Ⅵ 英雄について

第16話

 地底第三階層の太陽が月と入れ替わるころに雲行きが崩れ始め、遂には雨が降り出した。

 唐突の雷鳴とともに押し寄せた驟雨。それは半刻を待たずに勢いを潜めたものの、雨は止まず、夜の帳が落ちた後も庭の芝生をざわめかせ続けた。

 スカイアッド邸の戸口を思わぬ来訪者が叩いたのは、夜半に差しかかる頃合い。

 旅立ちを前に警戒したアオハは、動力車に毛布を持ち込んで眠っていたところだ。

 来訪者の気配を察知した蟷螂が唐突に目を覚まし、アオハの毛布から小さなリュミオラが這い出てきた。


「りゅ……ふぁ……/なんか来た/たくさん来た」


 すぐ目が冴えて、護身用に立てかけてあったレリクス銃を手に取る。

 だがすぐに居間の方からイザルの呼び声がして、想定とは違った困惑の声色に、思わず武器を置いた。

 灯りの付けられた玄関口まで駆けつければ、イザルが何者かたちを邸内へと招き入れていた。

 雨に濡れそぼった外套姿の男が二人。おそらく主都の憲兵だろう。そして、彼らが手を貸して中に担ぎこまれた、負傷者らしき姿も。

 何事かと事情を問うよりも早く、二階から駆け下りてきたマルが悲痛な叫びを上げる。


「――そんな……ジオ!?」


 段飛ばしで階段を降り、裸足のままその負傷者――少女騎士ジオッタへと飛び付いた。


「どうしたのジオ!? 何があったのですか?? この傷は……」


 ジオッタの憔悴した姿に、マルはとても冷静ではいられなかった。鎧から覗く肌は包帯で巻かれ、応急処置を受けた後は見受けられたものの、目に見える傷痕がまだ生々しい。


「夜分に申し訳ありませんイザル副長。この者が至急、学院長に伝達したいことがあると」


 そう弁明した憲兵は、昼間にアオハと会った男だった。

 見れば、もう片方は剣王国領の関所にいた騎士で、両者が同じ場に立っているだけでもただならぬ事態だとわかる。

 ジオッタは助けの手を振り払うとマルに跪き、重たい瞼を必死にこじ開けるようとする。


「…………無礼をお許しを、我が主君……私は………………」


「いいの! 剣王国領で何かあったのね、ジオ? ゆっくり話して。傷に障ります」


 マルはそう諭してからジオッタの両頬に口づけし、濡れるのも厭わず彼女を抱きしめた。


「………………マル……う……うぇ………………ぇぇっ…………マウリが…………」


 抑えてきたものが溢れ出したのか、遂にはジオッタが泣き始めた。マルは表情をわずかに歪めながらも、ただジオッタが倒れてしまわないよう支えている。


「………………うちらの……マウリが……燃えちゃった………………」


「マウリが燃えた、って……どういう意味なのですか? 確かにあの村は炎の被害を受けましたけれど、賊は退けましたし、ジオが助けを呼びに馬を走らせてくれたから――」


「――違うんダ!! 戻ったらマウリが黒焦げになってタ……みんなが……黒焦げに……」


 ……死んじゃった。今にも消え入りそうな声で、確かにジオッタはそう言った。


 早馬を走らせたジオッタは、辿り着いた隣町で剣王国の異変を知ったのだという。

 異産を悪用する邪悪な魔術師が、領内で猛威を振るい始めていた。その者は巨大な竜を統べ、剣王国領マウリを焼き払い、さらには森に狂暴な魔獣たちを解き放った、と。

 そしてその魔術師は、聖堂騎士ザカンら剣王直属の騎士団を卑劣にも欺き、遺跡の深層部よりいにしえの魔神すら復活させ、今にも剣王国を攻め落とす準備をしているのだと。

 魔術師の名はラーグナス・フランヴェイラ。イスルカンデ星教会の枢機卿だった。

 卑劣にも学院領がそのラーグナスを匿っていると、追って報されることになった。

 その報せに怒り狂ったのが、かの剣王エイフェットだ。己が領内で暴虐をはたらいたラーグナス討伐のため騎士団を召集し、軍勢を編制し始めているのだという。

 騎士の軍勢が目指すは、学院主都。

 これは五十年前に勃発した剣王国領と学院領の戦争――その再来となり得る危機だった。

 剣王国領と学院領は、古来からの因縁がある。剣の誇りを蔑ろにし、レリクスの技をもって騎士の地位を脅かすのが学院であるからだ。


 それを知り、一刻も早くマルリアンに伝えるべく馬を走らせたのがジオッタだった。


「だとしてもあまりの過剰反応だ。それに、マウリは最悪の結末には至らなかったはず」


 アオハの疑問に、崩れ落ちたジオッタが告げたのは、恐るべき結末。


「うちらのマウリを焼き払ったのは、聖堂騎士ダ……」


「馬鹿げてる! 救われた自国の村を、何のために味方が焼き払う必要があった!!」


「そんなの、うちもわけわかんないんだヨッ! あいつらがマウリに攻め込んできテ……確かにうちが助けの騎士を呼んだんだけド、そしたら『この村は先史の魔物からいにしえの呪いを受けた、もう浄化する以外に助からない』っテ……あいつらが無理やり火を……」


 だから剣王国側は、臣民に最後の救済手段を採ったのだと。

 ジオッタの口から報されたあまりのことに、一同は茫然とさせられた。


「呪うとか出鱈目だ! リュミオラがそんな馬鹿げたことするものか!! だって、僕たちには何も起きていないのが証拠だ。この町だって、ジオッタにだってそんなこと……」


 今さらそれが何の釈明になるのか、口にして愕然とした。

 どうあれ戦が起こる。真実がいかなるものであろうと、主都に攻め入る口実が――騎士にとっての立派な大義名分ができてしまったのだ。

 だが星教会はラーグナスの所在を伏せ、学院に対しても未だに沈黙を続けていた。一度動き始めた軍勢を止める可能性を、自ら閉ざすかのように。


「…………まさか、陥れられたのか? 僕たちは、あの男の謀略にまんまとはめられた」


「どういう意味ですかアオハ? あの男とは、枢機卿のことですか?」


「そうだ。ラーグナスは異産の力で多くの人を殺め、邪悪な魔術師として君臨した。許されざる行いだ。だがあの男は、そもそも別の目的のために〝邪悪な魔術師〟になったのだとしたら」


【……学院領と剣王国領をわざと衝突させ、この戦を引き起こすことが真の目的だった。そのために都合のよい戦犯にあやつ自らがなった。そういう策謀か、我が王よ】


「ですが坊ちゃん。あの枢機卿が、それほどの争いから何を得るというのでしょうか?」


「……わからない。けれど僕たちが――犠牲になった皆がそんな企てに利用されたというのなら許せない。それに開戦を止めなければ、この町がまた炎に包まれることになる」


 ならば――。

 イザルらに背を向け、腰に納めたレリクスブレイカーに触れる。

 どのみち明朝に発つと決めたのだ、どこへ行こうと回り道ではない。


        ◇ ◆ ◇


 先史文明遺跡〈大剣ハンマフォート〉の地底第八階層、ユーグリフィン剣王国領の上空。

 眼下を埋めつくす広大な森林地帯から視線を上げれば、行く手に横たわる地平線から橙の太陽が昇り始めているのがわかる。

 アオハからあらたな血を分け与えられたリュミオラは、広げた翅で上昇気流に乗り、昇降機の町アンカーテから北上していた。より白に近付いた鋼が、曙光を照り返している。

 飛翔するリュミオラの背には、黒い外套に身を包むアオハが跨っていた。リュミオラの体躯が帯びた魔法の力場の恩恵で、この高さにもかかわらず想像ほどの恐怖感はない。


「――何か見えるか? 重装の騎士たちだ。進軍するなら街道を進む可能性が高いが」


 リュミオラを先導して下方を飛んでいたロボが、呼びかけに高度を上げ戻ってきた。


【街道をたどるのでは切りがない。我が王よ、目的地から逆算するのはどうか?】


「騎士の軍勢が目指すのは昇降機だ。剣王国領に昇降機はいくつある?」


【学院領側と繋がる昇降機は三か所。主都と直通のアンカーテのものは交易用であり、軍勢が一度に乗り込める規模ではない。それに騎士精神に心酔する彼奴らのことだ、大義名分を振りかざし、主都の正面から〝正々堂々〟攻め込む以外の策など持たぬはず】


 学院主都にも、昇降機が何か所か備えられている。迷宮探索目的でハンターが利用するものや、人や物資の移送手段に使われてきたものが主だ。

 そして、学院領が擁する最大規模の昇降機は一つ。


「そうか、主都南端にある先史宮殿跡地だ!」


【ご名答。あそこにあるのは厳密には昇降機ではなく、階層を繋ぐ長大な斜面だ。しかし騎士どもは五十年前の戦において、その斜面を馬で駆け上がり学院領まで攻め入った】


 それは気の遠くなるような話だった。階層を隔てた自治領同士が長らく紛争を免れてきた理由の筆頭に、兵員の移送手段の問題があったのだろうから。


【目的地が宮殿跡地だとすれば、剣王国領の旧王都から中央平原へ向かい、十字街道を西進する経路を取る。連中も夜通し馬を走らせることなどせぬだろう。であれば――】


「――必ず追い付ける。リュミ、まだ飛ぶことはできそうか?」


「りゅー! /リュミいっかい降りる/もっかい羽ばたく!」


 彼女の翅では、鳥類のように滞空し続けることは困難だった。一旦中継地点に降りて、再度跳躍するのを繰り返し目的地へと進むほかない。


        ◇ ◆ ◇


 事態が急変したのは、剣王国領アンカーテを発って半刻あまりが過ぎたころだった。

 中央平原と呼ばれる、森が途絶え緑の大地が一面に広がる地域に差しかかったあたり。


「――アオハ、あっち! /黒いのがもくもく/ぽわぽわなの!」


 リュミオラが指差した先――街道付近から黒煙が立ちのぼっているのが見えた。


「あそこだ――下に騎士たちの軍勢が見える! いや、なんだ、あれ……」


 黒煙の下に視認できた野営地。街道から外れた平原に、兵舎と思しき無数の天幕が張られており、慌ただしく駆け回る人間たちの姿も確認できる。

 だが奇妙なことに、その半数は鎧も纏わぬ丸腰で、いま寝床から飛び起きてきたかの装いだ。興奮して嘶く軍馬をなだめる者や、半裸のまま騎士剣を抜いて飛びだしていく者までいる。

 そしてこの騒然とした野営地の中心に、驚くべき姿があった。


「あれは………………あの白竜は、ラーグナス!」


 騎士団の紋章が描かれた天幕の一つが吹き飛ばされる。

 土が舞い上がり、その狭間に巨大な尾が蠢いたかと思えば、あの白い巨竜――ラーグナスの化身が姿をあらわにした。


「どういうことだ!? 竜が騎士たちを攻撃している。寝首を掻くにしても、何の目的で?」


 天幕がまた一つ、強靱なる尾でなぎ倒された。

 想像を絶する存在による奇襲。野営地の騎士たちの指揮は乱れ、狂騒に飲まれながらも、幾人かは装備を整え敵に向かっていく。


【ラーグナスは騎士どもを学院に攻め込ませる囮のはず。それを自ら覆すとは解せぬ……】


 戦争状況を引き起こすという計略を妨害する行為だ。

 アオハには戦況がまるで読めなかったが、異産が目の前で猛威を振るっている事実に変わりはない。


「どうあれ、あいつの暴走を見過ごせない! リュミ、あの竜の背後に降りてくれ!」


 リュミオラの翅が放つ光がより輝きを強め、野営地への降下態勢に入った。


 ここは戦場とは言え、戦の火ぶたが切られる前から阿鼻叫喚の光景が生み出されていた。

 巨竜が吐き出す青白い燐光を帯びたブレスに、兵舎が焼き払われていく。

 反撃の騎士たちは己の十倍以上もある敵を前に、弓や槍で立ち向かうも、鎧に勝る強靱な鱗が全てを遮り、牙が、爪が、尾が彼らを蹴散らしていく。

 繰り広げられる、一方的な虐殺。

 この騒乱のさなかに介入するのは危険と踏んだアオハとリュミオラは、巨竜から距離を取り、その背後にまわって着陸した。


「――ラーグナスッ! あなたはそこまでの外道に墜ちたか!!」


 巨竜に向けがなり立てたアオハに応じ、〈意志をこの手にヴィル・ピアサー〉を詠唱したリュミオラの手に光の騎槍が錬成される。

 かたや巨竜はこちらに耳を傾けることもなく、ただひたすらに足もとの蟻を踏み潰すことだけに囚われているかのようだ。


「アオハ、リュミはいく――」


 光の騎槍を一振り舞わせ、リュミオラの六本脚が跳躍姿勢に。

 が、思わぬ声が彼女の研ぎ澄まされた本能を妨げた。


【――上だ! 気を付けろ】


 急着地してきたロボが兜ごと引っ張り上げ、リュミオラの顔を上向かせる。

 黒煙でくすんだ空に、途方もない数の矢が奔ったの見た。

 野営地から離れた位置にいた弓兵からの一斉射撃。この混戦模様に、盲点があったのだ。


「まずい! リュミ、離脱しろッ!」


 途端に彼女の鎌がアオハを外套ごと引っ掴むと、後方高くに跳躍した。

 第一波が鼻先を間一髪でかすめ、直後に降り注いだ幾千もの矢が断続的に大地を穿っていく。

 矢を浴びせられた巨竜が禍々しい咆哮を上げた。

 が、堅い鱗におびただしい矢を受けながらも巨竜は止まらず、それどころか騎士たちを巻き添えにしようと突進していった。


【いかん我が王よ、二射目が来る!】


 上空へと退避したはずが、絶望的状況だった。

 野営地の西方に陣を構える騎馬隊――その弓兵らが二本目の矢をつがえ直し、こちらを狙いすまして弦を再度絞り始めたのだ。


【ぐっ……単細胞の騎士どもめ。我々も巨竜と同類扱いして射殺す算段か!】


「空中じゃ避けきれない……あれを防ぐ手段はないのか――」


【我がリュミオラはその体躯を鋼に変え、身を守ることが可能である】


「リュミが無事でも、僕らが蜂の巣じゃないか!」


【さすがの大魔術師も、万事休す、である……】


 ――そんな! ここまで来てこんな結末があってたまるものか!


 絶たれた望みに、それでも抗おうと思考を巡らせ始めた、その時のことだ。


「――アオハ、リュミやっとわかったなの! /のナゾ解けたの!」


 この窮地に、果たして何の気づきを得たのか。唐突に刮目したリュミオラが叫び、アオハを背に誘導する。そしてたどたどしいながらも、言葉を続ける。


「わがトリししょー/ついにヘンシンのときだ」


【……へ、変身とな? 何故そのように奇想天外な発想を言い出すのかな我が一番弟子よ?】


「トリししょー/名前はロボ/ロボは欠けてる/ほんものの名前、


「いいから離脱しろリュミ、もう説明を聞いている余裕なんて――」


 リュミオラが兜からロボを抱き下ろすと、何の真似か両手で掴み、天に高く掲げた。


「起っきして/ウロボロ/意志をこの手にヴィル・ピアサー


 それが引き金だった。


 ――――アオハ・スカイアッドの全てを形づくる刻に帳が降りる――――


 ――そして訪れる変異、変質、変容。

 ロボの琥珀の瞳が突然光を放ち、呼応するかのように眼帯を押さえ苦しみ始めるアオハ。蒼き燐光に溶け、彼を形づくる表象が別の何かへと変貌してゆく。

 そうしてリュミオラの背にいたはずのアオハが、遂に掻き消えて無くなった。

 代わりに、白金の長い髪を持つ女性がそこに腰を預け佇んでいる。


「今世に我が記憶を呼び覚ましてくれたことには感謝するぞ、可憐な乙女よ……」


 ロボと同じ琥珀の光を瞳に灯し、邪悪な笑みをたたえた顔を上げると、手を掲げ宣言する。


「さあ、しかと聞くがいい。我が名はウロボロ・ギィ・ギラン。テクネト・アルキナにその名を轟かせし大魔術師である!」


        ◇ ◆ ◇


 再び目覚めた〝私〟の視座が、鮮やかにこの世界を捉えていた。


「――しっかし、あのリュミオラなる乙女の驚くべき成長よ。まだ成熟にはほど遠くとも、さすがのリリカナクラウンといったところか」


 今世においてはこれで二度目の覚醒になるか。そして前回のように不完全ではない、より確かな記憶の上に自分が立っているのがわかる。


「ただ愛らしいだけにとどまらず、この私の本質的な姿を真っ先に見抜いて、さらには強制覚醒まで促すとはな。それでこそ我がテクネト・アルキナの守護神だ」


 だが目覚めの余韻に身を委ねている時間はない。すぐに瞼を閉じ、自らの胸の内にあるものへと問いかける。


 全てが暗転し、代わりに脳裏に映し出された不思議な光景。

 今の私には、漂白された地平と空間とが果てしなく彼方まで続いてるのが視えている。


 ――あなたは、いつかの……魔女?


「このウロボロはテクネト・アルキナの大魔術師だ。魔女と呼ばれるのは好かんと伝えたはずなのに……不思議な男だな。あなたにそう呼ばれるのは、それほど不愉快ではない」


 その言葉に悪意とは異なるものが込められているから――なのかもしれなかった。

 私は今、この青年――アオハ・スカイアッドに相対している。

 語りかけているのは、今は私の深層部に眠る彼の意識――時間と記憶の狭間にたゆたう領域。そこに呼びかけることが、奇しくも肉体を共有する運命となった彼と今の私が対話できる、唯一の方法だからだ。


 ――ウロボロ……? それがあなたの名なのか?


「ああ、そのとおりだアオハよ。私もようやく思い出すことができたぞ。かつてあのフクロウ人形に己が魂を退避させた私は、悠久の歴史を越えこの時代までやってきたのだ」


 ――そんな……では、あなたはあのロボと同一の存在だというのか!?


「さて、どうであろうな。器の大きさが異なるもの同士だ。魂というものはそれを収める器に強く引きずられ、有り様をいかようにも変えてしまうものであるからな」


 その証明として、ロボでいる間の私にはウロボロとしての意識も自覚もない。


 ――では、霊廟で会ったあなたはロボだったのか。


「いや、残念ながら私があなたと直接会うのは初めてになる。人間たちが〈霊廟〉などと呼称する我が魔術工房を制御するのは、私の遺した思念だ。あそこは意思を持った工房であるからな。あなたが既に私と出会っていたとすれば、きっと私の思念たちとであろう」


 ――思念……あの時あなたは確かに言った。武器をやる、と。僕の願いに応える代わりに、リュミオラを生まれさせたのがあなただった。


「リリカナクラウンとは、言わば上位者アネン・メキサのために我々が用意した乗物アルケミアだ。ああ、人間たちに馴染む言葉で言い換えるなら、憑代――違う世界にいる〝神々〟を宿すための器とも言い換えられよう」


 ――知らない言葉だが……ただ、リュミオラはメルクリウスだと呼んだ人を知っている。


「何ものがどのように名付けようと、事実は変わらずひとつだけだ。つまり、あなたがリュミオラと名付けたあのリリカナクランは、別に私が生み出したわけではない。元から〝とおくの世界〟にいた存在で、私はただ出会うきっかけを与えたに過ぎないのだよ――彼女と、そしてあなたが」


 ――あまりに途方もなさ過ぎて信じ難いな。いや、そもそもロボが本当に先史時代の魔術師だったことすら、僕は信じてやりもしなかった。小さいころから傍にいたのに、今まで気付きもしなかった。


「まあ、私自身も忘れていたくらいだからな。これからもあちらの私によろしくしてやってくれ、我が王アオハよ?」


 ――それより教えてくれウロボロ。こうして話しているということは、僕たちはまだあの場所で生きているのか?


「まあ、そう慌てるな。あなたは死者であり、そして生者でもある。葬世レギルスの果て――あなたたちの言う〈大断絶〉後の世界は、存在する全ての境界が曖昧なのだ」


 ――悪いがあなたの言葉が理解できない。僕はリュミオラたちの元に帰らないと――


「あなたの身に起きたことの真実は、いつか必ず紐解こう。それよりも目下の懸念――あなたがこの先の未来を生き延びるための術について、今から伝授して差し上げよう」


 さあ、私たちに残された時間は少ない。我が宿主、我が王アオハ・スカイアッドの未来を勝ち取るための叡智を、ここに伝えようか。


        ◇ ◆ ◇


【ウロボロ! はやく目を覚ましてください! リュミたちの危険がぴんちなのですっ!!】


 それまでリュミオラの背でぐったりとしていた魔女ウロボロが、急に息を吹き返したように身震いし、ようやく上体を起こした。


「うっ…………ひどい寝覚めだ。すまないな乙女よ。ちぃと我が王と話していた」


【もう次の矢が来たら避けようがないのです、リュミどうしたらいいのです!?】


「そう慌てるな乙女よ。いまあなたのくびきを外してやる」


 彼女の背に触れる。と、魔女の着衣から覗く浅黒い肌に、奇妙な刻印が輝いた。


【……お、おー、なんだかリュミ、ぽかぽかと昂ぶってくるのです!】


「さあ、本来の姿を見せておくれ、我がテクネト・アルキナの守護神リリカナクラウン――呼び覚ます名をここに再定義する、可憐なる〈白き車輪の姫ビィライト・シャリオス〉よ」


 口にしたその名が、まるで呪文のようにリュミオラを変える。

 茫然とその様を見上げる騎士たちの前で、〈白き車輪の姫〉が遂にあるべき姿を纏った。

 背に顕れたのは光背がごとき、まばゆい煌めきを帯びた車輪。全身を覆う鋼はかつての純白に再錬成され、花蟷螂を思わせる緋色の紋が華やかに彩る。脚部と胴はより神々しい形象を象り、三日月型を描く兜が、淡紫銀色ライラック・シルバーの髪を冠のように飾っている。


「すまないな、生まれたばかりのあなたの心が熟すまで、あなた本来の姿が一時的に抑制されるよう仕組んでいたのだ」


【…………リュミは。……リュミは、怖いのです】


 そこで思わぬ言葉を口にしたリュミオラに、ウロボロは目を見開いた。


「怖い、と? あなたほどの存在が、ここで何を恐れる必要がある?」


【……リュミの刃は、壊すためのもの。殺すためのもの。リュミは見ました。リュミは覚えています。われの力が誰かに望まれて、たくさんのものたちが命を散らせていく様を、永劫に忘れることはできません】


 背に腰かけるウロボロからは、彼女の表情をうかがい知ることはできない。ただ前方の風に語りかけるように、静かに言葉を乗せる。


【リュミが望まれるのは、この刃の力。刃こそがわが意味、わが理由、わが意志なのです。でも、リュミがこの手を振るい続ければ、いつかすべて無くなってしまう。無くすことしかできない。……そうなるのが、とても怖いのです】


 ウロボロは思う。リリカナクラウンとは、人の手ではなし得ない、強大な力を呼び起こすための武器だ。テクネト・アルキナという国家を、あらゆる外敵から守護するための、言わば血の通わぬ兵器にすぎない。そのようにつくったのが、ウロボロ自身だった。


「そう、あなたには力がある」


 そして人知を越えた強大な武器がその力を発揮し続ければ、いつか全てを滅ぼすことはあれ、何かを生み出したり、救うことはない。彼女自身がその片鱗を垣間見て、最悪の結末を恐れているのだろう。


「だが、同時にあなたには心もある。ヒトに似かよった〝形〟をあなたに与えた私は、ヒトに似た〝心〟を、ただ不要だからと奪い去ることはしなかった。心とは、ただの弱みだ。本来ならば武器には不要な……蛇足とも言えるな。――だが、それでもあなたは、心ある自分を自ら選んだのだ。あの場でアオハと出会ったあなた自身が、そうなろうと選んだのだ」


 リュミオラがハッとして、ずっと前だけを見据えていた顔を、わずかに背後へと傾ける。


「だからこそ、そうして恐れという心がわかるあなたになら、もっと多くの心に従うことができる。そうであろう?」


 ウロボロの手が、背の車輪に触れる。そっとなぞると、表層に宿る魔法の光が指先にまとわりついては散っていく。


「恐れてもいいのだよ。もうあなたは自由だ。あなたの思うままに、この葬世レギルスを渡り歩き給え、我がとおき〝神〟よ――」


「ウロボロ…………」


 そうして〈白き車輪の姫〉の顕現を代償にしたかのように、魔女ウロボロの姿が霧散した。


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