第2話 こんにちは! ここはイタハネ高校だよ
突然のある日に今までの人生はすべてウソだったと告げられ、見知らぬ現実に放り込まれたアキラ・シラユキ。彼女は一連の出来事を「異世界探索RPG」と判断した。
与えられた世界で役割を演じる仮想体験。そこで全部の課題をクリアすれば無事ログアウトしてなにもかも元に戻れる。彼女はそんな夢想が叶うと信じて熱意を燃やし、普通に日常を送る他の生徒よりも真剣な姿勢で学校生活へと挑んだ。
すべては失ったものを取り戻すため。〝ちんこ返せクエスト〟の始まりである。
「やあみんな! ボクの名前はアキラ・シラユキ。前にいた所では人気者だったし、みんなもすぐボクと仲良くなれるよ! とりあえず目標は友達百人。君たちがNPCでも、ちゃんと対等に扱うから安心してね!」
教室でクラスメイトの前に立ち、臆面もなく自己を中心とする物言いは「主人公は自分」という意識から来ている。
まるでモブへ向けたスピーチを聞かされ、人並に思春期へ突入しているクラスメイトたちは反感を露わにする。事件について関心を持たなかった生徒まで余さず、この転校生が報道される被虐待児の〝少女A〟であることを知るところとなった。
「とりあえず次の休み時間にボクと遊びたいヒトー? 手ぇーあーげて! ハーイ、ハーイ!」
友達百人できるかな。そういうノリで自己紹介をしたアキラだったが、その意に反してまたたく間に孤立することになる。
「……おかしいんだよアイツら」
昼休みにポツンとひとり、教室に残ったアキラがふてくされて呟く。他には誰もいない。
「休み時間に外行かないしボール取り合わないし、なんか服のカタログとか読んでんの。ワケわかんない」
空中へ言葉を投げかけているのはクラスメイトに相手にされない寂しさで気が違ってしまったから、というわけではない。電脳端末のヘッドセットが「通話中」の表示で報せていなければ、
通話相手は彼女の保護官ゴトウ。今朝アキラを学校に送り届けて仕事が片付いたというのに、その日の昼にはこうして連絡を受けている。まったく手を離れていない。
≪あー……そうだな。全寮制だから私服なんて着る機会はほとんどないはずなのにな。外出申請はなかなか通らないとも聞いた≫
「そういう意味じゃないよ。全然遊んでくれないって言ってるの!」
≪昼ごはんは食べたか? いっそ早退して一緒に食べに行こうか≫
「ボク今日からこの学校に住むんでしょ? 早引きしても帰れないよ」
電脳端末は脳神経の信号を変換しネットワークと相互に通信する。アキラは音声通話をしているように見えるが、脳が直接情報をやり取りするので実際に声を出す必要はない。長い電脳暮らしで技術として電脳の操作が身についていないアキラはつい話してしまっているだけだ。脳が信号をネットワークとやり取りした経験は豊富でも、感覚的にしか扱えない。
電脳端末もアキラにとっては「気持ちを集中するとなんか変なことができる機械」でしかない。
「ゴトウさん、ボクこの学校合わないよ。他の所にしたい」
早々にギブアップ宣言が出て、ゴトウからの通信は途切れ途切れに淀んだ。
≪うぅん……。学校を変えることは構わないんだが、自分に問題があることを自覚しないと、どこに行っても同じことになる≫
「なんで? ボク、前はリーダーだったんだよ? 虫取りとかめっちゃうまいし! メンコ絶対ひっくり返すし!」
≪キミの十才児観、ちょっと古くないか? 高校生はそういうことでは張り合わないんだよ。色鉛筆の種類の多さで威張ったりできない≫
「ウソでしょ……? 十五才って……オッサンじゃん」
≪オッサンじゃないよオバさんだよ。……いやオバさんでもない。高校生なんだから、お嬢さん≫
「じゃあ高校生はなにすんのさ」
≪スポーツとか勉強とか……あとさっき話が出た服の本――ファッションの話題だね。子供のうちからそういう方面にも目を向けておいたほうがいい。せめて読む漫画は少女漫画にするとか。女の子が男の子向けの漫画ばっかり読んでオシャレに憧れずに成長すると結構大変なことになるんだ≫
「ゴトウさんの失敗談は聞いてないよ」
急にゴトウの姿が目の前に現れ、アキラはぎょっとした。
≪キミもしつこいねえ? ワタシにそんな暗い青春時代なんてないよ≫
頭を抱える姿がそこにあるかのようで、もちろん実在はしない。現実の風景に架空の映像を重ねた
電脳接続はまず脳信号の選定――簡単に言えばどの程度電脳側に脳信号を振り分け、また受け付けるかを設定する。電脳端末のスイッチを入れるだけですぐさま仮想空間に没入するわけではない。
これを〝電脳深度〟と呼び、10%前後なら送話以外ではもっぱら聴覚に受信するばかりのナビゲート。30%前後なら加えて視覚に仮想が入り込む複合現実。60%前後で感覚が完全に仮想空間へ没入する
今のアキラは30%の状態だ。自身で気が付かないうちに電脳深度が上がって、通話以上の情報を受信していた。
≪あっ、コラ。勝手にこっちの情報を引き出すんじゃない≫
「だってゴトウさん全然話聞いてくれないし……ごめんなさい」
意識して深度を落とそうとして、戸惑う。
机の向こうに担当保護官という目に馴染んだ景色を消してしまうのは寂しく感じた。
この一か月ずっと心配くれていたことを思い出し、アキラは深く息を吸って吐く。すると昂った神経が戻ったのか、ゴトウのアバターが自動的に消えた。アキラの電脳操作はまだ不安定で、感情に大きく左右される。
「……ゴトウさん、ボクはどうしたらいいの? アドバイスちょうだい」
殊勝な態度にゴトウの声も改まる。
≪まずクラスメイトは十五才の高校生だということを理解しなさい。小学生じゃない。キミもね≫
「……わかった」
ただし、「そうしないとこのゲーム世界から脱出できない」という風に理解している。
≪それを踏まえたら、今日の行動を色々と反省しなければいけないだろう?≫
「そうかなあ」
≪ごまかせないぞ。ワタシはキミの後見人ということになっているんだから、たくさん苦情が届いているんだよ。ハデにやったな? 登校して半日で〝被害者の会〟が設立されるなんて、タダゴトじゃない≫
そう言われてもアキラにはピンと来ない。
「えー? なんでー?」
≪女子のスカートをめくっただろ≫
「うん。やった」
最初の休み時間に親しく話しかけてきたので、丁度いいと思っていきなりかました。
「だってスカートめくりは前からフツーにやってたよ? あ、バカだなゴトウさん。パンツ見ようとしたと思ってるでしょ? 違うよちょっとした〝からかい〟。挨拶みたいなもんだよ」
≪セクハラ親父みたいなことを言うな。バカはキミだ。環境が変化したことを自覚しなさい。警察沙汰になっていてもおかしくなかったコトだ≫
「だってアイツら……ママのコト悪く言うから……。ママは優しい良いママなのに」
同情的な態度から出た女子たちの言葉にアキラは反発した。だが周囲には哀れな子供の自己暗示としか受け取られない。それがなおさらアキラには腹立たしかった。
≪それで仕返しにスカートめくりか。とにかくもう二度としないこと。君だって同じことをされたら嫌だろう?≫
「スカートなんて履かないもん」
≪履くんだよ。いつまでもジャージ、というわけにはいかないんだから。君はさっきワタシにアドバイスを求めたよね? 言うことを聞くのが道理だとは思わないか≫
「それは、そうかもしれないけど……」
言わなきゃよかった、と素直な態度を後悔する。
≪とにかく女子に謝ること! そうしないと学校の女子全部を敵に回したままだぞ≫
「別にいいよ、女子となんか遊ばないし」
≪男子とばっかりつるむ女子って、それちょっとイヤな女だぞ。女子から嫌われるヤツだ≫
「そんなこと言われてもボク、男だもん」
≪ああもう、そこが変わらなきゃ話にならない≫
通話はしばらく続いたが、話は平行線のまま進展せずに終わった。
「こんななら、学校来るんじゃなかった。ゴトウさんとふたりのほうがよかったなあ……」
ため息をついて、無人の教室を見渡す。クラスメイトに避けられていることはアキラにもわかっていた。
意識的に電脳深度を上げると、そこかしこに実在しないものが現れ始める。電脳深度30%、複合現実の状態で見る教室では個人の机に違いがあったり、壁に連絡事項がスライド表示されていたりする。
アキラの机には落書きがあった。実際には書かれていない仮想上の落書きだ。「捨て子」「同情して損した」「変態」などと書かれている。半分以上は自業自得ものだったが、それ以外のものがアキラの胸を
「ボクはママに捨てられてなんかない。こんな奴らの言うことなんて、信じるもんか……!」
涙を落として瞼を閉じると、自然に電脳深度が上がる。一気に六十%。視覚・聴覚・おおよその皮膚感覚が肉体から切り離され、仮想空間に没入する。
そこは学校が用意している仮想空間で、シミュレーションを利用する場合にはここで授業が行われることもある多目的な空間だ。見た目には学校と変わらず、ただ教室が無数にある点で異なる。使用するうえで許可が必要な共用の場所や、アカウントと共に生徒ひとりひとりに与えられる記憶領域を繋いで生徒たちが自由に過ごす場所もある。
どこまでも教室が並ぶ長い廊下。そこでアキラは十才児の姿だった。生徒アカウントでログインした証明として学校指定の服を着ている。ただしやはり運動着だ。
アキラはまずズボンを下ろし、確認する。
「よし、ちゃんとぶら下がってる。おかえり! ……やっぱり本当はこっちが現実なんじゃないか。アベコベにされてるだけでさ」
仮想空間で自分自身となるの個人アバターの初期状態は自己認識に依るので、当人がそう思っている以上そうなるのだが、保護期間中何度か試した電脳体験でそういう考えに至ってしまっていた。
「この学校は外に出してくれないってゴトウさん言ってたし、ママを探しに行くことはできないか」
ズボンを戻し、「よし」と頷く。
「脱出クエストが見つかるまで、どっかで遊んでるとこに混ぜてもらおうっと」
そう言って手当たり次第に部屋を覗いては見るものの、ことごとく断られた。校内のネットワーク上だけあって危険人物の情報は知れ渡っている。話しかけるまでもなくアキラの
電脳がどういうものかをよく理解していないアキラにとっては「入り口で追い返された。鍵をかけて中に入れてくれない」という状況になる。
「なんだよ! いーよ! じゃあひとりで遊ぶから! うぇーん」
泣きながら廊下を闇雲に走り回ったアキラは、やがて奇妙な場所にたどり着く。
そこは保育園のような部屋だった。風景こそ他の教室と似通っているものの、花柄や星で飾られた壁はいかにも子供じみている。アキラにとって「高校」よりは落ち着く場所と言える。
「保育体験ルーム……ふぅん。子供と遊ぶのが勉強なんだ。変なの」
すべてがデータ上なのでいつでも求める情報を引き出すことができる。「ここはなんだろう?」と考えるだけでアキラは部屋の目的を知った。
「あ、ちょうどひとりいる」
部屋の中央に女の子がいた。幼い体に合う女子用制服を着た3才くらいの小さな女児が積み木で遊んでいる。
「なんで高校にこんな子供がいるんだ? 先生の子かな。……まあいいか、ボクも高校生じゃないし。おーい! おにいちゃんが遊んでやるぞう」
大声を出して近づくと、女の子は驚いてあからさまに怯えた。
「ん、なんだよ。ボク脅かしてないよ。ママは『小さい子には優しくしなさい』って言ってたし」
そこで「どうしたらいい?」と考えるだけでデータベースから保育マニュアルが流れ込む。
「そうだ。まずは自己紹介しなくちゃだ。ボクの名前はアキラ。よろしくねおチビちゃん!」
しゃがんでにこやかに挨拶をしたものの、女の子は目を丸くするばかりで反応しない。
「……返事しろよ。生意気だな」
母の教えもテキストで学んだすべてを放棄して軽く小突く。女の子は思い切り後ろへ転んだ。
「わわっ! ゴメン……泣かないでよ?」
女の子は泣かなかった。体を起こし、不思議そうにアキラを見つめる。ホッとしたアキラは今度こそ優しくしようと振る舞う。
「ええと……つ、つよい子だね~? あのさ、おにいちゃんヒマなんだ。つまらない遊びしか知らない子供に年上のクールな遊びを教えてあげるよ」
アキラは手に取った積み木を積み上げながらも、女児を不気味に感じないではいられなかった。
十数分後。アキラはひとりで勝手に盛り上がっていた。自分もくぐれるサイズの橋や、背よりも高い塔などを完成させてはしゃいでいる。
「見よ、このクオリティ! 完璧なバランス! 年長者の実力を感じ取れ。ワハハハ!」
誇らしく胸を張る。が、すぐに頭を抱えた。それほどの大作を生み出すほどの積み木がひとつのオモチャ箱から出てきた不自然に気付いてしまったからだ。
オモチャ箱には底があり、逆さにすれば中身も全部落ちる。しかしそうやってカラになった箱でさえ「こういう形が欲しい」と考えて覗き込めばそっくり望み通りの積み木が現れる。
これでは否定のしようがない。
「ああもうヤダ! ちゃんとちんこついてるのに、ここ仮想空間だ。さっき保育マニュアルがわかったのもおかしいよ! ボクそんなこと知らないのに! ……でもここがそうだからって、さっきのトコが現実とは限らない……。ゴトウさんの言ったことが全部本当なワケあるもんか」
アキラは自分に言い聞かせ、いつだって優しく微笑みかけてくれた母親を思い出した。あれが血の通わないボットなはずがない。
「ここが仮想空間なら、お前こそボットだよな。変だと思った」
ずっとほったらかしになっていた女の子を見ると、アキラには目もくれずひとりで粘土遊びをしていた。子供だと思って世話していた相手が教材ボットだとわかると胸がモヤっとする。しかも完全無視。
「おーい、なにやってんだよ。それじゃふたりで遊んでる意味ないだろ? ボットでもいいから子分にしてやるぞ。ボクの作品を見ればすぐ『アキラくんスゴい。子分にしてください』ってなるだろうけど。フフフ」
女の子は幼児らしからぬ冷ややかな目つきでアキラに一瞥くれたあと、粘土遊びに戻った。どうにかヒトと判別できる程度の粘土人形を立て、満足そうに鼻を鳴らす。
突然そこへラジコン・カーが突っ込んできて人形は倒れた。女の子は目をまん丸くしてそれを見つめる。ラジコン・カーはついさっきアキラがオモチャ箱から取り出した物で、リモコンを持ち操縦しているのはもちろんアキラだ。
「へっへっへ、思い知ったか。ユーザーをナメるとこうなるのだ」
乗り上げたタイヤが空転して粘土の人形をズタズタにする。女の子がキッとアキラを睨む。
「な、なんだよ。怒ったってちっとも怖くないやい。おにいさんとケンカするか? 教材がユーザーに逆らうのか。仮想空間で暴力は禁止だってさっき見た部屋の情報に載ってるの読んだもんね。へへーんだ」
六十%以上の電脳深度なら痛覚も体感可能だが、基本はオフになっている。それはこの部屋が保育技能目的だから、というわけではない。なんでもできてしまう仮想空間で、なにもかも体感できてしまうことは危険だからだ。
「つまりお前がどんなボットでも、ボクを傷つけることはできないのだ! ワハハハ―― あー……なにこの虚しさ」
一時の高揚が醒めてしまえば、羞恥心と罪悪感だけが残った。仮想だろうと幼児をいじめる構図はいかにも情けない。
「うぅ、ボクが弱い者いじめするなんて……。ボットだからなにやっても平気なんてコトなくて、『反撃されない』『嫌われない』ってわかっててやるなんて、余計最低だよ。……ごめんなさい」
自己嫌悪の果てに頭を下げたアキラを見て、女の子はまた驚いて見せた。それは相手の言動を予測していたからこそ出た、およそ幼児らしからぬ反応だったが、アキラは「表情の種類が少ない」と思う程度で気が付かない。
「ゆるしてくれるならさ、今度はちゃんとふたりで遊ぼう? 一緒に人形作ろう」
ここが現実でも仮想でも、間違った行動は改めなくてはならない。なぜならば母親と再会したときに「あのね、こんなことがあったよ」と冒険譚を誇らしく報告できないからだ。それがアキラには重要なことだった。
女の子は少しの間考える素振りを見せ、それから粘土をちぎってアキラの手に乗せた。よく知っている油粘土の匂いがして、アキラはここがニセモノの世界であることがまた信じられなくなった。
<続く>
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