自殺サロン
「恋人が洗脳されて死のうとしています」 (1/3)
「恋人が洗脳されて死のうとしています」
そんなメールが届いた。
そのアドレスはあちこちでばらまいている雑誌記者の名刺にも探偵の名刺にもSNSにも載せているものなので、胡乱なメールが届くのは日常茶飯事だ。
私が働く三流ゴシップ紙への投書のつもりで「有名人の密会を見た」だの「路地裏で小さなおじさん妖精を見た」だのそういう与太話に近いテキストが毎日うんざりするほど送られて来る。
しかし、このメールには「記事にしてくれ」や「タレコミ料をよこせ」といった内容は入っておらず、何が言いたいのかがはっきりしない。私は頭に?を浮かべていたが、はたと一つの可能性に辿り着いた。
「これってもしかして、探偵としての私への依頼なんじゃ……?」
今まで自称探偵見習いとして勝手に色々な事件や謎に顔を突っ込んできたけど、やっと私も探偵立業への第一歩を踏み出したのかもしれない……!
私はすっかり上機嫌になって手元のモルトを呷ると、差出人の女性へアポの返信を打ち始めた。
†
メールの差出人は30代半ばほどの女性だった。
小綺麗にしてはいるが身につけているものに高価なものは一つもなく、またそのどれもが長く使われているようで、端々から生活感が染み出している。
顔には自分だけの力で生きてきた人間特有のたくましさと疲弊が見て取れ、それを覆い隠そうとしてか、少しだけ厚目のファンデーションが載せられている。
彼女はアンジュ、と名乗った。
「えっとアンジュさん、それでお話というのは……」
私が話題を振ると、彼女はため息まじりに「恋人が洗脳されて死のうとしています」とメールと同じことを言った。
「詳しくお聞きしてもよろしいですか?」
「はい、話させてください。」
彼女は滔々と話し始めた。
「彼に出会ったのは3年前です。同じ職場で働いていました」
彼、というのは洗脳されたという恋人のことだろう。
「彼とはずっと良い友達でした。恋愛感情ではなく、お互いが尊敬しあっている良き友達……全くそういう感じがなかったとは言い切れませんけど。
私は子供もまだ小さかったので、そういうことは考えないようにしていたんです」
口ぶり的に彼女はシングルマザーのようだ。
「彼は私よりもずっと年下で、私が彼の人生の障害になるようなことがあってはいけないと思っていました。
だから2年半前に彼が転職すると言い始めたときも、引き止めませんでした」
「なるほど、お互いに尊敬し合っていらっしゃる素敵な関係だったんですね」
彼女は先程「恋愛感情はなかった」と言ったが、付き合ってもいないのに相手の人生の邪魔にならないように配慮していたということは、実際は二人とも公然と想い合っていたのだろう。
「そうして彼は転職して、連絡も取らなくなりました。いえ、取らないように意識していました。彼と再開したのは今からほんの3ヶ月前です」
彼女は遠い目をした。どこかうっとりとした表情だ。
「ある日、帰宅したら家の前に彼がいたんです。両腕に抱えきれないほどのバラを持って!」
「わあ!」
現代でもそんな人いるんだ。
「そこから交際が始まりました。3ヶ月ぶりに会った彼はなんだか人が変わったようで。優しかったりとか紳士なところは前のままなんですけど……。
……なんだか大胆というか」
アンジュさんは照れ臭そうにもじもじとし始めた。先ほどまでの疲れた表情は消え失せ、頬は恋する少女のように上気している。私は何を聞かされているのだろうか。
遂に彼女が言葉に詰まってしまったので仕方がなく助け船を出す。
「……それで!その素敵な彼が洗脳されてしまったんですか?」
「はい、そうなんです」
彼女の眉がハの字になる。
「なんだか彼、再会してからは怖いもの知らずといった感じで。以前は慎重すぎるくらいだったのに」
「怖いもの知らず、ですか」
確かに、両手にバラを抱えて3ヶ月間会っていない相手の家に突然押しかけるのは怖いもの知らずが過ぎる。少なくとも慎重派の人間がやることではない。
「それで私、思い切って訊いてみたんです。あなた、一体何があったのって。そうしたら嬉しそうにこのサイトを見せて来たんです」
そう言うと彼女は隣の席においたカバンからWEBサイトをプリントアウトした紙を取り出した。
上部にはスマートな書体で『Suicide Salon』と書いてあった。
「『自殺サロン』……?」
「はい。彼は『僕はここに入った。残りの人生は死ぬまでの暇つぶしだから何も怖くない』って」
彼女は案外落ち着いた様子で私に紙の束を渡した。
ペラペラと中を見てみると、active euthanasia―積極的安楽死やらフィリップ・マインレンダーやらの文字が踊っている。自殺を肯定する内容が書き連ねてあるようだ。
「彼が言うには、このサロンメンバーから毎月毎月、何人も自殺者が出ているそうで、『それを知ると勇気が湧いてくる、怖いことなんて何もなくなるんだ』って……」
アンジュさんはため息とも呆れ声ともとれる口調でそう言った。
「それで、彼はどうなんでしょうか?……その、死のうとする素振りとか」
「それは今のところ大丈夫です」
アンジュさんはかぶりを振った。
「むしろ生き生きしているくらい。『このおかげで夢だった仕事にもチャレンジできた。君とも結ばれた』って」
アンジュさんはここまで話すと満足そうに目の前のレモネードを飲み干し、「仕事があるので」と言って去っていった。
私は机の上に残された『自殺サロン』のページを見ながら「調べてみるか……」と誰に対してでもなく呟いた。
†
問題の『自殺サロン』のページは検索エンジンで調べるとすぐに出てきた。ディープウェブ等の類では全く無いようだ。
アンジュさんの話を聞く限り、今のところ彼女の恋人には実害が及んでいないようだが、この手のサイトは霊感商法や金融詐欺に繋がることが多い。私は慎重にリンクをクリックした。
先ほどアンジュさんに渡されたプリントと同じ内容のページをカチカチと開く。特に犯罪に繋がりそうな雰囲気はない。
そりゃそうだ。こんなセンシティブなテーマのページで簡単に尻尾を出していたら、すぐに閉鎖に追い込まれるだろう。私は腹を決めて『入会ページ』を開いた。
†
ピコン!とメール通知がポップアップした。ものの数分で私も『自殺サロン』の一員になれてしまった。
個人情報を入力させられたり、怪しい審査を受けさせられることを覚悟していたがやや拍子抜けだった。
私が正確な情報の入力を求められたのは「ログインID 兼 登録メールアドレス」を2回と「ログインパスワード」を2回だけ、あとは名前もハンドルネームでいいとのことだった。
他にも自殺動機を問うような入力フォームがあったが、あとから何度でも編集できるとのことなので、とりあえず今は適当な内容を打ち込んだ。
『自殺サロン』は登録・基本料無料の安心設定でクレジットカードや口座情報の登録の必要は希望者のみ。配達物もこちらから申し込まない限りはがき一枚送らないから、住所や電話番号も登録不要の良心設定だ。良心的過ぎて気味が悪い。
「地獄への道は善意で舗装されている……なんてね」
私は負け惜しみのようにそう呟いた。
やがて私は奇妙な点に気が付いた。このサイトはサロンと銘打っているのにも関わらず、メンバー同士の交流の場が設けられていないのだった。
こういったカルトっぽい団体やマルチ商法まがいのオンラインサロンには、ふつう仲間意識を育てるためのページが設けられている。
そこでメンバーたちに取り入り、場の空気に馴染ませて手駒にしてゆくのだ。
しかし『自殺サロン』にはそれがない。一応「メンバーの声」というページはあるが、メンバーが自主的に投稿したものを運営側がいくつか見繕って体裁を整え掲載しているだけだった。いくつか流し読みしてみたが、先ほどメールで送られていたデジタル機関紙と同じ内容のようだ。
しかも『自殺サロン』はSNSでサロンメンバーを募ったりもしていない。それどころかメンバー同士でオフ会をしたり、サロンのことをSNS上で発信することすら禁じていた。
『自殺サロン』運営はどうしたってサロンの存在を公にしたくないみたいだ。
私はいよいよこのサイトの目的が分からなくなってしまった。
誰かが何かをするときには、必ず意図が存在する。相手がどういう商売で行動しているのかを見極めなければならない。というのは先生の談だが、いまのところチンプンカンプンだ。
「こりゃ運営側はガード固そうだなあ……」
私は小さくため息をついた。方針転換が必要なようだ。
†
運営側のガードが堅いのならユーザー側を詰めてゆくしかない。
そもそもが自殺という極めて個人的な行為をするためのサロンに入会するような人々だ。必ずどこかで横のつながりを求めているはずだ。
……考えたくないが、集団自殺の仲間を探しに入会した人だって。
ともかく、必ず掟破りをして連絡を取ろうとしているメンバーがいるはず!と考えた私は、各種SNSやBBSでそれらしき投稿がないかをつぶさに探しはじめた。が……
「……っあーーーー!! イライラする!!」
私の目論見は全くもって上手くいかなかった。検索が難しすぎるのだ。
自殺サロンの中で使われている言葉はどれもが凡庸な一般用語ばかりで、特別な用語やキャッチコピー、創設者やメンバーのハンドルネームすら出ていない。意図的に排除されているのだろう。
suicide、euthanasia、マインレンダーの名前で引っかかるのはどれも学術論文や個人の愚痴ばかり。『自殺サロン』関連の投稿も必ずどこかには紛れているはずだが、いかんせん投稿の数が多すぎてすべてを確認し切るのは不可能だ。
世界中の小難しい学術論文と愚痴を浴び続けた私は、だんだん具合が悪くなってきてしまった。
(こんなに死にたい人が居るなら、まあ、自殺サロンくらいあってあたりまえなのかな……)。ぼんやりとそんな思いが浮かんだ。
検索を進める中で、私は『自殺サロン』以外の自殺志願者コミュニティをいくつも見つけた。そして反社会的だとして閉鎖された自殺コミュニティの跡地は、それ以上の数が見つかった。
コミュニティで生活する生き物である人間は、コミュニティのルールを外れた先でもやはりコミュニティを形成しようとしてしまうようだ。それが私たちの本能だからだろうか、などとアンニュイなことを考えてしまう。
そう考えると、徹底的にコミュニティ性を排除した『自殺サロン』はやはり奇特だ。人間の心理に反している。
その時、私はふと自分の大きな勘違いに気が付き、けらけら笑いだしてしまった。
「なんだ、こんな簡単なことだったんだ」
私は呆れ半分の笑顔を浮かべながら、とある匿名SNSの登録フォームを開いた。
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