第6話
次第に薄れていった光の先に見えたものは、さっきまでとはまるで別の光景。
漂白されたかのように清廉とした床と天井とが、果てしなくどこまでも広がっていた。
――なんだ、ここ…………僕は死んだのか……?
柔らかく暖かな白が、果てなく続いている。自分が発する以外の音が途絶えている。
――違う。そんな、あり得ない……この
かつて左眼が在った部分に触れる。眼帯がなく、瞼が柔らかに震える感触がした。
これがもう現実でないのだと悟った。何故ならあの眼帯が隠してきたものは、怪我で失った視力などではなく、眼球の喪失そのものなのだから。
これが現実でないことをさらに証明するものがいた。
自分の傍らに、見知らぬ女性が立っていたのだ。床に着きそうなほど長く伸びすさんだ、灰色の髪を持つ女性。
――誰なんだ、あなたは。あなたが死神か。僕はあれからどうなった……。
【……はて、眠れる美女を死神呼ばわりするとは、久方ぶりに会うた人間は随分と不躾だ】
女性は声を発するたびに、同じ顔が無数によぎっては消え、視界にまとわりついてくる。
幻のように意識をかき乱すこの女性に、ある一つの言葉が連想された。
――あなた……まさか、魔女……。
この遺跡の主だという、先史文明国家の悪逆なる魔女。
悪逆というには可憐。妖艶にして凄艶。浅黒い肌を、白金の煌めきを宿す髪が飾る。透きとおる琥珀の瞳が見開かれ、アオハの内の、深淵の深遠までを見透かそうとする。
同じ姿をした魔女の幻影たちがアオハの意識をせめぎ合い、口々に耳元で囁いた。
【それは好かん】
【その呼び名は好かん】
【呼ぶな】
【私を魔女と呼ぶな】
【だが――】
――だがこの邂逅、不思議と興が乗ったぞ。
鼓膜の内側から届いたかの吐息に驚き、アオハは息を詰まらせ床に尻をついていた。
――な、なんなんだ、あなたは……僕が死んでしまったのなら、そっとしておいてくれ。
【――興が乗ったと言っているのだ。褒美に、そなたの願いを一つだけ叶えてやろう】
それは、白金の魔女からの提案。甘美な色をたたえる唇が、にいと吊り上った。
【さあ、そなたが一番欲しいものは何だ、人間の子よ?】
――富か? ――名声か? ――女か? ――快楽か? ――それとも、力か?
魔女の幻たちが口々に、勝手気ままな提案をしては投げ付けてくる。
これが夢なら。
いや、夢や死の先のどこかであっても、願いは一つしかない。
――なら、あの惨劇を止めさせろ。死んだ人間を生き返らせてくれ。
そう、強く願った。
【ほほう? 願いは一つだけだと言ったのに、随分と強欲な男だな】
――これは僕だけの願いじゃない。この場にいる皆がそう願うはずだ!
【ふむ、なかなか面白い理屈を言う。だが、いずれにしろそれは無理な願いだ。死者の復活など、〈
アオハには理解できない理屈で応える魔女だったが、
【だが、百あまりの刻を経た目覚めがかような結末では、私としても存外につまらぬ。そうだな、代わりにそなたには〝武器〟をやろう――】
――武器、だって? 待ってくれ、僕が欲しいのはそんなものじゃない――
【――この血濡れの惨劇に相応しい、
――違う、助けてくれと頼んでいるんだ。あなたがたの生み出した怪物のせいで――
魔女にはアオハの願いを聞き入れるつもりがないのか、水面の波紋のごとく、その姿が掻き消えてしまった。アオハの意識も、その道連れに。
――この惨劇の結末にこそ相応しい、残酷を上塗る〝残酷〟をもたらすもの。
――
――〝彼女〟を、こう名付けよう。リリカナクラウン・〝白き車輪の姫〟、と。
――さあ、ともにゆくがいい。
――〝彼女〟こそが、きっとお前という〝物語〟を駆動すべき車輪となろう。
◇ ◆ ◇
自分のむせ返りで、急激に意識が現実へと揺り戻された。
閃光は止み、代わりに鼻腔を刺してくる血の臭気。眼前に広がる阿鼻叫喚の光景は、何一つ変わっていない。
傍らにいたはずの魔女など影も形もない。あれはただの白昼夢だったのか。
翼を広げたロボが床に転がっていた。魔神の攻撃を受けたのか、刮目の表情でピクリとも動かなくなっている。
視線を上げる。またひとり、逃げ切れなかった騎士が犠牲になろうとしていた。
なのに魔神たちは獲物を追うのを止め、一様にこちらを注視しているのだ。
アオハの背後に屹立していたあの繭が、またあらたなる変化を起こした。
カチンと凍結したような音を立て、銀色の内包物が真っ白に凝固した。と同時に、ひび入ったガラス容器みたいだった外殻が遂に砕け散る。
「なんだ………………これ……」
白く固まった内包物が魔法のヴェールを帯び、宙に浮き上がっていく。
頭頂部を軸に、さながら傘を開けたかのように開放され、さらにその内部から何かが産み落とされた。
着地したそれは〝異形の怪物〟としか形容しようがなかった。蛹から羽化したての蝶を連想させる、折りたたまれてまだ色付きのない塊。
目覚めの伸びをするかのように巨大な体躯を拡げたそれは、やはり美しい少女の似姿を、王冠のごとくその頂きに掲げている。
ただ〝彼女〟に限っては、自らを比類なき超越者であると誇示するかのように、さながら後光を象ったかの巨大な〝車輪〟を背負っていた。
〝彼女〟が腕を伸ばし、脚で地を踏みしめ、そして翅を広げた。
「――まずい、またあらたな魔神が復活しやがった――――!!」
繭から外界へと這い出てきた〝彼女〟を一目して、誰かがそう叫んだ。
「りゅ………………………………はぁ……」
〝彼女〟が吐息を漏らす。まるで先史以来とでも言いたげな、浅く苦しげなものだった。
騎士甲冑を思わせる純白の鋼で全身を覆った、他の七体とは明らかに別種の魔神。その背に神秘的な光の車輪を頂き、虚ろな瞳が高みからアオハを睥睨する。
三日月型をした兜の奥に、まだあどけなさを残す少女の、美しく整った顔立ちが覗く。緩やかに波打つ
この魔神にも表情らしきものはなく、そして〝彼女〟を言葉どおりに魔神たらしめるおぞましき姿を、人間たちの前にさらけ出した。
〝彼女〟が少女をとどめているのは、やはり上半身だけだった。
そこから先は、正視に耐えぬ異形の怪物だ。
記憶を探って喩えるなら、逆三角形の頭部と、獲物を押さえ付ける鎌状の前脚を持つ昆虫――蟷螂。それも白に華やかな緋の紋様と装飾とで体躯を飾る花蟷螂になぞらえた造形をしているのだ。
「りゅ………………………………ふぅ……」
馬上の姫君と言わんばかりの高みに座す〝彼女〟は、アオハから視線を外すと、大人の背丈ほどもある六本の節くれ立った脚をゆっくりと蠢かせた。胸部と腹部の体節をねじらせ、向きを変えようとしているのだ。
〝彼女〟が関心を向けたのは、音。
タン、という破裂音がこのドームを残響した。
「――――マル! 馬鹿っ、どうして出てきたんだ!!」
破裂音を放ったのは、隠れていたはずのマルだ。
マルが護身用らしきレリクス銃を手に、この〈白き魔神〉目がけて再度発砲する。アオハを助けようとして。
「馬鹿はあなたよ! 今のうちにはやく逃げなさい!!」
レリクス銃から連続して撃ち出される弾丸が、〈白き魔神〉を仕留めることはない。射撃技術の欠如なのか、放たれた弾丸はかすりすらせず、それどころか慌てるアオハの足もとに着弾煙を上げる始末。アオハもたまらずに、〈白き魔神〉との距離をとる。
辛うじてかすめた一発が、鋼の脚に弾かれる。〝彼女〟の鋼の前に、あの殺傷能力では牽制程度にもならないのだ。
逃げろと叫ぶが、アオハの声は銃声に掻き消され、必死のマルには届かない。
ただ妙なことに、〈白き魔神〉の方はマルに反撃姿勢を見せず、ただそこで撃たれるがままにしていた。
やがてレリクス銃が弾切れを起こし、マルの荒い息と、引き金のかする音だけが残った。
そんな無防備なマルに、銃声を察知したらしき他の魔神たちが迫り来ていた。
「しまった――マル! ああ、駄目だ――」
銃を捨て、茫然自失のままレリクスブレイカーを突き出すマル。手がひどく震えている。
かたや〈白き魔神〉はこの虐殺の渦中に、他人事のような顔をしてそこに佇んだままだ。
「お前……まさか。あの魔女が言ってたのは、そういう意味なのか」
――お前には〝武器〟をやろう。最強に残酷な武器を。
与えられた褒美が魔神そのものだったとは、何の皮肉なのか。
だが、このままではマルが殺されてしまう。剣も鎧もない彼女の生命を、魔神たちは一撃で散らせてしまえるだろう。
「マルを助けないと……おい、お前、僕の言うことを聞けるんだろう? あいつらもお前も、人間がしもべとして生み出した怪物なんだろ。だったら主人である人間に従えよ!」
思い出した魔女の言葉にすがる思いで、アオハはそうがなり立てていた。
けれども〈白き魔神〉は無感情にアオハを見下ろしてくるばかりだ。
「違う、敵はこっちじゃない、あいつらだ!」
大蛇の半身で床を這いずり、マルへと迫る魔神たち。
――たすけて――ばけものが――――アオハ兄さん――。
責め立てるようなあの声がよみがえる。
あの時もお前は見捨てた、お前が殺したのだ、と。
「――――命令だ、魔神を殺せッ!」
なんて恐ろしい言葉を口にしてしまったのだろう。己の醜さに、心臓が張り裂けそうになる。
だが後悔など許されない。ゆっくりと兜のバイザーを下ろす〈白き魔神〉を、もう誰にも止めることはできなかった。
一方的な虐殺は、現時点をもって意味を真逆に変えることになる。
アオハの叫びを命令と解釈したのか、〈白き魔神〉が六本ある歩脚で地を蹴った。蟷螂の翅を背に広げ、鱗粉めいた光の粉を散らせながら宙を滑空する。
マルに迫り来ていた一体目の魔神を遮るように着地し、蟷螂に座す少女が右手を掲げた。
「――――〈
合い言葉めいた声を〈白き魔神〉が放つと背の車輪が発光し、刃のような光の破片が引き抜かれた。さながら騎槍のごとく長く鋭く伸びすさみ、その手に携えられる。
敵を威嚇するように翅を展開したまま、頭上で軽々と振り回してみせた光の騎槍を、次いで両手に構え魔神たちへと対峙する〈白き魔神〉。
アオハも、マルも、絶望の狭間に取り残された人間たち全てが、ただこの怪物たちの同士討ち――否、共食いとも言える殺し合いを、ただ見届けるしかできなかった。
一体目の魔神がマルを仕留めるべく、同族の〝彼女〟を避けて前進した。〝彼女〟はそれを許さない。大蛇の尾を上回る間合いの騎槍が、躊躇いなく魔神の腹を断ち割った。
血飛沫と、断末魔の声。人と同じ悲鳴に、アオハも耐え切れず耳を塞ぐ。
次いで騎槍は少女の両手で鮮やかな演舞をして、二撃目の薙ぎで魔神の首を刎ね飛ばす。吼え猛る声も、息を荒らげることもなく、ただ冷徹に、鋭敏にして精緻な刃が振るわれる。
ようやく敵意を認識したのか、二体目の魔神は、明確に〝彼女〟を攻撃しようと這い寄ってきた。脚部を持たないその巨体からは想像できないほどの速度で、獲物との間合いを詰める。
魔神が、手にした光の三叉鉾を〝彼女〟目がけて突き付けた。それを上回る間合いの騎槍が牽制する。
が、直後に魔神は大蛇の長い腹をくねらせると、複雑なバネを利用して思わぬ角度からの跳躍を見せた。
懐に飛び込んできた魔神の三叉鉾が、〝彼女〟の腕を狙った。
騎槍の死角に入ったはずが、奇襲は失敗に終わる。〈白き魔神〉の鎌状になった前脚は、近接武器であると同時に防具の役割を果たせるよう、腕部の鋼が盾の形状をしていたのだ。
右の盾で弾いた鉾を左の鎌が捉え、床に引きずり倒す。そのまま歩脚で踏み付けると、頭上で弧を描いた騎槍があらぬ方向へと突き出され――背後から飛びかかろうとしたもう一体の頭蓋を刺し貫いた。
恐るべき力で他の魔神らを圧倒し、いとも容易く屠ってゆく〈白き魔神〉。
敵とみなした魔神を一体残さず皆殺しにし終えるまで、〝彼女〟は誰にも止められず、また最後まで止まろうなどと考えることもなかった。
◇ ◆ ◇
こうしてこの惨劇は呆気ない終幕を迎えた。確かにそのはずだった。
「――――――っはッ!?……………………………………りゅ………………あぁ……ッ?」
アオハの命令を果たしてのけた〈白き魔神〉――〝彼女〟が突然その巨躯を脈動させ、違和感を訴えるかの声が喉から吐き出された。
手にある騎槍を取り落とす。光で編まれたそれは、地に着くことなく掻き消えてしまう。
「……………………………………あぁ? …………ぁあああああぁぁぁ――――!?」
レンズを押しやり大きく見開かれた紅い瞳が、眼前を埋めつくす凄惨きわまりない光景をただ茫然と見渡していく。
これは己が生み出したものだというのに、理解できないと目を覆う。今さら何を恐れることがあるのか。
よろけて後ずさる。今さら何を後悔するのか。
比類なき残酷な武器として、あれほど無情に無感情に己が刃を振るってみせたのに。
なのに〝彼女〟は、止めどなく溢れ出る感情に堪えきれなくなり、震える異形の脚も力なく、地に膝折ってしまった。
戦いが終わり、凄惨きわまりない光景だけが後に残された。
いまアオハの視界を埋め尽くしているのは、赤黒い血だまり。折り重なる人間の死体。そして魔神たちの死体。まだ生々しさを残す、この世の終わりのごとき光景。
それらが等しく骨と肉と臓腑をさらけ出して、まわりにうずたかく積み上がっている。
耐え難い血の臭いが立ち込めていて、自分が意識を取り戻したと自覚した直後には、地面に胃の中のすべてをぶちまけていた。
まるで地獄のようだった。アオハがむかし読んだことがある旧い絵本の一節に、真っ赤な水をたたえる〝海〟が描かれていたのを思い出した。当時のある宗教に基づいたその絵本によれば、死者たちの流した血で満たされた赤き海は、この世の終焉をあらわす光景――すなわち地獄であると記されていた。
あるいは、ここはさながらに戦場だ。いつの時代でも戦場では兵士たちが武器を取り、命の奪い合いをしたと記録されてきた。老人、女、子ども――兵士たり得ない弱者たちはただ翻弄され、軍靴で踏みにじられてきた歴史の先に今があるのだとアオハは学んだ。
ならば、いま自分の胸を狂おしいほどに締めつけてくるこの嗚咽は何だ。
まるで小さな女の子が上げるような泣きじゃくりの声が〝彼女〟の喉から放たれている。
「あ――――ぁぁ――――――」
全てが死に染まったこの戦場の、ただひとりの勝者となったあの〈白き魔神〉が、なのにまるで取り残された幼子のようにむせび泣いている。
ただ、これはいつかに似た光景だと自分でも気付いていた。
――兄さん、どこにいっちゃうの。ばけものがくるよ――。
――いやだ、こわいよ、おいてかないで。あつい――いたい――くるしいよ――。
――たすけて――ばけものが――アオハ兄さん。
鼓膜に刻みつけられたままの悲鳴が、亡霊然とよみがえっては消える。
十年前のあの日、死にゆく大切な人を、自分には助けることができなかった。
あのとき恐れずにその手を取っていれば、あるいは――――
「――今こそが勝機! そやつも殺すのだ!」
そう促すザカンの怒声に、アオハ・スカイアッドはようやく我を取り戻した。
怯えて後ずさった自分の踵に堅いものが触れた。床に横たわる、甲冑に身を包んだ騎士の死体だ。傍らに転がる騎士剣がやけに目に留まる。
「――はやくその剣を取れッ! おぬしがその手でとどめを刺すのだ!!」
声に追い立てられ拾い上げた剣に、まるで死人のようにひどい顔が映り込んでいる。
ゾッとして目を背けた時にはもう、うずくまる〝彼女〟の傍らまで辿り着いていた。
もうそれ以上、動けなかった。〝彼女〟の姿を見て、魂まで凍り付いたかのように。
「――見てくれに惑わされるな! 声に耳を貸すな! その娘は人ではない、禁忌の〈異産〉だ! いま剣を振り下ろすことを躊躇えば、おぬしも食い殺されるぞ!!」
剣が向けられていることにすら気付けずに泣きじゃくる〝彼女〟は、とても正視に耐えぬ、禍々しい蟷螂の怪物だ。どれほど少女の似姿で嘆こうとも、〝彼女〟は周囲で屍と化している魔神と同じものでしかない。
「――さあ、やり遂げろ! おぬしがその手で敵を斃し、そして英雄になるのだ!!」
異産を封滅せよ。それが正しいことだと信じて、自分はこの結末に辿り着いたのだ。
――僕がやれば、全てが救われる。
ない交ぜになった感情を振り払い、ただひとつの正しき意志に従って、この手には重たすぎる剣を頭上へとかざす。鋼に覆われていない、その細い喉首を狙いすまして切っ先を振り下ろせば、きっと一瞬で〝彼女〟を断ち切ってしまえるのだろう。
「――――殺せッ!」
ああ、なんて結末なのだろう。
剣を天高く振り上げ、これから英雄となるはずの自分は、なのにただこの悲しみから逃れたいとだけ強く、強く願い――――
――そうしてアオハはあまりに堪え難い涙に、そばで禍々しい躯体を膝折る〝彼女〟を、強く、強く抱きすくめていた。
からんと音を立て、取り落とした剣が転がった。
アオハの胸が〝彼女〟の嗚咽を覆い隠すように塞いだ。
もうどんな顔をしているのかも知るよしはない。ただ自分の胸に、冷たい鋼の感触と、震える〝彼女〟の体温と吐息とを感じ取ることができただけだ。
殺せ、と。自分が言い放ったのと同じ残酷な言葉に、もう誰もそうさせないと抗ったのだ。
未だに呼び覚まされる十年前の悪夢――あれと同じ惨劇の光景を〝彼女〟につくらせたのは、殺せと命じた自分だ。
〝彼女〟が悲しみから涙していたわけではないのがわかった。ただ自分が何をやったのか理解できなくて、見えるもの全てが怖くて、何も拠り所がなくて、心が暗闇に沈んでいく悲鳴を精一杯に上げていただけなのだと。
――こんなの、ただの赤子の泣き声だ。僕は一体誰に、何をさせたんだ……。
「おのれ、裏切ったか審問官! 人ではなく魔物を庇い立てするとは、気でも触れたか!」
ザカンが部下らの死に一矢報いようと、剣を拾い上げやって来る。鬼神のごとく形相だ。
だが、アオハはもはや考えることを諦めていた。
多くの仲間たちが死んでしまった。否、魔女の霊廟を制御できなかった自分が死なせてしまったとも言えた。
「――――!? 水が……お兄さん!」
このまま沈みゆくはずだったアオハに射す一条の光となったのは、マルの声だ。
ぱしゃぱしゃと音がして、いつの間にか足もとが水に浸されていたのに気付く。
坑口から流れ込んでくる大量の水。もしやここに仕組まれたトラップが作動したのかと把握した時には、既にこのドーム全体が浸水しつつあった。
坑口から別の坑口へと死体が押し流されていく。水流はザカンら生存者も、悲鳴を上げるマルも、そして自分たちすらも分け隔てなく吐き出そうとしている。
すぐに水流は抗いがたい濁流と化し、ここにあるあらゆる全てが排出されていった。
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