サーモンピンクを纏う兵器
安藤の別荘はIAITのある駅から3駅離れた神奈川県南部に位置していた。
私たちは最終の電車に乗ってその駅まで向かうと、駅前でタクシーを拾って安藤の別荘の近くで降りた。
時刻は24時を回っていた。
安藤の別荘のユーティリティシステムへのアクセスは完了していた。まだ室内には明かりが灯っている。これが消えてしばらくしたら、セキュリティを解除し、別荘へ侵入する。
別荘の近くにある公衆端末ブースに輝基と私は待機していた。
空調設備が付いているので外よりはマシだったが、それでも額にはじんわりと汗が滲んだ。
「安藤が夜型じゃないことを願うよ」
輝基は緊張を和らげるようにおどけて言った。
「そうね、安藤の家への侵入が先か、蚊に全身を食われるのが先かって感じね」
輝基は眉毛を下げて笑顔を作った。
その時、別荘のユーティリティコントロールパネル上の明かりが消えた。
私と輝基は息を殺すようにして何の会話もせずに、侵入の時を待った。
それから30分後、セキュリティを解除して別荘の裏口から侵入し、キッチン脇の勝手口から建物の中へと入って行った。
20畳以上はある広いリビングは天井が高く、木の柱と梁がむき出しになっているロッジ風の造りだった。
私と輝基は暗視スコープを装着しているので、暗闇でも問題なく移動できる。
おそらく寝室は二階にある。
まずは書斎にある安藤の端末を盗み出し、その後で輝基の母親を探して連れ出す手順だった。
問題は、輝基の母親がどこにいるのかという点だ。安藤の寝室にいるということは、おそらくないだろう。
書斎は、1階の南側通路の突き当たりにあった。
息を殺して扉を開く。人影は見当たらない。
輝基に合図を送る。
そこは、一般的な書斎のイメージとは掛け離れた実験道具などが雑然と散らばる空間だった。
予想通り、安藤の端末は書斎のデスクの上にある。
「認証は、手のひらの静脈認証ね」
「どうかな、解除できる?」
「この認証を解除するには、最低でも1週間は掛かるわ。でも、大丈夫。私ならできる」
「頼もしいね、ゼル」
暗闇の中で、輝基が微笑むのが見えた。
私たちは、目的を一つ達成して安堵のため息をつき、リビングへと戻った。
そして二階に上がろうと階段を見上げたとき、視界に二つの影が写った。
「久しぶりだね、ゼル。僕に逢いに来てくれたのかな?」
リビングの明かりが灯り、安藤とサーモンピンクのワンピースを着た背の高い女性が階段を下りてくるのが見えた。
私たちは着けていた暗視スコープを外す。
まだ明かりに目が慣れていないせいで、目の前がチカチカとした。
「美弥子さん、この二人が先ほどお話した長官の研究を脅かす者たちです」
背が高くて、髪の長い顔立ちの整った女性だ。左手の肘の部分に金属の関節が見える。
これが輝基の母親だろう。
「母さんをおとなしく返してくれれば、手荒な真似はしない」
リビングへ足を踏み入れた安藤は、その言葉を鼻で笑った。
「美弥子さんの体内からGPSが出てきた時に、真っ先に君の顔が浮かんだよ。僕は、最初から君を信用してはいなかった。予想通り、何か企んでいるようだ。そっくりそのまま返してやる。何を企んでいるのか白状すれば、手荒な真似はしない、と」
安藤はクスクスと気味の悪い笑い声を上げた。
「国連に、この国と父が行なっていることを告発する」
安藤を睨みつけながら輝基は言った。
「ほう。それは面白いことを考えたな。しかし、君はどこまで君のお父さんがしていることを知っているのかな?」
「どこまで?」
安藤の言葉に輝基は怪訝な表情を浮かべた。
「まさか、オンブレを納品しているのが特殊警察だけだと思っているわけではないだろうね」
「どういうことだ!」
輝基は声を張り上げた。
安藤はその様子を見て腹を抱えて笑っている。
「おっと、冥土の土産に話しすぎたようだ。では、正直に白状した褒美に手荒なことはせず、一思いに死んでもらうことにしよう」
そう安藤が言い終わるのと同時に、美弥子さんが輝基へと飛びかかった。
咄嗟のことに、体が動くのが遅れてしまった。
美弥子さんは輝基に馬乗りになって、その首に右手を掛けている。
遅れるようにして、左手も輝基の首元へと向かった。
「やめて! 母さん。母さん、僕だ。輝基だよ!」
輝基の必死の訴えも虚しく、美弥子さんはその手を離そうとはしない。
輝基の顔がみるみると真っ赤に染まっていく。
私は即座に美弥子さんを輝基から引き剥がそうと掴みかかった。
さすがはオンブレだ。
鍛え上げられた体は、ちょっとやそっとでは引き剥がせない。
逆に、私のほうが突き飛ばされてしまう。
輝基の命が危ない。オンブレが人の首を絞めて絶命にかかる時間は、ごく僅かだ。
私はブーツからナイフを取り出して、美弥子さんの右腕に突き刺した。
女性の甲高い悲鳴がリビングに響き渡った。
体勢の崩れた美弥子さんを持ち上げて、ソファに向かって投げつけた。
「オンブレを連れてきたのは正解だったな。ちょうどいい。君とは決着を付けたいと思っていたんだ。君と僕のオンブレで戦闘ごっこでもしようじゃないか。僕のオンブレはやや旧式だが、ちょっと面白い機能がついているんだよ」
いつのまにか階段の最上部に戻っていた安藤がそう言うと、腕からナイフを抜き取った美弥子さんが不敵な笑みを浮かべて左腕に手をかけた。
美弥子さんが義手を思い切り引っ張ると、腕の皮がまるで脱皮するかのように剥けて、その下から鋭く長い日本刀のようなブレードが現れた。
咄嗟に私は輝基の体に覆い被さった。
その直後、背中に激しい衝撃と痛みが走る。
まるで自分のものとは思えない悲鳴が響き渡った。
「まさか、ゼルもリジェクトなのか?」
安藤は驚きの表情を見せた。
体勢を立て直そうとするが力が入らない。
出血が多いためか、意識が朦朧とする。
腹部を強く蹴り上げられ、私は床へ転がりこんだ。
なんとか目を開けると、輝基の母親がまたも輝基にまたがり、その左手の刀を輝基の首元に振り下ろそうとしているのが見えた。
私は最後の力を振り絞って、脇に挿してあるナイフを掴んだ。
そして、背後から美弥子さんの心臓目掛けて突き立てた。
美弥子さんの動きが止まる。
そして、絶命した彼女の体を輝基から引き剥がした。
意識が遠くなる。
輝基の泣き叫ぶ声が聞こえる。
よかった。輝基は生きている。
私は人を殺す人形だ。
今日は、愛する人の愛する人を殺した。
このまま、私も死んでしまえたら、どんなに楽になれるのだろう。
だけど私は、愛する人の命だけは、確かに守った。
誰か、そのことだけは、私がここで死んだとしても、誰かに知っていてほしかった。
そう思いながら、目を閉じた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます