第8話、『 フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン 』

「 失礼致します 」

 キャンベルに小さく会釈をし、男に近付くコリンズ。

( …まさか、俺がいる前で、いきなり発砲はしないだろう )

 そう読んだキャンベルは、じっとコリンズを見守った。


「 いらっしゃいませ。 ごゆっくりと、ご鑑賞下さい 」

 にこやかな笑顔を作り、その男の背中越しに挨拶をするコリンズ。

 男は少し振り向き、無言で、小さく頷いた。


 両手を、ポケットに突っ込んでいるレインコート… その中では、サイレンサー付きの拳銃が握りしめられているのだろうか……


 男は、少し横に動き、次の展示写真パネルを見入った。

 だが、やはり写真に興味を持っている感じは、微塵も見受けられない。 じっと、ある1点を凝視し、明らかに心境を、他に彷徨わせているようである。

 コリンズは、業務義務を遂行するが如く、その男の、やや後ろに、両手を前に組んで控えている。

( 出来れば、その男から離れて欲しい…! )

 危なかしくて、見ていられない。 レインコートのポケットの中で握られていると思われる拳銃は、何時、火を噴くか分からないのだ。

 意を決し、キャンベルは言った。

「 ジェニファーさん、ちょっと聞きたいんだが… いいかね? 」

 聴き慣れない名前に、コリンズは怪訝な表情をして、キャンベルを振り向いた。 男の頭も、少し動き、キャンベルの方を振り向こうとする。

 コリンズにウインクをして、右手の人差し指を小さく動かし、こちらに来るよう、ジェスチャーをするキャンベル。

( この機転が、理解出来るか…? )


「 …あ、はい 」


 はたしてコリンズは、キャンベルの『 芝居 』に気付いたのか、戸惑いながらも小さく返事をし、キャンベルの方へ歩み寄って来た。

 戸惑ったのは、男も同様だった。 少し、頭をキャンベルの方へ向け、動向を探っているようだ。


 コリンズ、と言うアンドロイドをターゲットに来たのに、名前は『 ジェニファー 』。

 情報が、錯綜していたのか……?


 男の背中からは、そんな心境が窺い知れる。

( ヤツの性格からして、少しでも疑問があれば、業務遂行はしないはずだ。 さて、どう出る? )

キャンベルの、咄嗟の賭けだった。


 はたして男は、両手をレインコートのポケットに入れたまま、徐に動き、入り口の方へと向かった。 ガラス扉を左肩で押し、一瞬、キャンベルの方を振り向く様な仕草を見せたが、そのまま、降り続く雨の中へと消えて行った。


 …大きな、ため息をつくキャンベル。

( まずは、危機を回避出来たようだ… )

 座っていたソファーの背もたれに、全身を投げ出すかのように、もたれた。

 男が出て行った、入り口のガラス扉に目をやり、コリンズは言った。

「 キャンベル様… もしかして、あの男性が、脱走犯なのですか…? 」

 ジャケットの内ポケットから煙草を出すと、1本に火を付け、キャンベルは答えた。

「 ああ… 多分ね 」

 ふうっと煙を出し、キャンベルは続けた。

「 確信が無かったので、職質が出来なかった。 だが、違う名前を言って君を呼び掛けたら、案の定、戸惑い始めたな。 …おそらく、出直して来るつもりだろう 」

「 あの男性が…! 」

 煙草をふかしながら左手を額にやり、こめかみ辺りを触りながら、キャンベルは言った。

「 ハットを目深に被っていたから、顔は、良く分からなかったと思う。 だが、あの背恰好は、特徴的だ。 よく覚えておいてくれ 」

「 …… 」

 不安げな表情のコリンズ。

 キャンベルは、吸いかけの煙草を灰皿に置くと立ち上がった。 コリンズの方へ行き、右手を彼女の左肩に置く。

 動揺する彼女を、落ち着かせるが如く、静かに言った。

「 この展示場は、外の歩道から、良く見える。 人の目が多い場所は、安全だ。 奴も、来てみて分かっただろうが… ここでは、何も事は起こせないだろう 」

「 有難う存じます、キャンベル様…! 咄嗟の、ご判断お陰で… 危険を回避する事が出来たようです 」

 キャンベルを見上げるコリンズの目は、かすかに震えていた。

 思わず、抱きしめたくなるような衝動に駆られる、キャンベル。

( 俺は、完全に、どうかしちまったのだろうか? 相手は、機械だと言うのに…! )

 キャンベルは、苦笑いを返しながら、コリンズの肩の上に置いた右手を離した。

 ソファーに戻りながら、現状把握をする。

( …さて、参ったな。 どうやって事情を説明する…? )

 ベイツは、指令書を再確認し、コリンズの顔写真も見直す事だろう。 結果、接触しようとした対象者は、間違いなくコリンズである事を確認するはずだ。

 となれば、キャンベルの言動の整合性を疑うのは、必須である。 警務局 本部にも、キャンベルの言動は報告される事だろう…


( 万事休す、か )


 現在のところ、コリンズの身元を詐称しようとした、と思われる言動遂行の疑惑を、完全に払拭させる手立ては無いと思われる。

 事態は、思いの他、まずい方向へと向かっているようだ…!

( どう考えても、ミス・勘違いなんかで済まされる状況じゃないな )

 職務妨害・訓告程度で済めば、まだ良い方だ。 ヘタをすれば、免職処分である。 現段階では、その確率が、非常に高い。


『 私は、警務局 生活安全課の者だ 』


 たった一言が、在らぬ方向へと、事態を進めてしまったようだ。

( 身辺警護を申し出たところまでで止めておけば、まだ良かったか… )

『 後悔、先に立たず 』である。

 コリンズを守るに、どうしても信憑性ある状況にて、納得をさせたかった… その心境が、刑事としての発言・提案と言うカタチに相成ったのである。


 ソファーに座り、無言で考えを巡らせているキャンベルに、コリンズは言った。

「 私の為に、申し訳ありません… 」

 キャンベルが悩んでいる本当の理由を、コリンズは知らない。

( このまま、なるようにしてみるか… )

 どちらかと言えば『 堅物 』のキャンベルにとって、自分でも驚くほど『 ファジー 』な発案だ。

 キャンベルは、灰皿の上で燃え尽きていた煙草を手に取り、改めてもみ消しながら、静かに言った。

「 今日・明日の2日間、君を警護する 」

 休暇が、明日で終了、と言う事は無いだろう。 緊急を要する案件が入り、呼び出しを受ける可能性はあるだろうが、ダクの言い方では、まとまった休みをキャンベルに取らせたいようだった。 ならば、明日・明後日くらいなら、自由な時間はありそうである。

( その間に、対策を練るか… )

 キャンベルは、ソファーの背もたれに体を預け、腕組みをすると、続けた。

「 ヤツの性格からして、ボディーガードの存在を察知すれば、ターゲットを変更するかもしれない。 ヤツにとって、次の標的が、君でなければならない理由は無いんだ 」

 この設定ならば、コリンズは疑う余地なく、理解をする事だろう。

 はたして、コリンズは言った。

「 有難う存じます。 何と言って、お礼を申し上げたら良いか… 」

 両手を前に組み、深々と、頭を下げるコリンズ。

 とりあえず、コリンズに対しての整合性は取れた。 あとは、ベイツの方だ…

( おそらく、彼女の自宅へも来るだろう。 だが、このギャラリーへは、しばらく来ないかもしれないな )

 ギャラリーに勤務しているのは、コリンズに間違いないが、ギャラリー内にいるのは『 ジェニファー 』である可能性は、ゼロではないのだ。

 コリンズは、何らかの理由で不在であり、留守を預かっているのがジェニファーだとしたら……

 ベイツは、そこまで想像を巡らせている事だろう。 そういう、男なのだ。

( 知人のジェニファーは、偶然ながら、コリンズに面影が似ていた…… そんな想像すら、ヤツだったらするだろうな )

 コリンズの友好関係を調べるには、かなりの時間が掛かるはずである。 まあ、アンドロイドのコリンズの事だ、警務局のマザー・コンピュータ『 ソエル 』のデータを閲覧すれば、克明に解明出来るとは思うが、それでも、それなりの時間は掛かる事だろう。

( その間に、何か、決定的な打開策を検討しなくては… )

 キャンベルは、再び煙草を出すと火を付け、言った。

「 ここのギャラリーでの勤務は、通常通りしていてくれ。 ただ、アフターファイブは、長くなりそうだ。 帰宅は遠慮して頂き、シティホテルにでもチェック・インしてもらうしかないな 」

「 はい 」

 素直に答える、コリンズ。

 キャンベルは『 状況設定 』宜しく、説明を続けた。

「 局内の施設で、宿泊してもらっても構わないんだが… 民意に反映してか、局内は、意外とオープンでね。 外部の人間でも、ある程度、自由に出入りが出来る。 警護すべき人物を収容するには、少々、危ないんだ 」

 頷く、コリンズ。

 局内に連れて入っては、コリンズの身元詐称行為が、局内に知られてしまう… また、キャンベルに対しての追及も、避ける事は出来ない。 たちまち、拘束される事だろう。


 キャンベルは、しずかに煙草の煙を、くゆらせた。





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