第14話、『 メイディン・ヴォヤージュ 』

 白っぽい天井らしきものが、ぼやけた視界にあった。

 静かに… 低く、わずかに唸る機械音。

 ソナーか、レーダーの発信音のような、規則的に聴こえる周波数の高い音……


 ここは、何処かの部屋らしい…

 キャンベルは、定まらない視界を、ゆっくりと左に向けた。

 大小、幾つもの液晶画面があり、数値やグラフ曲線を表示している。

 機器の間を這うように、幾多の電気配線が、複雑に設置されていた。


( …… )


 ぼやけた視界と同じく、意識も朦朧としている。


 自分は、どうしてしまったのか。

 なぜ、ここにいるのか?


 そんな疑問が、意識の縁を過ぎる。

 だが、それ以上を詮索する事は止めた。 とにかく、眠い…

 いや、眠いのではない。 思考が止まっているのである。

 キャンベルは、一番手前にある液晶画面の数値を、ぼんやりと眺めていた。


 ピッ、と言う電子音と共に、液晶画面の下から、数値が印字してあるレシートのような紙が出て来た。 それは、一定時間が経つと排出されるものらしく、長さ60㎝ほどに垂れ下がっている。


( …… )


 全く、思考力は無いが、視界は、段々と良くなって来たようだ。

 無意識に、今度は、右へ視界を移動させる。


 何十本もの試験管が、スタンドに立っているのが確認出来た。

 コルクで蓋をされた先からは、透明な細いチューブが出ており、複雑に絡み合っている。

 試験管の中の溶液は、化学反応をしているらしい。 細かな気泡が上がっていた。


( …… )


 試験管の間から見える向こう側の視界に、『 誰か 』の姿が確認出来る。

 白衣を着ており、医師か研究者のようだ。 椅子に座り、テーブルに置いたノートパソコンを操作している。

 はたして、パソコンを操作しながら『 彼 』は言った。


「 目が覚めたかい? そろそろ、気が付く頃だ 」


 聞き覚えのある声だった。

 だが、誰の声なのか、思い出せない。 …いや、思い出そうとする意志が湧いて来ない。

 キャンベルは、何も考える事無く、ぼんやりと試験管越しに、声の主を見つめた。


 彼が、後ろにあった機器のスイッチを操作する。

 すぐ横のデジタル表示が変化した。

「 pH6か… 標準値には、程遠いが… まあ、このくらいの方が良いだろう 」

 機器のツマミを、更に操作する。

 低い機械音のピッチが、若干、上がった。

 彼は、テーブルに向き直り、再びノートパソコンを操作しながら、キャンベルの方は向かずに言った。

「 まだ、意識は、ハッキリしないはずだ。 気分はどうだい? 」

 何か、答えようとしたキャンベル。


 …だが、口が動かない。 声も、出ないようだ。

 

 試験管の間から、視線のみをキャンベルに向け、彼は言った。

「 無理に喋らなくても良い。 聞こえているのは、分かっている 」

 彼は、手元にあった小さなタブレット端末を手に取り、その画面をキャンベルの方に向け、続けた。

「 私の声に反応して、 レベルが振れているだろう? これは今、君が聞き取っている音を映像化したものだ 」

「 …… 」


 この人物は、誰なのか…?


 声は、聞き覚えがある。 顔も、記憶にはあるが、誰なのかは分からない。

 記憶の片鱗が、意識の奥から湧いては来るのだが、それを、意識において具現化出来ないのだ。

 キャンベルは、もどかしさを感じた。


 傍らにある、パソコンの画面をみて、彼は言った。

「 …ほう、深層心理の値が上昇して来たな。 意識を、復元し始めたか…… 」

 どうやら彼は、キャンベルの命を、その手中に収めているようだった。

 彼は、そのパソコンの上部に設置してあった機器のツマミを回した。 モニター画面の数値が、わずかに変化する。

「 応答の無いプログラムを、自動補正してリセットか… 本当に優秀だな、お前は 」

 試験管越しの表情に、笑みが確認出来る。

 

 じっと、彼を見つめる、キャンベルの無機質な視線……

 

 パソコンのキーボードに少々タッチし、傍らの機器を操作しながら、彼は言った。

「 この状況は、私の想像以上だな。 実験のつもりだったんだが… 」

 キャンベルの視界が、次第に暗くなっていった。

「 循環液の純度を下げたよ。 起き上がってもらっては、困るんでね 」

 パソコンのキーボードを操作しながら、彼は、呟くように続けた。

「 回路が… 完全に遮断された後の事だよ… 私が、知りたかったのは。 データ上では、想像出来るんだが、実際に… それを確認した事も無いし、した者もいない。 102型は、政府仕様の特別な個体だったからね… 運用されたのも、わずか数体だ 」


 彼の言っている意味が、分からない。


「 プロパティの内容も、実のところ、詳しく知る者はいなかったんだ。 マニュアルも、データ・リスト程度しか無かったからね。 リペアに関しては… そうだな、定期健診は、手探り状態だったな。 すまなかったね 」

 キャンベルは、尚も、独り言のように呟く彼を、ぼんやりと見つめ続けた。


 彼は、再び、傍らの機器を操作し、数値を調整した。

 複雑にパソコンのキーボードを操り、データを打ち込むと、脇にあった液晶のグラフが変化した。 それを確認し、再び、機器のツマミを回して操作する。


 …短く刈り込んだ白髪交じりの髪。

 横長のスクエア・ノンフレームタイプの眼鏡…


 キャンベルの脳裏に、1人の人物像が甦った。


( …デューク…! )


 キャンベルは、思い出した。

 デューク・エバンス… 警務局 管理課の人間。

 警務官の教育・採用、配属や健康管理などを、主な業務としている男…


 自分を、撃った男……!


 パソコンのモニターを見つつ、キーボードを操作しながら、デュークは言った。

「 60系型のBシリーズは、確かにおかしいな… 全ての個体が異常ではないが、突然変異的な異常報告が頻発している 」

 液晶の画面に表示されたグラフを確認し、キャンベルに言った。

「 反応値が上がって来たようだ。 速いな、お前のバック・トライ・システムは。 指を動かしてみろ。 動くはずだ 」

 デュークから見えるであろう、右手を動かしてみる。


 指は、動いた。

 

 腕の方に視線をやると、1本の細いチューブが、腕の内側辺りから出ている。 上半身は、裸のようだ。 下は、濃紺のスラックスを穿いたままである。

 キャンベルは、右肩の傷に気付いた。 ベイツに撃たれた所だ。 裂けた皮膚が、ベージュ色の繊維のようなもので補修してある。 …そう、治療ではなく『 補修 』の趣があった。

 デュークが言った。

「 これ以上の蘇生は、危険だな。 君には、未知のポテンシャルがある…! 」

 キーボードを打ちながら、続けた。

「 ああ、そうだ。 君が興味を持った78号… コリンズ、とか言ったかな? 回収させてもらった。 非常に良い、研究対象だ 」


( コリンズ……! )


 キャンベルの脳裏に、ブロンド・ワンレングスの髪が揺れる。

 少し、赤めらめた、魅了的な頬……


 デュークの後ろにあった機器から、ピッ・ピッと言う、警告音らしき発信音が聞こえた。 弾かれたように振り向き、計器の数値を見入るデューク。

「 …何だと…? 」

 小さく驚きながら椅子から立ち上がり、後ろの計器に取り付く。

「 リマインドからだぞ…! こんな数値、あり得ん……! 」

 左手で、計器のツマミを回し、右手の指でボタンを操作した。

「 どういう事だ? 深層心理のパターン覚醒は、まだ、あり得るとしても… 自律神経に相当するライフティ・システムや… このプログラミング・モニターによると、心肺機能までもが、蘇生を始めている…! 」

 傍らに設置されていた、液晶波面のグラフ曲線が激しく蛇行し、デジタル表示の数値が、物凄い勢いで上昇して行く。

「 神経値が、120…! pH6以下でも、深層システムが起動・再生するとは… バック・トライのバイパス・システムは、閉塞時でも、最優先的に機能する訳か…! しかし、皮下組織は… 」

 夢中で、計器の操作を続けるデュークの左側視界に、人影のようなものが映った。

「 ! 」


 キャンベルの方を、振り返るデューク。

 そこには、仁王のように立ち上がった、キャンベルの姿があった……!

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