第16話、『 ザ・グッド・ライフ 』

 清潔だが、無機質な感覚を覚える廊下…

 『 精密機器 』を扱うエリアだけに、紙屑どころか、チリひとつ落ちていない。

 黒いリノリュウムの床に、淡いベージュの壁。

 純白の化粧板の天井には、等間隔にLEDのダウンライトが設置されている……


 キャンベルは、ゆっくりと廊下を進んだ。

 …少し、エネルギーの残量濃度が下がったようだ。

 視界の明るさに、陰りが見える。


 静かに唸る、空調の音。

 突き当りの壁に、『 B300~ 』と印字されたプレートが確認出来る。

 矢印は、右を差していた。


 角を廻ると、右側に、302とプリントされたドアがあった。 傍らに、パスカードを首から下げ、白衣を着た男が立っている。

 ヤセ形の体形で、やたら身長が高い。 鋭い眼光を放つ目には、サングラスタイプの透明なゴーグルを掛けており、短く刈り込んだ髪には、少々の白髪が認められた。

 男は、キャンベルを一目すると、静かに言った。

「 キャンベル警部様… ですね? デューク博士から伺っております 」

 ドアロックに手を掛け、男は続けた。

「 78号の生体機能は、解除してあります。 アップ・データを脳波から検出するだけでしたので… ただ、博士からの依頼で、意識の再生を行いました。 先程、完了したところです。 会話は可能ですが、人工脳を稼働させている水素電池の容量は、もう切れかかっています 」

 男が、ドアを開ける。

 部屋にキャンベルを招き入れつつ、男は続けた。

「 タイムリミットは、数分です。 ご承知おき下さい 」


 薄暗い部屋の中央に、トレッチャーが1台あった。

 天井から吊り下げられた数基の投光電灯の内、中央の1基のみが真下を照らし、トレッチャーは、その投光の中にあった。

 寝台部には、全身に白いシーツを掛けられた女性が、仰向きに横たわっている。

 キャンベルは、そっとトレッチャーに近付いた。

 男が廊下に出て、ドアを閉める。


「 …コリンズ 」


 ささやく様に、声を掛けるキャンベル。

 はたして『 彼女 』は、真っ直ぐに上を向いたままの視線で、静かに答えた。

「 キャンベル様… 」


 しなやかに流れるブロンドの髪…

 幾分、生気が失せた白い頬…


 キャンベルは、そっと右手を出し、その真白き頬に触れる。

 コリンズは、表情を変える事無く、真っ直ぐに上をむいたまま言った。

「 お逢いしとう御座いました…… 」

 キャンベルは、頬に掛かるブロンドを、指先で梳かしながら答えた。

「 私もだ…! 」

 おそらくコリンズには、視界が無い。 キャンベルの姿は見えていない事だろう。

 加えて、感覚も無いはずである。 頬や、髪に触れている感触も…

 『 音声 』のみしか、聞こえていない事を、キャンベルは察知した。

「 キャンベル様… 私、機械だったのですね 」

「 ……! 」

 言葉を失ったキャンベル。

 コリンズは、続けた。

「 でも… あなた様が好きだった。 お慕いしておりましたのは、嘘ではありません 」

「 …… 」

 コリンズの瞳に、一滴の涙が浮かんで来た。 それは次第に大きくなり、やがて、ゆっくりと頬を流れて行った。

「 コリンズ… 私も君が好きだ。 愛している……! 」

 無表情の瞳から、涙が溢れ、絶え間なく頬を伝って行く。

 コリンズは言った。

「 私を守って下さいました… 嬉しかった。 優しい、刑事さん…… 」

 キャンベルは、コリンズの手を取り、言った。

「 私は、刑事なんかじゃない。 ただの、保安課の者だ。 騙して悪かった… 許してくれ 」

「 保安課… 」

 コリンズの手を握りしめ、キャンベルは言った。

「 警務局 保安課と言えば、聞こえは良いかもしれないが… ただの回収屋さ。 俗に言う『 ロジッカー 』だ 」

 コリンズは答えた。

「 それでも… 私には、頼もしい方でした。 ありがとう… 存じました…… 」

 

 コリンズの『 命 』が切れかかっている…!


 キャンベルは、そう察知した。

 見えていない、と分かってはいるが、キャンベルはコリンズの顔に近付き、言った。

「 コリンズ! 愛している… 私は、君を愛している……! 」

 万感な想いで、声を荒げるキャンベル。

 コリンズは答えた。

「 私は… 貴方の愛に、応える事が出来ません 」

「 それでも、私は、君を愛している! 」

「 キャンベル様… それは、罪な事… です 」

 コリンズの頬を、尚も伝う、涙。

 キャンベルは、その清らかなる雫を指先でなぞり、言った。

「 愛は、無から生まれる感情だ…… その想いを、どうして否定出来ようか…! 」


 ……アンドロイドは、ヒトを愛さない。


 だが、キャンベルは、自身の意識の奥底に、確かにコリンズを愛する意思を確認していた。 おそらく、コリンズ本人もだろう。

 警務局が、コリンズの回収を決定した理由は、これだったのだ……


( 『 壊れて 』いたのは、俺も同じだったか… )


 コリンズは、キャンベルに尋ねた。

「 ヒトは、なぜ… 私を作ったのでしょうか…? 」

「 …… 」

 無言のキャンベル。

 コリンズは、途切れながらも、静かに続けた。

「 デザイン界に、わずかながらも、布石を投じる為…? ニールの… 写真技術をアピールする為? 社会貢献以外に、私の… 存在価値は… はたして、あったのでしょうか……? 今となっては… 私には分かりません 」

 キャンベルは、コリンズの手を握りしめたまま、答えた。

「 それは… 私にも、分からない 」

 コリンズは言った。

「 私を作ったのは、貴方たち… なの… に……? 」

「 …… 」

 コリンズの声が、小さく、かすれて行く。 電源を、使い果たしているようだ。

 キャンベルは、コリンズの手を握りしめたまま、叫んだ。

「 私は、君を愛している! コリンズ、君を… 愛しているっ…! 」

 かすれたような声で、コリンズは答えた。


「 …嬉しゅう… 御座います…… 」

 コリンズの瞳から、『 生気 』が失われて行く。

 新たに、頬を伝う一筋の涙。

 かすれた声で、最期に、コリンズは言った。


「 私は…… 幸せ… でした…… 」



 ゼロの可能性に、何を足しても、それはゼロである。

 数字と結果は、常にイコールではない。


 しかし、それは本当に、ゼロなのだろうか?

 何も無い、と言う事…

 それは、一体、『 何が 』無いと言うのだろうか…?


 何も無かった……

 それは過去の事であって、全てが未来に受け継がれていくとは限らない。

 未来においては、『 何も無いと思う 』が、正解なのだろう。


 ゼロの可能性……

 それは、誰にも知る由も無い所に、わずかな可能性が存在する。

 故に、それを未来と言うのだろう。



 重く、湿気を含んだ大気が、今日も空を覆う。

 変らぬ、一日。 変らぬ、朝…

 極限まで合理化した社会では、昨日あった出来事など、一晩にて霧散する。

 酸性雨の水滴が残る、窓ガラスの枠隅に、小さな羽虫が止まっていた……


「 あなた、いってらっしゃい。 気を付けてね 」

 キャンベルのコートを手に、彼女は続けた。

「 今日は、遅くなるんだったかしら? 」

「 ああ、レイの案件の、リレーションをしなくてはならない 」

 後ろ手にコートの袖を通し、羽織る。

 両腕で襟を正し、キャンベルは言った。

「 まあ、リレーションと言ったって… ダクとレイの、3人だけの打ち合わせだ。 そんなに遅くなるとは思えない。 なるべく早く、帰るよ 」

 玄関脇の壁に掛けられた鏡で、襟の立具合を確認し、キャンベルは続けた。

「 もし、7時を廻ったら、先に夕食にしていてくれ 」

 少し、すねたような表情で、彼女が答える。

「 キャル… 週末くらいは、一緒に食べたいわ 」

 キャンベルは、笑みを返すと言った。

「 そうだな。 …よし、デュークに診断書を書いてもらうか。 過労による心労あり、ってね 」

「 バカンスが欲しいわね? 1週間くらい 」

 ウインクして答える、彼女。

 キャンベルは、彼女の頬にキスをすると言った。

「 ジュリア、愛しているよ… 」

 微笑みながらキャンベルの首に両腕を絡ませ、ジュリアは言った。

「 私たちも、早く子供が欲しいわね……! 」

 キャンベルは、ジュリアの唇にキスをして答えた。

「 それは、神のみぞが知る事だよ 」

 玄関のドアを開けながら、笑顔を返すキャンベル。 丁度、大通りから玄関に続く階段を登って来る、肥満体の男と目が合った。 警務局の制服を着ている。

 ジュリアの両腕を解きながら、キャンベルが声を掛けた。

「 早いな、レイ。 局で、待ってくれていたら良かったのに 」

「 おう、あれから急に、カミさんが産気付きやがってよ。 ちょっと病院、行ってくらあ。 送りがてら、リレーションしようと思ってな。 …やあ、おはよう、ジュリア。 今日も綺麗だね 」

 着ていたガウンの胸元を直しながら、ジュリアが答える。

「 おはよう、レイ。 女の子… だったっけ? 楽しみね 」

「 3人目だよ。 一番上は、そろそろ、流行りの服を着たがってよ。 ったく、女の子は、金が掛かってしょうがねえ 」

 レイの苦笑いに、笑顔で応えるジュリア。

「 じゃ、行って来るよ 」

 軽く右手を上げ、キャンベルは玄関を出た。

「 いってらっしゃい、あなた 」

 キャンベルに、小さく右手を上げ、ジュリアが送り出す。

 レイと共に、階段を下りながら、キャンベルは言った。

「 酸性雨が、止んだようだな 」

「 へっ、またどうせ、降ってくらあ。 変らねえ、毎日さ…! 」


 どんよりと曇った、鉛色の空…

 道路脇から吹き出す蒸気と、歩道を行き交う人の姿。

 見上げるビルの壁は、前日の酸性雨に濡れ、薄黒く佇んでいた……




                『 マテリアル・ロジッカー 』 / 完

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マテリアル・ロジッカー 夏川 俊 @natukawa

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