ロイヤルブルーに浮かぶ花
大学部の研究室は基本的には希望制になっていて、希望する研究室の学力数値と体力数値が自身の数値の範囲内であれば、希望を出すことができる。
どこの研究室に配属になるかによって、卒業後の進路に大きく関わるため、希望が偏ることもあり、人気の研究室の場合は希望どおりの配属にはならない。
私と輝基の配属になった研究室は、情報セキュリティ犯罪にまつわる研究室<yugao>で、進路は警察庁科学部か特殊警察庁執行部か特殊警察庁捜査部などが多いとレクレーションの際に聞いた。どうやら、かなり学力数値、体力数値が高く、倍率も高い研究室のようだった。
もちろん、この配属については私の希望を聞かれたわけではない。
オンブレの配属先はこの研究室か、犯罪捜査に関する科学的な研究をする研究室<omodaka>と決まっているようだった。おそらく、特殊警察に配置されるためには、この二つの研究室のどちらかでなければいけないということなのだろう。
ルカはomodakaに行ってしまったので、しばらく彼女には会えそうもなかった。
しかし、この大学部で、私は思わぬ再会を果たすことになった。
私より1つ年上のくせに泣き虫で、子犬のようにクルクルとした巻き毛の男の子。
公園でいつも隠れて泣いていた男の子。
私のお兄ちゃんであり、弟だった男の子。
「輝基、彼女と知り合いなの?」
大学部のピロティで、私と輝基二人で並んで歩いていたときに「あ、輝基、いたいた」と遠くのほうから呼び止められた。
特徴的な一重の目を細めて、ひまわりのような笑顔をこちらに向けている青年が目に入った。
目に入ってすぐに、懐かしさに襲われた。
イロウ。
おそらく残存記憶に残る人物に該当するに違いない。思い出話は必要最小限に留めなければならない。
ましてや、懐かしくて泣きだしてしまうなんてもってのほかだ。
間もなくして、イロウも私の存在に気づき、驚いた顔をして挙げていた右手をぎこちなく下ろした。
「ゼル…」
私は彼に歩み寄っていくと、「イロウ、久しぶり。元気にしてた?」と、いつもの微笑を作った。
本来、溢れるはずのものは、とうの昔に枯れ果てていた。
遅れて輝基が私の側までやってくる。
「輝基、彼女と知り合いなの?」
私と輝基を見比べながら、困惑した表情を浮かべている。
「ああ、夏休みに別荘の近くにある学園のテニスコートを借りに行っていて、そこで知り合ったんだ。たまたま同じ研究室の配属になって再会したんだよ。イロウこそ、彼女と知り合いなのか?」
知り合いなんてものじゃない。
私たちは、同じディストリクトの同じドミトリーでゼロ歳の頃から一緒に育ってきた。
最後に言葉を交わしたのは、夕日の落ちるいつもの公園。
私が可愛がっていた野良猫の子猫を、イロウは「仕方ねーな、お前は特別だ」と言って抱え上げた。
彼は動物が苦手だった。
「明日、東条先生と出かけることになって、一日だけ<海苔巻き>の餌やりお願いできないかな?」
そう言った私の言葉を受けての言葉だった。
海苔巻きは、私が子猫に付けた名前だ。手足と鼻の部分だけが白く、あとは黒いふわふわの毛で覆われていたので、手足の部分が海苔巻きのように見えたからだ。
そのあくる日、私はIAITに連れて行かれ、彼と私が育ったドミトリーに帰ることはなかった。
私は彼との約束を破ったのだろう。
「ああ、彼女が俺の探してた幼なじみで……。まあ、何ていうか、元気そうでよかった」
イロウは、泣きそうな声になり、俯いてしまった。バツが悪そうに鼻をすすると、「連絡くらいしろよなー」と、俯いたままわざと明るい口調で言った。
「そうだったのか。すごい偶然だな」
輝基は驚きの声を上げたが、すぐさま時計に目をやると「じゃあ、僕たちは准教授に呼ばれてるから、また後でゆっくり話そう」と眉毛を下げて笑顔で言った。
「お、おう。…じゃあ、また」
イロウは私の顔を伺うように、歯切れの悪い返答をした。
准教授になど呼ばれてはいない。
おそらく、輝基もこの再会を危険だと判断しているに違いない。
幼なじみであれば、性格の変化に気がつかないわけがない。
足早に立ち去ろうとする輝基を追いかけるように、私もイロウから離れる。
「ゼル!」
すると、後ろからイロウの大きな声が聞こえた。
「元気でよかった。俺は……ゼルに会いたかったよ」
私は彼の、こういう正直で真っ直ぐなところが好きだった。
『僕たちにはどうしてお父さんとお母さんがいないのかな?』
イロウはドミトリーで世話をしてくれていた真理恵さんに懐いていた。イロウだけではない、おそらく子供たち全員が懐いていただろう。
でも、彼女は忙しくて独り占めをするのは難しかった。
必然的に手のかかる小さな子の面倒にばかり回ってしまって、年齢を重ねるごとに私たちは子供だけで遊ぶようになった。
私は公園でスケッチをしたり、物語を読むといった一人遊びは好きだったが、寂しくないと言えば嘘だった。
イロウは物語の中の家族に憧れていた。イロウだけじゃない。私だって、もちろん憧れていた。
お母さんの作るご飯を食べてみることを、よく想像した。
お母さんに抱っこされて眠りにつくことを想像した。
お父さんと手をつないで、肩車をしてもらうことを想像した。
私たちには一生訪れない日常を、毎日のように想像していた。
「僕は、大きくなったら外国に行って、家族を作る。普通のお父さんとお母さんがいて、学園のクラスメイトも、みんなお父さんとお母さんがいて、アトリビュートの違いで区別されたりしないような、そんな国に行ってみたいんだ」
「日本国以外でもお父さんとお母さんがいない子供もいるし、アトリビュートの区別はなくても、人種差別があるってテキストには書いてあったわ」
「そうかもしれない。でも、自分の目で確かめてみたいんだ。世界はここより美しいのか、醜いのかを」
イロウは、キラキラと輝く目で真っ直ぐに私を見つめて、そう言った。
「そうだね。そうしたらいいよ」
彼が真っ直ぐで泣き虫だったから、私はいつも大人でいることができた。寂しいと、言わずに済んだ。
臆病な私は、彼の真っ直ぐで正直で正義感の強いところに、いつも救われていた。
「ゼル、聞こえてる?」
ぼうっと昔のことを考えていると、輝基に呼びかけられた。
私たちはピロティを離れて、人目につかない6号館の休憩スペースに来ていた。
「ええ。彼は残存記憶の中にある人物で間違いないわ。記憶を整理して、思い出話を考えていたの」
「まさか、君が彼の探していた幼なじみだったなんて…。イロウは、高等部からの親友なんだ」
輝基は溜め息をついて肩を落とし、「まずいことになったな」と呟きながら、タブレットに何やら書き込んだ。
その手元を眺めると、鮮やかなロイヤルブルーが目についた。
今まで彼は白いスタイラスペンを使用していたのだが、今日は鮮やかなロイヤルブルーのペンを手にしていた。
よく見ると、ペンの上部には銀色の蓮の花の美しい絵が彫られている。
蓮の花は、尖った花弁が幾重にも重なる美しい半円形のフォルムの花だ。
「蓮の花だね」と私が言うと、「ああ、これ」と輝基はペンに目を向け、「父からの入学祝いだよ」と答えた。
それから、「使い心地がよかったから、使ってる」と言い訳のように付け足した。
「お父さんは蓮の花が好きなの?」
「いや……僕が産まれるときに、研究者だった父に、僕のために青い蓮の花を開発してくれって母が頼んだらしいんだけど、すでに青い蓮の花はこの世に存在していたから、取り寄せて子供部屋に飾ったらしい。母はそれで青い蓮の花をいたく気に入ってね。僕のマークとして、いろんな小物に青い蓮の花のパッチを縫い付けていたそうだ」
そこまで話すと、輝基はタブレットを膝に置いて、スタイラスペンを両手に持って眺めた。
「母の代わりをやってるつもりなんだろ。6歳の僕から母親を奪った罪滅ぼしをしてるつもりなんだよ」
「輝基のお母さん、オンブレなのよね? 今はどこにいるの?」
「自宅で一緒に暮らしてる。特殊警察のミッションには参加していない。回復力実験で、左腕を切り落とされて、そのまま義手になってしまって、それで引退が決まったと、IAITに記録が残っていた」
「リジェクトだったのね」
輝基は、「ああ」と消え入りそうな声で返事をした。
「イロウとは、私たちが最後に会ってから3年も経っているし、少し違和感があったとしてもまさかAIと話しているだなんて思わないと思うわ。それより、親友のあなたの態度がおかしいほうが、怪しまれると思う」
「そうだね。僕も彼を避け続けるなんてことはしたくない。君が本当のゼルだと思ってもらうために、むしろ積極的に接したほうがいいのかもしれない。幸い、君にインストールされている人工知能化プログラムは、前バージョンとは比較にならないほど高性能だ。僕も時々、君がプログラムだということを忘れてしまうくらいだよ」
輝基は私を見つめて、それから恥ずかしそうに襟足を触りながら笑った。
私にインストールされているはずのシャドウメーカーは、前バージョンからのメジャーアップデートで、大幅な改良が加えられている。
諜報活動に必要な人間らしい感情表現が増え、更に人間感情の分析能力も強化された。様々な特殊任務への判断能力も向上している。
その分、私への特殊警察の期待も大きいはずだ。
大学部への進学が決まるのと同時に、私の操縦者は輝基に決まった。
操縦者とオンブレは二人で一組。
操縦者が遠隔でオンブレに命令を与えながら、ミッションを遂行する。
本来なら輝基はバイオテクノロジー庁へ入庁するために別の研究室へ行くつもりだったようなのだが、彼は私の操縦者として特殊警察庁への入庁を希望し、<yugao>に配属されることとなった。
操縦者になるということは、輝基もまた、処刑ミッションを一緒に遂行しなければならないということだ。
人を殺すということが、どんなに人の心を蝕むのかを輝基は知らない。できることなら、操縦者は別の人にして欲しかったが、それを誰に訴えればいいのか、私は知らなかった。
私のミッションの成功、不成功は彼のキャリアにも関係してくるに違いない。
処刑ミッションが、いつ頃、どんな形で私たちに伝達されるのかすら私たちは知らなかった。
私は毎日、ミッションの通達に怯えながら研究室に通った。
そんな生活の中で、一つだけ嬉しいことと言えば、大学でお昼を食べる際に、イロウが加わることが多くなり、輝基にも私にも自然と笑顔が増えたことだ。
幸い、イロウにAIだと疑われることも、輝基に人間だと疑われることもなかった。
IAITにいたときには気がつかなかったが、輝基は人見知りが激しく、あまり社交的ではない。一方で、イロウは誰に対しても気軽に話しかけることができて、社交的な性格だった。
私は、ちょうどその中間という感じで、私たちはバランスのいい組み合わせだった。
こんな日常が永遠に続けばいいのに、そう思えるような日常だった。
でも神様は残酷で、そんな幸せを、私たちに許してくれるはずはなかった。
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