第13話、『 ソウル・アイズ 』

 埃に曇ったガラス戸棚に、グラスやコップが並んでいる。

 打ち壊されたレジスターに、ソファー部が破れた木製のカウンター・チェアー…

 板張りが外れた壁には、小さな額に入れられた幾何学的な造作のリトグラフ版画が、幾分、斜めに傾いて掛けられていた。

 床は、古風な木製張りだ。 何年も放置されていたらしく、埃と砂にまみれてしまっている。


 キャンベルは、小さな床のしなり音と共に、店舗の奥へと入った。

 埃の被ったテーブルを押し除け、カウンターに寄り掛かる。 大きく息をつき、右肩を押さえていた左手で、額の汗を拭った。

「 …参ったな…! 」

 キャンベルは、小さく呟いた。

 問題は、これからどうするか、である。

 ( 局には戻れない。 自宅にも… それ以前に、この傷の手当てを、何とかしなくては )

 右肩の裂傷は、素人手当で済ませられる程度の傷では無い。 銃による損傷である事は一見しても分かるだけに、当然、シティの医局へは行けない。 町医者を頼っても、おそらく警務局へ通報される事だろう。 職務遂行中である旨の緊急事態を装っても、まずはIDカードの提示を求められ、その瞬間に、局に居場所を知られてしまう事となる…

( 今度こそ、万事休す… か )

 傷の痛みに表情を歪め、再び、左手で右肩を押さえるキャンベル。

 じっと、カウンターの木目を見つめた…

( このまま、コリンズからの電話を待ち、そのホテルへ逃げ込むか…? )

 状況的に、それは、かなりのリスクを負う事になりそうである。

 負傷の状況を隠し、何とか入室出来たとしても、どうやって傷の治療をするのか…?

 問題は、そこである。

 おそらく、救急医療品をコリンズが入手して来る事となろう。 それは可能だとしても、この傷が処置出来るような設備は、ホテル内には無い。

 大きく息をつき、天井を仰ぎ見るキャンベル。

「 闇医者を呼ぶか… 」

 職業柄、裏社会に精通しているキャンベル。

 訳あって、医師免許をはく奪されつつも、高額な報酬と引き換えに、高度な医療提供をしている『 闇医者 』を数人、キャンベルは知っている。 勿論、連絡先も…

 ただ、後々が『 怖い 』のだ。

 警務局勤務のキャンベルが、非合法で医療行為を依頼したとなると、闇医者は、その経緯を推察する事だろう。 結果、警務局に知られたら、非常にマズイのであろう、と理解する…

 つまり、今回の、違法医療行為を依頼した事実を基に、金品を要求して来る可能性が非常に高いのだ。 それは後日、キャンベルの立場… いや、警務局の信用失墜をも引き起こしかねない事態となり得る事であろう。

( だめだ…! それだけは、断じて許される事じゃない…! )

 因果な職業ではあるが、キャンベルにとって、その業務遂行の源となっているのは、警務局員としての誇りである。 その誇りを、自ら壊してしまうなどと言う事は、キャンベルにとっては耐え難い事だった。


 再びカウンターに視線を落とし、悲痛な表情で唇を噛む、キャンベル。

( ここは、何としても、この窮地を1人で処理しなくてはならない…! )

 だが、現状の窮地を打開する方法が考え付かない。

 それ以上に、最良の手順を見つける術も無い…


 カウンターの奥に、半開きの小さなドアがあるのが見える。 奥は、小部屋となっているようだ。

 キャンベルは、右肩を左手で押さえたまま、カウンター伝いに移動した。

「 …ゴホ… ゴホンッ…! 」

 少し、むせるキャンベル。

 足元に転がっていたウイスキーの空きビンに足を取られ、にわかによろめいた。 壁に左手を突き、少し呻く。

 左手で、負傷した右肩を押さえ、ドアを左肩で押した。


 2人掛けの小さなソファーに、スチール製の机と棚… どうやら、オーナーの事務室のようだ。

 何段もある、小さなトレイ棚や、開いたままのロッカー…

 段ボール箱に詰められた卓上ライトや事務用品に混じり、そこいら中に伝票らしき紙が散らばっている。

 

 再び、左手で額を拭ったキャンベル。

 埃の被った棚に、何枚かのタオルがあった。 一番上のタオルは捨て置き、2枚目のタオルを手に持つと、ソファーに倒れ掛かるように座り、コートを脱いだ。

「 …くそっ、傷が…! 」

 肩を動かすと、激痛が走る。

 キャンベルは激痛に耐えながらも、何とかコートを脱ぐと、タオルでシャツの上から右肩に当てた。

 出血は、思ったより酷いようだ。 タオルは、みるみるうちに赤く染まって行った。

「 止血をしなくては… 」

 左手を伸ばし、3枚目のタオルを取ると、キャンベルはシャツを脱いだ。

「 く…っ 」

 弾丸は、肩を貫通しているようだ。 脱いだシャツの背中側にも、小さな穴が血に染まって開いている。

 貫通しているのなら、弾丸を摘出する必要は無い。

 キャンベルは、新しいタオルを直接、傷口に当てた。 次の新しいタオルを持ち、背中側にも当てる。

「 …? 」

 背中側の傷口に、何か、異物の存在が感じられる。

「 何だ? 」

 裂けた皮膚の一部ではない。 何か、固い・・ 金属のような感触が、押さえているタオル越しに、指先に感じられる。

 タオルを取り、左手の指で直接、右肩の後ろを触った。


「 …… 」


 針金のような金属が、傷口から出ている。

 激痛が走り、これ以上は傷口を触っていられない。

 ドアの横の壁に、小さな鏡が貼ってある。

 キャンベルは、よろよろと立ち上がり、鏡の前に立った。

 手にしていたタオルで、その鏡の曇りを拭く。 痛みに耐えながら、キャンベルは体をよじり、右肩の後ろを鏡に映してみた。

 角度的に、しっかりとは見えないが、明らかに何か… 小さな針金のような金属が、身体から飛び出しているのが確認出来る。

「 何だ…? 金属プレートを埋め込むようなケガや… 手術をした記憶は、無いぞ? 」

 鏡を見つつ、身体をよじったまま、再び右肩越しに左手を伸ばし、その『 物体 』に触れるキャンベル。

 触る度に、激痛が走る。

 針金は、明らかに体内の骨格と接合しているようだ。

「 くそっ… よく分からんが、とにかく止血をしなくては… 」

 しかし、腕や足ならともかく、肩の裂傷である。 どこを止血すれば良いのか、キャンベルは処置方法に迷った。

 段々と、視界がぼやけて行く。 意識が、朦朧として来た。

「 …もう体が… 動かない… 」

 崩れるように、ソファーに倒れ込むキャンベル。

 荒い息と共に、顔をよじる。


「 ……! 」


 ドアの向こうに、人影があった。

 路地裏から、ゆっくりと室内に入って来る。

「 …… 」

 荒い息の中で、じっとその人影を見据えるキャンベル。

 逆光なので、その人物の風貌は良く分からない。 だが、影のシルエットから、スーツを着た男性のようである。

 

 ゆっくりと床をきしませ、店舗の中を進んで来る『 男 』…


 ドアの前で立ち止まると、その『 男 』はキャンベルの方を見据えた。 どうやらドアのこちら側にある小部屋に、キャンベルがいる事を認知しているようである。

「 …… 」

 無言のまま、『 彼 』を注視するキャンベル。

 やがて男は、ゆっくりと半開きのままのドアに手を掛け、静かに開けた。


 …路地裏のわずかな明るさで、おぼろげながら『 彼 』が確認出来る。

 ダークグレーのスーツ、短く刈り込んだ白髪交じりの髪、横長のスクエア・ノンフレームタイプの眼鏡…


「 …デューク! 」


 なぜ、デュークがここにいるのか……?

 人違いかもしれないと、キャンベルは思った。

 だが、間違いではなさそうである。 小さく名前を呼んだキャンベルに対し、無言で見据えている。

 はたして『 彼 』は、静かに言った。


「 …キャル 」


 キャンベルは、デュークの右手に気付いた。

 サイレンサー付きの、小型拳銃が握られている…!

「 ! 」

 目を疑う、キャンベル。

 次の瞬間、サイレンサーの銃口に小さな発光が認められた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る