皮肉にまみれた驚嘆に値する推理

 先生は黙って私の話を聞いていた。そして話し終えたのを確認すると、一言、

「セントキャサリン」

と言った。

「はい?」

「だから、セントキャサリンだといったんだ」

「イーストエンドのセントキャサリンですか?」

「君はいい加減察しが悪いな。セントキャサリンにパブが一軒あるだろう?ここ数日間イーストエンドあたりで無駄に靴底を減らしていたのなら知っている筈だ。酔っ払いの話に出てくる、どこぞのパブとはそこのことだと言っている」

「………………その判断の根拠はなんですか?」

 手掛かりの一つでも貰えたらと相談しに来たのに、こうもあっさり言い切られてしまうと、正直「はあ、そうですか。ありがとうございます」と言って店を後にしたい衝動にかられる。何とか必死に義務感を呼び起こして訊いた。

「君はイーストエンドが雑多でとっ散らかった場所だと思っているようだが、実情はむしろ閉鎖的な街だという事だ」

 先生は滔々と話し始めた。

「この件で我々が持っている情報は、ある男がイーストエンドのどこかのパブに独り出没し、そしてその男は盲目だという事だ。間違いないね?」

「その通りです」

「ご時世、やれ福祉だ平等だのと何かと五月蠅いが、イーストエンドにおいて福祉社会の機運は極めて低い。その証拠に、視覚障碍者に対するバリアフリーが施されたパブはイーストエンドにはたった3軒しか存在しない。ショーディッチ、スミシーストリート、セントキャサリンだ」

 この白髪頭の中にはロンドン中のありとあらゆる情報が詰まっているらしい。全く驚嘆に値する。

「その中でなぜセントキャサリンだと?」

「単純な消去法さ」

 先生は説明を始める。

「まず、ショーディッチは街のインフラが悪すぎる。特に歩道の舗装はところどころコレラ大流行の頃の石畳のままだ。健常者が昼間につまずくあの街は、盲目の男が一人で歩くには不便すぎる」

「なるほど…スミシーストリートのほうの理由は何ですか?」

「あそこは盲目の男が夜間に独り歩きできるような街ではない。治安上の問題によってね。それにもっと簡単な理由がある」

「簡単な理由?」

 先生は下らないとでも言いたげに肩をすくめてみせる。

「あそこのパブは愚かにも置いているテレビの音声を消している。盲目の人間がミュートされたフットボールを観戦して、果たして楽しいと感じるかね?」

なるほど、確かに筋は通っているように思える。しかし、探偵志望の端くれとして、思考を止める訳にはいかない。

 ふと浮かんだ疑問を投げかけてみる。

「ですが先生、その論拠ですとパブのすんごい近所に住んでいる可能性が漏れていませんか?極端な話、パブのすぐ隣に住んでたとしたら、多少の不便があっても近場のパブを使うと考えるのが自然だと思いますけれど」

「その可能性は考えられない。先ほどイーストエンドは見かけよりずっと閉鎖的だ、と言っただろう?」

 先生は続ける。

「スミシーストリートは移民街だ。ここ200年程、様々な民族が入れ替わり立ち替わりであの通りを占拠してきた。高い独立心と被差別の憂き目によって育まれた、強固な排他意識によってね。

そして今のあの街の主は特にその傾向の強いパキスタン人だ。そんな街に盲目の男が一人で長く住み続けるのは難しいし、仮に住んでいたとしても、君の聞き込みに引っ掛からないとは考え辛い。君の質はどうあれ時間だけはたっぷりと掛かっている聞き込みにはね」

「なるほど、イーストエンド、なかなか奥が深いですね…。ということはショーディッチの方もそういうような事情があるんですか?」

 先生は私の事を呆れたようなまなざしで見つめた。

「君は……仮に君が視覚障碍者だと仮定しよう。君は表通りを歩くのにも苦労するような街に住むかね?」

「あっ………」

 私の探偵への道のりは思っているよりも遠いかもしれない。

「あれ、でもちょっと待ってください!」

私は調査が難航した大きな理由の一つを思い出して言った。

「イーストエンドって看板の出ていないお店が山ほどあるんですよ!それも不定期でしか開店してなかったり、顔馴染みしか入れなかったり…。そういうお店の可能性はどうなるんですか?」

 いかに先生といえども、あの無数にも思える、それどころかどこまでを数に数えるべきなのかすら定まらないあの店々の全てを網羅するのは不可能だろう。

「もし話に出てきたパブがそういう店のことだったとしたら、そう簡単には見つけられないんじゃありませんか?」

「だから…」

先生は呆れたように言う。

「何度も言っているだろう。イーストエンドは閉鎖的だと」

「…はい」

「君が言っているような店は、そのほとんどが善意や趣味で開かれているものではない。表に看板が出されていないのは、看板を出せない理由があるからだ。つまりは、売春窟、裏取引、ブツの引き渡し、不正会合…そういったことに使われている」

「ああ、なるほど…それで……」

 先生の眼光が鋭く光った。

「その君の言動で新しく分かったことが二つある。ひとつは君の調査が想像以上に無節操だったという事。そしてもうひとつは、ここまで無駄に時間が掛かった理由だ」

「うげ…」

「散々演じたんだろう?お得意の大立ち回りを」

「いやぁ、返す言葉もないです…」

このことばかりはなんとか隠し通そうと思っていたのだが、先生相手にそんな思惑は通じなかったようだ。

 しかし、あの店たちにはそういう事情があったのか。どうりで絡んでくる輩がやけに多い訳だ。イーストエンドの裏事情おそるべし。

「君にそういうことを若い女性がするものじゃないと説くのは、全くの無駄だとはもう分かっているがね。

あまりやり過ぎない様にしなさい。喧嘩に勝つコツは、相手を立てることだと覚えておきなさい」

「……肝に銘じさせていただきます」

この人には逆立ちしたって勝てそうもない。

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