お前たち、仲間同士……じゃないのか」


 その一頭が駆ける。水際に飛沫を置き去りに、真っ直ぐ疾走し敵の喉首を目指す。

 己の倍近くある体躯に飛びかかった。今にも喰らい付かんとしたその牙は届かず、振り払うように双頭に叩き落されてしまう。

 着地して矢継ぎ早の跳躍、二撃目。しかし届いた顎も巨狼の分厚い毛皮に阻まれ、ひるがえした胴に弾き飛ばされてしまう。

 するとここで思わぬ現象が引き起こされた。巨狼の胴を追随する尾が突然火の粉を散らし、三撃目に備えていた狼の額を撫でたのだ。

 食らった狼が啼き叫んで転がる。途端、巨狼の尾に真っ赤な炎が燃え上がった。倒れた狼は一寸置いて、まるで油を浴びたかのように燃え盛り始めた。

 炎に飲まれ絶命してゆく仲間へと駆け寄るもう一頭。尾に魔法めいた炎を燃え上がらせた巨狼――その双頭が、向かい来る三頭へと、爆ぜるような咆哮を上げた。


「一瞬で燃え広がった!? あの大きい方の奴も、あの炎も、どう考えても普通じゃない」


「りゅう/アオハ」


 と、リュミオラが蟷螂の上から何か訴えてきた。

 こちらに両手を差し出して、それからいま自分が腰掛けている己が半身を指さす。これに戻りたいと、紅い瞳が輝き訴えてくる。


「そんな、リュミオラ……お前、まさかあいつと戦うと言ってるのか?」


 彼女は言葉ではなく、体で表現してみせた。なんと上半身を失い抜け殻然としていた蟷螂が、彼女の意思に従ったかのように立ち上がったのだ。

 さらにはリュミオラ自身も、剥き出しの肌からまるで水銀でも湧き出してきたかのように、再び鋼に覆われ始めていた。あの甲冑は、脱いだのではなく彼女を形づくる一部でもあったのだ。

 もう〈白き魔神〉がどんな魔法や奇跡を起こしてみせても驚くべきではないのだろう。


「異産であるお前を止めるべきだと、僕の中の〝教え〟が訴えてくる。魔神が再び武器を取ろうとするなら、封滅しろと」


 今の自分がこの魔神を止める術と言えば、差し伸べられた手を取り、引きずり降ろして水に沈めてしまうことくらいだ。寄せてくれた信頼を裏切って、星教会の教えのままに。


「ああ、もう好きにすればいいさ。とんだお転婆なお姫さまを拾ったな僕は!」


 アオハがリュミオラの手を取る。彼女を導くために繋がれた手だ。

 歩くことができない脚を抱え、半身の胸部――ちょうどリュミオラがいたあたりへと運んでやる。その間も彼女の体はより硬く変化を続け、ずっしりと重みを増していく。

 蟷螂の胸部が花開いたように口を開けた。臓腑のごとく蠢く内側に腰から下を飲みこませると、互いの何かを共有するためなのか彼女の翼が繋ぎ合わされた。

 再び一体になった〈白き魔神〉が目覚める。巨躯をもたげ、飛沫を割って力強く立ち上がる。

 元通りに再生した兜のバイザーを下ろすと、手に鋼の騎槍を生み出して敵を臨む。

 ――あれは……あのとき使った光の槍じゃない!?

 間違いない、今のリュミオラはやはり、〈白き魔神〉本来の武装を失っていたのだ。

 銀の騎槍を構え、こちらを睨む巨狼へと突き付けるリュミオラ。

 威嚇に応じたのか、双頭の巨狼が駆けた。

 その巨体をものともせず、獅子がごとき威風を纏い迫り来る。

 鋼の騎槍を掲げ、リュミオラが跳躍した。六つの脚で大地を蹴り、滝壺から森へと駆け、巨狼の元へと迫る。速度に限っては両者に差はない。

 両雄接敵。

 繰り出す一撃目、刺突。槍の穂先が、宙を貫くように描いた軌跡――深いがただ一点に集約された威力。

 四足歩行の獣の体躯は、それを難なく回避してみせる。疾駆する巨狼は正面突破を避け、リュミオラの右側面へと身を翻す。

 二撃目。追う巨狼に側面をさらし、円を描きながら騎槍をしならせ横薙ぎに振るう。

 それを追随しようと、地を踏みしめた脚で重心移動する巨狼。

 だが、さながら騎馬兵のごとく、リュミオラは巨狼の軌跡を逃さずに騎槍を突き付け続けることができた。

 圧倒的間合いを誇る騎槍と、それを全方位に繰り出せる少女の上体、自在に方向を変え戦場を駆ける蟷螂の脚。巨狼はそれらに翻弄され、獲物に喰らい付くことを許されない。

 三撃目。単調な刺突がまたしても伸びる。

 しかし体勢を低く落とし、騎槍を掻い潜った巨狼は、そのまま柄に沿ってリュミオラの喉笛を喰いちぎろうと飛びかかった。

 ――が、槍そのものが思わぬ変容を起こした。

 繰り手へと引き戻された鋼の騎槍がその半ばに、驚愕の速さで水銀へと回帰、収縮現象を引き起こす。

 リュミオラへと迫る巨狼に追い付いたそれはもはや銀塊と化していた。

 顎を開け飛びかかってきた双頭の片割れにそれをねじ込むと、リュミオラは二本鎌で突進を受け止め、背に投げ飛ばす。

 宙で翻った巨狼の尾に火の粉が揺らめく。あの奇妙な魔法の火だ。

 着地するや否やリュミオラ目がけ急転回する巨狼。懐に飛び込んだかの好機に巨体を翻し、胴を追うその尾に長い炎が燃え盛る。

 灼熱の軌跡がリュミオラを撫でる。あの消えない炎が彼女の脚へと燃え移った。


「りゅっ――――!?」


 そこで初めてリュミオラが苦痛らしき声を上げた。

 ただの小さな火種が、しかし燃えそうにない鋼の巨躯をなめずるように広がり、急激にその勢力を強めていく。

 遂に静観できず、アオハは彼女の元へ駆けだしていた。


「リュミオラッ!? ――水だ! 滝壺に飛び込め! 早くッ!!」


 だが、アオハの助言は届かない。距離を置いて戦況を睨んでいたあの灰色狼たちが、何故かアオハに飛びかかり、地面にねじ伏せてしまったからだ。


「なんだこの――離せ、邪魔するな――――リュミ、いいから早く逃げろッ!」


「アオ……/ハ……」


 炎に包まれたリュミオラがその顔をこちらに傾け、すぐに逸らした目が、どこか悲しげに伏せられていたのを見てしまった。

 その姿がヨアンの最期と重なり、息ができなくなった。

 赤く燃え立つ〈白き魔神〉の体躯が、その刹那に眩いばかりの閃光を放った。


「…………意志をヴィルこの手にピアサー


 炎が閃光に掻き消される。

 それだけにとどまらず、閃光は円を一瞬に象り、象られた円は線に輝きを変えていく。

 その光を手に携え、リュミオラが右手を突き出した。

 異変に感付いた巨狼は、しかしこの時すでに額を貫かれていた。

 双頭の右側――額に煌めく第三の瞳が砕け散った。巨狼の分かたれた鎌首が、痙攣したように揺らぐ。

 それを成し得たのは、光の騎槍だ。

 光の騎槍を引き戻したリュミオラは、頭上で軽々とそれを舞わせると、さらに二突目を打ち込んだ。

 視認できない速度で、左側の額も貫いた。想像を絶する長間合いで、さながら矢のように、且つ恐るべき正確さで額の琥珀を射抜いてみせた。

 噴き出す血飛沫もなく、くずおれた直後に、巨狼は黒い煙となって霧散してしまった。


「消えた!? いや、倒した……のか……?」


 自分を押さえつけていた力が途端に緩められ、灰色狼が走り去っていく足音が聞こえた。

 上体を起こして戦況を確認する。

 群れの狼たちは、巨狼が消えたあたりをぐるぐると駆け回った後、一頭ずつ森へと戻っていく。ボスともう一頭だけは、リュミオラに並んで腰を落とした。

 灰色狼たちはもはやこちらに敵対する意思はないように見えた。


「リュミオラ、無事か――――!」


 そう自然に呼びかけてしまってから、あの恐るべき魔神にたったの一日で馴染んでいた自分に愕然とした。


 ――ロボとの付き合いが長いせいだ。あいつのお陰でこういう性分になってしまった。


 リュミオラは巨狼を見失ったと勘違いしたのか、唖然として周囲をきょろきょろと見回していた。一瞬目撃したあの光の騎槍は、まるで実体がなかったかのように、鱗粉めいた光の粒と化して散っていく。


 ――あの光の槍、もしかしたら常に使うことはできないのか。


 それに最後に見せたリュミオラの悲壮な表情は、何を訴えたかったのだろう。

 と、狼のボスが顎を虚空に上げ、高く遠吠えした。

 戦の圧倒的勝利を讃える声なのかどうかはわからないが、もう一頭もそれに倣い、狼たちの遠吠えはすぐに合唱となる。

 当然、リュミオラも彼らの掟に倣うに決まっていた。その昆虫めいた図体で〝お座り〟をして、図体にまるで不似合いな少女の声で吼えたのである。世にも奇妙な混声合唱だ。


「まったく……なにがどうなってしまったんだよ。野性に返ったつもりなのか、あいつは」


 お陰で窮地は脱したが、〈白き魔神〉が見せた意外な素顔と謎の適応力には、こちらの固定観念が掻き乱されるばかりだ。

 そこで、ちゃり、と足もとで音がした。

 アオハが踏んづけたものの正体は、いくつかに砕け散った琥珀色の結晶片だった。

 欠けら一つを拾い上げ、陽光に透かせてみる。ガラスによく似た質感を持つこの結晶に見覚えがあった。


 ――レリクスの殻みたいだ。でも妙だな。解封処置したらこんな破片は残らないはず。


 〈大断絶〉の呪いを受けた――つまり封印状態にあるレリクスは、ちょうどこのような結晶質の殻に封じ込められることで時間の概念を失う。そしてレリクスブレイカーによって解封したレリクスは、封印対象物の復元と引き換えに、殻が消滅してしまうはずだ。

 リュミオラが砕いた狼の目玉はレリクスだったのだろうか。

 だとして、身体にレリクスを埋め込んだ野生獣などいるはずもなく――もしやあの双頭の巨狼も、未知の異産なのか。


「――考え出しても切りがない。とにかく、一刻も早く教会に戻って報告しなければ」


 地面に散らばった結晶片を採取してポケットに放り込む。

 そうして野営地に戻ろうとリュミオラの脚を押して促したところで、灰色狼の仲間らしき群れが再び森から現れた。

 リュミオラの足もとにいるボス格が呼び寄せたのか、その先頭に歩み出た一頭が、なんとリュミオラに貢ぎ物を差し出した。

 彼女への貢ぎ物は、狼たちがかき集めてきた多種多様な食料だった。

 それは色とりどりの果実に木の実、茸に魚、野ウサギや野鳥まで含まれている。

 ようやくまともな食事にありつけそうだと胸が高まったのもつかの間、


「――ってちょっと待て……お前、ロボなのか!?」


 狼の一頭が咥えてきた野鳥と思われたのは、なんと満身創痍のロボだったのである。


【おお、我が王アオハよ……これは何たる数奇な星々の巡り合わせだろうか……】


 宴の焼き鳥は中止となった、まことに残念なことに。


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