Ⅳ 放たれた炎

第9話

 ロボの帰還によって、アオハたちは絶望的状況から脱した。何よりロボの翼と上空からの眼が、さまよえる遺跡漂流者をきっと出口まで導いてくれるからだ。

 ただ、ろくな旅の備えもないこの状況で、闇雲に森を突き進んでは行き倒れること必至である。


「すまないな、リュミオラ。歩きづらいとは思うが、しばらくは辛抱しておくれ」


 足もとに咲く色とりどりの花と、その蜜を吸いに訪れた蝶。それをぼんやりと目で追うリュミオラの脚に、木の実などの食糧を詰め込んだ袋を括り付けていく。縄も丈夫そうな枯草で綯ったし、大きな葉っぱで袋もこしらえた。


「お前の顔を見た感じ、嫌そうには見えないな。荷運びを頼んでも大丈夫ということか?」


「りゅー」


 具合を確かめるように、六本脚を別々に上げ下げしてみせる。


「りゅ/だい、じょび?」


 蝶を眺めるのにも飽きたのか、顔を上げると、ぎこちない言葉とともに首を傾げて返した。


「そう、〝だいじょうぶ〟だ。少しずつなら言葉がわかるようになってきたな」


 彼女を荷馬車代わりにするのは気が引けたが、生き延びるためなら致し方ない。何よりこの巨体である、食べる量も体格相応なのだから。

 リュミオラはそんな身体に触れられても、本物の蟷螂のように威嚇したり嫌がる素振りは見せなかった。それはリュミオラなる魔神の半分を構成する蟷螂がただの身体ではなく、歩くことすらできない彼女の身体機能を拡張する義肢であり、無防備な彼女を守る武装でもあるからだとアオハは解釈していた。


「歩くのが疲れたり、どこか違和感があったら、すぐ僕に教えてくれ」


 身振り手振りを交えて彼女に伝える。たとえ今すぐには思いが伝わらなくても、こうして対話すること自体にアオハは意味を感じ始めていた。


「りゅーん! /アオハ/だいじょびゅ!」


 霊廟で魔女に与えられたこの魔神は、先史の異産というには奇妙な存在だった。

 確かにリュミオラはとてつもなく危険な力を持つ未知の異産だ。なのに結果としてアオハを何度も助けたし、こうして人間の娘のように笑ったり怒ったり、そして涙したりもする。

 何故この魔神が人間である自分に興味を持ったのか、アオハには未だにわからない。

 まるで呪詛が解けたかのように、霊廟で見せたのと真逆の顔をする彼女。もう主人の意のままに従えられる武器ではなくなってしまったらしいことを、これまでの道中で思い知らされてきた。


 ――あの時、錯乱した彼女に手を差し伸べたのが今日に繋がっている。そう信じてもいいのだろうか。


 心に迷いはある。こうして多くの仲間たちを失っても、アオハはまだ異産審問官であることを止めるつもりはないからだ。


【――森林地帯があまりに広大すぎて、私の眼でも全容までは把握できん。だが、ここは間違いない。かのユーグリフィン剣王国の領内だろう】


 空からの偵察を終え、アオハの肩に戻ってきたロボが報告した。


「ここは剣王国領だったのか。これほど広大な自然環境がまだ残されている階層といえば、確かに剣王国領が代表的だ」


【まだ誰も辿り着けていない未踏階層に放りこまれなかっただけ、我らにも救いはある。剣王国領ならば、人が住んでいるのはまず確実であるからな】


「だといいが。剣王国領の住人は、剣を心から愛し、自然と共存して暮らしている。だが星教会の力があまり及ばない地だ。色々と厄介な階層に迷い込んでしまったとも言える」


【相変わらず回りくどいな、我が王よ。はっきりと言ってしまえばよい。剣王国の連中はどいつもこいつも頭の中に騎士がぎっしりと詰まった〝騎士狂信者〟ばかりである、と】


 ロボの痛烈な皮肉もあながち間違いではなかったので、アオハは苦笑を返すしかない。


【いっそ奴らは『騎士国』とでも名を改めればよいのだ。ただでさえ時代遅れの封建社会制度。それも騎士の魂とやらに耽溺するあまり、本来仕えるべき君主たちすら国から追い出してしまった愚か者どもである。この魔法全盛の時代においては、奴らこそが本質的な先史遺産レリクスであるとさえ私には思えるがな】


「ああ、魔法。魔法ね。〈大断絶〉さえなければ人はこんな遺跡の中で暮らす必要もなくて、レリクスなんてものもなくて、きっと本当に魔法全盛の時代が到来していたんだろうな」


【何を言う。まさに魔法を体現する存在が、我が王の御前にあるではないか……ククク】


「ああ、わかったわかった。お前は偉大だな、大魔導師ロボ。僕もお前が相棒で鼻が高い」


【稀代の魔術師、である。我が王よ、あなたとは一度、魔術師と魔導士と魔法使いの違いについて議論を深める余地がありそうだ】


 このようにロボは、二人きりの時だけはやけに口数が多かった。

 喋るフクロウを気味悪がる衆目がないからだと段々わかってきて、アオハはロボを見る目が少しだけ変わった。〝彼〟の大言壮語は、主人であるアオハを盛り立てるための演技なのだ。

 実際にロボは魔術師どころか、妄言虚言何でもござれの、血の通わないレリクス仕掛けのフクロウ人形でしかない。もっともロボが魔法で動いている事実だけは疑いないのだが。


【この議論について、そなたはどのような主張を持つかな、そこな小娘よ】


 ロボは急に話題を振ると、リュミオラの脛節――膝にあたる部分に気安く止まった。


「…………りゅ……ふ?」


 両者、互いに目を見合わせ、同じ角度に首を傾げる。何を張り合っているのか。琥珀と紅玉が見つめ合い、同時にまばたき一つ。


「リュミオラ。こいつの話を理解するのは、お前にはまだ難しい。聞き流してやってくれ」


「りゅん/アオハ/こいつ」


「はは。〝こいつ〟呼ばわりはさすがに可哀想だ。名前はロボ。ロボは鳥だよ。空を飛べるやつが森にもたくさんいるだろう? ほら、あそこにも鳥が――」


「…………トリ?」


「そう、鳥だ。リュミもうまく言えるじゃないか」


「…………トリ!」


 足もとで舞う蝶を指差して、自信満々にそう言ってのけたのがこの魔神である。


「それはトリじゃないぞ、チョウだ。そういえば……蝶も昆虫の一種だから、蟷螂であるお前とある意味では同族……いや、リュミの場合はそういう問題じゃないか――そもそも魔神とは、自然界の生物を模した半身を持っているに過ぎないからな。我々の知る生態系の分類からは切り離して考察されるべきだろう。つまり魔神とは、昆虫でも蛇でもヒトでもない全く新しい概念と解釈できるとしたら――」


 などとアオハが現実そっちのけで毎度の悪癖に心奪われていると、


「――――トリ!!」


 今度はロボを勢いよく指差して、力強く言い放つリュミオラだった。


【黙るがよい、未熟で未成熟な小娘よ。私はトリではない、フクロウである】


 ミミズクと言い張る主義はこの際曲げてしまうことにしたらしい。


【そなたが未熟で未成熟でないことを証明したくば――よかろう、今すぐ私に乳房を見せるのだ。気前よくすっぽーんと脱ぐがよい。さあさあ見せてごらん、ククク……】


 ――なるほど、ロボの女癖の悪さは人外相手でも発揮されるんだな。見境のないやつめ。


 ちょっとした新発見に感心していると、なかなかに瞬発力のある手つきでロボがリュミオラの鎌に引っ掴まれた。


「…………トリ/こいつ/リュミの?」


【おい待て離せ。ヤメロ。………………お、お願いだから一旦離してはもらえまいか】


 ギリギリと締めつけられてしまうロボが情けない泣き言を言い始めたので、アオハも助け舟を出してやる。

 羽角が歪んでしまったロボを鎌から引っこ抜いてやると、性懲りもなくまたリュミオラの脚に止まり、


【稀代の大魔術師ロボ様を不遜にも鳥呼ばわりするなどと、これは私が直々にお前を躾ける必要がありそうだ。覚悟はよいか、未熟な小娘よ?】


 この二者の体格差が冗談みたいに尊大な言い草で、そんな宣言をした。


        ◇ ◆ ◇


 アオハが目指すは地底第三階層――学院主都にある星教会支部だ。何としてでも帰投し、魔女の霊廟で起こった事件の一部始終を報告する義務があった。

 報告すべきは、あの双頭の巨狼についても同様だ。レリクスの一種らしき未知の結晶を宿す魔獣。あれを人為的に生み出した者がどこかにいる。紛うことなき異産審問の対象だ。

 だが、まずは今日を生き延びることが先だ。この森を抜け何としてでも人里まで辿り着かねば、自分たちに明日などないからだ。


 森を抜け出すために、この階層に点在する〈尖塔〉が目印となった。

 〈尖塔〉――そう呼称されるこの巨大石柱は先史文明期に築かれた人工構造物で、遺跡において何らかの役割を果たすものだと考えられてきた。

 アオハはこの〈尖塔〉が、実質的には広大な屋内でしかないハンマフォート各階層の、気象や環境維持を司るための装置だと解釈していた。

 その昔、流浪の騎士が武勇を辺境まで轟かせるため〈尖塔〉を破壊してみせたことがあり、その結果として引き起こされた原因不明の豪雨により、近隣の村ひとつが湖に沈んだという逸話が文献にも記されていた。

 今回はこの〈尖塔〉が道標の役割を果たしてくれる。何故なら、その付近には切り開かれた森と、人里へと至る街道を見つけることができるからだ。


 こうして短いようで長い、一人と一体と一羽の奇妙な旅が始まった。

 この深い森を抜けるべく、鬱蒼と茂った樹木の間を潜り抜け、突き刺さる枝葉を振り払い、複雑な起伏を描く地面に幾度となく足を踏み外したりした。

 人里に至る道を探し、三日三晩歩き続けた。

 この自然界が遺跡内部である証拠も随所に見つけられた。

 例えば土砂が崩れ落ちた斜面から、かつての都市居住区が露出している場所を見かけることもあった。本来は自然界と居住区の区別が付けられていたのだろう。長い年月を経て、土壌ごと森に侵蝕されたのだ。

 道中ではアオハとロボがリュミオラに言葉を教えた。

 意思疎通ができるのなら、それをより高める努力を惜しむな。言語学者だったアオハの父、クロノ・スカイアッドの言葉だ。


「アオハ/リュミ/トリ/りゅん!」


 そう発音してみせて、自慢し気につんと胸を張るのがリュミオラである。


「すごいなリュミオラは。固有名詞くらいなら理解してきている。お前は幼い子どもみたいなものだと思っていたけど、単に言葉が通じていないだけで中身はずっと利口だ」


【ふむ。次は〝トリ〟が正しくは〝偉大なる我が師匠〟であることを学ぶべきかな、我が一番弟子リュミオラよ】


 お師匠様気取りの横柄な態度で、胸の羽毛をふっくらと膨らませるのがロボである。リュミオラの兜の上が、この旅が始まって以来の特等席になったらしい。


「りゅっ/リュミ/トリ/トリたべたい/ごはん」


「はは……やはり本能に密接した言葉の方が覚えてくれやすい」


 〈白き魔神〉は六本脚を器用に動かして森林地帯の地形を踏みしめ、鼻歌混じりにアオハの一歩先を進む。頭上で偉ぶる鳥など意にも介さない。


【トリ呼ばわりはやめるのだ我が一番弟子よ。そしてフクロウのような猛禽類は食用には全く適さぬ事実もゆめゆめ忘れるでないぞ。何せ食物連鎖の頂点に君臨しているのも偉大なるこの私であるからな】


「……お前は猛禽類である前にまずレリクスだろうに」


 ロボが食用に適さないのはリュミオラも理解したらしい。たとえ肉切り包丁で解体しようが、中に詰まっているのは金属と複雑な装置――先史時代のレリクス人形なのだから。


【おお、そろそろであるな。すぐ先にある大きな倒木を超えてはならん。あのあたりは、野蛮なイノシシどもがうろついておるのが見えた。迂回して斜面を降り、沢沿いに下流を目指すのだ。そこに橋がある】


「橋が渡されているということは、間違いなく人間の通り道だ。街道まで出られる可能性が高い。でかしたぞロボ!」


「りゅーっ/でかしたぞトリ!」


【ふむ、偉大なる我が翼あってのたまものであるな。褒美に、今宵はこのロボを抱いて眠る権利を与えてもよいぞ、我が愛弟子よ。我が天然ものの羽毛は最高にフカフカであるからして、乳房の谷間にうずめれば天にも昇る極上の安眠体験すら得られるのだ】


「うるさいぞトリ! /すこしだまっててくれ!」


 少女の愛らしい声で、そんな口汚い言葉が吐かれる。もっとも彼女は晴れやかな表情を浮かべ足取りも軽いため、言葉の意味は大して理解していないようだ。

 響きが気に入った言葉を連呼する癖がリュミオラについた。教えたものだけでなく、アオハやロボがうっかり口にしてしまった言葉まで覚えてしまった。因果応報というやつだ。


【我が一番弟子よ、言葉づかいに品がないぞ。昨夜も教えてやったであろう。そのように野蛮な台詞はここぞという場面で使ってこそ、そなたという〝邪悪〟を引き立てるのだと】


「りゅーん?」


 邪悪も形なしの愛くるしい鳴き声を返すと、邪悪そのものと言えるその鎌で行く手を邪魔する小枝をへし折った。


【む、何だと? さっきがその絶好の機会であると? 少しは師を敬う精神というものをそなたというやつは――】


 わかったのかわかっていないのか、顎に手を添え首を傾げながらも進むリュミオラ。


「……にしても想定外だ。ロボがまさかリュミオラと意思疎通までできただなんてな……」


 昨日になってアオハも把握したことだった。

 文字通り、ロボはリュミオラとある程度なら意思を通わせることができるらしい。それは言葉ではなく、アオハのような人間にはあずかり知らぬ、レリクス特有の、未知の感覚器を介したものと推測された。


【私ほどの魔術師となれば造作もないこと。同じ魔法国家のよしみだ、言葉が伝わらなくとも、心は強い絆で繋がっているのである】


「よくはわからないが、確かにお前も先史生まれだからな。何らかの魔法で繋がりがあるのかもしれないが……そうだ、お前からリュミオラに質問することはできるか?」


【さてはて何を問いたいか、我が王よ? ん? 好きな食べ物か? 色恋沙汰か? いかに先史の魔神とはいえ彼女も清らかなる乙女だ、無粋な追求は慎んでいただきたい。因みにだが、一番好きな食べ物といえば、人の生血を啜ることだそうだ……クククッ】


 実際に噛り付かれたことを思い出し、ゾッとして首筋を押さえてしまった。


「……そ、そうか。なら、まず先史文明期はどんな暮らしだったか聞いてみてくれ」


「りゅむ?」


 するとロボがリュミオラの兜の上で、大仰に翼を広げて見せた。昨夜のロボはそんな真似などしていなかったはずだが、とアオハはかなり胡散臭く感じてしまったのだった。


        ◇ ◆ ◇


 結局のところ、リュミオラのことは何一つわからなかった。彼女には魔神としての記憶がなく、自分が属していた先史文明国家について何一つ知らなかったのだ。


【記憶がない、というのは正確な表現ではないな。彼女が生まれて初めて記憶という概念を得たのが、我が王アオハとの接触だった――ということだろう】


「要するに、リュミオラは現代生まれの魔神だと言いたいのか?」


「……りゅふ?」


「確かに、先史文明の叡智を結集して生み出された異産というには、何かこう……あまりに歴史を感じさせない性格をしているとは思っていたけど……」


 先史文明国家について彼女から聞き出せれば、異産や魔神に関する対処もできると踏んでいたのだが、アオハのとんだ見込み違いだったのだ。


「でも、だったらどうして彼女はルミエイラ・ハロゥイムの歌を知っていたのだろう?」


 それこそが疑問の最たるものだった。


【私にも事情はわからぬが、歌を知っていたのではなく〝頭に浮かんだ〟と言っている。どうやら魔神なる種は、頭の中で先史文明期の魔法を参照する能力を持っているようなのだ。だが彼女はその能力を理解できておらず、出鱈目な言葉しか呼び出せないのだと】


「魔法、だって? 参ったな、失われた魔法まで使えるだなんて、まさしく異産そのものじゃないか。なのに結局、魔神に関することは何もわからないのか……」


 だが、また魔女の霊廟に戻って再調査するくらいしか、もう彼女について調べようがない。これから学院領まで戻れたとして、さらにずっと先の話になるだろう。


「りゅ…………/アオハ/リュミを、わかりたい?」


「……そうだな。お前のためにも、僕たちはお前のことがもっとわかりたい」


 根拠はまだ薄いが、アオハの脳裏にある一つの解釈があった。


「こういう仮説はどうだろう。古文書によれば、〈大断絶〉以前の時代、人は〈神〉という超常的な概念を〝信仰〟していたという。そんなのただの偶像崇拝だと今ならわかっているが、当時は〈神〉の使徒が、その印として光り輝く冠を頭上に頂いていたと記されている」


「りゅむ?」


「要するにだな、リュミオラみたいな魔神たちは案外、そういう〈神〉の使徒の原型だったのかもしれないなと思ったんだ。だって魔神は皆、光の冠みたいな印を持っているように見えたから……リュミにも、最初に戦った時は光の輪っかみたいなのが付いてたろう?」


「わわわ? /りゅりゅりゅ……??」


 言いながら背中を指して示してやると、さも不思議そうに上体を捻り、自分の背を覗き込もうと頑張るリュミオラだった。


【ふむ、我が王アオハがなかなか興味深い解釈を述べてくれているぞ。しかと噛み締めるがよい、我が一番弟子よ】


 結局は何の学術的根拠もないただのこじ付けに過ぎないが、それでもロボは真に受けてくれたようだ。


「いずれにせよ、今の僕たちでは何の情報も得られないな。あの時の魔女ともう一度話さないことには、どのみち真実は闇の中だ……」


 アオハが想像しただけでも、あの魔女から有益な情報を聞き出せる気がしなかった。

 と、何事が起きたのか、アオハの言葉にロボが突然全身を硬直させ、


【ホッ――――――ホロロァァァッ!!】


 そのままリュミオラの兜から地面へと転げ落ちてしまった。


「おい、どうしたんだロボ、大丈夫か!」


 慌てて拾い上げてやる。ロボは恐怖に身をすくませ、普段の半分くらいの細さに変わり果てていた。


【な……何だかすごく辛い思い出がよみがえりそう……だ……ガクッ】


 ロボの故障を心配したアオハだったが、最後の演技がかった台詞に安堵させられる。


「なんだ、ロボ。まさか、お前の本来の主人、先史時代の魔女だったんじゃないのか?」


【ま――マ! マママジョッ!? イヤ! それイヤッ!! それヤメレッ!! 記憶域に深刻な問題が発生しました! 今すぐ初期化を実行してください!!】


「お前にそんな謂れがあったとは初耳だ。昔よっぽど嫌な思いをさせられたんだな……」


 あんな白金髪の狂人じみた魔女たちに使い魔としてこき使われたロボを想像して、自然と憐れみの表情が浮かんでしまった。

 そんなやり取りをしている時のことだ、突然リュミオラが鋼の槍を手に錬成させたのは。

 まばたきする間もない槍捌きが、ぽかんとしたアオハの肩口をかすめる。

 そのまま物理的に伸びすさんだ長槍が、沢べりの斜面に自生する樹木の、葉が茂る樹冠を貫いた。

 直後、そこから明らかに女のものらしき悲鳴が聞こえた。


「――――りゅっ!」


 短く息を吐いたリュミオラが、細腕で軽々と騎槍を引く。すると、葉を散らせ樹冠から引き抜かれた穂先に、思いもよらぬ塊が突き刺さっていたのである。


「……なっ、人!?」


 樹木に潜んでいた人間を串刺しにしたのだと、アオハの心臓が冷たい鼓動を打った。


「ぎゃあああああッ、やっ――――――」


 突き刺さった塊から上がる、そんな金切り声。

 槍が貫いたものの正体は、生きた人間――それも、騎士甲冑に身を包んだ女だった。


「――――や、いやや――離しテ! 離セッ! 死ぬルッ!! うち死んにゃうヨッ!!」


 背中のマントを騎槍で引っかけられ、空中でじたばたと藻掻き、要領を得ない大絶叫を上げる女騎士――いや、大人びて見えたがまだ子どもだ。年端も行かぬ顔つきには不似合いな長躯の持ち主だったが、それをリュミオラは容易く釣り上げてしまっていた。

 少女騎士の兜の奥――短く切り揃えられた金髪の下に、興奮で真っ赤に沸き立った顔が哀れみを誘う。それよりもさらに濃い、鮮烈な真紅に塗られた鎧。木登りまでやってのけたくらいだ、アオハの知る聖堂騎士より軽装だったが、やはり立派な騎士剣を構えている。

 と、手が滑ったのか、剣を取り落としてしまう少女騎士。

 それがざっくりと地面に突き立ったかと思えば、リュミオラは振り子の原理で重心移動させながら騎槍を振り回し、


「うわわわワッ――だからや・め・ん・か・ってバッ――ぴぎゃあぁぁぁぁ――――」


「りゅッ!」


 少女騎士は遠心力に抗えず、脇を流れる沢の深みへと突っ込んでいった。


「リュミ! いきなり何てことするんだ!」


 かなり間の抜けた水飛沫を上げ大の字になってしまった少女騎士には目もくれず、リュミオラはまだ樹木の方を睨みつけている。

 制止しようとリュミオラの脚に取り付くも、槍の穂先が再度獲物を狙いすました。


「待てリュミオラ!」


 何とか押し止めようと、彼女の脚によじ登ろうとした直後のことだった。

 前方の樹木からどさどさと音を立てて、また何かが落下してきた。

 地面に転がったのは、先ほどの少女騎士と似かよった装いの、若い騎士たちだ。


「――て、てめえ、よよよよ、よくもウチのジオを殺りやがったなコラっ!!」


 見るも無様な着地だったが、それでも必死で先頭を切った栗毛の少年騎士が怒鳴り立てた。


「わ、我こそは剣王国三千騎士団がひとーつ! 名を〈赤き竜の〉――あっ、間違えた……改め〈赤き鱗の騎士団〉が団長――」


 何やらぎこちない棒読みで、そんな口上まで述べてくれる。まだ戦闘経験が浅いのか、得物を腰にぶら下げたまま拳をこちらに繰り出す、いかにも強気そうな少年騎士。

 剣を抜かねば、先に手を出した側が卑怯者扱いになるという騎士特有の道徳規範を、臆面もなく突き付けた。恐らくそういうことなのだろうとアオハは受け止める。


「ほ、ほれっ、おめえも騎士だろ、さっさと名乗れってんだよ!」


 少年騎士がもう片割れを促す。

 足もとで腰を抜かしていたもう一人の少女騎士は、見るからに頼りなさそうな態度だ。既に戦意喪失しているのか、盆のように簡易的な円形盾で意味もなく顔を覆っている。

 その隙間からチラとリュミオラの姿を覗き見て、途端にこう叫んだ。


「いやあっ、化け物ッ――――――――!!」


 怯えきった表情を浮かべ、がたがたと身を震わせながら後ずさる。そのまま四つん這いになり、一目散に斜面を駆け上がって逃げ去っていった。


「おい、ちょっ、魔物討伐やめんのかよ! 騎士団長のオレを置いてくなっての――」


 そんな様を、当の〈白き魔神〉がぼんやりとした眼差しで見届けた。何か発しようとした可憐な唇が、そのままの仕草で固まっている。

 沢の方では、ぐったりした少女騎士にもう一人いた仲間が肩を貸し、こちらを剣で威嚇しながら撤退していった。


「落ち着くんだリュミオラ。無闇に誰かを攻撃してはいけない」


 アオハもさすがに、気を昂ぶらせた彼女に立ち塞がれるほど向こう見ずではない。ようやく騎槍を収めてくれたのを見届けてから、彼女の視線に躍り出る。

 リュミオラはどうしてなのか、戦闘直後にしては釈然としない顔をしていた。


 ――困惑? 戦闘途中で逃げるという行為が、魔神には理解できないのか?


 そこで思いがけないことを口にしてから、やっといつもの明るいリュミオラに戻った。


「……アオハ/リュミ/みじゅく?/ みせじゅく?」


「未熟? ああ、要するにリュミは、さっき判断を誤ったと自分では思ったのか?」


 彼女は頷かず、何か言おうとした唇は閉じ、ただ表情の読めない目をするばかりだ。


「……僕は、リュミが正しかったと思う。ちゃんと手加減したんだよな。先に剣を抜いたのはさっきの子どもたちだった。お前は相手を傷つけるつもりはなかった」


 自分が今した行いに正解がないことを、彼女に何と理解させればよいのかわからなかった。ただ疑問を持ってさえくれれば、それが次に繋がるのだと信じて。


「はは、これでは未熟なのは僕の方だな。お前はそんな顔してるより、いつもみたいに明るく笑っていた方がいい。ずっといい。ほら、見てくれ、こうだ。こんな感じだ」


 務めるように笑顔をつくって、真似するよう促す。

 するとリュミオラは噴き出すように鼻を鳴らして、すぐににっこりとした顔で応えてくれた。


        ◇ ◆ ◇


「――旅の騎士と出くわしたということは、近くに拠点となる集落か何かがあるはずだ」


 沢をさらに下流へと進んで、橋が見えたあたりで野営の準備を始めた。ただ橋に近付けば近付くほど、それだけ人の目に付きやすくなるのが懸念材料でもある。


「当面の問題は、やはりリュミオラだ。彼女の姿を誰かに見られるのは避けたい」


 魔神と普通の人間が出会ったらどうなるか、先ほど思い知らされたばかりだ。


【このままでは人里に入るのは困難であるな。いや、街道を通るのすら危うかろう】


「ああ。街道で万が一旅人にでも出くわせば、それだけでまた大騒動になる」


「りゅ……」


 自分が懸案の渦中にあると理解してか、眉尻を下げ困ったようにはにかむリュミオラ。


【ここが剣王国領だということが、事態をさらにややこしくしている。三千騎士団というのは伊達ではない、この領にはあのような騎士どもがごろごろうろついておるからな】


 というのも、剣王国領では剣王エイフェットの認を受けた正規騎士ばかりでなく、騎士に憧れて勝手に騎士を自称する非正規騎士団がやたらと多い。騎士団が無尽蔵に増え続けるのを誰も止めなかった結果、剣王国三千騎士団などという俗称がいつしか定着していた。


「りゅりゅりゅ?」


 リュミオラお決まりの首を傾げる「わからないので教えてください」の仕草に、アオハは噛み砕いて答えてやる。


「この剣王国領には、さっきの連中みたいな血の気の多い騎士がどこにでもいるんだ。それにここでは剣こそが正義だ。お前は騎士に見つからないようにした方がいい」


 もちろん彼女は固有名詞くらいしか理解できないだろう。ただロボがいれば大雑把ながら通訳をしてもらえるため、彼女にも徐々にこちらの事情が飲みこめてきたようだった。


「りゅ……」


【気に病む必要はないぞ我が弟子よ。剣王国の連中の方こそ、騎士などというくだらぬ過去の栄光にしがみ付いてしか生きられぬ、時代遅れの遺物なのだ】


 弟子をおもんばかるロボ。それを察したリュミオラは、兜からロボを掴み下ろすと、


「りゅふう/トリぃ/トリはえらいなぁ」


 胸に強く抱き、ふかふかとしたフクロウ頭に頬ずりした。


【うむ……おぉ……ふむぅ……こ、これは……よきかな………………ん、ゴキッ?】


 心地よさにうっとりと瞼を閉じてしまうロボだったが、リュミオラが力加減を誤ったのか、ときおり金属が軋むような音が聞こえてくるのだった。

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