心の空隙 (3/3)
「どうも。僕が管理者です」
待ち合わせのカフェに入りあたりを見渡すと、それを目ざとく見つけた男性が軽く手をあげて私をテーブルに招いた。
私が椅子に腰を下ろすと、彼は何でもないようにそう名乗った。
年のころは30代前半だろうか。優しげな目つき、不健康に白い肌、柔らかそうな茶髪と同じ色の薄い無精ひげ。チェックシャツに10年は時代遅れな緩めのジーンズ。履き潰されたデッキシューズ。
心優しい文学青年の大人版といった、やわらかな印象の男性だった。
「初めまして。シェリーです」
「はい、心配しないで下さい。あなたの本名は知らないし、調べようとも思っていません」
彼はぽわぽわとした雰囲気を崩さぬまま、こちらを見透かすようなことを言った。
彼から届いたDMはシンプルだった。
「『自殺クラブ』の管理人をしている者です」
「オフ行為は規約違反につき止めて下さい」
「何か聞きたいことがありましたら私がお答えします」
もちろん初めはただの悪戯だと思ったが、『自殺サロン』に登録したメールアドレスにも同じ内容の連絡が来たからには信じるほかなかった。
私は一も二もなくアポイントメントを取った。
「それで、あなたはサロンの何を調べ回っていたんですか?」
彼はにこやかに私に問う。彼は私が自殺志願や興味本位ではなく、その正体を暴くために『自殺サロン』へ近づいたことに感づいているのだ。
「管理人さんは、なんで私が調べ回っていると思ったんですか?」
彼はニコリと笑う。
「少なくともあなたが自殺志願じゃないことは、入会の時点で分っていましたよ。
入会時の自殺動機の入力フォーム、あれはもっとドロドロしているんですよ、普通は」
私はぎくりとした。あとから編集できると知って、とりあえず適当な内容を打ち込んだ記憶がある。
「むしろあのフォームこそが『自殺サロン』と言ってもいいかもしれません。それなのにあなたの自殺動機には屈託が感じられなかった」
私は伏し目がちに先ほど運ばれてきたトールのラテを指でいじった。が、本当は顔から火を噴きそうな気分だった。
そんな簡単なところのディテールを凝らずにまんまと見抜かれたなんて、先生に知られたら大きなため息を頂いてしまう。
「それで、定期的にしているSNSでオフを呼びかける人が居ないかの見周りであなたのアカウントが見つかりまして。そこから先は登録名とかから芋づる式に」
そこまでくれば、私が何らかの目的を持って『自殺サロン』の調査をしていると推測するのは簡単だろう。
「……SNSでサロンの事を話したメンバー全員にこうやって会ってるんですか?」
「いいえ、たいていは放置しますよ」
私が無理矢理話題を変えたことを気にする様子もなく、彼は飄々と答える。
「大々的な宣伝が打てない以上、あのサロンは口コミでメンバーが増えている面が大きいですから」
「それじゃ、あの規約は……」
「オフを呼びかけた場合は話が別です。人間は集まると突発的にとんでもないことをしでかしたりしますから」
私はモンキーレンチを振りかざしたあの男の事を思い出した。
「『自殺サロン』で知り合って集団自殺、なんて事件が起こったら僕もただじゃすみませんからね。
SNSの運営へ報告すれば、自殺にまつわる投稿をしているアカウントはすぐに凍結します」
こうして直接会うのはあなたのような特殊なパターンだけですよ。
管理人はそう言って目の前のソイラテを一口飲んだ。
「まるで……個人で勝手に死ぬのはどうでもいいみたいな言い方ですね。あまりに無責任じゃありませんか」
「ええ、まぁ……」
恋人が自殺するかもしれないと訴えてきたアンジュさんの顔や、サロンを通じて襲われたことを思い返し苛立ちを隠せぬ私に、彼は困ったように少し微笑んだ。
「それは自己判断ですよ。あのサロンの言葉に煽られて自殺する行動力のある人間は、『自殺サロン』なんて無くてもいずれ死を選ぶでしょう」
「でも!……私は殺人志願のサロンメンバーに殺されかけました」
「そういうこともあるからオフ禁止なんですが……。
その人だって、遅かれ早かれいつか人を襲っていたでしょう。その相手を見つけたのが、たまたま僕のサロンだっただけって思いますけどね」
「……」
私は調査の過程で見つけた『自殺サロン』以外の自殺志願者コミュニティの数々を思い出した。
確かにどのコミュニティの文言よりも、『自殺サロン』の言葉は抽象的で淡々としている。
あのモンキーレンチの男も、獲物を探す場が『自殺サロン』だけだったとは考えにくい。
「実際にサロンのメンバー継続率は極めて高いです。奇妙ですよね。
つまり、僕が提供しているのは自殺志願者でいるためのサロンなんですよ」
「……管理人さんは何でそんなことをしているんですか」
私は腹の中でいろいろな思いがぐるぐると回っていたが、それらを力ずくで抑えて本題を切り出す。『自殺サロン』の収益の挙げ方を知るのが今回の真の目的なのだから。
「さっきも言った、入力フォームですよ」
彼はカップを持ち上げながら「自殺動機の入力フォームです」と言った。
「どういうことですか?」
「あそこには人に死にたいと思わせる理由が集まるんです。その情報を売っています」
「それってどういう……」
彼は無精ひげの生えた顎を撫でた。
「例えば特定の企業の労働環境が悪くて辛い、という情報はリクルート関連のエージェントに売れます。
どこどこのセキュリティが弱いから捨て鉢になって盗みに行く、という話は防犯会社のコンサルに良い値で売れます。営業情報ですね」
「……本当にそれだけですか?」
「ええ、それだけです」
予想していた人身取引だとか詐欺だとかの答えよりも数段上を、いや下を行く答えに、私は拍子抜けしてしまった。
それじゃあ、
彼の言葉が本当だとしたら、それじゃあ、まるで……。
「どうしますか。『自殺サロン』を潰すのは簡単でしょう。
公に糾弾されれば、サロンは閉鎖する他ありません。数多の自殺志願者コミュニティと同じ運命です」
その答えを言いたくなかった私は、論点をずらした問いを返す。
「……だからわざわざ会いに現れたんですか? 消さないで下さいと頼むために」
「いいえ。そこはあなたの自己判断でしょう。僕はただ、サロンの実態をお伝えしたかっただけです」
彼はそこまで言うと、カップを空にして私の返事も待たずに帰っていった。
私は冷え切ったラテの泡が消えて行くのを、しばらく眺めていた。
†
私はその足でベイカー・ストリートのいつものパブへ向かった。どうしても話したかったその人は、期待通りいつもの席でカカシのように佇んでいた。
私は先生に今回の顛末をすべて話した。長い話になったが、先生はその間一度も口を挟まずに聞き役に徹した。
「それで……」
先生は私を褒めるでも叱るでもなく、ゆっくりと口を開いた。
「それで君は、その男の所業がまるで社会貢献のようだと、そう思ってしまったんだね?」
「それは……」
まさしくその通りだった。私は人の心の弱みに付け込む怪しい罠だと思っていた『自殺サロン』が転職の手助けや窃盗の防止……そしてアンジュさんの恋人へ勇気を与えたと知り、まるで社会貢献のようだと思ってしまったのだった。
「あのサロンは確かに人の助けになっているんですよ!?」
「フン、くだらない」
私の悲鳴のような問いを、先生は一蹴する。
「その管理人とやらが言っていることはおそらく真実だろう。実際、そのサロンは人の役に立っている側面がある。
サロンメンバーが必要としているのは自殺の同志ではなく、己の思いを吐露できる場所だというのも正鵠を射ている」
問題の解決には繋がらずとも、何の意味は無くとも、ただ誰かに自分の思いを伝えたい。自分の秘密を知ってほしい。それだけで満たされる空隙は誰の心にもある。
希死念慮に泥む自殺志願者にも、リスクを冒して私の前に現れた管理人にも。
先生と話をしに来た私の心の中にも。
すべてが胡乱なあのサイトの中で、それだけは確かな真実だろう。
「それじゃあやっぱり……」
「だが、それが自殺の扇動というセンセーショナルなプラットフォームである必要がどこにある。とんだ社会貢献気取りだ」
義賊も怪盗も悪のカリスマも、みな等しく犯罪者なのだから。先生はそう呟いた。
「ともあれ、この話をアンジュさんに伝えれば一件落着ですね。『自殺サロン』は危険なサイトじゃないって」
話しがひと段落し、その隙にちゃっかり2杯目を調達してきた私は満足げにそう言った。
しかし先生は怪訝な表情になり、「その必要は無いと思うがね」と呟いた。
「必要ないって、どういうことですか?アンジュさんは探偵としての私を見込んで相談をしに来てくれたんですよ」
不服な私は怪訝な声で反論する。初めて私に舞い込んだ探偵依頼なのだから、素直に弟子の成長を認めてくれてもいいじゃない。
「サロンの入力フォームと一緒だと私は思うがね」
「え……?」
「彼女と報酬の話やらは一度もしていないんだろう?」
確かにアンジュさんは私のことを「探偵」とは一言も呼ばなかった。連絡を送ってきたのも雑誌記者やらなにやらとの兼用のアドレス宛だ。
そして調査報告や報酬に関しては何も話していない。
「まさか………」
「彼女が必要としていたのは己の思いを吐露できる相手だったようだね。探偵ではなく」
はあぁぁぁーーーーーっ。
私はパブ中に響くほど大きなため息をついた。
鈍色の研究 大川黒目 @daimegurogawa
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