第7話、『 ジャンピング・アット・ザ・ウッド・サイド 』

 室内に香る、ロースト。

 テーブルに置かれたソーサーに、淹れたてのコーヒーが注がれたカップが、静かに乗る。

 スピーカーから流れて来る、小気味良いアップ・テンポのビッグバンド・ジャズ… 4ビートも、ダウンライト照明の演出で、落ち着いた雰囲気の静かな館内には、よく合うようだ。

 

 キャンベルは、カップを手にすると、両手で包み込むようにして持ち、カップを見つめながら、静かに言った。

「 …実は、君の身辺警護をしようと思ってね 」

「 え? 私を… ですか…? 」

 きょとんとした表情の、コリンズ。

「 ああ… 」

 カップを口に運び、コーヒーを、ひと口飲む。

 突然の『 提案 』で、コリンズは、要領を得ない様子だ。

 キャンベルは、コーヒーカップをソーサーに置くと、視線を上げ、対面のソファーに座ったコリンズを見つめた。


「 …… 」

 互いに、無言で見つめ合う、2人。


 しばらくの間を置き、じっとコリンズを見つめながら、キャンベルは言った。

「 私は、警務局の生活安全課の者だ 」

「 刑事さん… 」

 …保安課、とは伝えなかったキャンベル。

 コリンズは、続けて尋ねた。

「 刑事さんが、どうして、私の警護を? 」

 ソファーの背もたれに、静かに背中を埋め、キャンベルは答えた。

「 保釈中の男の行方が、分からなくなってね…… 監察員に危害を加え、逃走したんだ 」

「 まあ… 」

キャンベルは続けた。

「 その男には、殺人の前科がある。 ジャーナリスト、イラストレーター、宗教指導者、政治家… 全て、主導的立場にいる女性ばかりを狙っているんだ 」


 何とも、大胆な『 設定 』である。 だが、言い出したからには、後へは引けない……


 何気なく、窓の外を窺うキャンベル。

 街を行き交う人々の中に、今の所、ベイツの影は無いようだ。

( どんな手段で、接触をして来るのか… )

 このギャラリーでは、中の様子は、外から丸見えだ。 ここで『 処分 』をするには、あまりに大胆な行動となろう。

( ベイツの手法ではないな )

 おそらく、人気の無い路地裏辺りでの狙撃……

 そんな感じだろう。 余計な手間は掛けないのが、ヤツのやり方だ。


 コリンズが言った。

「 その逃走犯が、私を狙っているのですか? 」

「 ああ。 ヤツの自宅からの押収品に、君の名前を記したメモが見つかっている 」

「 …… 」

 無言で視線を下げる、コリンズ。

 キャンベルは、カップを手にしながら言った。

「 安心しなさい。 私が、君を守る 」

 コリンズは顔を上げ、キャンベルを見た。

 もの言いたげな、憂いのある表情…

 キャンベルは、コリンズの表情に、愛おしさを感じた。


( 本当に俺は、どうかしちまったのか? 相手は、機械だぞ )


 では何故、自分は、ここにいるのか。

 ただの機械の行く末など、どうだっていいはずだ。 だが、その『 機械 』の事が気になり、自分は、ここに来ている… せっかくの休暇だと言うのに、しかも、この陰気な雨の中を、だ。

( なるようにしか、ならんか… )

 自分でも、良く分からない心情・行動だ。

 出口の無い迷路に入り込んだのは、自分の意志からだったように思える。 それは一体、何を意味するのか。

( 分からないものは、分からない )

 本音だ。

 とにかく、ここへ来た。


 どうやら、キャンベルの『 設定 』は、コリンズには理解出来たようだ。

 …だが、自身に迫る危機に対する不安感よりも、コリンズの表情からは、どことなく『 落胆 』の雰囲気を、感じ取る事が出来る。 期待していたものが、手に入らなかった… そんな表情だ。 それは、ハッキリとではなく、どことなく、である。

 どうして、そんな表情を見せるのか……? だが、真意を見い出すのには、時間が無い。


( この後、どうすればいい…? )


 考えてみれば、全く、無計画な発言である。 正直、自分でも信じられないくらい、と表現しても間違いないだろう。 こんな行き当たりばったりな発言は、キャンベルには珍しかった。


 何が、そうさせたのか?


 おそらく、答えは無い。 今もって、自分の発言に驚いているくらいだからだ。

 ( しかし、次なる指示を出さなくては、整合性が無いな )

 キャンベルは言った。

「 ヤツが、君を狙っているとは言え、その確証は無い。 狙われる確率が非常に高い、と言う事だけだ 」

 じっと、キャンベルを見つめる、コリンズ。

 キャンベルは続けた。

「 従って、身柄を保護しての、24時間警護は出来ない。 通勤の間の監視は可能だが、それ以外は、君自身で注意して生活してもらうのみだ 」


 …本当は、監視すら出来ない。

 休暇中の今なら、2~3日の警護は可能だろうが、その後は、どうする…?

 

 自問自答する、キャンベル。

 自身が発案した設定だが、いささか、焦り過ぎたようだ。 かなりの無理が生じて来ている……

 キャンベルは、苦慮した。

 すると、じっとキャンベルを見つめていたコリンズが、静かに言った。

「 …私を、気を掛けて頂いていたのは、そのような理由からだったのですね… 」

 コリンズの発言からは、完全なる落胆の気持ちが感じられた。

 溜め息をつき、視線を落とすコリンズ。

「 …… 」

 何か、おかしい…

 明らかにコリンズは、自分が予想していたもの… いや、期待していたもに対し、非常に落胆している。

 何を、そんなに期待していたのか……?

 キャンベルには、その主旨は、理解出来なかった。

 意を決したように、コリンズは顔を上げ、キャンベルに告げた。

 

「 私、キャンベル様を、お慕い申し上げております… 」


 一瞬、キャンベルは、コリンズが何を言っているのかが分からず、狐に抓まれたように、ポカンとした表情でコリンズを見つめた。


「 …… 」


 告白された、と気付くまでに、何秒も掛かった。

 キャンベルは、大きく目を開け、驚きの表情をした。

 じっと、キャンベルを見つめるコリンズ。

 

 …冗談ではないようだ。

 そう… 真剣な眼差しが、そこにある。


「 …えっと、その… 私は… 」

 しどろもどろの返答になる、キャンベル。

 まさかの展開だ。 加えて、キャンベルには、女性との交友経験が無い。

 思ってもみなかったコリンズの発言は、キャンベルの動揺を加速させるに、充分なインパクトがあった。

「 コリンズ… 君は… 」


 その時…!


 入口のガラス扉を開け、1人の男が現れた。

 チャコール・グレーのスーツに、淡いベージュのレインコートを着込み、雨除けに被ったと思われる年季の入った、よれよれのブーニーハットを目深に被っている。

 雨のしたたるハット越しには、陰気な表情の目が、キャンベルを捉えていた。


( ベイツ…! )


 間違いない。

 背格好といい、雰囲気といい… あの、ベイツに間違いない…!


 男は、しばらくキャンベルを見つめていたが、視線を外すと、近くに展示してあったパネルの方を向き、写真を眺めはじめた。


 …写真を見ている雰囲気は無い。 明らかに、次の一手を思案しているようである。


 コリンズを狙って訪れたが、そこには何と、キャンベルがいた…

 そんなところだろう。


 キャンベルもまた、思案した。

 声を掛けた方が良いのか、気が付かないフリをしていた方が良いのか…


 互い、次の言動を探りつつ、気まずい時間だけが過ぎて行った。

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