第15話 BBBBB

「電脳で遊んでばかりいると、電脳オバケになっちゃうよ」

 それはよく子供を叱りつけるときに用いられる都市伝説に過ぎなかった。或いは電脳深度が100%に達してしまうとそうなるとも言われていた。電脳深度100%自体が未知の領域だっただけに子供たちですら信じてはいなかった。

 脳が電脳のみに偏った結果肉体へ信号を送らなくなってしまった。詩的に言い換えれば「魂が逝ってしまった」状態にアキラは陥っている。

 一向に目覚める様子がないアキラは入院することになった。眠っているベッドは通常の患者用の寝台ではなく、以前アキラが監禁されていた間に使用していた回転機能付きの物だ。

「全部……元に戻っちゃったんだね」

 病室で傍らの椅子に腰かけ、ルーシーは涙ぐんでいる。

 電脳端末を外しても意識が回復しない。かと言って仮想空間では正常かというと、そうではなかった。同じサーバーにアクセスして呼びかけても返事はなく、彼女の〝トモダチ〟と遊び続けて近寄ることすらできない。絵の中の亡霊のような存在と化している。

「それを終わらせに来たんだろう?」

 デイジーの声は隣のベッドから聞こえた。首に固定器を巻き付けた姿で天井を向いている。

「私もこんな状態でなければ手伝えたんだが。君のせいだな」

「アンタが変な冗談言うからでしょ」

 デイジーは目覚めないアキラを見て「これがシンギュラリティかもしれない」と言って、逆上したルーシーに殴られて昏睡した。そうして現在に至る。

「殴られるほどではないと反論すべきか。生きていることに感謝すべきか」

「しなくちゃなのは命乞いでしょ。……悪かったわよ。リンゴ剥いてあげるから赦してよね」

「安過ぎないか、私の命」

 デイジーは笑って、「イテテ」と顔をしかめる。加害者のルーシーがすまなそうに縮こまるのを見て、話題を変えることにした。

「ところでだ。アキラの母親の思惑はなんであったか、見解を聞かせてくれないか。君のポジティブの限界に収まるならば、教えてくれ」

「そんなのわかんないわよ。……結局実家のほうで言ってた格言と同じになっちゃうんだけど、『電脳を頼る者は現実が好きじゃない。そうでなくても嫌いになってく』ってことなんじゃないかな?」

 実際にはもっと辛辣に語られていた。現実と向き合おうとしない卑怯者の逃避であると。

 以前はルーシーも賛同していたものの、ことここに至っては信じられなくなっていた。アキラは望んでこうなったわけではない。誰も好き好んで逃げたりはしない。

「電脳システムはアキラのお母さんが自分が作ったんだし、それがいいものだって証明しようとしてよくないこと始めちゃったけど、アキラのほうが大切になって思い留まったんだよ。それは合ってると思う。そのあともアキラを閉じ込めたのは今更普通の親子になる自信がなかったとか……? でも辛くて、アキラだけ見つけられたのはワザとそうしたんだったりして」

 最後の部分はデイジーも同じことを考えていた。うむ、と頷き、話を続ける。

「それで君はその母親が用意した理想の世界からアキラを引きずり出したいワケだ」

「だってよくないでしょ? 仮想世界で遊び続けるのは幸せかもしれないけど、ボットなんて結局プログラムなんだし本当の友達じゃないよ」

「その主張を取り下げないと退院後君に襲いかかるぞ。私が再入院することになってもいいのか」

 ルーシーは「ごめんごめん」と照れたように笑うが、デイジーの眼は血走って真剣だとわかってギョッとする。

「悪かったってば。現実でも仮想でも自分がどう思われていようと、相手のことが大切なら友達だもんね。でもアタシだってアキラが大切なんだよ。アキラにとっては向こうが幸せでも、会いたい。取り戻したい」

 今度の主張はデイジーも納得できるものだった。力みを解いて枕に頭を戻す。

「それで、準備は万全か」

「うん……。この2週間、お見舞いにも来ないでがんばったんだし。ゴトウさんが『電脳歴の問題じゃないから、あんまり時間かけても仕方ない』って言ってたし」

「ここからなら今の私にも手伝える。それでは始めるか」

「あ、あのさ」

 口ごもる緊張の声が珍しく、デイジーはムリをして体を傾けルーシーの顔を見た。赤面している。

「アキラが起きたらさ……卒業してからの話だけど、3人で一緒に暮らさない? アンタがお父さんで、アタシがお母さん。悪くないと思うんだ」

 色々と倒錯している。「旧来の家族構成にこだわるナチュラリストめ」「君の電脳歴で卒業は随分先になるのではないか」「夫婦喧嘩が命がけになるのは嫌だ」など、様々なことをデイジーは考えたが、微笑むだけにしておいた。



「皮肉なものだね。あれだけのことが起こっても社会は電脳を切り捨てなかった。ヒトはつくづく、一度味わった便利を手放せないものと見えるよ。もっとも電脳が凍結されたら私も存在していられないから、困るのだけれど」

 緑の太い線を引っ張っただけという雑に描画された草原、その向こうにあるハイキングの風景をルーシーは眺める。敷布いっぱいに広げた食べ物を囲む母子。楽しげな笑い声がここまで聞こえてきそうだ。

 今からそれをブチ壊しに行くのだ。

 ルーシーは覚悟を固め、己の頬をはたいた。

 痛覚は繋いでいない、にも関わらず皮膚はヒリヒリと火照っている気がする。それは彼女の電脳技能が育っている証明となる錯覚だった。

「アキラの脳は肉体を無視して仮想空間を選んでいる。現実を思い出させてここが仮想だとわからせれば連れ戻せるはずだ。君が彼女の未練であることを祈るよ」

 隣でゴトウも同じものを眺めている。テロ事件を経て強化された今は「ニジュウゴトウ」らしい。本人はこれまで同様「ゴトウさん」でいいと言った。

「失敗すればアキラは連合政府が管理することになる。そうなれば『治療』と称した実験の被験者にされてしまうだろう。私と同じ備品扱いだ。もう職員が回収しにそっちへ向かっているから、これが正真正銘、ラストチャンスになるよ。いいかい?」

 頷いたルーシーが踏み出そうとすると、ゴトウが手で制した。

「折角のフィナーレだ。ちょっと演出を凝らそう」

 言うなり、その姿が真っ白な馬に変わった。銀のたてがみが輝いて眩しい。

「さあ、お姫様を助けに行こうか。まあちょっと、男の子になっちゃってはいるけど」

 仮想現実とは言え馬に触れるのは久しぶりだった。安らいだ顔で首を撫でるルーシーの姿も、いかにも子供向けの物語に登場する王子様らしい白の衣装に変わっている。

 カボチャパンツでなくてよかったと安心して、ひらりと鞍に飛び乗るなり踵で腹を蹴って馬となったゴトウを走らせる。

 途端、あるはずのない向かい風を感じた。夢の世界を演じるこのサーバーのすべてが異物である自分を拒絶しているとルーシーは悟る。

 しかし怯みはしない。行く手ではイタハネ高校の生徒たちが列を成し、拍手と共に応援の言葉を口々に投げかけてくる。アキラの帰還を望んでここに集った協力者たちだ。軍服もいくつか混じっている。

「がんばれよ」

「負けるな」

 ルーシーにかかる負荷を気にした短い言葉。伝わる想いだけでなく、彼らの処理能力が加勢して周囲の空気が柔らかくなった。涙ぐむ眼でしっかりと前を見つめ、人垣が作る道を駈足ギャロップで駆ける。

 列が途切れ再び害意を持つ風に晒された時、突然目の前に妨害が出現した。3人の子供たち。あの恐ろしいテロリストを撃退したアキラの仮想のトモダチだ。

 アキラを連れて行かせない。

 そういう意思で立ちはだかる。今までの侵入はすべてここで彼らに阻まれた。

「ムッ、これはいけない!」

 いなないて前足を上げたゴトウが元の姿に戻り、空中でルーシーの腕を掴むと前へ投げ飛ばした。

「ここは引き受けるから君は行きなさい! あの子を頼む!」

 頭上を抜けようとする侵入者が見逃されるはずがない。子供たちの無垢な瞳がルーシーを追う。その動きが止まった。それぞれ肩を掴まれたからだ。

「君たちの相手は我々だ!」

「こういう時には手を貸すのがテンプレだからな」

 デイジーと生徒会、それにブルーハギルド。それにゴトウを加えた総力戦で抑えにかかる。

 制服姿に戻ったルーシーは体を捻って器用に着地すると、振り返らずに駆け出した。もう目標は目前だ。アキラがほっぺたに付いたクリームを取ってもらって嬉しそうにしているのが見える。やっと会えた。

 思いの丈をすべて詰め込んで、叫ぶ。

「アキラ! 迎えに来たよ!」

 大声が聞こえている様子はない。ルーシーの方を向くこともなく食事を続ける。本当に楽しそうな笑顔がルーシーには悔しくて切なくてたまらない。

「遅くなってゴメン! 待たせてゴメン! 一緒に帰ろう!」

 奇妙だった。距離が縮まらない。この加速なら数歩で届く所に、いつまで経っても到着しない。足が滑っているかのようだ。

 そうこうするうちに母子は立ち上がった。手を繋いで離れていく。

「えっ? ちょっと待って、行かないで!」

 幸せそうに我が子を見下ろす母。空いた腕をブンブン振って歩くアキラの横顔。

「やめて! アキラを連れてかないで! アタシまだ『おかえり』って言ってないよ。ちゃんと帰って来てくれないと、言えないんだよ!」

 夢中で手を伸ばしても、全力で地面を蹴っても、まったく前に進まない。やがてルーシーはその場に泣き崩れた。

「現実にだってちゃんと楽しいことはあるんだよ? 仮想はなんだってできるかもしれないけど、それだって現実を写したものでしょ? なのに現実が嫌なことばっかりなんて、あるわけないのに」

 嗚咽を漏らすルーシーを、アキラの母親がじっと見ていた。ハッとしたルーシーの背中が伸びる。

 立ち止まった母親に腕を引かれ、アキラも止まる。振り返ってルーシーを見る。

「……おねえちゃん?」

 ルーシーが膝を滑らせ手を付いて前へ進むと、今度はちゃんと距離が縮まった。駆け寄って来るアキラの向こうで、実に慈愛に満ちた母親の顔がゆっくりと深くお辞儀をして隠れる。

 それがなにを意味するのか、思考は胸に飛び込んできたアキラによって中断された。

「おねえちゃんひさしぶり! ボクねー、悪い奴やっつけたんだよ? そんでねー、エライってママに褒めてもらってたの」

 無邪気な笑顔の騒々しい報告を、ルーシーは何度も頷きながら泣き笑いで聞いた。前よりも印象が幼くなっているが、そんなことは気にならなかった。

 抱え上げてぐるぐるとひとしきり振り回して再会を喜び、地面に下ろす。

「そうだよ。すごく偉いよ。だからもう帰ろう? お祝いしなくっちゃだよ。みんな待ってる」

「ヤダ」

「えっ」

 予想しない返事だった。迎えに来れば、声が届けば、きっと応えてくれると思っていた。

「だってココ楽しいんだもん! なんでもできるし、バスに乗れば遊園地もすぐ行けるんだよ。バス楽しいよ。おねえちゃん遊園地好き? ボクお化け屋敷恐くないよ」

 完全に電脳に取り付かれている。

 考えてみればわかることだった。このサーバーにはアキラの意思以外に存在しない。ならば、アキラをここに留まらせていた意思とは。

「あ~……アンタかあ~……!」

 なにか悪いものがアキラをここへ縛り付けている。そう考えていたルーシーは頭を抱えて屈み込んだ。その肩を、アキラが無遠慮に揺する。

「ねー、なにして遊ぶ?」

 苦労したのに。心配してここまで来たのに。これが最後なのに。コイツは。

「アンタねえ――」

 ルーシーの中でなにかが弾けた。

 掌を広げ、アキラの股間へ当て、グッと掴む。

「アンタ、ちんこ付いてないでしょうが!」

 酷い叫びが辺りにこだました。

 ポカンとしていたアキラが十五歳の少女の姿に変わり、ルーシーと同じく頭を抱えて屈み込む。

「あ~……そうだったあ~……!」

 想定とは大きく異なるがうまくいった。アキラは現実を思い出した。

「ハイハイ、わかったら帰る――うぶっ」

 ホッとしたルーシーの顔が横へ弾かれる。平手打ちだ。見上げればアキラの母親が迫真の形相で怒っていた。

「あなた――ウチの子になにするんですか!」

 その行動に違和感があった。

 ルーシーはボットの行動パターンについて詳しいわけではない。それでも感じるものがあった。これはまさしく、母親の行動であると。

「捕まえろ! そいつは本物だ! 本物のミツエ・シラユキだ!」

 遥か後ろで見た目には大人げなく子供と取っ組み合いをしていたデイジーが瞼を引っ張られ変な顔になりながら叫ぶ。

 アキラとルーシーが我に返ったときにはミツエ・シラユキは慌てた素振りで姿を消した。信号を追おうとしても断ち切れていて跡を捜せない。

「見た……? 今の」

「……うん」

 アキラとルーシーは互いに固まった笑い顔を突き合わせる。

 消える寸前、ほんの少しだけ触れたデータに刻まれた彼女の電脳歴は二十万弱。電脳システムの正式運用前、実験段階から仮想空間に入り浸っても出るかどうかわからない数値だ。

「アキラのお母さん、とってもアキラのお母さんだ」

「うん。ママ、すごい」

 段々と笑いが声に出て、ふたりして空に向かって大声を上げる。

「うあーっ! 絶対捕まえてやっかんねー!!」

「ママーッ!」

 遠くで喚くふたりを見つめ、ゴトウはぐっと出力を落として腰を下ろした。頭によじ登られて首を左右に傾けつつ、誰にともなく独り言を呟く。

「おかしいと思ったんだ。あのテロでなにかの力が働いていないと、ワタシはあっという間に『ムトウ』さんにされていたはずだったんだもの。味方にすら気取らせないとは、彼女をもう一度見つけるのは困難だろうねえ」

 そんなことがあったのかと、隣で子守りをブルーハギルドに押し付けたデイジーはまたひとつ納得して答える。

「なあに、きっとすぐだろうさ。彼女はおそらくヒトの心を繋げる為に電脳システムを作ったのだろうから。向こうのほうが未練タラタラじゃ、きっとすぐに見つかる」

「やあ、それはステキな考えだ」

「未来の妻ならそう言うだろうと思ったものでね」

 ヒトの心は機械のように縁と情をオフラインとは易々いかない。だからこそ厄介で、また救われるのだろう。

 デイジーは現実と仮想の両面で始める鬼ごっこについて計画を練り始めながら、遠くではしゃぐふたりを眺めた。

「あ、アキラ」

「うん?」

「おかえり!」

 


<完>


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