第3話、『 ワルツ・フォー・デビー 』
「 いらっしゃいませ 」
キャンベルに気付いた女性が、にこやかに挨拶をした。
「 少し、見せてもらってもいいかな? 」
濃紺のスラックスに、スタンドカラーの白いシャツ。
ベージュのジャケットを羽織ったキャンベルの出で立ちは、中流層の小粋な中年男性、という設定を演出していた。
室内を軽く指差して言ったキャンベルに、女性は笑顔で答える。
「 どうぞ、どうぞ。 ご自由に、ご覧になって下さい 」
「 有難う。 写真が好きでね 」
会釈をし、会場に入ったキャンベル。 女性が言った。
「 まあ。 素敵なご趣味をお持ちなんですね 」
コメントカードに書き込んでいたペンを置き、女性は、受付から出て来た。
黒のカットソーから伸びる、しなやかで色白な腕。 同じ、黒のボトムに合わせたらしき、艶やかな黒のエナメル・パンプスを履いた足先からは、小気味良い、小さな乾いた足音が聞こえた。 肩下辺りまである、ブロンドのワンレングスの髪を、左から分け、右耳の上でピン止めしている。
知的なルックスからは、品位も感じ取る事が出来た。
キャンベルは、後ろ手に組み、パーティーションに掛けてあるパネル張りの写真に目を向けつつ、ゆっくりとした足取りで歩く。
呟くように、静かにキャンベルは言った。
「 写真なんて古風な趣味、最近はもう、誰もやらないからね。 フィルムを扱う店も、随分と減ったな 」
両腕を前に組み、キャンベルに近寄りながら、彼女は答えた。
「 良い店を、ご紹介致しましょうか? サウス・ストリートの2番街に、スタジオを構えた専門店がございます 」
「 ありがとう。 何とか、馴染みの店でやってもらっている。 店主が労咳で、店頭に立てなくなったら、紹介してもらおうかな 」
「 いつでも、ご相談下さい 」
にこやかな笑顔で応える、彼女。
( 応対会話には、何も、不審点はないな )
実は、この女性が、次なる回収対象者の『 78号 』である。
まずは、日常の行動を探る。
この時点で明らかに異常が認められた場合は、即、回収行動に移るのだが、大抵の場合、あまり不具合を感じることは無い。
( やはり、保安課の制服を着てきた方が良かったかもな… 反応が見てみたい )
わずかではあるが、『 バカンス 』としての時間を、キャンベルは楽しみたかった。
5時定時で仕事を終わらせ、こざっぱりとした服に着替えて、優雅に写真展・絵画展を鑑賞する…
そんな生活に、偽りでも良いから、身を置いてみたかったのである。
キャンベルは、更に演出を掛け、悠長な口調で言った。
「 ニール・デコは、コントラストの使い方が独特で、僕は好きだな。 シャッタースピードより、絞りを優先しているから、被写体深度にも違和感が無い 」
実際、写真に多少の興味を持っていたキャンベル。 専門的な口上には、ライフワークとして写真を撮っている者と言う演出に、信憑性が感じられた。
女性は、キャンベルに興味を持ったらしく、嬉しそうな表情をすると答えた。
「 まあ、有難うございます。 その通りですわ 」
近くにあった街角の風景写真を指差すと、続けた。
「 この… 手前にある群像の深度感覚などは、マニュアルでないと出せないと思います。 シャッター優先のオートですと、どうしても奥行き感が曖昧になってしまいますし 」
「 同感だね。 奥行き感を操作する技術は、写真には絶対に必要不可欠だ。 画像は動画と違い、動かないからね 」
( さて、どう答える? 感情思考も確認しなくては… 行動が先に出れば、プリセットパターン異常だ )
彼女は答えた。
「 お詳しいのですね…! 最近は、写真に興味を持たれる方が少なくなりましたので、この個展も、開催が危ぶまれておりました。 でも、あなた様のような方がいらっしゃる限り、私もアーティストたちの支えとなって、これからも活動を続けて参りたいと思います 」
キャンベルを前に、両腕を前に組み、品位を保っている。
( 言語状況にも、特別な異常は認められない、か…… )
単なる会話ではなく、自分の指針を考察した未来的内容を語っている。 態度も冷静だ。
キャンベルは、彼女が首から掛けているスタッフ証を見ながら言った。
「 君が、ディレクターのミス・コリンズさんか。 マイアミ・シティーであった国際デザイン博のコンセプション・スピーチ… 感動したよ。 一般出身者の中では、環境部門で唯一、賞を取れたね 」
少し頬を紅潮させ、彼女は答えた。
「 まあ、有難うございます…! 国際デザイン博は、私にとって初めての大きな公共イベントでして… 沢山の方のご協力も頂け、良い仕事をする事が出来ました。 機会に巡り会えた事に感謝しております 」
至って冷静に応答している。 感情は多少、高ぶっているように見えるが、口調に変化は無い。
( 行動異常も、無さそうだな )
だが、確かに回収指示は出ている……
キャンベルは迷った。 以前、情報に誤りがあり、正常な個体を回収してしまった経緯もある。
( しばらく様子を見るとするか… )
事前調査は任意だ。 せっかくの休暇を、全て仕事に費やしてしまう必要は無い。 個人的にもキャンベルは、この個展をプライベートで見てみたくなった。
「 ニール・デコ、お得意の街角風景は、あっちのブースかな? 」
奥のパーティーションに向かって、ゆっくりとした足取りで向かうキャンベル。
少し離れた後ろから付いて来た彼女が言った。
「 右奥が、そうですね 」
繁華街やオフィスビル、中央ステーションなどの雑踏風景を撮影した写真がパネル張りされ、パーティーションに展示してある。
数点の写真を見て、キャンベルは言った。
「 この… 彼、独特な低い視線は、実に面白いね 」
地面すれすれのカメラアングルである。 画面のすぐ前を横切る歩行者の靴先が、写真を見ている者の鼻先にあり、何だか蹴り飛ばされそうな錯覚に陥る作品だ。
キャンベルの横に立ち、パネルを見ながら彼女は言った。
「 そうですね。 一貫して、彼のカメラアングルは低いですね 」
「 難しいんだよ、このアングルは。 広角だから、尚更に被写体に近付かなくてはならない。 歩行者が避けてしまって、中々、こうは写せないモンだ 」
「 あ、なるほど… 」
「 マンホールにでも入って、撮ったのかな? 」
「 あははっ! そんな 」
口元に、手は持っていきながらも、意外に屈託無く彼女は笑った。
会場の中心に、サロンが設けてあった。 古風な洒落たランプが乗ったサイドテーブルの脇に、数点のソファーが置いてある。
傍らのラックにあったパンフレットを1部取り、ソファーに腰を下ろすキャンベル。 革張りではなく、布張りのソファーだ。 冷たい感覚がしない布張りは、どことなくホッとする……
彼女が尋ねた。
「 おタバコ、吸われますか? 」
「 え? …ああ、そうだね。 構わないのなら嬉しいが 」
彼女は受付へ行き、棚から灰皿を持って戻って来ると、口元を上品に微笑ませながら言った。
「 ニールも、無類のスモーカーでしてね。 喫煙可能な会場を探すのに苦労していますよ 」
「 ははは。 僕は、そんなにヘビーではないけどね。 ただ、好きな写真を眺めながらの一服は、格別なものがあるよ 」
キャンベルは、シャツの胸ポケットからタバコを取り出し、火を付けながら言った。 ライターも、いつもの安ジッポーではなく、デュポン社製の、純銀&ゴールド・プレートモデル… 雑貨類に高級嗜好品を使用するのは、中流層以上を示唆する。 この辺り… キャンベルの『 願望 』が、少し、見え隠れしている……
彼女は、キャンベルの横のソファーに腰を下ろし、1冊の写真集をテーブルに置くと、にこやかに微笑みながら言った。
「 昨年、シアトルポリスで開いた個展の写真集です。 よろしかったら、ご覧下さい 」
「 へええ~… 特集版のは持ってるけど、アルバムは見た事が無いな 」
「 出版社がシアトル暴動の余波で潰れてしまい、流通には乗らなかったですからね。 これはAP( アーティスト・プリンティングの略:製作者が、個人用に保管している、比較的セイシャルナンバーが若く、仕上がりの良い印刷物 )版です 」
「 ほう、それは貴重な記録だな 」
写真集を手に取るキャンベル。
シアトル暴動…
差別撤廃を訴え、低所得者たちがデモを行い、一部が暴徒と化して政府機関の建物に放火した事件である。 デモを主導した現役公務員が、実は逮捕後、アンドロイドであった事が判明し、波紋を広げた。
( 心意的情緒刺激は、どうだろうか……? )
彼女と同じ、アンドロイドが扇動したシアトル暴動… どう反応するか? もっとも、彼女自身、自分がアンドロイドだとは気付いていないのだが……
「 シアトルの1件には、参ったね。 公共機関も止まってしまって、センターからの帰宅には、かなりの時間を費やしたよ 」
彼女は、しばらく間を置いてから答えた。
「 …ニールも、ローズ・ブロンクスで生まれ、南部のヒース・アベニューの下町で育ちました。 裕福とは無縁の、貧困層の出身です。 でも、シアトル暴動は残念だったようです。 どんな理由があるにせよ、彼は暴力に、正義と正当性を見出す事はありません 」
至って冷静な発言だ。 どこにも感情異常は見当たらない。
( 78号の回収指示は、本当なのか? 彼女は、全く持って正常だ。 後で、ダクに連絡するか )
現時点での事前調査の段階では、どこにも異常は無い。 大抵の場合、行動異常・感情異常・思考異常のうち、どこかに特異な行動・発言があるものだ。 だが彼女の場合、全く持って健全であり、完璧である。
キャンベルは言った。
「 彼に賛成だ。 暴力からは、何も生まれない。 憎しみが憎しみを生み、会った事も無い人々を最初から『 敵 』と認識する行動には、僕も理解に苦しむ 」
煙草の灰を、灰皿に落としながら、キャンベルは続けた。
「 幸いにして私はブロンクスの出身ではないが、上流育ちでもない。 友達には、今もって貧困層出身の連中が多いし… どちらかと言えば、低所得者に近いな 」
苦笑いをするキャンベルに、彼女は微笑みながら答えた。
「 だからこそ、彼の撮る写真に惹かれるのだと思いますわ 」
「 同じ目線、と言う事か…… 」
灰皿でタバコをもみ消すと、ソファーに背中を埋めるキャンベル。 彼女を見ると、言った。
「 どうもブルジョア的な思考が、僕には合わない。 ニールの写真からは、低俗でもない、上級でもない、人間としての本質を見据えたテーマを感じ取る事が出来る。 僕は、そこに惹かれるんだ 」
…少々、お喋りが過ぎたようだ。
あまり自分の思考を曝け出さないキャンベルが、会話で、ここまで主張するのは珍しい事である。 しかも、初対面の… 更には、『 女性 』に、である。
言った自分自身、彼女との会話に『 酔っている 』自分を感じたキャンベル。 しばらくアルバムを眺め、頭を冷ます事にした。
彼女は、アルバムを見ているキャンベルに対し、静かに言った。
「 私も、トロントの下町で生まれ、シアトルで育ちました。 どこにでもいる中流家庭の次女です。 ニールは、どこにでもある風景の中に、テーマを見い出し、ファインダーを通して訴えるのです。それは、 決して『 上から目線 』ではありません 」
ページをめくり、彼女に視線を向けると、キャンベルは言った。
「 全く、その通りだ。 君もまた、よく彼を理解しているね 」
「 学生時代からのファンでしたからね。 デザイナー・アカデミーの卒論は、『 ニール・デコと現代美術との対比 』でした 」
キャンベルは、彼女の微笑みに対し、にこやかな笑顔で応えた。
「 僕は、ニールの古くからのファンを自負していたが、その上を行くヒトがいた、ってワケか 」
更なる、上品な彼女の笑顔。
キャンベルは思った。
( 今日の俺は、どうかしてる。 機械に対して、情を感じるとは… )
アルバムのページをめくりながら、キャンベルは、2本目のタバコに火をつけた。
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