殉葬は臙脂色のサロンで

 今は新宿墓地と呼ばれている場所には、かつて、新宿御苑しんじゅくぎょえんという大きな国民公園があったそうだ。

 その名残りから、駅名が<新宿御苑前>となっている。


 新宿墓地は、ハスミウイルスが蔓延した際に、死者を焼く臨時の火葬場として使用され、そのまま死者の骨を安置する墓地となった。

 墓地と言っても墓があるわけではなく、大量の骨が積み重なるように並べられているだけの場所で、一般の人が立ち入ることは許されていない。


 そのため、omodakaの学園がある四ツ谷と距離的には近いのだが、新宿御苑前付近は民家や大きな商業施設のようなものはほとんどなく、旧式の古いビルディングに囲まれ、秋葉原の裏路地のように何屋か分からない店や路面店などが雑多に集まる地域となっていた。


 私は、旧吉祥寺の近くにある小等部の出身だったため、今まで秋葉原にも新宿御苑前にも行ったことがなかった。


 ルカは秋葉原の近くにある小等部の出身だった。そのため、秋葉原の話をよくしてくれた。

 大きな商業施設がひしめく煌びやかな大通りから1本入ると、旧式のビルディングと路面店が並んでいるのだそうだ。


 冗談なのか本当か分からないが、橋の上に、1階から8階までステーキ屋さんが入っているビルディングがあるんだと、笑いながら教えてくれたこともあった。


 当然のことながら、この平和で犯罪とは無縁と思われる日本国にも、違法組織というものがある。


 そういう違法組織が身を隠すには、旧式のビルディングの多い雑多な地域は、うってつけのエリアと言えそうだった。


 輝基との待ち合わせ場所は、新宿御苑前の地下鉄の駅から降りて少し歩いたところにある新宿墓地の大木戸門近くにある<ネーキッド>というブティックの前だった。


 初めてのミッションの日だというのに、遊園地から急いでやってきた私は、よりによって花柄のワンピースを着ていた。


 着替えたほうがいいかもしれないと思い、輝基を待つ間、店の中を覗いてみたが、どの服にも充血した目玉のサイケデリックなマークが付いていて、逆に目立ってしまいそうだったので、私は着替えは諦めて、そのまま店を出た。


 ちょうど店を出たところで、輝基が小走りでこちらに走ってくるのが見えた。


 輝基も私に気づいて、さり気なく手を挙げる。


「デート中だったのに、ごめんね」

 輝基は冗談めかして笑顔を作った。


「本当なら3人で行くはずだったのよ」

 私は表情を変えずに、輝基の目を真っ直ぐに見つめながら言い返した。輝基の瞳が、ゆらゆらと微かに揺れる。


「そうだね。変なこと言って、ごめん」


 輝基は久しぶりに、私の頬に手を触れた。


 その反対の手で、私の耳に通信機能付きカメラを取り付ける。


 もう、いつもの笑顔はなかった。


「これで指示を出す。ターゲットは、国内トップクラスの密航ブローカーのボス<ラグル>。多額の手数料と引き換えに、国外への密航と亡命の手引きをしている組織のトップだ。護衛もそれなりに付いていて、今までターゲットにされたことは2度あるが、いずれもミッションは失敗している。今回は3度目の正直というわけだ」


「初めての出動にしては随分と大物なのね」

 私はカバンを輝基に渡しながら、グローブを取り出して左手に嵌めた。


 このグローブはオンブレのミッション用に作られた特殊なグローブで、嵌めると肌にぴったりと密着し、まるで素手で触っているかのような感触が残る。


 さらに、このグローブに使われている素材は、多少ナイフで切りつけても切れることはない。


 おそらく防具の意味合いもあり、長さは肘の近くまである。

 私はグレーを使用していたが、ほかに強度がやや劣るベージュのグローブもあった。


 このグローブを装着するのは、利き腕ではないほうの腕のみと決まっている。


 私は、このグローブに手を入れる時の感触が好きだった。手に吸盤が纏わり付いて、吸い付きながら締め上げられるような感触。


 これを装着すると、私は何も考えず指示に従うだけの人形になれる。


「そうだな。君は全ての授業において成績優秀な新型AIを搭載した次世代オンブレで、操縦者の僕は歴代初、操縦者研修でΣシグマの成績を修めた南川正輝の息子だからね。特殊警察の期待は大きくて当然だ」


「それは自慢なのかしら。研修が終わったのね。おめでとう」

 私は笑顔で答えた。


「自慢じゃなくて事実を述べたまでだよ。ありがとう。今日から君は正式に僕の相棒だ」


 輝基は右手を私のほうへ差し出した。

 私はゆっくりとその手を握る。

 懐かしい冷たい手。


 彼の顔には緊張の色が見えた。

 無理もない。

 これから私たちは人を殺しに行くのだ。


 操縦者研修では実地訓練のようなことはせず、シミュレータを使って様々な作戦を組み立て、オンブレを誘導し処刑対象まで導くナビゲート訓練を、バーチャルワールドを使って行う。

 今まで実地訓練で実際に何度となく人を殺害してきた私とは違う。


「特殊警察は、今回のミッションを僕たちが成功させる可能性を30%と見込んでいるようだ。ミッションが成功しなくとも、特殊警察に狙われたとラグルの耳に入れば、組織の活動は当然抑制される。それが目的というわけだ」


「それなら気が楽ね」


「いや、だからこそ、このミッションは成功させたい。これを成功させて、特殊警察内で信頼を獲得したいんだ」


 輝基の眼差しは力強かった。


「分かった。成功させるわ」


 私はその眼差しに応えるように、誓いを立てた。


「だけどゼル、ひとつだけ僕からお願いがある」

 輝基は不安そうな表情で私の顔を覗き込むようにして言った。


「何?」


「ミッションのターゲット以外は殺さないでくれ。人の命はかけがえの無いものだ。一度失ってしまったら、もう二度と同じ輝きを作り出すことはできない。分かるね?」


 ターゲットを処刑する際に、特殊警察を妨害した者は、ターゲットと同様に処刑対象とみなし、殺害することが私たちには許可されている。


「僕たちがターゲット以外に誰かを殺すのは、君か僕の命が危険にさらされたときだけだ」

 彼はもう一度確認するように、不安そうな目で私を見つめた。


「分かった。約束する」


 私がそう言うと、ようやく輝基は安心した様子でいつものように眉毛を下げて笑顔を作った。


 今回、潜入する場所は新宿御苑前からほど近いナイトクラブで、ラグルの出没が度々報告されている場所だ。


 バーテンダー経由で亡命意思のある若者を誘い出し、違法な売春組織に引き渡していることが確認されている。


 輝基の考えた作戦はこうだ。


 クラブに入店し、バーテンダーと接触し、亡命をほのめかす。

 ラグルは慎重な男であるため、身体チェックに備えて装備をトイレに隠しておき、頃合いを見計らい装備を回収して処刑を実行する。

 護衛が10名以上いる場合は、処刑後の退路が確保できないためミッションは中止。


 輝基はクラブの外に待機し、通信機能付きカメラの映像を確認しながら指示を出す。


 作戦の確認を終えると、私はクラブの扉の前に立った。


 金属製の扉は旧式で、何の認証機能もついていない。


 輝基はクラブの入り口が確認できる少し離れた位置にある建物の裏に待機している。


 金属製の扉を左手で押すと、ゆっくりと紫色の光線が一直線に車道まで伸びて広がった。


 足を一歩踏み出して、深呼吸を一つする。

 私の背後でゆっくりと扉が閉まる音が聞こえた。

 なぜか胸がざわざわと騒めいた。

 大丈夫、私は人形。相手はモンスター。

 そう、もう一度言い聞かせた。


 クラブの中に入ると、思っていたよりも人は多くなかった。


 午後20時。まだナイトクラブに遊びにくるには早い時間なのかもしれない。


 クラブは一階と地下一階にダンスフロアがあり、それぞれの階にバーカウンターがあった。一階のバーカウンターはダンスフロアとは切り離された別のスペースになっていて、カウンター前に座ってお酒が飲めるようになっている。


 VIPルームは地下一階にあるようだ。おそらくラグルはそこにいると思われる。


 私はクラブの偵察を終えると、輝基の指示に従い、地下一階にある女子トイレの清掃用具入れに装備品を隠し、一階にあるバーカウンターに向かった。


「ジンジャエールを1つ」

 バーテンダーにドリンクを頼みながら席に腰を下ろす。


「ここは初めて? お酒もあるよ」

 バーテンダーの男は20代半ばの若い男だった。


「お酒は得意じゃないんだけど、お酒を飲む場所が好きなの」


『誰かと話ができるから』


 輝基の声が頭の中で響いた。

 会話の指示だ。


「誰かと話ができるから」


 輝基が言ったセリフを繰り返す。


「俺でよかったら、話し相手になるよ」


 バーテンダーの男はジンジャエールを差し出しながら、そう言った。


 輝基の指示に従い、バーテンダーの男に亡命願望をほのめかす。


 ドミトリーには帰りたくない。

 どこか遠いところに行きたい。

 この国から抜け出したい。


 相手も亡命願望を引き出したいようで、こちらの誘導にすんなりと乗ってきた。


 もしかすると、亡命願望がある少年少女をラグルの元へ連れて行くことで、報酬が受け取れるのかもしれない。


「ちょっとついてきて。相談に乗ってくれる人を紹介してあげるよ」


 男はバーカウンターから出て、地下一階のダンスフロアを抜けた奥にあるVIPルームの前で立ち止まった。


 VIPルームの扉の前には護衛と思われる男性が一人立っていた。

 こちらの扉には暗証番号を入力するタイプの認証キーがついている。


 バーテンダーが護衛に耳打ちをすると、護衛はsorceryに何か話しかけた。


「じゃあ、俺は上に戻るから」と、バーテンダーは私の肩を軽く叩いて立ち去った。


 暗証番号を叩いて、護衛はVIPルームの扉を開け、「どうぞ」とまるで執事のように入室を促した。


 VIPルームは12畳ほどのスペースに臙脂色をしたビロード地のヴィンテージ風ソファが四方に敷き詰められていて、思ったよりも手狭な印象を与えた。


「はじめまして、お嬢さん」


 部屋の一番奥の正面に、一人の男が座っていた。

 髪は青みがかった銀髪で、毛先に向かってゆるいパーマがかかっている。

 やや長めの前髪から覗く彫りの深い鋭い目つきが印象的な男だった。


「僕の名はラグルと言います。君の相談に乗りたいんだが、その前に君が危ない子じゃないかチェックさせてもらいたい。簡単に言うと、身体検査だ。身体検査は僕の横に座っているイリスがするから、心配することはない」


 ラグルの隣には、セミロングの髪をピンク色の美しいグラデーションカラーに染めた女の子が座っていた。


 年の頃は私と同じくらい。エナメル質の露出の多い独特なデザインの服を身につけている。


 彼女はゆっくりと立ち上がり私の後ろに立つと、全身を慣れた手つきでチェックしていく。


 輝基の予想通り、ナイフを置いてきて正解だった。


「パパ、大丈夫。ヤバイものは持ってないわ」


 見渡したところ、護衛と見られる人間はこの子を除いてこの部屋にはいない。

 だが彼女は、とても護衛ができそうには見えなかった。

 この状況ならば、ミッションの遂行は意外と簡単かもしれない。


「早速だが、この国から出て自由の身になれる料金をお伝えしよう。たったの300万日本ドルで、君は永遠の自由を手に入れられる。誰と結婚して誰の子供を産もうが、誰にも処罰されることはない」


 300万日本ドル。

 社会人一年目の平均年収が150万日本ドルだ。

 そんな大金、こんな子供が持ち合わせているはずもない。


「そんな大金、持っていません」

 私はラグルに向かって返答した。


「まあ、そうだろうね。普通のスタンドアロンチルドレンなら」


 ラグルは、立ち上がり私の全身を上から下まで眺めた。


「つかぬ事を聞くが、君は処女かな?」


 輝基が聞いている。

 一瞬、そんなことが頭をよぎる。


 彼は全てを知っている。隠すことではない。

 でも何故だか、胸が押し潰されそうになった。


「違います」


「だいたい君の年齢の子が亡命したいと言ってくる場合、理由は大きく分けて2つある。1つは、イジメなど、何か都合の悪いものから逃げるため。もう1つは、婚姻を制限されているアトリビュートの人間に惚れた、もしくはその人間の子供をはらんだ。君はどちらかな?」


 私はどう返答すればいいのか分からず、黙り込んだ。


「まあ、どちらでも構わないが、どちらかと言えば後者が多い。特に婚姻を制限されているアトリビュートの子供を孕んでいることが政府にバレた場合、拘束されて強制的に堕胎手術を受けさせられる。それを逃れるためにどうしても亡命したい。そんな人間はたくさんいる。もし僕が、たったの3ヶ月で300万日本ドルを稼げる場所を紹介すると言ったら、君はどうする?」


 そういうことか。

 ラグルは無理やり少年少女たちを組織に引き渡しているのではない。

 彼らが、それを選んでいるのだ。

 自分に芽吹いた小さな命を、守るために。

 愛する人がくれた小さな宝物を、守るために。

 愛する人と、共に生きるために。


『トイレに行ってきてもいいですか? それからよく考えて返事をします』


 輝基の声が頭の中で響いた。


 その声で、ようやく私は我に返った。

 今はミッション中だ。余計なことを考えてはいけない。


 輝基の言葉を繰り返す。


「トイレに行ってきてもいいですか? それからよく考えて返事をします」


「その必要はない。実は、これまでのやり取りは茶番だったんでね。イリス、カメラを探せ」


 ラグルはニヤリと笑って私の背後を見やった。


 背後で人が動く気配がした。

 咄嗟に上半身を屈めて、摑みかかろうとする手をかわした。


『マズい。身元がバレてる。ゼル、ミッションは失敗だ。撤退しろ』


 そのまま走りだそうとしたところで、右頬に激しい痛みと衝撃が走る。


 その衝撃に、体は左に大きく投げ出され、耳元でガチャンと嫌な音がした。


 床に倒れたまま、視線を音がしたほうへ向けると、黒いエナメルのブーツがカメラを踏みつけている様子が目に入った。


『ゼル!ゼル……ゼ……』


 輝基の声が、途絶えた。

 通信が遮断されたのだろう。


 頭がぼうっとする。

 意識をクリアにしようと頭を左右に振った。


「イリスはこう見えて、武闘派でね。私の護衛の中で、一番、反射神経がいい。外にはあと8人護衛がいる。君のことは伝達済みだ。無駄な抵抗はやめたほうがいい」


 気がつくとラグルは、また最初に座っていた一番奥の席に座って酒を飲んでいた。


「特殊警察にはお得意様がたくさんいてね。ありがたいことに、執行者が来ることは毎回教えてくださる」


 ラグルは、人の弱みにつけこんで、少年少女たちを特殊警察に売り捌き、処罰から免れて私腹を肥やし続けていたというわけか。


 毎回、ミッションが失敗する理由は、これだ。


「悪党」

 思わず口から言葉が漏れた。


 身体全体が脈打つように、血が沸き返っている。


 許せない。

 こいつの息の根を止めてやる。


 私は、ゆっくりと立ち上がった。


 無理強いしてるわけじゃない、体を売るほうに問題がある、そう言われたら確かにそうかもしれない。

 しかし、自分の体より守りたいものがあって、そこへ悪魔がやってきて耳元で囁いたら、果たして、それを拒むことができるだろうか。


「悪党? それは心外だな。僕は、慈善事業に近いことをしていると思ってる。ここにいるイリスや外にいる護衛たち、そして僕自身も、戸籍を持たない人間だ」


 ラグルはグラスに入っていたルビー色の酒を一気に飲み干した。


「何故、僕たちに戸籍がないか分かるか?」


 戸籍の登録を認められないということは、法律で想定されていない出産となるはずだ。


「もしかして……」


「そうだ。僕たちは婚姻が制限されているアトリビュート間に産まれた子供だ。トラディショナルと異民族、もしくは、正規チャイルド同士、異民族チャイルド同士の間に出来た子供だ」


「婚姻が制限されているアトリビュート間に出来た子供を出産することは法律で禁止されてるはずじゃ……」


「禁止されているのに出産して、育てられなくて、ゴミのように捨てる人間もいる。君のような新米の正義の味方は知らないだろうから教えてやろう。そんな子供たちを、僕たちの組織は年間に1,000人以上保護している。戸籍のない子供たちは<違憲児>と呼ばれ、見つかり次第、特殊警察に連れて行かれ、その養育者も処罰を受ける。連れて行かれた違憲児は、今のところ帰ってきたという報告を受けたことはない。おそらく、『処分』されていると我々は考えている。もしくは、それ以外の何かの用途で使われているか、だ。どんな用途なのか、想像もしたくないがね」


 頭の中で、バラバラだったパズルのピースがはまっていく。


 実地訓練のターゲットについては、前からずっと疑問に思っていた。

 毎週のように行われる実地訓練のターゲットはどこから連れてきているのだろうと。

 ターゲットは十代の若い人が多い。


 なるほど、そういうことだったのか。


 違憲児の処分とオンブレの訓練を兼ねたもの、それが実地訓練だったというわけだ。


「僕は、この子たちを守るために、君たち正義の味方に精一杯の媚を売っているに過ぎない。無責任な両親が僕たちのように不幸な子供を作らないために、精一杯のチャンスを与えてやっているだけだ」


 正義の味方。

 ラグルはこれを最大の嫌味として使っているに違いない。


 彼らの言う通りであるならば、本当の悪党は特殊警察のほうだ。


 弱者を利用して、自分たちの欲求を満たし、表では正義の味方ヅラをして生きている。


「お前と通じている特殊警察の人間は誰?」


「お得意様情報は企業秘密なので、開示できないことになってる」


 私は、目の前のテーブルに置いてあったワインの瓶を掴むと、それをテーブルに叩きつけて割った。


 左側から伸びてきたイリスの手を左手で掴んで捻り上げると、壁に体ごと叩きつけた。


 鋭利な凶器と化したワインの瓶を、彼女の首元に当てがった。


「早く言わないと、この子の命はないわよ」


「さすが、正義の味方様はやり方が美しいな」


「何とでも言えばいい」


 私はワインの瓶をイリスの太ももに突き刺した。


 少女の悲鳴が部屋に響き渡る。


 ラグルは眉間に皺を寄せ、こちらを睨みつけ、そして舌打ちをして口を開いた。


「執行部司令官の藍住重通あいずみしげみちだ」


 まさか、司令官と通じているとは思わなかったので、その名前に驚いた。


 執行部の司令官は3人。

 それぞれの配下にオンブレと操縦者のチームが所属している。

 藍住は私たちのチームの司令官ではなかったが、特殊警察において、司令官はかなりハイクラスの地位の人間だ。


 思っていたよりもすぐに、ラグルは口を割った。何か企んでいるのかもしれない。


 尋問を続けるために口を開こうとした瞬間、VIPルームの扉が開き、刃物で武装した男たちが2人、入ってきた。


「言っただろう。無駄な抵抗はやめたほうがいいと。お前の人生はここで終わりだ」


 ラグルは不敵な笑みを浮かべた。


 私はイリスから手を離すと、背の高い男の持っている刃物を左手で掴み、その手首を右手で打ち付けて、刃物を奪った。


 間髪入れずに、その刃物で男の喉元を搔き切る。

 部屋中に血しぶきが飛び散った。


 背の低い男が、叫びながらその背後から飛びかかってくる。

 その心臓めがけて、刃物を突き立てた。

 寸分の狂いなくナイフは男の心臓を捉え、男はそのまま膝から崩れ落ちた。


 仰向けに倒れた男の心臓からナイフを抜き取ると、ラグルのほうへ、そのナイフを投げつけた。


 驚きで見開かれたラグルの目にナイフが命中し、ラグルは叫び声を上げてうずくまる。


 私は、背の低い男が手にしていたナイフをむしり取ると、うずくまったラグルに飛びかかり、部屋の中央の床へ引きずり出して仰向けに寝かせ、その上に馬乗りになった。

 そして、両手で思い切り振りかぶってから、心臓へと向かって一直線にナイフを突き立てた。


 ラグルは小さな呻き声を上げて、絶命した。


「無駄な抵抗をしているのは、そっちよ。お前たちが相手にしているのは、人じゃない。人を殺すために作られた兵器<オンブレ>なのよ。この部屋に凶器を持ち込んだ、それがお前の人生が終わった理由よ」


 その時、すでに戦闘能力を失ったと思っていた足を引きずった状態のイリスが、背後から飛びかかってきた。


 私はラグルから離れて体勢を整え、拳を握って構えた。


 怪我をしているが、ラグルの言う通りイリスは武術に長けている。


 長い手足が次々と私に向かって伸びてくる。


 何発かイリスの蹴りがまともに体に入り、痛みが全身に広がった。


「特殊警察だけは、許さない。私の姉を返して」


 イリスは肩で大きく息をしながら、そう言って私を睨みつけた。

 その太ももからは大量の血が流れ落ち、片足は真っ赤に染まっていた。

 顔色は真っ青だ。しかし、その瞳は力強くギラギラと光っていた。


 誰かに似てる。


 キツネのような目元。


『さよなら、イリス』


 一瞬、頭が痺れる感覚に襲われて、目の前に映像が映し出された。


 そうか。


 ようやく、彼女が最期に言っていた言葉が、何だったのか分かった。


「ゼル、大丈夫か」


 その時、VIPルームの扉が開いて、輝基が入ってきた。


 口元にはガスマスクを付けている。


「催眠ガスを撒いた。これを付けて脱出するぞ」


 輝基はガスマスクをこちらに蹴ってよこした。


「待って、まだミッションは終わってない」


 輝基は絶命しているラグルを確認すると「いや、もうラグルは死んでる。ミッションクリアだ。早く外へ出るぞ」と言った。


 私はイリスに摑みかかると、彼女の首を締め上げた。


「ゼル、捜査部に事後処理を頼んだ。組織の人間は捜査部に引き渡せ」


 イリスは違憲児だ。捜査部に引き渡せば、実地訓練のターゲットにされてしまうだろう。


 姉と同じように、モルモットの餌になる。


 実地訓練では、先程彼女とラグルにやったような尋問の訓練もある。


 尋問とはつまり、必要な情報を聞き出すために拷問を加えるということだ。


「彼女は護衛よ。執拗に私を殺そうとしたわ。危険よ」


 腕に力を込めた。


 彼女は、私が殺さなければならない。


 姉の命を奪ったこの手で、同じ手で、殺さなければ。


 腐ったこの世界から、彼女を救ってやるには、これ以外に方法が思いつかない。


 この地獄から抜け出すには、これしかないのだ。


 殺さないと、彼女をここで殺さないと。


 真っ青だったイリスの顔が真っ赤に染まり、血管が顔中に浮き出たかと思うと、彼女の体から一気に力が抜けた。


「ゼル! やめろ!」


 輝基が私とイリスを引き剥がしたときには、すでに彼女は絶命していた。


「なんで……。なんで殺したんだ。なんで殺したんだよ!」


「彼女が私を殺そうとしたからよ。輝基も言ったじゃない。私と輝基の命が危険に晒されたら、その時は殺しても構わないって」


 落ち着いた声でそう言うと、床に落ちていたガスマスクを拾い上げた。


「言ったよ。でも、こんな……彼女はまだ10代の少女じゃないか。殺す必要はなかった。君はそんなことも分からないのか」


「何故、殺してはいけないの?年齢?性別? 私は処刑の邪魔をする人間は全て殺すように教官に教わってきた。彼女は処刑の邪魔をし、私の命を狙った。だから殺した。輝基の命令に背いたつもりはないわ」


「君は見た目は人間でも、やっぱりAIなんだな。いいよ、先に帰ってくれ」


 私はガスマスクを装着して、VIPルームの扉に手をかけた。


「僕から連絡するまで、連絡しないでくれ。しばらく、君とは会いたくない。これは命令だ」


 輝基はイリスの見開かれた瞼を閉じてやりながら、私に背を向けて、そう言った。


「分かった」


 クラブを出ると、すでに捜査部の車が到着していて、眠っている護衛を運び出して車に押し込んでいるのが見えた。


 私は着けていたガスマスクを剥ぎ取って、道端に投げ捨てた。

 そして、左手に嵌めていたグローブを脱ぐと、それも歩道に投げやった。


 それと同時に、瞳からは涙が溢れて次々に零れ落ちた。


 私の涙に誘われるように、雨がポツポツと降り始める。


 雨の中を、何も考えずに歩き続ける。歩いているうちに雨足はどんどんと強くなった。


 雨なのか涙なのか分からないものが、頬を繰り返し濡らしていた。


 輝基の言葉が何度も蘇って、私の胸を締め付けては、消えていった。


『君は、やっぱりAIなんだな』


『君とはしばらく会いたくない』


『君はそんなことも分からないのか』


『ゼルは、いい子だね』


 道の真ん中でうずくまった。


「じゃあ、どうすればいいの。私はどうすればよかったの。誰も…誰も殺さずに生きるには、どうすればよかったの。これから、誰も殺さずに生きるには、どうすればいいの」


 どのぐらいそうしていただろう。


 ふらふらになりながら、また道を歩き出した。


「もしかして、ゼル? どうしたの? こんなところで」


 聞き慣れた声が、少し遠くから聞こえた。

 顔を上げると、そこには傘を差してビニール袋を手に下げたイロウの姿があった。


 心配そうに、こちらを見ている。


 頭がぼうっとしている。もしかしたら幻を見ているのかもしれない。


「イロウこそ、なんでこんなところにいるの?」


「なんでって、うちのマンションの近くだよ。この辺」


 そう言いながら、イロウはこちらのほうへ小走りに駆けてきた。


「そっか、そんなに歩いてたんだ」


 周りを見渡すと、確かにイロウのマンションのある赤坂のあたりのようだった。


「イロウ、たすけて」


 ふらふらとした足取りで、イロウの胸にすがりついた。


 誰でもいい。


 誰でもいいから、ここから助け出して欲しい。


 輝基しか見えないこの世界から、助け出して欲しい。

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