若葉色の秘密

 南川みなみがわ輝基てるき


 名前からするに、彼はトラディショナルだろう。私たちスタンドアロンチルドレンには親が存在しないので、苗字もない。

 名前に漢字を使うことも、法律で禁じられている。


 隔離国であるこの国では、人は生まれたときに大きく4種類に分類される。


 この国が隔離国となるきっかけとなったのは、ある1種類の新型ウイルスによる伝染病だ。


 ハスミ出血熱。


 ウイルスの名称は、このウイルスが新型の出血熱ではないかと、感染研究所に検査を依頼した小児科医、蓮見修吾医師の名前に由来する。


 発見された当時、新型のインフルエンザが流行していた時期と重なっていたために、新型インフルエンザと混同されてしまい、対応が大きく遅れた。


 日本国では、ハスミ出血熱が猛威をふるい、人口の40%にあたる5000万人の人間が死亡したそうだ。そのほとんどが高齢者と子供だった。


 ハスミ出血熱の致死率は80%を超え、感染力も強いことから、日本国への渡航、日本国からの出国に制限がかけられるようになった。

 ハスミ出血熱と名前が付けられてから、2カ月後のことだ。


 海外でもハスミ出血熱の死亡者は確認されたが、隔離が成功し日本国のように甚大な被害を受けることはなかった。


 日本国での感染者は3カ月で爆発的に増え、感染者を隔離することが、事実上、不可能になってしまったことが、甚大な被害の原因とされている。


 感染者を隔離するのではなく、非感染者を隔離するという対応措置も取られたが、空気感染するウイルスへと変異してしまったウイルスの猛威は収まることを知らなかった。


 パンデミックが収束するまで、日本国への渡航、日本国からの出国が一切禁止となったのはハスミ出血熱と命名されてから、4カ月後のことだった。


 今から、約85年前の出来事だ。


 およそ4年で人口の40%を失った日本国は、国策として、諸外国の身寄りのない子供たちを養子として引き取ることを決定した。


 さらに、自然妊娠では人口の増加は見込めないと考えた政府は、成人男性から精子を採取し、成人女性の卵子に注入するという人工妊娠を推進した。人工妊娠により出産された子供は、政府が保護責任者となり養育することとなり、人工妊娠によって産まれた子供たちは、<スタンドアロンチルドレン>と呼ばれるようになった。


 その後、当初は養子縁組をされていた外国から来た子供たちも、スタンドアロンチルドレンと同じように政府主導で集団的に養育される方針へと転換が行われた。これにより、里親を探す手間がなくなり、政府はより多くの子供を受け入れることができるようになったのだ。


 一時は国としての存続に赤信号が灯った日本国であったが、これらの試みが功を奏し、更なる人口減少には歯止めをかけることに成功した。


 しかし一方で、多くの異民族の子供を受け入れたことにより、国内では混乱と論争が巻き起こる。

 このままでは日本人の民族としての血が絶えてしまうのではないかという懸念が噴出したのだ。


 異民族の子供たちを殺害する過激派による事件が相次ぎ、ついには日本人の子供までもが異民族と間違われて殺される事件が発生。政府は対応を迫られた。


 そうやって生まれた憲法が、日本国憲法第14条4項。


 ――日本国民は、日本人民族の遺伝子が継承されるよう努めなければならない。


 この憲法に基づき、さまざまな法律が整備され、子供たちは以下の4種類のアトリビュートに分類されることとなった。


1. トラディショナル

 両親が共に日本人である自然妊娠の子供。

 姓名、どちらにも漢字を使用しなければならない。


2. 異民族トラディショナル

 両親のどちらか、または両親共に異民族である自然妊娠の子供。

 姓はカナ、名は漢字を使用しなければならない。


3. 正規チャイルド

 両親が共に日本人であることが証明されているスタンドアロンチルドレン。

 姓はなく、名は漢字を使用しなければならない。


4. 異民族チャイルド

 両親のどちらか、または両親共に異民族であるスタンドアロンチルドレン。

 姓はなく、名はカナを使用しなければならない。


 トラディショナルの子供は、トラディショナルか正規チャイルドとのみ婚姻することができる。

 一方、正規チャイルドは、自身以外のアトリビュートならどのアトリビュートとも婚姻関係を結ぶことができる。


 正規チャイルド同士、異民族チャイルド同士の婚姻は禁止されている。


 これらの婚姻制限は、遺伝子的な日本人民族同士の婚姻を一定数確保しつつ、異民族チャイルドと正規チャイルドの婚姻割合を高めることにより、日本人の遺伝子がより多くの国民に継承されるようにするために定められたものだ。


 これらのアトリビュートの制定、婚姻制限ができたことにより、国内での論争は落ち着き、過激派による事件も起きなくなった。


 しかし、この憲法は国連人権委員会から、強い批判を受け、勧告を受けることとなった。国の立て直しに躍起になっていた政府は、これに反発し、国連から脱退することを表明。国連と日本国の対立は決定的となった。


 その後も、ハスミ出血熱は大規模ではないが周期的に日本国国内で発生している。

 このような経緯から、日本国は世界で唯一の隔離国となった。


 私も、この施設に入るまで、ここまで詳しい経緯は知らなかった。

 普通の学校のテキストにはここまで詳しく載せることはできないのだろう。なぜなら、この法律の成り立ち理由と現在の日本国の状況には大きな矛盾が生じているからだ。


 日本人の人口減少を止めるために始めた人工妊娠だったはずが、今ではスタンドアロンチルドレンの多くが異民族チャイルドで占められている。

 両親のどちらか、または両方が異民族である人工妊娠で生まれた子供たちだ。


 それは何故なのか。


 日本人の遺伝子の継承が目的だったのなら、むしろ正規チャイルドが多くなっていなければおかしい。


 このことについて、ルカと私の仮説は一致していた。


『優秀な人間の遺伝子を選別して、掛け合わせている』


 隔離されてから85年の間に、私たちの国はバイオテクノロジー大国と呼ばれるようになった。


 私たちの国は物品の輸出は禁じられているものの、研究や設計、ソフトウェアなどのテクノロジーをネットワークを通じて売ることは規制されていない。また、物品の輸入も規制されていない。そのため、テクノロジーを売った莫大な金で、多くの品物を海外から輸入して、豊かに生活できている。


 つまり、国民の多くが研究職、またはそれに近い専門職に就かなければならないことになる。

 そこまで分かれば、あとは40ピースパズルのように簡単に答えを導き出せる。


 この国は、これまで国家ぐるみで優秀な人間を作り出す人体実験を行なってきたのだ。そう考えれば、IAITが私たちに行なっていることも、それほど特異なことには思えない。


 彼らがこの施設で、何かを作ろうとしていることに間違いはなかったが、その目的と用途までは、まだ判然としなかった。


 中等部での二年間は、私たちのようなスタンドアロンチルドレンと彼のようなトラディショナルが同じ学園に通うことはなく、カリキュラムも随分違うと聞いている。


 トラディショナルの生徒の場合は集団学習が多く、スタンドアロンチルドレンは実験が多いそうだ。


 高等部では専門性の高い学習が増えるため、学力別で学園が決定される。よって、トラディショナルもスタンドアロンチルドレンも同じ学園に通うことになる。


 そのような事情から、この施設に来るまで小等部だった私は、これまでにトラディショナルの学生と話した経験が殆どなかった。


 だから、高等部の学生が、それもトラディショナルの学生が、研修に来ることがあるということに、とても驚いていた。


 しかし、学生の研究員は、後にも先にも彼だけだった。

 おそらく、彼がIAITに研修に来たのは彼の父親と関係があったのだろう。


 彼の父親はバイオテクノロジー庁長官、南川みなみがわ正輝まさき


 現在の日本国において、絶対的な権力を持っている人物だ。


 だから、施設内でいつも大きな顔をしている安藤に、あの少年はあんな大それたことを言うことができたのだ。


 この施設と南川長官に深い関係があるのは明らかだ。そうでなければ、彼が研修研究員の分際で、回復力テストの執刀医を変更させることまでできるはずがない。


「行こうか」


 あの日からちょうど一週間後、彼は私の部屋に迎えにやってきた。


 その間の一週間は永遠のように感じられた。

 施設のあちらこちらで視界の隅に彼が入り込むたびに、胸が締め付けられて、ドキドキと高鳴った。


 一度だけ、中庭にいたときに斜向かいの通路を歩いてくる彼と目が合ったことがあった。

 きっと彼にとっては何ともない一瞬のこと。でも、確かに私を見つけて笑いかけてくれた。


 心臓が壊れてしまうんじゃないかと思い、手を当てた。こんな状態では、回復力テストなんてできそうにない。


 そうだ。たしか昔に、どこかで読んだお話にこんなものがあった。

 王様の耳がロバの耳である秘密を知った床屋が、その秘密を誰かに言いたくて仕方がなくなり、大きな穴を掘ってそこに真実を話すのだ。


 私もこの秘密を話してしまいたい。

 この秘密を大きな穴に話すことができたら、きっといつものような人形に戻ることができる。


 隣に座っているルカの耳元に口を近づけて、囁いた。

「私ね、南川先生が好きなの。これ、私たちだけの秘密よ」


 ルカはそっと微笑むと「分かった。誰にも言わないわ」と答えた。


「約束」


 私はルカの小指に草で編んだ若葉色のリングを嵌めてあげた。

 その小指に自分の小指を絡める。


「嘘ついたら、小指を切り落とすのね。子供みたい」

 それは、私が昔、ルカに言った言葉だった。


「私たち、まだ子供よ」今度は私が、ルカが言ったセリフを口にした。


 二人の笑い声がハーモニーになる。


 自我を失った人格は元の人格が経験した会話のパターンを再現することがあると知ったのは、この時だった。

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