第11話、『 クレオパトラズ・ドリーム 』
心地良い、ボサノバ調の、スローなピアノ・バラード。
ほどなく、一転して、小気味良い4ビートに変わった。
グラスの音が軽く響く、静かな店内。
深く香る、上品なモルトの酔い……
キャンベルは、久方振りにリラックスしていた。
「 なあ… ベイツをどう思う? 」
質問してから、後悔した。 リラックスしたせいか、思わずデュークに尋ねてしまったキャンベル。
「 どう… とは? 」
予想した通りの、デュークの反応。
「 いや… 前から気になってな。 家族とか… いるんだろうか……? 」
キャンベルは、微妙に疑問の方向を変化させ、体裁を繕った。
逆に、デュークが聞いて来た。
「 何で、気になるんだ? 」
「 …… 」
グラスを片手に、眼下の景色を見つめ、とりあえず無言になるキャンベル。
デュークも窓の外を見やり、言った。
「 …ま、確かに、不思議なヤツだ 」
グラスを傾けつつ、続けた。
「 確か、家族はいない。 …ロスト・コーストの出身さ 」
ロスト・コースト…
下町と言うより、スラム街だ。
路上に、たむろする、ほとんどの者たちに住所は無い。 勿論、仕事も無い。
唯一、収入を得ると言えそうな術は、盗んで来た煙草を安酒に漬け、合成薬品で発酵させた『 コーク 』と呼ばれる即席麻薬を作り、路上で売る事ぐらいだろう。 ただ、その売り上げも微々たる金額だ。
身寄りの無い子供、捨て子、家出児童… 街を徘徊する未成年は、そのほとんどがアウトサイドな経緯を持っている。 当然、そんな青年たちは、成人しても就職口は無い。 したがって、誰しにも瞭然と分かる未来に対し、ほとんどの者が、少年のうちから犯罪に手を染める。
窃盗、強盗、恐喝、薬物製造・販売… そして、殺人。
( …… )
ベイツが、それら犯罪に手を染めていた証拠は、当然にして無い。
だが、あの特異なキャラクターは、普通の生活を過ごして来た者だとは到底、考え難い。
…そう。 ロスト・コースト出身と聞かされれば、それは納得が行くのだ。
「 あまり、人に言うなよ? プライベートな事だ。 ロストの出身であると言う事は、彼にとって、知られたくない事なのかもしれん 」
デュークの注進にキャンベルは、手にしていたグラスを見つめながら、小さく頷いた。
因果な職業とは言え、政府機関の一端である警務局…
ロスト・コースト出身の者が、そのポストに収まるには、並大抵の努力が要った事だろう。 そして、それ以外に誰かの推薦・機会があったものと推察される。
「 ヤツの方が、生きて往く為の術を知っているかもな… 」
悟ったかのように、静かに呟いたキャンベル。
夜景を見つめるデュークが、少し視線をキャンベルに向け、言った。
「 生きて行く為の、価値観を知り尽くしているのさ…… 」
窓を伝って行く幾筋もの酸性雨の雫を、キャンベルは、静かに見つめていた。
19時45分。
語る為の時間は、これからだとは思われるが、20時と言うコリンズとの約束がある。 キャンベルはデュークと別れ、ギャラリーへと急いだ。
別れ際、軽く手を上げて言ったデュークの注進が、キャンベルの脳裏に甦った。
「 余計な詮索はするな。 いいな? 」
肩に掛かる雨粒。
革靴の先を濡らす、雫…
( ベイツか…… )
おそらく、ベイツの事だけでなく、回収個体の事をも含んだ、大きな意味合いであると推察される。
…そう、業務遂行に『 情 』などは、必要ないのだ。
故障したと判断された機械を回収して来るだけ… ただ、それだけの事なのだ。
何の躊躇も要らない。
重々、分かってはいる事だ。 今まで、何度も自分に言い聞かせて来た事でもある。 レイも、同じような事を注進してくれていた。
だが、いつも割り切れない気持ちでいた、キャンベル。
( 事前調査も感情思考確認も、行動パターン調査も要らない… ベイツのように相手を確認した途端、有無を言わさず、額に向けて発砲すれば良い )
確かに、そうすれば何の感情も湧かない事だろう。
勿論、情も…
ただ、それでは、あまりに短絡的なのだ。
キャンベルは、因果な自身の業務に、己の見地と判断を下すと言う、人間的な行動を見い出したかったのである。
誇り高き、警務局の人間として……
( ただの、酔狂と思われるだけかもしれん )
それは、それで良い。
他人が、どう思おうと、自身の満足の方に、優先権はある。 少なくともキャンベルは、それで満足だった。
ベイツ本人に関して、デュークから聞かされた事実…
それについてキャンベルは、自身の胸に秘めておこうと、心に決めた。
まさに、プライベートな事であり、現在、問題無く職務を全うしている彼には、全く必要の無い情報である。
( 俺の… この、蔓延した憂鬱感を打開してくれる鍵のありかは、ヤツが知っているかもな )
案外、そうなのかもしれない。
今まで、立ち寄り難かった相手故に、じっくりと話をした事が無かった。
ベイツ…
もしかしたら、未知の考察力を駆使し、キャンベルが想像をもしなかった見地を見させてくれるのかもしれない。
トレンチコートの襟を両手で立て、足早に歩きながらキャンベルは思った。
( 今度、話し掛けてみるか )
ギャラリーでの接触の件もある。 話さずには、いられないシチュエーションだ。
ただ、偶然を装う為にも、局内で、普通に顔を合わせた時の方が良いだろう。 無理に探し出して会っては、整合性が取れない…
「 ! 」
キャンベルは、数メートル先に、見覚えのある淡いベージュ色のレインコートを発見した。 使い古したブーニーハットを被り、両手をコートの左右のポケットに入れて、向こう向きに、歩いて行く男だ。
( …ベイツ…! )
おそらく、間違いない。 ベイツだ。
だが… なぜ、こんな所を歩いているのか?
( 局に帰るのか? それとも… )
次の想像が、キャンベルの鼓動を早くした。
…再びギャラリーに戻り、コリンズを『 回収 』しに来たのかもしれない・・!
( あり得るな…! 『 ソエル 』とは、端末を通して確認したか… )
回収を急ぐ場合、それもあり得る事だ。 そもそも今回は、トラブル対応案件専門のベイツが出張って来ている。 通常よりも、事を急いでいると考える方が賢明だろう。 一旦、局に帰る… と考えていたキャンベルの判断が、甘かったと言えるのかもしれない。
( クソ、しまったな…! )
だが、まだ、ギャラリーに行くと決まった訳では無い。
キャンベルは、同じ方向に歩いて行くベイツの後ろを、そっと追った。
ストリートの角を廻り、路地へ入る。
幾筋かの小路を過ぎ、街路灯のある角を入るベイツ。
…ギャラリーの方へと、確実に歩を進めている。
雨筋とは別に、キャンベルの首筋を、冷や汗が伝って行く…!
( 嫌な予感がする…! 呼び止めるか? )
次第に、焦りが募り、急速に胸の鼓動が高まって行く。
はたして、ベイツは、キャンベルが危惧する場所… コリンズが勤務するギャラリーの玄関前に着いた。
ウインドウ越しに、中を窺うベイツ。
カウンターの中に、閉館準備をしているコリンズの姿が確認出来る。
( やめろ、ベイツ! 中に入るな…! )
心の中で叫びながら、ベイツとの距離を詰める、キャンベル。
ギャラリー前のステップに足を掛け、ベイツは、ガラスドアを左肩で押し開けると、室内に入った…!
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