第5話 ちから:255 の奔走

「おっかしいなー? 具合悪くなったんなら絶対ココだと思ったのに」

 狙いが空振りに終わった保健室を出て、ルーシー・アファールは首を傾げる。体育の授業が終わっても運動着のまま、後ろでまとめ上げた少し癖のある髪もそのままにしている。

「こんなとき電脳に詳しければ、すぐ居場所を突き止められるんだろうけど……」

 生憎と電脳歴700時間の彼女にそれは叶わない。集中しなければ電脳深度10%にも達せず、オープンな情報にアクセスするにも苦労する有様だ。そのせいで食堂ではひどい失態を演じもした。

「『アンタのせいじゃないよ』って言って、ちゃんと謝らないと……アタシが普通に〝デキる子〟なら、あのくらいなんともなかったんだろうし」

 ルーシーが捜しているのは体育の授業中いなくなったアキラだ。

 この行動はアキラが被虐待児であることからくる同情や共感ではない。当人すら失敗と認めるあの痛々しい自己紹介こそが理由だ。アキラとルーシーは同じクラスではないものの、「おかしな転校生が来た」と噂話が流れる中でそれを聞いていた。


『やあみんな! ボクの名前はアキラ・シラユキ。前にいた所では人気者だったし、みんなもすぐボクと仲良くなれるよ! とりあえず目標は友達百人。君たちがNPCでも、ちゃんと対等に扱うから安心してね!』


 受けた印象が「うわぁ」であることについては他の生徒と変わりはないが、友達を求める意欲は孤立していたルーシーにとって都合がよかった。アキラの行動の結果孤立が解消された今でも気持ちは変わっていない。

「アタシ……アイツの友達になりたい。百人も欲しいなら、アタシなんかでも入れてくれるよね」

 派手な身体能力に反してルーシーの自己評価は低い。自分が社会にとって異分子であることを理解しているからだ。

 自然の中で家族と暮らしていたルーシーだったが、それが可能なのは科学文明が土台としてあるからだ。山奥に籠っても社会と取引をする機会は必ずある。調味料や服飾品、特に医療については頼らざるを得ない。それでいて社会から独立していると考えるのは傲慢だと、ルーシーは密かに感じていた。

 だからこそ両親の教育方針を〝虐待〟とする通告が届いたとき、現代社会へ改宗したのは彼女自身の希望によるものだった。

 知らない世界を軽んじたくなかっただけで、両親の行いを否定したいわけではない。「自分は虐待なんてされてない」「都会暮らしの同級生たちと同等にやれる」 それを証明するつもりで漲っていた気合いは電脳に触れたことで霧散した。

 勉学は親から仕込まれていたので付いていくことができても、体験した時間が肝心で飛び級制度を廃止させた電脳技能の遅れは取り戻せるわけもなく、許可された一日当たりの電脳接続時間だけでは教育機関の定める規定電脳歴に達しない。順当な進級は難しいだろうとまで言われていた。

 そこに希望を見出す意味でも、転校生の登場はルーシーにとって魅力的だった。クラスメイトからアキラの電脳歴について盗み聞き、「進級のヒントが手に入るかも」と猛烈に期待している。

「教室にいなくて保健室もハズレなら、寮かな? でもまだ授業残ってるから戻れないし……」

 寮舎は始業から放課後までの間出入り口が施錠される。通行するには担当教員の認証が必要となる。アキラは偽証したが、ルーシーに同じ芸当はとてもできない。

「『気になるから捜してます』じゃ先生の許可なんてもらえないし、誰かにやってもらうわけにもいかないよねえ……。そうだ、ブルーハギルド。アイツらなら!」

 アキラによって本日敢えなく栄光の終焉を迎えたとは言っても、ルーシーからすれば彼らはまだまだ魔法使いに等しい。一方でルーシーは電脳に執着がなく仮想空間でどんな目に遭おうと気にしないために魔法を恐れない。それは仮想でイジメられても現実で逆転すればいいという考えでいることと、電脳アカウントを攻撃されることの危険を知らないせいでもある。

 ブルーハギルドなら寮舎の入り口を開けられる。ルーシーはそう期待するが、所在が不明である点においては彼らもアキラと同様であった。

 そのことに意気揚々と駆け出した五歩目で気が付く。

「まいったな……。やたら人数多いしアイツらの顔なんて憶えてないよ。今日殴った奴はケガ見ればわかるか。いっそアイツらの誰かが保健室にいれば話が早かったのに」

 ブルーハギルドは活動場所を特定のどこかに決めてはいない。どこから始めようと実際の活動は仮想空間になるので、集合する意義は無防備になる肉体を保護する程度でしかなかった。

 ではどこへ行けば彼らと接触できるか。ルーシーは思い付きで足を向ける先を選んだ。


 たどり着いたのは昼休みに彼女がアキラを襲い、ルーシーが彼らを襲った複合現実訓練室。他に繋がりを思いつく場所がなかったからだったが、授業中や使用許可が出ている場合を除き施錠されているはずのその部屋に「使用中」の表示が光っていた。

 もしや、と予感に心がはやり、ルーシーは勢いよく戸を開く。

「アキラ――おっと……」

 そこにいた人物は、目当てとは違っていた。

 艶めくロングヘアを垂らし腕を組む仁王立ち。スカート丈はきっちり膝上。このイタハネ高校で生徒会長を務めるデイジー・グレースだ。

「部屋間違えた。それじゃあ失礼」

「待ちたまえアファール君」

 軽く片手を上げ立ち去ろうとしたルーシーをデイジーは呼び止めた。不承不承、の態度を隠さずルーシーが振り返る。

「……ハイ、なんでしょうか」

 ルーシーが転校直後の頃、「学校生活に不慣れだろうから手助けしよう」と申し出たデイジーだったが、続く言葉が「文化的な建物は初めてだろうからな。おっと、取っ手を引っこ抜かないでくれよ」と来てまるで珍獣を保護するかのような態度にルーシーは彼女を敬遠した。

 今では話すときに気取って立てるその指に至るまでが嫌いだ。

「質問をしたい。私の問いかけに逆上した君が秘めたる野生を発揮する危険を覚悟したうえで、シンプルな疑問をぶつけたい。この惨劇の主役は君か?」

 デイジーが掌で示すのは床に落ちた数滴の血。固まって赤黒くなっている。間違いなくルーシーがブルーハギルドを殴ったときのものだ。

 ルーシーは目を細めて口を尖らせ、答える。

「言っとくけどちゃんとした事情があってやったことだから。それでも処罰するって言うなら、人間社会にはアタシの望んだ公正も倫理もなかったって残念がりながら山へ帰るよ」

 ルーシーの答えを聞いて、デイジーは冷めた顔で「フム」とわざとらしく頷いた。ルーシーの歯ぎしりが鳴り、デイジーは微笑む。

 これが嫌いだ。この女は、笑っても海色の眼が笑わない。

「君がブルーハギルドと小競り合いをしていることは知っている。今日はかなり熱狂したと聞いて確認しに来たのだが……君はもう少しうまくやるべきだな。仮想空間を荒らしたはずのアキラ・シラユキはキレイに痕跡を消していたよ。短時間でログはサッパリ。サーバーのメンテナンスを頼みたいくらいだ」

「えっ、あの子そんなことまでやってたの?」

 驚いてから、吊り上がる口角を目にしてルーシーは「しまった」と苦い顔をする。

 本当に痕跡が消えていたのなら、アキラの仕業とわかるはずもない。矛盾する発言の狙いは確証を欲したカマかけだ。

「そう怖い顔をしてくれるな。まずは理性的に話を聞いてくれたことに感謝の意を表明しよう。かっこつけてひとりで出てきてしまったから、もし君が攻撃的になっていたら抵抗のしようもなかったところだ。知っているかな? 生徒会に労働災害補償はない」

 人を食った態度にルーシーは敵意を剥き出しにする。

 デイジー・グレースは優秀で家柄もよく、誰もが彼女を認めている。他人を見下す素養を多く備えた人物だ。いくら当人が親切心で接しても〝施し〟のような印象が伝わる分損をしているとも言える。では真実好人物なのか、その答えは友人たちの間でも意見が分かれ、どちらにも断言されない。悪人と見なせば拍子抜けし、善人と見なせば油断を後悔する。

「校内の出来事に敏感でいたい生徒会長としては君の活躍を見過ごせないが、仮想空間では校内敵なしのブルーハギルドを現実で君の存在が牽制していることは事実だ。手をこまねいている私が君だけを規則に照らして裁くことは、君も望む〝公正〟からは確かにかけ離れるな。負け惜しみとして『暴力はよくない』と言っておくまでにしておく」

 現在、イタハネ高校は幾つかの問題を抱えている。


 問題A 百人のハッカー集団ブルーハギルド

 問題B 馴染まない天然由来ルーシー・アファール

 問題C 無敵サーバー入り娘アキラ・シラユキ


 Aについて考えようとしたデイジーが揉め事があったとされるこの複合現実訓練室を訪れたところBが現れた。しかも事件にはCも関わっているとわかって、内心は穏やかでない。

 ただでさえこのアマゾネスと相対するには度胸を必要とする。暴力的な気性ではないとわかってはいても、満腹の猛獣を前にした不安をデイジーに想像させた。

 動揺を悟られぬよう、身振りを交えて話を進める。

「君がさっきここへ来たとき、聞き違いでなければ『アキラ』と呼んだ。アキラ・シラユキ――彼女を捜しているのか?」

「まあ、そうですけど……。あの子、ブルーハギルドとモメてたんで。先にアタシが絡まれたのを助けようとした――んだと思う。そのせいで狙われることになったんで、気になって」

 しどろもどろだがひとつとして聞き逃せない。

「詳しく話してくれ。お茶でもどうだろう。昼食は満足に済ませたかな?」

「食べて、出して、食べたよ」

「……それは君の出身の慣用表現か。勉強不足を詫びよう」

「違うって! アンタ、なんでそんな嫌な言い方すんのさ。いっつも!」

 歯切れの悪さから一転、ルーシーが声を荒げた。デイジーは組んだ腕に指を固く食い込ませて怒気を受ける。

「私はただ怯えているだけだよ。君がその気になれば私などすぐ黙らせて操り人形にできる。それを常に意識しておいてほしくて忠告の代わりに挑発をする。君を止めるのは君しかいないのだから」

 持って回った物言いはルーシーの心を更に波立たせる。

「アタシはそんなんじゃない! ただ普通の楽しい高校生活を送りたいだけなんだ! アイツも――アキラだって同じなんだよ。でもちょっと失敗して独りになっちゃってるから、アタシが友達になるんだ」

 熱のこもった本音の言葉に、デイジーは顔を覆って自らを恥じた。

 友人を想う目の前の人格者に比べ、自分はなんと利己的でちっぽけだろう。

「……正直に告白すれば、破格の電脳歴を持つアキラ・シラユキはブルーハギルドへの対抗策として君に並ぶ切り札となる、そう期待していた」

「ホラやっぱりだ! そういうのやめなって。アイツはただの転校生なんだよ?」

「返す言葉もない。学校の問題を一生徒に押し付けようとしていた。……だが能力のある人間は相応の責任を負うべきと私は思う。いや、よそう。まずは君の言うように友人を目指すべきだな」

「ア、アンタって奴はまったく……アタシのときで懲りてないのか!」

 半年前の転校にもデイジーは同様の狙いで近づいた。だがしかし下心がなかったとしても、生徒会に手厚く保護される転校生が一番身近なクラスに溶け込めるはずがない。そう考えたその転校生――ルーシーは差し伸べられた手を払った。

「友達に『まず』なんてないんだよ! 友達は友達。大人の価値観を持ち出すな、アンタだって『まだ』子供だろ!」

「やれやれ、君は正しいな。転校生の先輩として、後輩の良き理解者となってほしい。私ではできないことだ。それ以外でできることはなんでも協力しよう」

 急に態度を改めたデイジーに対し、ルーシーは怒りを維持できず勢いを失う。

「別にアンタが頼まなくても勝手にやるけど。……怒鳴って悪かったね。もしかしたらアンタのこと、そんなに嫌いじゃないかも」

 この生徒会長に対する印象は立場と巡り合わせの問題で、当人に悪気があるわけではないのかもしれない。そういう風にルーシーの心は変化しつつあった。油断だ。

「そうか。実は最近習い事を増やして武術を習い始めた。近いうちに君をやっつけてみせるからな」

 絶対的な強者を孤立させないためのアイデア。そのどうしようもないズレっぷりに、ルーシーは「やっぱ嫌い」と感想を残し複合現実訓練室をあとにした。



 ブルーハギルドは校内最強のハッカー集団である。教室の使用許可、出席状況、成績評価に至るまで、干渉して内容を書き換えることは造作もない。しかしながら学校側が彼らを見過ごしている理由は、彼らを恐れてのことではなかった。

 電脳技能が重要視される現代社会において、彼らのような上級技術者はエリートと見なされるからだ。取り締まるどころかそうしたを評価に加味するなど、優待ともいえる待遇を受けている。

 そうした背景がありながらも、現在のイタハネ高校はサイバーヴァイオレンスの吹きすさぶ無法地帯にはなっていない。それはなぜか。会長を始めとする生徒会執行役員がかろうじて防衛線を張っているというところが大きい。

 イタハネ高校が擁するサーバー群の中でも突出して頑強な生徒会サーバーと、一般の生徒アカウントより一枚上手の生徒会アカウント。そのふたつをってしてもブルーハギルドに対し優勢に立つことはないが、抵抗勢力として残り続けることで独裁を防いでいる。

 そしてもうひとつ。

 内情を理解しているブルーハギルドは学校が対処せざるを得ないような行き過ぎた事件を避けている。普段は生徒のアカウントにちょっかいをかける程度のイタズラ集団でしかない。

 しかし今日、その禁が犯された。仮想でなく現実でアキラを襲撃したことは明らかに彼らのルールを破る行為だ。彼らにとって幸いだったのは被害者が未遂の内容を理解していないこと。十才男児の精神は仮想空間で保健体育に触れずに過ごし、十五歳の今尚R指定の外側にいる。

 そして現在、こともあろうにその被害者は加害者たちと楽しげに通信していた。

「わかった。邪魔者の生徒会をボクがやっつければ、みんな自由に遊べるようになるってことね。……おっ、言ったな? そんじゃひとりでも余裕で勝つから、そしたらボクがお前らのリーダーだかんな! へっへっへ、見てろよ」

 煽られてホイホイと悪の道へ誘われていく。

「先に言っとくけど、ボクのチームになったらケンカとかはナシな。もしやったらデコピンな。ボクのめっちゃ痛いから」

 ブルーハギルドは自分たちのしたことを反省してアキラを仲間として受け入れるようとしている――

 そんなつもりはまるでない。

 縄張りを奪った憎い仇である嫌われ者の転校生にすべての罪を着せる狙いだ。学校サーバー群においてワクチンである生徒会が徹底的に打ちのめされれば、学校は最後の秩序を守るために患部を切除せざるを得なくなる。すなわち退学だ。

 アキラを排斥し自分たちの天下を取り戻す作戦の滑り出しは上々と言える。アキラはすっかりその気になっていた。

「放課後にやるの? そうだね。授業中だったらコソコソやるみたいでズルっぽいし、どうせなら予告したほうが盛り上がるんじゃないかな。え、それはダメなの? 別にいいけどさ」

 アキラとしては新しくできた友達と冒険の相談をしている気分で、楽しげなほど悲しい。

「じゃあ放課後ね。あ、休み時間だし校庭で遊ばない? そっか、もう時間ないか。それじゃ放課後……」

 通信の打ち切られ方に心の距離を感じる。何かが変だ。

 だがアキラは意識して見過ごした。前向きではなく、信じたくないから気付かないフリをした。

「放課後までなにしようかな、授業はつまんないし」

 ずっと十才男児として仮想空間にいたアキラだが、高校に入学するにあたり必要な学力は身に付けている。電脳上では肉体に制限されないので集中力が乱れにくく、疲れも出にくい。更にアキラの場合は処理速度が速すぎる為に最早一般人とは体感時間が違っている。たった数日で5年分の学習内容を履修してしまった。調子に乗って少し追い抜いてしまったほどだ。電脳技能が教育項目に加えられて以来利用されてこなかった飛び級制度の資格を持っていることになる。

「たぁいくつ~」

 授業開始のチャイムが外の校舎から聞こえてくるのを聞き捨ててベッドの上に寝転ぶ。シーツから甘い香りがして鼻をくすぐった。

「なんか……良い匂い。洗濯したてかな? 俺が来るから用意しておいてくれたんだ。……良い学校だな。明日からは全部ボクのナワバリだ」

 十才男児の価値観でお山の大将を目指す。そんな夢見心地でいると、なにか小さな音を聞いて身を起こした。

 窓の方からだ。ただし5階でベランダはないので誰かがそこにいるということはありえない。

「鳥がぶつかったかな?」

 外を覗こうとしたアキラが窓に顔を寄せると、顔面に掌が張り付いた。

「ヒィッ……!」

 驚きで体が伸びて硬直する。無いはずのキンタマが縮み上がる一種の幻肢痛に襲われた。

 顔を積まれているようでも間に窓ガラスがあることを思い出し、アキラは脈拍と一緒にゆっくりうしろへ下がる。取り戻した視界に映ったのはルーシーだった。5階でベランダもないと言うのにクラスメイトが窓にへばり付いている。

「お願いココ開けて! 長老の樹より低いから平気と思ったけど、どっこい驚きの恐さ! 早く中に入れて!」

 遠慮なしに窓をバンバン叩いてわめく。

「わぁ! そんなトコでなにしてんの!」

 正体が判明してもアキラにしてみれば未だホラーの雰囲気は漂っている。この状況は異常だ。

 明らかな奇人変人の要求に従い部屋に招き入れていいものか? 「よく知らないヒトを家にあげちゃいけません」と架空の母親から教わっているアキラの常識では答えは「ノー」だ。

 だがこの不審人物は窓を破ってでも入ってくることは既に目撃している。拒否は無意味だ。

 恐る恐るアキラは再び窓に近づき、スライド錠を外す。戸を開くとルーシーは文字通り部屋に転がり込んだ。

「危なかった! 落ちてケガするかと思った!」

「いや……死んじゃうと思うよ」

 窓から顔を出して様子を見ると、壁にろくな凹凸は見当たらず雨どいの管も遠い所にあった。どうやって登ってなにを支えにしていたのか、まったくわからない。

 これほど強引な闖入ちんにゅうの目的はなにか。

 それを疑うより優先すべきことがあることをアキラは思い出した。自分のせいで昼食を吐かせてしまった食堂での一件。

「さっきはその……イジワルしようとしたんじゃなくて……」

 悪いことをしたり困らせたりしたら、謝らなくてはいけない。

 それはわかっていても「謝る」という行為で罪悪感と向き合うには覚悟がいる。叱られるかもしれない。ゆるしてくれないかもしれない。それを考えると恐い。

 十才児相当なりの不安と勇気のせめぎ合いに揺れながら、アキラは言葉を絞り出す。

「ごめんなさい。……ゆるして、おねえちゃん」

 心細そうに袖をつまみ間近な濡れた瞳で訴えられ、ルーシーの顔はみるみる紅潮した。

「イイ! おねえちゃんなんでもゆるしてあげちゃう!」

 膝で跳ねて腰を上げ、アキラを強く抱き締めて抱え上げる。アキラは運動着のザラつく布地に顔を擦られて混乱した。わけもわからないうちに足が床から離れている。

 ただし抵抗はしなかった。膨らみに食い込んだ首ががっちりロックされているせいだとか、腕力ではどうやら敵わないからというわけではない。抱擁はぎゅっとキツく少し窮屈なところで留まり、それ以上は圧迫してこない力加減が心地良かった。

(……ママみたいだ)

 代わりは利かない優しさを思い出させば、今ここで安らぎを感じることが裏切りのように思われた。それでも手放したくはなくて、戸惑いながら運動着の背を掴む。

「ホントに、ゆるしてくれるの?」

「もちろん! アタシはアンタの味方だからね。アンタがなにしでかしたってそばにいるから」

「んっく、ホントにぃ?」

 鼻を震わす涙声が腕の中で余計にくぐもって聞こえ、ルーシーはクスクス笑う。

「ホントにホントだよ。アンタが体育抜けたとき死にそうな顔してるの見て、そうしなくちゃいけないって思ったんだ。少し遅くなっちゃったけど、アンタのコト慰めに来たんだからね」

「……慰め?」

 それはアキラがなんとしても拒絶したい言葉だ。特別扱いに甘んじなければならないほど弱いつもりはない。母親はそういうつもりで子供を抱くのではない。

 即ちアキラが求めているものとは違う。全力で押し、体を引き剥がす。

「なんでボクが慰められないといけないのさ」

 一転怒りに燃える双眸がルーシーを射抜いて困惑させる。

「なんでって、アンタ転校して来たばっかりで、全然うまくいかなくて落ち込んでるから」

「別に落ち込んでないし。こっちの世界で誰にどう思われたって平気だし」

「でもひとりぼっちじゃ寂しいでしょ? だからアタシがアンタの友達になったげる」

 これは閉鎖された集団で同世代の友達に恵まれなかったルーシーにとって勇気のいる言葉だった。

 だが、鼻にしわを寄せ嫌悪の反応で迎えられる。

「友達なら百人できたし、約束だってしてる。ブルーハギルドのみんなと放課後遊ぶんだ」

 ゾっとして、ルーシーは聞いた言葉を繰り返す。

「アイツらと……遊ぶ?」

 生徒会長が戦力としてアキラを欲しがっていることは知っている。ブルーハギルドも同じ発想をするかもしれない。ルーシーの不安視は的中していた。

「生徒会をやっつけるんだよ。そいつらが威張ってるせいで自由に遊べなくてつまらないんでしょ? だから倒すんだ。ひとりで全員やっつけたらボクが明日からリーダーだって、約束した」

 物騒な宣言に不似合いな屈託のなさ。悪事とわかっていればけっしてできない曇りのない笑顔を目にして、ルーシーの寒気は強まった。

「ダメだよ。そんなコトしちゃ」

「仲間になりたいなら入れてあげるけど? おねえちゃんはアイツらのこと嫌いかもだけど、もうすぐボクがリーダーになるから平気だよ」

 面白半分の気軽さでとんでもないことをしようとしている。躊躇がない。そしてアキラを阻む障害などないことをデイジーは知っていた。ここで止めなければ必ず実行される。

 唖然としている場合ではないと、凍った喉を身震いで揺り起こし、ルーシーは説得を始める。

「そんなことしちゃダメ! 生徒会長は確かにヤな奴だけど、威張ってるワケじゃなくって本当に偉いんだよ。それなりに大変なコトしてるんだから」

 まさかあのイケ好かない高慢ちきを擁護することになるなんて――と、ルーシーの心中は複雑なところではあるが、本音には違いない。

 今日アキラが転校してくるまでブルーハギルドが校内最強だったことは事実だ。そうした常に劣勢の状況でデイジーが引け腰になればとっくに体制は崩壊している。逃げも投げもしない生徒会長の気丈さはルーシーも尊敬するところだった。

 だが想いは通じない。

「別に悪い奴じゃなくてもいいよ。一番強いボスを倒せばこの学校はボクの縄張りになるんだし。ボクなら『良いリーダー』になれるってば」

「勝てばリーダーとか、そういうことじゃないんだよ! そんなんじゃ学校はメチャクチャになって、アンタが退学になるだけなの!」

「……いいじゃん。メチャクチャになれば」

 強い口調を受け流す変わらない笑みが、軽薄な興を剥いで狂気を覗かせる。

「こんな世界がどうなろうと、こんな世界でどうなろうと、そんなのどうだっていいんだよ。メチャクチャになっちゃえ。強いボクが勝ってなにが悪いの。弱い奴を倒してなにが悪いの」

 アキラは自棄を起こしている。そうなるだけの理由がある。

 仮想空間から引きずり出され、誕生を祝福してくれる親もない。自分を取り巻く社会への愛着のなさはたった今生まれてきた赤子以上。

「ねえ……生徒会長に、会ってみない?」

 アキラの心に闇を感じ取ったルーシーがなんとか世の中に繋がりを持たせようと、恐る恐る最後の言葉を口にした。

 願いは虚しく、無邪気がそれを受け流す。

「放課後に会うよ」

 なにを言っても届かないと悟り、ルーシーは歯を食いしばってアキラを睨みつけた。

「こんの……バカっ!」

 最早それしか言うことができず、ルーシーは部屋を飛び出した。見送るアキラの笑顔は、誰がどう見たところで「壊れている」としか言いようがなかった。


<続く>


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