肌色のスケッチ

 その夏の2ヶ月の間、彼と私は二人きりで回復力テストを行った。


 このテストの最終的な目標は、体のパーツを切り落として、私たちの体から採取された細胞を培養して作られた人工細胞パーツに付け替えられるようにするということだ。


 輝基の説明では、まずは指先から始まり、次に目や耳、最後には腕や脚といった大きなパーツを付け替えるテストに移行するようだ。


 痛みの程度を知るため、局部麻酔はほとんど使わなかった。


 まるで着せ替え人形のように、切って付け替え、また切っては付け替える。


 私は気が遠くなるほどの痛みと闘った。


 私の執刀医が輝基じゃなかったら、きっと死を選んだと思う。


 あのとき、ウイルスに侵されていたら…、ルカを恨む気持ちになったこともあった。


 でも仕方ない。あの時のルカは、ここで、そんな残酷な実験が行われていることなど、知らなかったのだから。


 ロボットを人間に近づけるのではなく、人間をロボットに近づけようとしているなんて、あの想像力豊かなルカだって、考えもしなかっただろう。


 人間の脳をAI化し、外部からコントロールできるようにする。そして、最大の難点である肉体の脆さを克服する。

 脆いのなら、修復できるようにすればいい。そういうことだ。


 この施設の人たちは私たちのことを、こう呼ぶ。


『オンブレ』


 影という意味を持つ言葉だ。

 私たちはもはや人ではなく、人の形をした、人の真似をする、命を持った『モノ』だった。


 テストの際、彼はいつも、いくつかの養生シートを用意していて、傷をつける部位以外はそれで私の体を隠してくれた。

 もちろん、下着もつけたままだった。

 彼だけは、いつも私のことを人間のように扱ってくれる。


 何度、経験しても、痛みに慣れることはなかった。

 ただ、幸いなことに、私の回復力は通常のオンブレよりもかなり高く、切り傷などはまるで早送りの映画のように、すぐに塞がった。


 痛みには慣れなかったが、痛みをごまかす方法を私は身につけた。


 テストの間中、彼の顔の輪郭や、ヒゲを剃った跡、血管が浮き出ている手の甲から腕のラインなどを、まるでスケッチするような感覚で、眺めては目を閉じてイメージするということを繰り返し行った。


 私は彼の顎の裏にあるホクロが好きだった。


 彼はいつも、私に傷をつける前に、メスを持っているのと別のほうの手で、その場所をそっと撫でる。


 その場所に目を落としたまま、彼は必ず「ごめん」と言ってから、メスを入れた。


 その様子を仰向けになったまま眺めていると、彼の顎の裏にあるやや茶色がかったホクロが目に入る。


 激しい痛みと闘いながら、私は何故か別の感覚にも満たされていく。


 お腹の奥がじんわりと熱くなる感覚。


 テストが終わり、部屋に戻って下着を脱ぐと、下着には透明な液体がいつも滲んでいる。


 そのまま私は、我慢できずに熱くなった場所に手を伸ばしてしまうのだ。


「先生…」

 何度も、何度も呟きながら、彼の手で触られることを想像する。


 そして訪れるのは、頭の奥が痺れる、あの感覚。


 全身に鳥肌が立つ。


 激しい動悸に全身で息をしながら、うずくまる。


 自分を抱きかかえて、彼に抱かれていることを想像する。


 何とも言えずに気持ちがよかった。


 頭がぼうっとして、夢の中にいるようだった。


 しかし、それが醒めてしまうと、なんだかとてつもなくいけないことをしてしまったかのような背徳感に襲われた。


 そしてまた、自分だけがこんなにも彼のことを思っているということが悲しくて、苦しくて、胸が押しつぶされそうになった。

 涙が、溢れた。


 私たちは、半年かけて行われるはずの回復力テストの70%近くを、たった2ヶ月で終わらせることができた。


 回復力テストを通して、輝基と私は痛みの程度と回復力を確認した。回復力は通常のオンブレより高い。痛覚は通常の人と同じぐらいに残っているが、激しい痛みを感じる時間は短い。

 これならば、手術の前に強い鎮痛剤を服用すれば、なんとか安藤にはバレずにテストを終わらせることができそうだった。


 ただ、大量の鎮痛剤を長期にわたり服用すると、毎朝行われる血液検査で気がつかれる可能性があるため、必要最小限にとどめないといけない。

 それに、輝基が用意できる鎮痛剤もそんなに多くはない。


 次に輝基が施設に来られるのは、彼の冬休みのとき、つまり、あと4ヶ月も先のことだ。


「やはり、このままでは最後に残った内臓の修復手術のテストは安藤チーフに執刀してもらわないといけないことになるな…」


 夏の終わりの305実験室で、ひと通りテストを終わらせ、端末のディスプレイに目を落としながら、輝基は呟いた。


「他にオンブレの開発に必要なテストというのはないのですか? もし他のテストがあればそちらを先行してやってもらい、回復力テストを先生の学校のお休みに回すということができるのではないでしょうか?」


「なるほど、たしかにその手があるね。今までそんな事例はないと思うけど、ダメ元で父に聞いてみるよ」


 何としても、安藤と回復力テストをするのは避けたかった。

 施設ですれ違うたびに、あの人は私の体の上から下までを舐め回すように眺める。

 そのたびに、寒気がして、ゾッとした。


「ゼル、本当は父のことを尊敬したことなんて一度もない。むしろ、軽蔑すらしてる。でも、こんなふうに父の立場を利用できてよかった」


 輝基は寂しそうに笑った。


「先生、私には生まれたときから父と母がいません。だから、父親や母親というものがどんな存在なのか理解できません。でも、私の父親が誰かと問われたら、きっとそれに一番近い存在は、先生、あなたなのような気がするのです」


「そうか、そうだね。ありがとう」


 輝基は大きな手を、そっと私の頭に乗せた。

 それは映像で見たことがある父が子供にする仕草だった。おそらく、輝基の父親も、小さい時は、彼にこれをやってあげたのに違いない。


 私も泣き虫の幼なじみが泣くたびに、これを真似してやってあげた。


 心が輝基の体温で満たされて、私は彼の特別な存在であると認識することができた。


 それから2日後、輝基の夏休みは終わり、この施設から彼の姿はなくなった。

 その夜、私の回復力テストの続きは来年の夏に持ち越されることが決定したと、輝基から暗号化通信<unknown>経由で連絡があった。

 合わせて、輝基の研修が冬休みと春休みも行われることも決定したとのことだった。


 その連絡を聞いて、私は嬉しくて、嬉しくて、ダンスの授業で習ったステップターンを、自分の部屋で踊ってみたほどだ。


 その夜の消灯後、私の部屋に安藤がやってきた。重要な話と言われてキーを解除したのが間違いだった。


 私は、殴られ、縛られ、口に枷を嵌められ、安藤に犯された。


「この施設は僕の城だ。世間知らずで生意気なお坊ちゃんの思い通りになると思ったら、大間違いだよ。君というオモチャを取り返すことなんて、こんなにも簡単なことだ」


 安藤は私に馬乗りになって、そう囁きながら笑っていた。


 その日からが、本当の地獄の始まりだった。


 その地獄は、私が大学部の研究室に配属になるまでの1年半にわたり続いた。


 輝基には話さなかった。

 知られたくなくて、必死で隠した。

 本当は、一番助けてもらいたい人だったけれど。


 私は臆病だ。臆病で、無力だった。

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