罠にかかったものは (2/3)

「うーん、これも違うなあ」

 私はDMで届いたメッセージを眺めながらそう呟いた。やぶれかぶれの人間をターゲットにした霊感商法の勧誘のようだ。さっさと「非表示」を選択する。


 私がとった行動は簡単だ。SNSで『自殺サロン』友達を募るアカウントを作成したのだった。


 きっと私以外にもメンバー同士の知り合いを欲しがっている人はいるはずだ。であれば、私自身がそのコミュニティを作ってしまえばいい。

 そんなわけで私が仕掛けた罠には、予想以上にたくさんのDMが届いた。

 いまのところ4割が先ほどのような怪しいビジネスの話、3割が男性からのお誘いだったり卑猥なメッセージ、2割が説教じみた長文。

 残りの1割が実際の自殺志願の人という感じだ。

 『自殺サロン』メンバーらしい人はまだ見つかっていない。


「死にたい時にこんなメッセージ山ほど届いたらしんどすぎるんだけど……」とまた新しく届いた卑猥なメッセージを非表示にしていると、シュポン!という音と共に新しいDMタブが登場した。


 蝶のアイコンのアカウントからだ。クリックすると、白い吹き出しの中に『あのサイト、不親切ですよね』と書いてあるのが目に入った。


 やっと当たりを引き当てたようだった。





 「いやあ、このまま誰にも会えなかったら意味がないなって思ってたんで、ほんとよかったです」

 目の前の若干神経質そうだが物腰の丁寧な彼は、運ばれてきたドリンクに手も付けずそう言った。


 私のアカウントに連絡を取ってきたのは20代半ばほどの男性だった。数ヶ月前にたまたま『自殺サロン』を見つけ入会したものの、メンバー同士の交流がないことを不満に思い、定期的にSNSで他メンバーを探していたそうだ。


 私は早速アポイントメントを取り、彼と会ってみることにした。「『自殺サロン』メンバー、ロンドンで会える方を募集」とアカウントに書いておいたので、話は簡単に進んだ。


 私は適当に愛想笑いをしながら相手をつぶさに観察した。中肉中背、しかし華奢な印象は受けない。屋外労働に従事したことが無さそうな日焼けの跡の無い肌。

 服や髭に清潔感はあるが、まるでそう人に印象付けるためだけに整えているような、どこか不格好な印象を受ける。


「シェリーさんも変だって思いませんか?あのサイト」

「ええ、お互いに連絡も取るなっているのはおかしな話ですよね……」

 彼には偽名を伝えてある。

「ところでシェリーさんは何であのサロンに?」

「ええっと、そうしないと手に手に入らないものがあったから……ですかね」

 彼は私の事を自殺志願と思っているわけだが、あまり調子のいいことを言ってボロを出しても嫌なのでぼんやりと誤魔化す。すると、彼は私の答えに顔をほころばせた。

「そうだったんですね、実は僕もそんなところなんです」

 私は改めて目の前の男性を見つめた。彼が自殺志願者だという事実がどうもしっくりこなかった。


 希死念慮を口にする人間は多い。口外せず胸裏に抱えている人間はさらに多いだろう。

 しかしはっきりと意思表示をした自殺志願者に会うのは、これが人生で初めてだ。死のうという人間が、何も特別な雰囲気を纏うわけではないということだろうか。


 それから私は彼と色々な話をした。人生について。サロンに入会した経緯。自殺が悪だとされている現代の倫理に関して。己の欲望に忠実に生きる事がいかに重要なことか。


 そんなの身の上話に相槌を打ちながら集めた話を総合すると、私よりサロンメンバー歴の長い彼も、霊感商法のような特別なオファーは全く微塵もないようだった。

 脅迫まがいのことを受けているという可能性も、こうして他のメンバーとの和気藹々とした交流を楽しんでいる時点でほぼ無いだろう。


 やはり『自殺サロン』からは金儲けの匂いが全くしない。運営者は単なる愉快犯なのだろうか。

 しかし、愉快犯にしてはメンバー同士の接触を禁じるのが腑に落ちない。人はえてして、個人から集団になった際にとんでもないことをやらかすものなのに。


 そんなことをぼんやりと考えながら、そろそろ互いに帰り支度を始めていると、彼が少し上ずった声で話しかけてきた。頬は少し紅潮している。

「シェリーさんはこの後どうします?」

「え? いえ、特に予定はありませんけど……」

 2軒目のお誘いかと思ったが、彼は少し困ったようにかぶりを振った。

「いえ、その……、いつ頃決行するか、です」

「あぁ……。まあ、遠くないうちには」

「そうですか」

 彼は重そうなボストンバッグを持ち上げながら、少しだけ嬉しそうにそう言った。

 まるでディナーに誘うように自殺の予定を聞かれるこの状況に、少し頭がくらくらした。





「それじゃあ、私は駅へ行くので」

 店の前でそう言うと、私はコートの襟を立ててそそくさと歩き始めた。残念ながら今回は成果なしだ。いや、成果なしという成果は得られたというべきだろうか。


 その時、後ろから彼が「待ってください。僕も駅です。一緒に歩きませんか」と小走りで追いかけてきた。

「ええ、是非ご一緒させてください」

 正直彼と話す意味はもう全く無かったが、先ほどまで愛想よく談笑していたのに急に冷たくなるのは不自然だろう。


 私たちは駅に向かってしばらく歩いた。彼は歩き始めてからずっと黙っている。わざわざ追いかけてきたのだから、まだ話し足りないのかと思っていたけれど。

「……あの」

「こっち、近道です」

 沈黙に耐えかねた私が話を切り出そうとした瞬間、彼が唐突に道路わきの公園を指差した。

「……そうですか」

 私の記憶ではこの公園を抜けた先に駅はなかったはずだが、黙って彼の誘導に従うことにした。


 この公園は広く、街灯が少ない。かつては貴族の邸宅があった場所が、数十年前に寄付されたと記憶している。

 広すぎる土地を行政は持て余しているようで、手入れの行き届いていない伸びすぎた草木と、ひび割れた遊歩道が無造作に配置されている。

 夜になると暗く死角も多いので、市民の憩いの場どころか、この地域の治安を悪化させる要因になっているに違いない。


 私の真横を歩く彼は、強引に道を変えさせた割に一言も喋らない。

 再びしびれを切らした私が彼に話しかけようとしたその時、視界の端にあった気配がフッと消えるのを感じた。

「あの……!」

 私は歩みを止めて振り返る。

 すると彼がボストンバッグから銀色に輝く大きなモンチーレンチを取り出し、頭上高くへ振りかぶる姿が見えた。


 大ぶりな軌道でレンチが振り下ろされる。それを予期していた私は、一歩だけ横に身を翻して頭に向かってくる凶器を躱した。

「あなた、自殺志願者じゃありませんね」

 彼の荒い呼吸が伝わってくる。私の問いに答える様子はない。薄暗がりの中で血走った眼とレンチがギラギラと輝いている。


「……っ!」

 無言の二撃目が飛んできた。私は彼の手首を掴み、力を受け流すように素早く捩じった。彼の身体が空中で一回転した。

「人を殺したかったから自殺志願者を探していたんですか?」

 立ち上がった彼の三撃目もいなし、片手で襟を掴んで体勢を崩させると、もう片手の腕を首あたりに当てがい、背中側へ大きく回した。彼の身体が再度、宙を舞った。


 彼は体をふらつかせながら。それでも懸命に立ち上がろうとしている。受け身が取れなかったのだろう。平衡感覚を失っているようで一歩二歩とよろめきながら、10秒ほどをかけて辛うじて二本足で立つことに成功した。手はレンチの重みに従って鉛直方向へ垂れさがっていた。

「自殺志願者なら殺してもいいって思ったんですか?」

 私は再度、問いかける。

 彼はやはり何も答えずに、半ば倒れ込むように体ごと突っ込んできた。私が軽くいなすと、彼の身体は簡単に地面へ引き倒された。


 私は彼の腕を三教で固める。荒れた路面にレンチが落ちた。間近で見ると新品なようだ。たった今アスファルトに削られてついた傷がひどく目立った。

「死にたいって言っていたのは、嘘だったんですね?」

 私の膝の下で彼の身体は小さく震えていた。彼はしばらく低い声で唸っていたが、絞り出すように小さく、「……死んでもいいとは、思っていた」と呟いた。

 その声は意外にも涙声だった。


 私は小さくため息をつくと、彼の肘と手首の関節を外した。


 悲鳴は暗い公園に吸い込まれて消えていった。





 家に帰り例のSNSアカウントをチェックすると、私に連絡を取ってきた彼のアカウントは綺麗さっぱり削除されていた。これに懲りてもうこんなことは辞めてくれるといいが、行動力だけはあったから、どうだろう。


 警察に突き出すべきだろうかとも考えた。今夜の出来事は一応、殺人未遂事件だったわけで。

 しかし、よく考えてみれば私の手元には大した証拠はない。消えたアカウントとのやり取りはSNS運営会社に問い合わせればログが残っているかもしれないが、殺害の意思はおくびにも出していないので、単なる自殺志願者同士のオフ会の連絡でしかない。

 行ったお店では凶行の素振りは見せていないし、例の公園には防犯カメラも目撃者も無いだろう。

 つまり「死んでもいいとは思っていた」と言って割には、かなり計画的な犯行だったわけだ。


 一応、彼の個人情報は控えた上でたっぷり脅しておいたから、逆恨みで襲われたりは大丈夫だろう。それに警察を無理に動かして、私が傷害と脅迫で捕まってもしょうがない。


 今回のことは『自殺サロン』を調べる上での想定外の出来事だったけれど、自殺志願者コミュニティには詐欺の他にもこのような危険があるのだと実感した。


 『自殺サロン』がコミュニティの形成やSNSでの公言を禁止しているのは、もしかしたらこうした危険からメンバーを守る為なのかもしれない。その意図はよく分からないが。


 ともあれ、私は殺されかけまでしたのに『自殺サロン』の本質には一歩も近付くことが出来なかった。文字通り骨折り損のくたびれ儲けだ。

 正直、今回の出来事でこの件に関わるのが億劫になり始めていたが、せっかく乗り掛かった舟だ。もう暫くはSNSの網を仕掛けるとしよう。


 そう私が決心しPCに向き直った時だった。ピコン!という音と共にDMの未読のバッジが付いた。

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