第2話、『 我が心のジョージア 』

 朝だというのに、外は薄暗く、相変わらず雨が降り続いている。

 窓越しに見える街の風景は、やけに重苦しく、セピア色に映って見えた。


 築20年は経っていると思われる、10階建てのワンルームマンション…

 7階から見下ろす階下は、降り続く雨でぼんやりと煙って映る。

 あちこちの側溝から立ち昇る、白い蒸気……

 周りのビルの屋上からも、スチーム配管と思われるバルブの辺りから、何ヶ所か白い蒸気が立ち昇っている。


 …胸の中まで、曇って来てしまうような情景だ。


( 実際、カビだらけなのかもな… )

 昨夜の、ダクの言葉がキャンベルの頭の中を過ぎる。

( 極度の心労か…… )

 昨日は、部屋に戻ってベッドに横になり、そのまま眠ってしまったらしい。

 キャンベルは、保安課の制服の上着を脱ぐと、サイドテーブル脇にあったイスの背もたれに掛けた。


 キッチンへ行き、保温ポットを手にする。

 それを持って、再び窓の側に寄り、壁の作り棚からカップを取る。

 ポットの中のコーヒーを注ぎながら、キャンベルは呟いた。


「 どうやって、リフレッシュしろってんだ…… 」


 ポットを、サイドテーブルに置く。

 保安課の制服の右腕に縫い付けられている警務局のエンブレムが目に映った。

 キャンベルは、カップを口に運びながら、そのエンブレムを左手の指先でなぞった。

 上着の襟には、保安警部である事を示す金色の階級章が付いている。 誇らしげなデザインのエンブレムではあるが、誰も気に留める事はない。


 他に仕事も無く、何の技術も持たない凡人だから警務局に拾ってもらっている…


 人は、そう思う事だろう。

 まあ、事実なのだから仕方がない。 学校の成績がパッとしなかったヤツは、たいてい警務局員になる。


 キャンベルの視線は、そのまま、サイドテーブルの上に立て掛けてあった古いフォトフレームに移った。

 幼い男の子が、母親らしき女性と一緒に写っている。 後ろは、1戸建ての玄関のようだ。 ポーチの先には、手入れされた芝生が写り込んでいる。

 フォトフレームを手に取り、キャンベルは再び、カップを口に運んだ。

「 生きていれば… もう、65か…… 」

 フォトフレームを、サイドテーブルの上に戻す。

 その脇にもフォトフレームがあり、気難しそうな表情をした中年男性のポートレート写真が、やや傾いて入っていた。

 立ち登るコーヒーの湯気越に、その中年男性の顔を眺め、キャンベルは小さく言った。


「 マジメな仕事に就いているよ、親父…… 」


 50歳を前にして、キャンベルの父親は病死した。

 生前、よくキャンベルを諭していた言葉が、『 コツコツと努力し、真面目に働け 』である。

 母親は、キャンベルが7歳の時に、やはり病気で亡くなった。

 写真は、幼年期の頃に住んでいたクレルメント州 ジョージア・フィレッツバーグの自宅玄関前である。


 大学で講師をしていた父親は、よく転勤し、その都度に自宅を変えた。

 母親が健在だった頃のジョージア・フィレッツバーグの記憶が、キャンベルは一番、気に入っていた。

「 よく、アイスキャンディーを買ってもらったよな… 」

 キャンベルの記憶には、母親の顔は、若いままで永遠に止まっていた。

 …もう、35年も前の記憶である。


 再び、カップのコーヒーを口に含む。

 ほろ苦いテイストは、そのままキャンベルの心情を表しているかのようだ。


 ズボンのポケットに入れていた携帯が、けたたましく鳴った。

 着信を確認したキャンベルが、ため息をつきながら応答に出る。

「 バカンスは終了か? たった数時間とは、やってくれるじゃないか 」

『 召集じゃねえ。 少々、聞きたい事があってな 』

 マイクから聞こえるダクの声を聞きながら、キャンベルはカップを口に運んだ。

『 昨日、報告のあった26号だが、どんな抵抗をした? 』

「 いきなり、殴り掛かって来たよ 」

 カップを片手に、窓の側へ行くキャンベル。 降り続く雨の風景を眺めながら続けた。

「 俺は、警務局の人間だとは、何も言っていない。 押し入り強盗の類とカン違いしたのかもしれんが、いきなり初対面の者に危害を加える行動など、無抵抗型のBシリーズには、有り得ん行動だ 」

『 う~む…… 実は今日、レイからも報告があってな。 B63型の高校教師を回収したんだが、やはり抵抗したそうだ。 何と、拳銃を所持していやがったんだ 』

「 拳銃だと? レイは、大丈夫だったのか? 」

『 脇腹を撃たれて、入院中だ。 命に、別状は無い 』

「 …… 」

 キャンベルの脳裏に、太ったレイの下腹が過ぎった。

 カップに残ったコーヒーを飲み干し、キャンベルは言った。

「 ヤツの方が、バカンスになったようだな 」

『 乾いた白いシーツと、可愛い女性看護士付きのな 』

「 どうせ、アンドロイドだろ 」

 資料の紙をまさぐる音が、携帯のマイクを通して聞こえる。

 ダクは言った。

『 お前の言う通り、Bシリーズは、このところ異常報告続きだ。 監察課からのチェック・リポートも、圧倒的にBシリーズが多い 』

「 同じ自己変革型でも、もっと古いRBタイプの方は、何ともないんだ。 使用期間ではなく、シリーズとしてのプロパティに問題があるんじゃないのか? 」

 カップを窓際に置き、イスの背もたれに掛けてあった制服の胸ポケットからタバコを出して口にくわえる。

 ダクは言った。

『 まあ、センターにも報告しておくが… 管理局からも、Bシリーズの回収には充分に気を付けるよう、通達が来ている。 78号も、B63型だ。 気を付けろよ? 』

「 分かった。 来週からでいいか? 」

『 ああ、構わない。 ゆっくり養生しろ 』

 携帯を切り、サイドテーブルの上に置く。

 キャンベルは小さなため息をつくと、雫の付いた窓の外の景色に目をやった。


 端末に送られて来たデータによると、78号はクリエイターのようだ。 大手の広告代理店と契約をしているフリーのアートディレクターで、業界では結構、名が通っているらしい。 昨年、マイアミ・シティーであった国際デザイン博覧会でも、環境部門でのイベントを手掛けている。

 プリントアウトした用紙を制服の胸ポケットから出し、目を通し直す。

( ジュリア・コリンズ、32歳。 女性か…… )

 現在、42歳のキャンベル。 年下の異性は少々、苦手としている。 会話が続かないのだ。 もっとも、『 機械 』相手に、苦手もなにも無いのだが……

( 職業も、俺の『 管轄外 』だな。 生活そのものが、俺の住む環境とは、違い過ぎる )

 どちらかと言えば、貧困階級層の生活に近い暮らしをして来たキャンベルにとって、一流企業や政治絡みの類に属する者たちの思考は、イマイチ理解出来ない。 デザインやアートの世界などに至っては、まさに『 異世界 』である。

 また、ため息をつくキャンベル。

 窓越しに、どんよりと鉛色に曇った空を見上げた。

( 子どもの頃は… 親父に連れられ、よく絵画展に行ったな )


 大学の講師をしていた父親は、学校関係者とのつながりから、よく美術展などへ出掛けていた。 息子であるキャンベルにも興味を持って欲しかったのか、幼い頃は、よく連れて出掛けていたが、キャンベルに興味が無いと判った中等教育時代には、1人で出掛けるようになっていた。


( 今、思えば、無理してでも行けば良かったな。 親父との会話の記憶が、あまり無い )

 おそらく、どこの家庭でも似たような経緯がある事だろう。 父と息子の会話など、そんなものである。

 父親の背中を見て、息子は育つのだ。


 いつの間にか、階下に移っていた視線を上げ、キャンベルは再び、雨空を見上げた。

「 親父…… 」

 小さく呟く、キャンベル。

 鉛色の空からは、絶え間なく酸性雨が降り注ぎ、キャンベルの部屋の小窓を濡らしていた。

 再び、キャンベルは呟いた。


「 …そう、真面目な仕事さ 」

 

 ある意味での、諦めの境地。

 キャンベルは、窓越しに雨空を見上げ、寂しそうに微笑んだ。



 繁華街のネオンが、降りしきる雨に煙っている。

 摩天楼の如く輝く光のオブジェは、どことなく無機質で、その瞬く派手な彩りから、尚更に虚しさを感じる。


 光の装飾に、人々が雨を避けるように吸い込まれて行く。 キャンベルもまた、他の人々と同じように、光の中へと入って行った。


( 結局、ダクの電話の後、また寝て… 目が覚めたら夕方だったな )

 せっかくの休暇を無駄に過ごしてしまい、嫌悪感がキャンベルの心情を支配する。

 だが、休日の過ごし方など、忘れたに等しい。

 さしたる趣味も無ければ、同僚以外の人間に友人と呼べる者はいないのだ。 余暇を持て余したとて、それを有意義に消化する術が無い。


 …結局、仕事をする事になるのだ。


( 何か、趣味を持った方が良いのかな? )

 父親の影響もあってか、幼い頃は、絵を書く事に興味があった。 だが、それも自我が確立されるに従い、次第に興味は薄らいでいった。

 働くようになってからは、仕事以外の事を、何ひとつした事が無い。

 キャンベルは、また小さなため息をついた。


『 上流階級の者たちなど、どうでも良いのだ! 日々、過酷な労働に耐えている人々が、満足する夕食を家族と共に出来ないで、何が理想社会か! 』

 雑居ビル脇に設置された街頭モニターで、例の、民自党の幹事長が演説している。

 ここにも、数人の『 見物者 』たちがいた。

 だが昨晩、街角で見かけた視聴者たちよりは、多少にマトモな服装をしている。 繁華街に出向く事が出来る者は、それなりに生活に余裕がある者たちだ。

 歩道には大きなアーケードが設置され、ここでは雨に打たれる事はない。

 視聴者たちは皆、冗談などを交し合い、余裕のある表情でモニターを見上げていた。

( 家族のいない俺は、理想社会すら語れない、ってか? )

 嫉妬心にも似た、妙な心境に、自分自身で嫌になる。

 キャンベルは、また、小さなため息をつくと、とあるビルの前で歩みを止めた。


「 ここか… 」

 派手なイルミネーションが瞬く街の一角。

 喧騒とは一線を画するかのように、黒と薄いブルーグレーでカラー統一された洒落た造りのビルだ。

 大理石であろうか、艶のある白い床が、大きなウインドウ越しに見える。 ビル内の照明の明るさは、幾分、落としてあるようだ。 落ち着いた、シックな感じを受ける。

 ウインドウに近寄り、キャンベルは室内を見渡した。


『 ニール・デコ 写真展 喧騒と煌きの世界 』


 ウインドウの上には、そんな見出しが張り出してあった。

( 写真展か… )

 ウインドウ越しに見える室内は、何枚かのパーティーションで仕切られており、パネル張りされたモノクロ写真が、所狭しと掛けて展示してある。

 奥に見える正面の壁には、B2ほどの大きさに引き伸ばされた女性のポートレート写真が掛けてあり、小さなライトが当てられていた。


 艶かしい素肌に、大きく胸元を開けたワンピースドレス。 憂いを秘めた視線と、少し開けられたルージュから見える白い前歯…


 CMなどでよく見かける、若者に人気のあるタレントのポートレートだ。


 開け放たれたガラス製のドアの向こうに、受付らしきテーブルがあった。

 黒いカットソーに、同じ黒のフレアスカートを穿いた女性が、コメントカードに何か書き込んでいる。

( 入場は無料のようだな )

 キャンベルはジャケットの襟を正すと、開け放たれたドアを入った。

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