第12話、『 マイ・フェイバリット・シングス 』

 濡れたレインコートのポケットから、右手を引き抜こうとするベイツ。 おそらく、その右手には拳銃が握られているはずだ。

 カウンターの中にいたコリンズが、入館して来たベイツに気付き、手にしていたメッセージカードをカウンターに置くと、笑顔を作りながら言った。

「 申し訳ありません。 本日はもう、閉館時間となりました 」


 淡い、ベージュ色のレインコート。 使い古したブーニーハット…


 コリンズは、警戒すべき人物である事に気付いたのか、笑顔を消しつつも、続けた。

「 明日、また… ご来場を… 」

コリンズを見据えながら、雫がしたたるハットの先越しに、冷たい眼光を光らせるベイツ。

「 ジュリア・コリンズだな…? 」

 しゃがれ声に、思わず即答しそうになりながらも、コリンズはキャンベルの『 設定 』を思い出し、怪訝な表情で答えた。

「 …いえ、私はジェニファーですが… 」

 少し、ピクリとしながらも、更に鋭い視線でコリンズを見据えながらベイツは言った。

「 良い教育をされているようだな。 教官は、誰だ? 」

 レインコートのポケットから、隠されていた右手を出すベイツ。

 …短身、3インチのリボルバー… 357マグナムが、鈍く、冷たく光る。

 凶器を見とがめたコリンズの表情が、みるみると、恐怖を訴える表情に変わった。


「 やめろ、ベイツ! 」


 ガラスドアを押し開け、ギャラリーに入って来たキャンベル。

 ベイツは、振り向きざま、突入して来た標的に対し、瞬時にリボルバーの照準を当てた。 両手で357マグナムを構え、中腰の姿勢を取る。

「 …キャンベル! 」

 また、お前か…! と、言うような表情のベイツ。 コリンズの方に、一瞬、視線を泳がせたが、照準を合わせているキャンベルを見据え直し、ゆっくりと後退する。 視界にコリンズを入れると、その照準をキャンベルの額に合わせ、静かに言った。

「 今日は、よく会うな… 非番じゃなかったのか? お前 」

 無言のキャンベル。


 同じ警務局の者に、銃の照準を向けていると言う、事実。 それは、何を意味するか…


 キャンベルを信用していない、と言う事だ。 少なくともベイツは、キャンベルを味方だとは思っていない。

 コリンズをジェニファーと偽らせ、ベイツの業務遂行を攪乱した事実を把握しているのだろう。 おそらく、コリンズを『 処理 』した後は、説明を求められ、次第によっては、逮捕・拘束の事態も考えられる…


 キャンベルは、右手をゆっくりと上げつつも、左手でベイツを牽制するかのように、宙を彷徨わせながら、静かに言った。

「 …ベイツ、落ち着け。 これには訳がある 」

 キャンベルは、発言してから後悔した。 一体、どんな言い訳をすれば、良いと言うのか…

 はたして、ベイツは言った。

「 …訳は、要らん。 俺の任務は、78号を回収する事だ 」

 全く持って、落ち着いた回答である。 そう… 落ち着いていないのは、キャンベルの方だった。

 357マグナムの照準をキャンベルの額に当てたまま、ベイツは、静かに続けた。

「 お前が、この78号に、興味を抱くのは勝手だ。 だが俺は、俺の任務を遂行させてもらう。 邪魔立ては、認めん…! 」

 筋書では、ベイツは、コリンズを狙う連続殺人鬼となっている… 今の、ベイツの発言は、コリンズにとって理解し難い内容だったと思われる。

( まずいな…! )

 一刻も早く、コリンズからベイツを引き離さなくてはならない。 これ以上のベイツの発言は、収拾がつかなくなる恐れがある。

「 ベイツ、聞いてくれ… 」

 間合いの時間を稼ごうと、キャンベルは話し掛けてみた。

 だが、次の瞬間、ベイツは、両手で構えたままの357の照準を、コリンズに向けた…!

「 やめろ、ベイツ! 」


『 バンッ! 』


 太い銃声が、ギャラリー内に響いた。

 棚引く薄い煙と、硝煙の香り…


「 …キ、キャンベル様ッ…! 」

 コリンズが叫んだ。

 ベイツとの間に、コリンズを匿うかのように、キャンベルがいた。 ベイツが、トリガーを引く瞬間、キャンベルがその間に立ち入ったのだ。

「 ぬう…! キャンベル! 」

 357マグナムを両手で構えたまま、右耳の横で、銃口のみ天井に向ける、ベイツ。

 

 キャンベルは、右肩を撃たれていた。 右鎖骨の上辺りのシャツが、血で赤く染まっている。

 左手で傷口を押さえ、キャンベルは言った。

「 …待て、ベイツ! しばらく、待ってくれ…! 」

 激痛に耐えつつ、右膝を床に突く。 そのまま少し、コリンズの方に体を傾けた。

「 キャンベル様…! 」

 コリンズが、キャンベルの上半身を抱きかかえ、床に膝を突いた。

 ギャラリーの外でも、銃声は聞こえたと思われ、ウインドウ越しに歩道を歩く数人が、ギャラリー内を振り返っている。 コリンズが抱きかかえているキャンベルの姿を見とがめ、1人の女性が叫び声を上げた。

「 おいっ、人が撃たれているぞッ! 」

「 パトロールを呼べ! 」

 他の通行人たちも、ギャラリー内の異常に気付いたらしく、口々に騒ぎ出した。

「 ちっ…! 」

 短く舌打ちすると、ベイツは拳銃をコートのポケットに入れ、大胆にも、入り口のガラス戸を押し開けて、外に出た。

 更なる、女性の叫び声。

「 で、出て来たぞっ! 」

「 銃を持っている! 気を付けろッ! 」

 通行人たちは、及び腰となり、我先にギャラリーから離れ始めた。

 混乱に乗じて身をかわし、入り口脇にあった細い路地裏へ、風のように姿を晦ますベイツ。 この辺り、手慣れた素早い動きには、彼の『 ヒットマン 』としてのスペックを垣間見る事が出来る。


 暴漢が逃走を図り、ギャラリー内の安全は確保されたと認知した通行人たちが、ウインドウ越しに、中の様子をのぞき込む。

 キャンベルは、コリンズに抱きかかえられて床に横たわったまま、ジャケットの内ポケットから警務局の身分証を出し、群衆たちに見せながら言った。

「 警務局の者だ…! 潜入捜査中なので、あまり騒ぎにはしたくない 」

 コリンズの腕をほどき、上半身を起こすと、身分証を掲示したまま、続けた。

「 ケガは、軽傷だ。 すぐに救護班を呼ぶので、騒がす、そのまま立ち去って頂きたい…! 」

 咄嗟ではあるが、それなりに整合性のある状況設定に、通行人たちは納得したようである。 おもむろに顔を見合わせ、ギャラリーから離れ始めた。

 傍らにあったソファーに手を掛け、床から立ち上がるキャンベル。 激痛が走り、撃たれた右肩を押さえると、顔を歪めた。

「 大丈夫ですか、キャンベル様…! ソファーに座って下さい 」

 キャンベルの腕を支え、心配顔で言う、コリンズ。

 キャンベルは苦慮した。

( ケガの手当をしなくては。 だが、局や… 救護班には頼れない )

 むしろ、こうなってしまっては、局へは戻れまい。 自宅のアパートも…


( くそっ、再び、万事休す… か )


 キャンベルは、コリンズに言った。

「 すまない。 事態は、急を要するようだ。 救護班を待っている余裕は無い。 私は、ヤツの追跡を敢行する。 行先は、おおよその見当がつく 」

 不安顔のコリンズ。

 キャンベルは続けた。

「 今すぐ、どこかのシティホテルへ避難してくれ。 後で、ここへ連絡を 」

 胸ポケットからアクセスカードを出し、コリンズに渡す。 そこには、キャンベルの端末番号が印字してあった。

「 局の方では無く、一番下にある番号へ連絡してくれ。 私の、個人端末の番号だ 」

「 …わ… 分かりました 」

 受け取ったカードを両手で持ち、幾分、潤ませた目でキャンベルを見つめながら、コリンズは続けた。

「 そんなお体で、追跡業務など… 大丈夫なのですか? 」

 キャンベルは、無理に笑顔を作ると、答えた。

「 慣れている、大丈夫だ…! 」



 傷をコートで隠し、激痛に耐えながら歩道を歩く。

 脂汗が額を伝い、降り注ぐ酸性雨が、それら汗と一緒になり、頬を落ちて往く…

 青白い表情ながらも、鋭い眼光で前を見据えながら歩く、キャンベル。

 

 裏通りの角を曲がった、更に奥…

 路地裏に面した一角に、窓ガラスが割れた雑居ビルがあった。 古いアパートメントと簡易ランドリーに挟まれた、間口5mにも満たない、4階建ての廃ビルだ。 1階は、小さなバーだったのだろう。 暗がりの中に、埃が被った木製カウンターが見える。


 周りを見渡し、人影が無い事を確認すると、壊れて半開きのドアを押し、キャンベルは中に入った。

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