鈍色の研究

大川黒目

盲目の男の宝

ことの始まりーーーとある場末のパブにて

 《とある盲目の男が、このロンドンで五本の指に入るほどの財宝を自宅にため込んでいる》

そんな話を小耳にはさんだのは、とある場末のパブでのことだった。喋り上戸なのであろうその酔客は、近くの意識があるのかどうかも定かでない別の酔いどれに、かなりの大声で(もっとも本人は小声のつもりらしいが)その噂についてがなり立てていた。

 編集長から次号分のネタ出しを迫られており、また探偵志望の端くれでもある私は、その話題に一も二も無く飛びついた。

「私、いま最高に奢りたい気分なの!誰か奢られたい気分の人いない?」

 内緒話をしていた(つもりだった)その酔っ払いは、突然話題に乱入してきた女に眉をひそめたものの、にっこりと笑いかけて目の前に新しいビールを置くと、やがて上機嫌で喋り始めてくれた。

 彼が3パイントのビールを飲み干すまでの間に話した言葉をここに正確に記しても良いが、彼の語りは酔っ払いのそれらしく、呂律の回っていないことが多々あったし、同じところをぐるぐると循環してばかりいたので、要点を纏めることにする。

 曰く、その盲目の男は羽振りの良いようには決して見えないこと。気に入った人間にだけ財宝の話をすること。そしてその男はイーストエンドのどこぞのパブに独りで現れること。

 話が4周目に突入したところで見切りをつけて店を出た。地下鉄の終電などとうに無かったが、私のタクシー代は先ほどのビールに変わってしまった。仕方がない。アパートまでの道をぶらぶらと歩きながら、先ほどの話を反芻してみる。貧民街イーストエンド。盲目の男。そのどちらも財宝や財産という言葉とはあまり結び付かない。

「知りたければ、知らねばならない!」

 好奇心の昂ぶりに任せて、思わずそう呟いた。



 私の見立て通り、編集長はこのネタを追うことについて二つ返事で承諾してくれた。そもそもが胡散臭い記事ばかりを集めている三流雑誌だ。貧民街に隠された財宝だなんだという俗っぽい話題を歓迎しないはずがない。

 しかし、私の本心としては、是非ともこのネタは三流雑誌の記者としてではなく、一介の探偵志望として追いたかった。私は自分が持っているかどうかも定かではない記者魂ではなく、探偵らしい知的好奇心を原動力に手がかりを探し始めた。



「…………」「…………」「…………」

「んもぉ~~~~!!!全ッ然見つからないんだけど!!」

そう、全然見つからなかった。手がかりは十日かかって何も見つからなかったのである。

イーストエンドのどこぞのパブに現れる盲目の男。これだけの情報があれば、目標に辿り着くのに5日間もかからない、というのが当初の見立てだった。

 しかしながら、そもそも貧民街イーストエンドの男たちは金があれば酒代にするような輩が多いためか、広さのわりにパブの数は異常に多く、「基本的には飯屋だけど夜にはパブのようなこともたまにやってるよ」みたいな店も含めると、すべての店を回るには正直なところ半年はかかりそうだった。

 盲目の男についても同じだ。

もうそろそろ二十一世紀の足音が聞こえて来ようかというこの平等自由・機会均等な福祉社会のご時世でも、障碍者の職業選択の幅は健常者のそれと比べると確実に狭く、貧困に陥りやすいという事実を否定することはできない。実際にイーストエンドの人口当たりの障碍者の割合は、他の街と比べて格段に高かった。

 つまるところ、完全にお手上げだった。

 編集長の私を見る目が日に日に厳しくなる。

「まあ、二週間もあれば校了原稿をお見せできると思いますよ」

などと甘い見通しで嘯いた十日前の自分が恥ずかしい。

正直なところ締め切りの大遅延などいつもの事なので、編集長もそれを見越してスケジュールを組んでいる筈だし、私としても大して焦っているわけではないが、大見得を切った手前、編集長の眉間のしわが日々増えていくのを成果なしでただ眺めているのは心臓に悪い。

私は早々に先生の助力を乞うことを決断した。



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