エレクトリカル・デイドリーム 電脳箱入り娘

福本丸太

第1話 おきなさい わたしのかわいいぼうや

 灰色の狭い部屋でふたりの人物が向かい合っている。

「……なあ、いい加減認めたらどうなんだね」

 片方が身を乗り出して向かいの子供を見下ろす。口調には心底うんざりした心境が滲んでいた。

「証拠は揃ってるんだ。認めるしかないだろ?」

 間に挟んだ飾り気のない机には携帯端末が置かれ、モニターに「鬼母」「育児放棄」などといった大文字が躍っている。

 先月発覚した児童虐待事件についての記事だ。普段は上品に振る舞う国営メディアでも、文面はゴシップ誌と似通って苛烈なものになっている。

「被害女児は産まれて間もなく監禁、十五年もの時間を過ごす。犯人の母親は……未だに捕まっていないわけだが」

 母親が子供を虐待する。それだけならば残念なことにそう珍しい事件とは言えない。しかしこの事件にはそれ以上のことがある。

 被害女児は発見当時、寝台に体を固定、そして電脳端末を起動した状態だった。

 電脳端末、それは仮想空間に体感を没入させることのできる装置。立体的な映像を眺めるだけのかつて語られたバーチャルリアリティとは完全に一線を画する、脳信号とデジタルデータを相互に変換し意識とネットワークを繋げる電脳システムの端末だ。本来脳から肉体へ送られる指示をネットワークへと誘導し、ネットワークから受け取るデータを五感に変換して脳へと届ける。最先端であると同時に、運用開始から四半世紀も経たず世界に普及した、今や社会に欠かせない技術だ。

 捜査班が電脳端末を調べると、接続開始時間は女児が2才の年まで遡った。被害女児はほんの乳飲み子の頃から電脳が作り上げた非実在の仮想空間に連続して閉じ込められていたことになる。

 ではそれはどういう仮想だったかというと、ごく一般的な家庭だった。母親とふたり、なに不自由なく遊んで暮らす生活。逆に理想的と言ってもいい。現実には拘束されていても、女児はその仮想空間内で幸せに過ごしていた。

「『ママは優しかった』とか言われてもね、『それはそういう風に設定されたボットだ』としか言えないよ。現実じゃないのさ。今ココでキミが感じるものが現実だ」

 少し棘のある物言いに対面で俯く子供は椅子の座面をギュッと強く握った。腕を突っ張ると尖った肩が突き出て、薄い体つきが強調される。押せばフラつきかねないほど脆そうだ。

 今度の語りかけは優しいものになった。

「ずっと仮想しか知らなかったんだから、混乱するのはわかる。でもこれが現実なんだ。ゆっくり慣れていけばいい。キミが社会に出て自立するまで、きちんとサポートするから」

 しばしの沈黙ののち、子供は耐えかねるるようにして、固く閉じていた唇を開いた。

「――んこ」

「うん?」

 空気を肺一杯に溜め、そして吐き出した少女の、絶叫が小さな部屋に響く。

「ちんこ返せっ!」

 被害女児の名はアキラ・シラユキ。彼女は仮想空間では男児として過ごしていた。現実に十五歳の少女だが、当人は自分を十歳男児と思い込んでいる。

「納得できないの、そこかい……」

 彼女が目覚めて以来ずっと相手をしてきた担当保護官は、いっそのこと机上の画面に浮かんでいるよりも過激な罵声を浴びせる選択肢について考えた。


 被害女児を預かってから一か月の間、何度も言い聞かせたというのに「ピーター・パンよりはウェンディのほうが近い」という事実をどうしても受け入れてくれない。

「ボクは今までちんこぶら下げて生きてきたんだ。それをいきなり取り上げられて、納得なんてできないよ」

「女の子が『ちんこ』とか言わない」

「ぶら下げてたって話をしてるんだ。女じゃない! ちんこですけど? ずっとちんこでやらせてもらってますけども?」

「一度たりとも、なんにも、ぶら下がってない」

 虐待を受けていた当人にそれらしい悲壮感がない理由は当人にその意識がないせいだ。一般的な虐待事件において、加害者が家族である場合にも被害児童が「相手は悪くない。本当は優しい」と思い込む例は少なくない。だが本件に関してはまったく事情は異なる。

 なにしろ彼女の精神は仮想空間において自由であり、架空のボットながら母親と過ごした記憶を有している。その出来事がすべて嘘だったと言われても、すんなり受け入れられるはずはなかった。

「いいから元に戻してよ。ログアウトしたいのにさっきからできないんだ。ここのサーバーの管理者が権限で封じてるんでしょ? スグやめさせて」

 仮想空間こそが現実で、逆にここが仮想だと思い込んでいる。むしろ今こそ電脳空間に監禁されている、というまったくアベコベの認識だ。

 自身の境遇を一向に信じないおかげで戸惑うことも傷つくこともなく、口を開けば「ログアウトさせろ」と「ちんこ返せ」ばかり。

「あのね、現実からログアウトなんてできないんだ。できるのは君がいたバーチャルだけ。大体ログアウトに制限をかけるなんて、違法行為だよ」

 物言いからは段々と被害者への配慮が抜けつつある。しかし、さすがに「君の母親はやっていたが」と続く言葉は伝えなかった。

 電脳規制法。安全に仮想空間を運用・利用する目的で施行された法律だ。児童が電脳端末を利用する時間についても規制が設けられている。

「ここが現実だって認めたら、うちに帰してくれる?」

「それはムリだよ。君が常駐していた仮想空間を構築していたサーバーは押収された。今からアクセスしようったってできない。もうあそこには行けないんだよ」

 監禁を抜きにしても、5才以下の乳幼児に仮想体験を強制させたことだけで彼女の母は罪に問われる。そのためにサーバーは犯罪の証拠品と見なされた。

「まったく同じ環境を再現することならできるよ? 元々仮想空間なんだから本物も偽物もないわけだし。ただ、そういうことをして心を慰めるより、現実に順応して自分の人生を歩んでほしいっていうのが社会の意見だけどね」

 自分の居場所だと思っていた所は、現実にはどこにもない。大好きな母親はボット。現実の母親は逃亡中。十五歳の少女が受け入れる現実としては辛過ぎる。

「じゃあログアウトは一旦置いといて、このアバターだけでも変えさせてくれない? 今まだチュートリアルなんでしょ? メニュー開かせてよ。おーい! もうずっとこの部屋じゃん、進行遅いよゲームマスター!」

 天井に向かって呼びかける当人に悲劇性は少しも表れないとしても、彼女は間違いなく被害児童である。逃避が必要なほど辛い現実だとしても、まずは受け入れなければ人生のこれからはない。

 そのお膳立てをするのが自分の役割なのだと、保護官は目的を改めて確認する。机の上の端末を撫でて新たな書面を呼び出し、続きを始める。

「ログを確認したけどキミは――いや、仮想空間でのキミのアバターは本来女の子だったんだよ。それが接続継続時間4年目、五才のときに変わった。原因は多分、キミ自身がそれを望んだからだ。『男の子になりたい』ってね」

 それはよくあることと保護官は理解している。

 子供の頃、異性が得をしているように見えたことくらい誰にだってあるはずだ。「男の子になれたら」「女の子だったら」 現実にはどうしようもない妄想が、仮想でならどうとでもなる。そして彼女、アキラ・シラユキにとっては仮想こそが現実だった。

「キミがいたサーバーは君の願望をある程度自動的に反映するよう設定されていた。だから性別も変更できたんだ。公共でもない個人用のサーバー内なら、アバターに制限をかけないことは珍しくはない。一般的なごっこ遊びだよ」

 すべてが自由になる世界は楽園そのものに化けられる。だがそれは幻想だ。必ず醒めなければいけない幻想。

 しかし、アキラは首を振った。

「そんなコトない。だってなんでも思い通りになんてならなかったもん。外で遊ぶのは夕方までだったし、ひとりで行っていいのは学校とおっきい公園まで。ママは好き嫌いゼッタイゆるしてくれないし。全然思い通りなんかじゃなかったよ」

 もし本当になにもかも思い通りになる夢の世界なら、いつまででも遊んで好きなものだけを食べていたはず。アキラの主張はそういうことだが、保護官は姿勢を崩さない。

「そういう子供らしいルールがあった理由は、キミが自分で『そうしなくちゃいけない』と思っていたからだよ。キミはママとの約束を守る良い子でいたかったんだ」

 だが少なくともアキラが知る「ママ」は実在しない。そこまでを伝えるのは憚られる。ただし充分に伝わったようで、息を吞む音を聞いて保護官は耳を塞ぎでしまいたい気持ちになった。

 そして、続ける。

「アバターについてはまだある。その後は『男子のキミ』が成長するに併せた適切な変更だったけれど、十才からの五年間はそのままだ。キミは十才を五度繰り返していたことになる。サーバーがそれ以上を想定していなかったのか、それともキミが、今度は『時間よ止まれ』と願ったのか。理由は多分、キミにしかわからない」

 アキラの頭が下がり、傷つけた気になって保護官は横へ首を向ける。アキラはじっと机の天板を見つめた。

「憶えて……ない。そう言えばずっと夏休みだった気がする」

 ショックを受けているらしい様子を震え声に感じ、保護官はそれ以上追い打ちをかけることをためらった。しかし少しの間を置くと「ようやく話が通じている」と思い直し、結論を聞かせるべく急ぐ。

「そういう理屈でキミは自分を十才の男の子と思い込んで、十五才の女の子として目覚めることになった。これが真実なんだ」

 沈黙が続く間、保護官は目の前のか弱い少女が事実を受け止めるのを身じろぎさえ己に禁じて待った。

「じゃあ……ないの?」

 涙声で嗚咽を交えながらの曖昧な問いかけに、保護官は同じように項垂うなだれる。

「ああ。キミに……ちんこは無い」

 この部屋で最後に告げる言葉がそれだということが無念でならない。

 彼女の保護期間は今日をもってとうとう終わる。


「資料を見る限りでは結構良いとこみたいだ」

「へぇ、調べたんだ。わざわざ」

 犯罪被害者をいつまでも保護下に置いておくことはできない。アキラ・シラユキは選ぶことのできない生まれの時点で犯罪に巻き込まれた。当人に落ち度は一切ないのだから、少しでも早く正常な人生に復帰させるべきという意見が大勢を占めている。当然の主張だ。彼女の現状を直接知らない人間ならば、という限定付きで。

「茶化すなよ。パンフレットはちゃんと読んだか? ホラ、窓に顔をくっつけるな。こないだ磨いたばっかりなんだ」

 彼女の今後に関して様々な団体が注目していたが、担当保護官の強い要望もあって一般の高校に編入することが決まった。

 だがいくら周囲がそれを望んでも、実際に彼女を受け入れるのは同じ学校に通う生徒たちだ。犯罪被害者であると同時に犯罪者の娘という特殊な立場である彼女に対し、子供たちがどういう反応を起こすかは楽観できない。世に広く知られた彼女の事情は若者の好奇心を大いに掻き立てていることだろう。

「とっもだっちひゃっくにん~♪」

 当人には臆する様子がまったくない。それが保護官を増々不安にさせた。移動する車中の助手席で窓に張り付き歌を口ずさむ様子は十才よりももっと幼く見える。こんな調子で高校に馴染めるだろうか。

「それよりホラ、自己紹介! ちゃんと考えとくんだぞ? 今後の学校生活を左右するんだから」

「なんか失敗した経験でもあるみたい」

「あるわけがないだろう」

「……ねえ、ゴトウさんさあ」

 急に呼ばれ、保護官は一瞬思考を止めた。「人さらい」や「悪の手先」でなく、きちんと名前を呼ばれたのはこれが初めてで、自分で名乗った名前にも関わらずそれが自分を指していることに気付くのが遅れた。

「ああ、どうした?」

 保護官――ゴトウが返事を返すと、アキラは窓から額を離して振り向き、にんまり笑った。

「ゴトウさんってなんだかボクの親みたいだよね。ボクより緊張してるんじゃない?」

 からかいを含んだ上目遣いに横へ伸びて薄くなる唇。それからケタケタと笑う。

 その笑顔を見て、ゴトウの不安はキレイに消え去った。

 十五年に渡ってアキラを縛り付けた寝台は奇妙なことに食事や排せつの他、電気刺激で筋肉を鍛える機能まで備えていた。そのおかげでずっと寝たきりだったというのに日々の生活程度なら運動に支障がない。

 しかしそれでもやはり華奢で小柄だ。そしてずっと屋内にいたから色も白い。髪は本人の希望で短髪にしてしまってアンバランスかもしれないが、表情の子供っぽさが愛嬌となって魅力を備えている。不健康そうな割に元気なので保護欲をくすぐられる。

「きっと人気者になるぞ。告白してくる男がいたら、すぐ相談しなさい。別に心配ってわけじゃないが、保護期間は明けたと言ってもキミの担当はいつまでもワタシなんだから」

「人気者は前からそうだけど、男に告白なんてヤだよ、気持ち悪い」

 舌を出して吐きマネをするアキラを横に、保護官は一瞬違和感で思考を固めたが、すぐに思考から追い出す。

 もしそれを認めれば、この一か月の努力がムダだったことになってしまう。

 精神的には思春期未満なのだから、恋愛だの恋人だのはまだ照れくさい。それでそういう反応をしたに違いない。そう自分に言い聞かせた。


「さあ着いたぞ。ここがこれからお前が通う、イタハネ高校だ」

 車を降りて校舎の前に立つ。白く飾り気のない建物で、住宅団地のようにすら見えた。

「ワタシが案内できるのはここまでだ。ここから先に入っちゃいけないことになってる」

「なんで? ゴトウさんなんかやったの」

「個人的な出入り禁止じゃないよ。セキュリティが厳しくて部外者は入れないようになってるんだ。生徒の肉親だってロビーの談話室まで、っていうくらいだ」

 だからこそ、ゴトウはアキラのためにこの学校を選んだ。

 ここならば彼女を狙うヨコシマな存在を遠ざけていられる。学校側も変に同情的でないところが気に入った。他の生徒と同様に接するそうだ。本人は被害者と自覚していないので、そのほうが好都合だった。電脳面に力を入れている校風もきっと肌に合う。

「連絡はしてあるから最初に職員室へ行くこと。全寮制で、必要なものは揃っているはずだ。足りなければ遠慮なく言ってくれ。ルームメイトとは仲良くな」

 これでようやく仕事がひと段落する。そんな感慨に浸るゴトウは不意に片腕に重みを感じた。

 首を向けるとアキラがそでを掴んでいた。じっと地面に視線を落としている。

「……怖いか?」

 知らない環境。初めて接する人々と大人数。転校して初登校を不安がるのとはワケが違う。彼女は十五年の歳月を経て、今初めて現実に飛び込もうとしているのだ。その心境を想い、ゴトウはアキラの頭を撫で小さな声で話しかけた。

「嫌なら行かなくてもいい。なに、社会に溶け込まなくても生きていく方法なんていくらでもある」

「ゴトウさん引きこもりだったの?」

「だから、そんなわけないだろ? とにかくなんとかなるから、落ち着く先が見つかるまでは私が守ってもいい。心配するな、そのくらいの甲斐性はある」

 ウソではない言葉だ。それがアキラのためになるかは疑問があっても、親族に引き取りを拒否されたこの少女にはたったひとりでも味方が必要だ。

「ママが『子供にイタズラする大人がいるから気を付けて』って言ってた。ゴトウさんって……ショタコン?」

「この場合はロリコンだな。いや、違うが」

 袖を離し、アキラは笑う。

「ゴトウさんみたいなひとがいるなら、この世界もそんなに悪いひとばっかりってわけじゃないよね。子供にイタズラはするけど」

「しない。する人間もいるにはいるが、見ての通りワタシは違う」

 笑顔のままアキラが校舎に目を向けたのを見て、ゴトウは自分の役割が終わりを迎えたことを知った。不安を乗り越え現実を受け入れようとしている。いよいよ巣立ちの時だ。

 改めて、という風にアキラが校舎を眺める。

「でっかい建物だなあ。こんなに大きいのにちょっともテクスチャ崩れないんだね。いかにもラスボスとかいそうだけど、まだプロローグ終わったばっかりだからなあ。ステータス育ってないしプレイヤースキルでなんとかなるようなのしか出てこないか」

 感想を聞いて、タスクの終了に待ったがかかった。

「なあ、まさか……アキラちゃん?」

「さあ行くぞ、勇者アキラの冒険は始まったばかりだ!」

 わーっと、声を上げて走っていく姿を見て保護官は確信した。

 学校指定のスカートを拒否して運動着を着込んだあの背中は、十才男児を続ける気でいると。


<続く>


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