第3話 ヤンキーがあらわれた
「じゃあどっちがカッコイイのを作るか競争ね! 君はちっちゃいからどうせひどいのを作るだろうけど、ボクはおにいちゃんだから一生懸命褒めるよ!」
平然と語るアキラは女の子の冷たい視線に気が付かない。
「あ、それとも可愛いのを作るほうがいい? 大丈夫――」
可愛くなくても褒めるから。そう続けるつもりの言葉が引っ込んだ。手に持った粘土が腕ごと蹴飛ばされたからだ。
「なーんかショボいことやってんよ。あーん? なんだテメーは」
アキラが見上げると髪を逆立てた目つきの悪い少年が立っていた。後ろに仲間を数人、引きつれている。
「わっ不良だ! ママが言ってたやつ。初めて見た」
痛覚は通じていないので蹴られた腕に痛みはなくても反射的にさすりながら、アキラは緊張感なく続ける。
「不良には近づいちゃダメだってママが言ってたんだ。なんかね、『ムキドウ』? 目的を決めてないコトをするヒトは危ないんだって。さあ、離れようねー」
さっと女の子を抱えて部屋の隅へ移動。そして〝不良〟の集団をじっと見る。その行動が彼らを激昂させた。
「あんだーテメー! こういうときは出身を聞くのがテンプレだな。テンプレには従わなければ。このテメどこサーバーだコラッ!」
「おいこのアカウント、今日転校してきたって奴だろ。なんでガキのアバターなんだ?」
「知るかよ。母親に虐待されてたって奴だろ? 親にも要らないモン扱いされた奴が、俺らの邪魔すんじゃねえよ!」
何度も聞かされた話にアキラはうんざりする。
「おにいちゃんたちもそういうタイプ? 何回でも言うけど、ママは優しかったよ。世界で一番ボクのコト大切だって言ってくれるんだ」
「なに言ってんだ。どのメディアもお前は虐待されてたって言ってんだ。誰でも知ってんだよ」
「そういうのは〝噂〟って言うの。聞いた話でヒトの悪口言っちゃいけないんだぞ」
「もう黙ってろ! 痛い目みねーとわかんねーみてーだな」
不良が近付いて来たので、アキラは女の子を足元に下ろしてそっと背中を押した。
「ここはおにいちゃんに任せなさい。ここは仮想空間だから、ケンカなんてできないんだ。どうせ恐い顔するだけでなんにも――イダっ!」
屈み込んでいたところへ横から顔を蹴られた。壁にぶつかって体が弾む。驚きは突然襲われたことにはない。
「痛い! なんで? なんで痛いの?」
反射的に部屋の属性情報を呼び出すと、痛覚がオンになっている。
「基本設定を書き換えるくらい余裕なんだよ。俺らを誰だと思ってんだ? この学校サーバーをシメてるブルーハギルド様だぞ!」
「えっ、なんで……? 仮想空間って……そんなコトできるの?」
うろたえている間に、不良の仲間によって腕を掴まれムリヤリ引き起こされた。その顔面に目がけ、何度も拳が降り注ぐ。
「ブルーハギルドにできねーことなんてねーんだよ。元々仮想空間ってトコロはそういうもんだ。虐待されてロクに教育受けてねークズにはわかんねーだろうけどな」
殴られながら、アキラは痛みよりも別のことにショックを受けていた。
仮想空間には痛みがない。設定できない。そう思っていたからこそ、自分のこれまでの人生を現実と信じられた。なぜならあそこには痛みがあったから。
それは単にそう設定されていただけのことだった。誰がそうした。母親が。なぜ? 苦痛を味わわせたかったから?
胸の内で疑問を繰り返すごとにアキラは自信を失っていく。
「全部ウソ……? ママが……いない?」
経験も価値観も、人生のすべてが揺れる。
呆然として固まるアキラの頭上で、一際高く拳が振り上げられる。
「ブルーハギルドの名前を憶えとけ! ここでは電脳に接続した時間――〝電脳歴〟の長さがモノを言う。仮想空間の空気を多く吸った奴が一番力が凄くて足が速くて最強だ。改造した電脳端末と秘密のサーバーで誰より長くこっちにいる俺らには誰も敵わねえんだよ!」
アキラを殴ろうとした不良の膝に、逃がしたはずの女の子がしがみついた。強く首を振って、止めようとしている。
「離せ! 虐待され仲間の哀れみか? うぜーんだよ!」
構わずに蹴飛ばそうとした不良は、ところが奇妙な感覚に陥って動きを止める。
実体のない仮想空間内では気配などない。電脳端末を超越した彼の肉体が非現実に対し第六感を働かせたというわけでもない。その空間を走るデータの流れを感知してのことだ。
「へぇ……仮想空間ってこうなってるんだ。興味なかったから今まで調べもしなかったけど」
床にあぐらをかいて目を閉じ、うんうん頷くアキラに膨大な量のデータが流れ込んでいくのを不良たちは見た。瞬時にそれらを読み込んで学習しているのを察知した。
「オイ……なんかおかしいぞ! この処理速度、俺らより速い! 十倍は速い!」
脳信号がデータ信号に変換される際、一種の電気抵抗のようなものが絡む。低効を下げ処理効率を上げるには何度も変換を繰り返すしか方法はない。つまりは〝慣れ〟だ。そうやって〝電脳慣れ〟することで、ヒトの電脳処理能力は無限に向上する。
電脳システムが社会に様々な形で関わる以上、生活するうえでそれを操作する技術は様々な形で必要になる。そのため、既に多くの国で学校教育のカリキュラムとして組み込まれているのが一般的だ。もちろん多くの規制もある。
「ネットに繋げていい時間は決められてるのか。TVゲームみたいだな。ボクもママによく怒られるよ。……ああ、ママはいないんだっけ。ハハッ」
不良たちは低い声で笑うアキラの様子にうろたえる。ひとりが怖気づくと一斉に出口目がけて駆け出した。だが突然扉が閉じて逃げ道は塞がれる。
「さてと、おにいちゃんたち」
充分な学習を終えて、アキラは悠然と立ち上がった。
「仮想空間は長くいるやつが力持ちでかけっこすごいんだって? だったらボクが最強じゃん」
「おっ……お前ら、こんな奴にビビんな!」
ひとりがアキラに殴りかかったもののあっさり腕を掴まれた。見た目には十五才と十才、体格的には大人と変わらない高校生が幼さの残る子供に押さえられ悲鳴を上げる。
「クソが! 離せ!」
「痛いのが嫌なら痛覚をオフに戻せばよくない? 管理権限をボクから取れたら、だけど」
アキラが指摘しなくとも、不良たちは既に部屋属性の書き換えに手を伸ばしていた。しかし何度試しても成功しない。「ハイ残念、ボクの勝ち」というエラーメッセージが出るだけだった。
「フザけんな! 俺らは電脳歴5万以上のブルーハギルド様だぞ!」
「あっそう」
「オイちょっと待て、コイツのプロフィール……」
ひとりが奮える声で告げたことで不良たちの注目はアキラの個人情報に集中する。
氏名:アキラ・シラユキ アカウント種別:生徒
サーバーへの継続接続時間:22分 電脳歴――
情報を確認した不良たちは一様に顔を引きつらせる。
「どしたの? 見えるようにわざとセキュリティをユルくしてあげたんだからサ、感想聞かせてよ」
首を傾けるアキラが、彼らにはもうそれまでとはまったく異質なものにしか見えない。
「……電脳歴、12万2650時間……?」
電脳歴。深度60%以上で電脳に接続した時間をそう呼ぶ。
六才で公共サーバーへのアクセスが認められ市民アカウントが配られるが、一日当たりの接続時間は年齢によって規制される。六才から十才の間は2時間、十才から十五才の間が4時間、十五才から十八才の間が6時間という制限で、十八才までにおよそ1万3千時間に及ぶことを推奨されている。そうすることで社会生活上求められる電脳技能が身に着き、また、悪意ある電脳利用者から身を守ることができるようになる。
不良たちが「電脳歴が長いほうが強い」と語ったことは正しい。卒業までに1万3千弱を経過することを推奨される高校生の中で、5万の電脳歴を誇る彼らが抜きん出た存在であることも事実だ。
だが彼らの前に、自分たちより遥かに勝る超人が現れた。
「フ……フザけんな! 親から虐待されてたような奴が、俺らよりスゲーわけねーだろ!」
怒声に怖気づくことなく、アキラは未だ不敵に笑う。
「ああ、そうだよ。閉じ込められてたんだってさ。で、どこに閉じ込められてたか知ってる?」
「そうだ、仮想空間……?」
電脳歴とは即ち、仮想空間で過ごした時間の長さ。
「ぴんぽんぴんぽーん♪」
アキラが手を打ち鳴らすと、周囲の景色が一変した。教室の壁や天井が消えビル群へ入れ替わる。ただし特撮番組で怪獣が破壊するような大きさのミニチュアサイズだ。
ミニチュアでも姿が埋もれるアキラがピョンとビルの一つに飛び乗り、空を見上げて吠える。
「サバゲーやろうぜ! 巨人サバゲーだ!」
風景だけでなくアキラの服装も変わる。迷彩服にヘルメット、更にはマシンガンなどと軍人風の武装が揃った。
「『ヤダ』って言っても絶対やってもらうよ! これは仕返し、って言うか八つ当たりだかんな!」
一方的に言うなり、突然のことに固まっている不良のひとりに銃を向け引き金を引く。
耳をつんざく轟音は間違いなく銃声。ビル壁面、首の真横に銃弾が突き刺さり砕け散った欠片を浴びただけで悲鳴が上がる。それはなにも驚きからだけではない。
痛覚が設定された仮想空間で銃撃されたらどうなるか。銃弾と体が架空でも、脳が受け取る〝死〟は本物だ。
悪い結果を予感して不良たちはパニックに陥る。思わず硬直する者やどうしてか笑い出す者、それから取り乱して叫ぶ者など反応は様々だった。
「フザケんなぁっ! 誰がテメーと遊んだりするかよ」
荒げた声も苦し紛れが見え見えの裏返り具合で、アキラは涼しい顔で受け流す。
「なんで? 『強い奴が偉い』っていうのがアンタたちのルールなんでしょ。自分たちは強いからなんだって思い通りになる。誰でも言いなりにできる。そう思ってたんでしょ? だったらアンタたちより強いボクの思い通りにさせて、言いなりならなきゃおかしいよ」
「うるせえ! この、チート野郎!」
引け腰の遠吠えは、今度は声を出して笑い飛ばされた。
「なに言ってんの? 違うよ。ただ強いのを〝チート〟なんて呼ばない。ホントのチートって言うのはさァ――」
アキラが強く屋上を踏んで足音を鳴らすと、不良たちを狙う銃口の数が増えた。銃が浮いているわけではない。しっかりと握り狙いをつけている。誰が、と言えばそれはアキラだ。複数のアキラが不良たちを取り囲んでいる。
「こういうのを言うんだよ」
アカウントひとつに対してアバターはひとつ。それは制限をかける以前の常識だ。なぜなら脳の指示によって体感と等しく動かす関係上、複数などありえないからだ。できたとしても動かせはしない非常識を桁外れの電脳歴が成立させている。
「ここは仮想空間だってアンタたちが言ったんだ。本当にそうか、確かめさせてもらうかんな!」
周囲が急に暗くなった。上になにかいると直感して不良たちは恐る恐る首を持ち上げる。
彼らが見たのは、巨大なアキラだった。
「ワハハハ! これで本当に巨人だ! さあ早く始めよ! これ以上ないくらいのサバイバル・ゲームだよ!」
アキラによって歪められ広大に広がった空間に笑い声がこだまする。その声が悲鳴のように、苦痛を含んでいることには誰も気が付かない。
そこからは残虐な時間だった。足元を銃撃される不良が逃げ惑い、巨人がビル群を破壊して周囲を荒らす。
元々どこへ隠れてもムダだ。アキラはこの空間におけるすべての位置情報を完全に把握している。一瞬で背後に回り、抗いようのないパワーで摘んで投げ、どこまでも執拗に弄ぶ。
その対象のひとつが唐突に消えた。
「あれ? ログアウトされちゃったかあ。……やっぱりムリヤリ接続させたままにしておくのは、同時にたくさんだと難しいな。他のこともやってるし」
相手の電脳端末に侵入し強制的に電脳深度を上げることで脳信号を仮想空間に縛り付け、仮想空間に閉じ込める。電脳歴に格段の違いがあればそんなことも可能だ。
アバターを複数作るか、もしくはあるように見せかけることは混乱を避けるために違法。痛覚設定を操作することは言うまでもなく違法。他人の電脳端末への侵入も違法。学校サーバーという閉鎖されたネットワーク内とは言え、犯罪のオンパレードだ。
アキラは今外道の領域にいる。呵責はなく、容赦もなく。
「でもさ、ひとりだったら逃がさないよ」
他の仲間は逃げ、髪を逆立てたひとりだけが残された。彼がリーダーだろう、そう踏んでいたからこそ選ばれて残された。
「何者だよお前……。なにする気だよお前!」
成す術なく立ち尽くす不良を円状に囲んで銃を突きつけ、上は巨人が抑える。無欠で過剰な包囲体制がすでに完成している。
アキラは笑う。
「そっちはどうする? でもどうしようもないよね。じゃあ降参? ブルーハギルドだっけ。謝れば仲間にしてあげるよ。ボクまだこの学校に友達いないから」
友達100人――。今朝抱いた目標を思い出し、すぐさま胸の中で押し潰す。なにをしたところで報告する相手がいなければどんな努力も成果も無意味に感じる。
「どうしようもないのはボクも同じか。……あれっ」
絶望にアキラが呆然としている間に、最後の不良の姿が掻き消えた。
「気が散っちゃったかな……違うか」
ログを拾えば「接続不良」と出た。電脳深度が下がったわけではなく、物理的に接続が途絶えた判定だ。先に逃げた仲間がログアウトを待たずに電脳端末を取り外したと推測するのが妥当だった。対象が電脳端末を装着していないのならば電脳深度を固定しようがない。
「まあ別にいっか。勝ったし」
アキラが満足して大きく息を吐くと、風景は元の教室に戻った。狭い空間、幼稚な飾りを眺めて冷静な気持ちになる。
「なんかボク、ひどい奴かも。弱い者いじめしちゃった」
自己嫌悪以上に辛いのは、それを叱られる心配がないことだった。ゴトウから聞かされていた通り、自分の知っている母親はニセモノだった。
「なにしたって怒られないし、ゲームだって1日中遊べるんだ。わぁーい……」
アキラは力なく呟き、その場にへたり込んだ。
その背に触れる手は小さな女の子のものだ。アキラが衝動に駆られている間もずっと残っていた。
「……ごめんね。遊んでやれないんだ。おにいちゃん元気なくなっちゃってさ。だからお人形遊びはまた今度にしてよ。勝負はそっちの勝ちでいいから」
背中を丸め俯いたままアキラが話しかけると、女の子は前へ移動してアキラの首へ手を回した。しがみ付くような格好になってはいるが、抱きしめているつもりらしい。
「キミみたいな小さい子になぐさめられたくないよ。そんなにおにいちゃんは、弱くない……」
体を引こうとしたアキラだったが、できなかった。抱きしめられたことで記憶を呼び起こされて心が乱れる。涙が溢れて止まらない。
泣き顔を見られる。
「……キミが人間だったら友達になれるかもなのに……。名前はなんて言うの? ――あれ?」
アバターとして仮想空間で活動しているのならユーザーであれ、ボットであれ、必ずプロフィールを持っている。アキラはそれを呼び出し、女の子の正体に触れた。
「キミって――」
そのとき。強烈な痛みがアキラを襲う。ひざまずいて腹を押さえる。
「イダッ……えっ、なに?」
見渡す教室には誰もいない。誰であろうと仮想空間でアキラが脅かされるはずもない。だが実際にアキラは痛みを感じている。部屋の属性はとっくに痛覚オフになっているにも関わらず、だ。
宙に浮かぶ警告メッセージは「デバイスに極めて強い刺激」。電脳深度60%の残り40%を伝って痛みが届いている。アキラの肉体が危害を加えられているということだ。
「こっちで勝てないから今度はそっちかよ……。心配しないでいいよ、おにいちゃんはケンカで負けたことないんだから」
アキラは心配してオロオロする女の子に微笑みかけ、電脳深度を落とし仮想空間から姿を消した。
自分の置かれた状況を、このときのアキラはまだ正確に理解していなかった。
電脳深度を10%に落とし、戻った視覚でアキラが目にしたのは憎々しげに自分を見下ろす男子だった。クラスメイトよりも年上、上級生に見える。仮想空間で見た不良たちそのままの姿。
「ブルーハギルドをナメんな!」
両脇にふたりいて腕を掴まれ自由を奪われている。危機にあることがアキラにはわからない。
なぜならアキラは勝利の経験しか持たないからだ。それらがすべて架空の出来事で、主人公役を割り当てられた約束事であったことをわかっていない。ヒーローのようにどんな不利も覆す自信に満ち満ちていた。
「やいお前ら! 悪の――うぐっ」
抵抗するまでもなく、現実がアキラの威勢を砕く。少し大きな声を出そうと力んだ程度のことで、呻くほど腹部が痛んだ。仮想空間に潜っている間に蹴られた部位だった。
「よーくも好き勝手やってくれたな。思い知らせてやんよ」
顔を間近に凄まれても、仮想空間でならアキラはまったく恐れなかった。しかし今あの万能感はさっぱり消え失せている。
それはそうだ。ここは現実なのだから。男子高校生に対して栄養失調を疑われるほど小柄で痩身のアキラでは、彼らを振り解こうと暴れてもビクともしない。思い知った。逆立ちしても敵わない。
ただし彼らは電脳端末を装着している。それならば逆立ち以上のアクロバティックがアキラには可能となる。
「一回やっつけられてもわかんないなら、もっかいだよ!」
不良たちの電脳深度は10%のナビゲーションモード。電脳からのデータを受け付ける状態だ。そこへなんでもいいからとにかく大量のデータを送信すれば初心者にありがちな、いわゆる〝電脳酔い〟と同じことが起こる。
不良たちは処理能力以上の要求に脳信号が追い付かず、目まいを起こしてフラつくなど、酷い者はその場で昼食を戻した。
「バカが、端末外せ! ソイツに付け込まれる!」
無事だったのは、例の髪を逆立てたリーダー格だった。彼だけは仮想空間を出る際に電脳端末を外されたままでいたためにアキラの攻撃を受けていない。
それでも隙を突いて拘束を振り解いたアキラは教室を出て外へ逃げ出した。
「待てコラ! 絶対逃がさねえぞ!」
声と足音を後ろに廊下を走る。
廊下には他の生徒もいるにはいるが、アキラを見る目は一様に冷たい。「例の転校生がまた誰かを怒らせた」「良い気味」「これで懲りるだろう」 と態度が語っている。
アキラにしても、誰かを頼るつもりはなかった。追いかけっこで負けるなんて思いもしないからだ。だがアキラの心臓と肺は廊下の端へたどり着いたときにはもう悲鳴を上げた。足も固く重くなり、これ以上の運動を拒否している。
「なんだコレ? なんか、具合悪い?」
監禁中アキラを固定していた寝台は可動式で床ずれや関節の固着を防止する構造になってはいたが、同じ年月実際に体を動かしていた若い男と競えるような能力はまったく備わっていない。
当然、すぐに捕まって床に押さえつけられてしまった。
「端末奪え! そうすりゃコイツなんにもできねえぞ」
そんなことをしなくてもアキラはもう抵抗する術を失っていた。頭は混乱し、とても電脳を適切に操作できるような精神状態にはない。
「とりあえず連れ込む部屋ないか。どっかの使用許可取って、他のみんなも呼んどこう」
「ついでに欠席申請も出しとこうぜ。オイ、午後はずっと交代で遊んでやるからな?」
髪を掴んで耳元で囁かれる言葉の意味がアキラにはわからない。複数の男に囲まれたこの状況がどういう類の危険かを知らない。
複合現実訓練室。実在しないものを視認する訓練の為の場所なので特に設備はなく一般の教室以上にガランとしている。使用頻度が低い点で学校非公式の組織であるブルーハギルドが集まるには都合がよく、彼らが虚偽の申請でよく占有している場所だった。そこへアキラは連れ込まれていた。
電脳端末は取り上げられ、教室で襲われたときよりも増えた人数に囲まれてアキラは抵抗をやめてその場にへたり込む。最早声を上げる気力さえ失っていた。
この状況をという意味ではなく、〝現実〟を受け入れつつある。
(こんなに痛くて、こんなに恐いのって……初めてかも)
それはこれが現実だから。そう考え始めていた。
常識が転換する戸惑いに不良たちが配慮するはずもなく、彼らは彼らの目的を果たそうとアキラの運動着に手をかけた。
「えっ、なに? なにすんだよ! やめ、やめろよっ」
仕返しをされる。いじめられる。そんな風に考えていたアキラだったが、彼らの目的がそれ以外にあると本能的に感じ取った。鳥肌に触れられ悲鳴も出ない。
「貧相だけど穴は穴だからな。コイツ、ギルドの共有物にしようぜ。電脳深度上げて意識を仮想空間に飛ばしとけば抵抗もしないだろ。お前もそのほうがいいよな? 元々そうだったんだから」
思わず「助けてママ」と叫びそうになってアキラは唇を噛んだ。呼んで返事がなければ心が折れてしまう。
「うわっ! ブリーフなんて履いてやがる。ひっでぇな、色気ないにもほどがあるだろ! 俺たちでオシャレさせてやるか」
「なんだよお前、コイツのこと気に入ってんのか? でもまあ、こういう場合はピアスとかつけさせのがテンプレか。テンプレには従わなければな」
精神的に十才児のアキラには理解できない類の興奮が室内に充満する。こうなれば当人たちでもあと戻りはできない。
そして、下着に手がかかった。
そのとき、どこからか獣の雄叫びが聞こえた。
「どおおおおこだあああああッッッ!! 出てこおおおおい!!」
これが人間の言葉であると理解するまでに数瞬を要する吠え声。わかったあとでも疑うほど人性から遠い。
「クソッ、アイツだ! アイツが来る!」
不良たちがあからさまにうろたえ始めたかと思うと、入口を固めていた数人が轟音と共に吹き飛んだ。ドアは事故車両のように無残に歪んでいる。
ドア板が反ってできた隙間から腕がヌッと覗いて道を開こうとする。しかし枠から壊れたドアは軋むばかりで動かない。
「アタシを入れない気か? 余命数秒伸ばすのに必死か」
既に話し合いは放棄した言葉選び。アキラは「ゴトウが助けに来た」としていた予想を取り下げた。高い割にドスの利いた声と口調は明らかに別人のもので、第一にゴトウならばこれほど非文化的な振る舞いはしない。
では一体なにが起きているのか。わからないアキラは下着を晒したまま、ただただポカンとして事態を見つめる。まるで殺人鬼に追い詰められるホラー映画のような光景で、実際不良たちにとってはその心境と大差がない。
「どうする? コイツを生贄に差し出せば許してもらえるかな?」
「バカ野郎! ブルーハギルドの誇りを忘れるな。コイツは俺たちの戦利品だぞ」
「じゃあ今のうちに窓から逃げよう」
不良たちが注目するなり窓のひとつが割れ、なにかの陰が部屋に飛び込んできた。信じられないことに人間だ。人間の女だった。
男である不良たちが見上げる上背。窓を破り教室に入ったついでに3人巻き込んで倒してしまうパワー。多勢に囲まれて微塵も怖気を見せない度胸。どれをとってもそうは思えないが、着崩した制服はこの学校の女子用制服だった。アキラも受け取るだけはしている物と同じ。
癖の強いまとめ髪を揺らして一同を睨み回し、舌を打つ。
「悪い奴らだとは思ってたけど……アンタらこんなコトまでするんだね。見下げ果てた」
ブロック状に砕けたガラス片をゴム底で踏み鳴らし、女は集団を堂々横切ってアキラに近寄って屈む。そして手早く運動着のズボンを上げ服装の乱れを正した。
女は、近くで見れば見とれるような美貌の持ち主だった。「タイプは違うけどママと同じくらい美人だ」とアキラは思った。
「すぐ、終わらせるからね」
次にアキラの肩をポンと叩いてほほ笑み、その顔のまま振り向きざまに立ち上がると――吠えた。
「ちょっと男子ぃ――死ね」
部屋を震わす怒声、それは部屋の外で騒いでいた声と一致するとアキラは気が付いた。この女はドアを変形させたあの暴力の主だ。
どうやってこの短い間に教室の前から外の窓へ回り込んだのか。「これがその答え」とばかりに不良たちが早業で打倒されていく。飛び掛かり殴るだけの単純な繰り返し、これがとてつもなく速い。
わかっていても避けられないレベルの瞬発力。おはじきかピンボールの如く、人間を派手に殴り飛ばす怪力。先に死んだふりをした者を抜かりなく踏みつけていく。
鬼人の所業を目撃しながら、アキラは落ち着きかけた心をまた乱した。なぜならアキラは「男子死ね」に自分も含まれていると勘違いしている。
女の怒り冷めやらぬ燃える瞳に捉えられ、アキラの心拍数が更に跳ね上がった。
それまでと同様に飛び掛かってくる。遂に自分の番が来た。立ち上がって「かかってこいや」と叫びたいのに竦んで体が動かない。その間にも女はどんどん近づいてくる。
遂に女が目の前に来た。また屈んで目の高さを合わせ、腕が動く。とっさに身構えたアキラの腕を外へ押しやる。
しかしアキラが感じたのは拳の固さではなく、柔らかい胸の感触だった。
「ゴメンね。もう少し早く来てあげられたらよかったんだけど……恐かったよね」
腕に抱かれて耳に近いところで囁かれる。なにを言われているのかがアキラにはわからない。
目の前で起きたことにどう納得をしていいのか、この女は誰なのか。答えを求めたアキラは床に落ちていた電子端末を指先で弾いて手の中に収め、装着した。
すぐさま女の個人情報にアクセスしようとした。だが、できない。相手の電脳深度が浅いせいだ。10%に達していない。
続いてアキラは個人のではなく学校サーバーのデータベースを当たって全校生徒の名簿からこの女の正体を探した。身長180センチくらい、夕焼けみたいな髪の色と日に焼けた肌、メチャクチャに強い。手当たり次第のキーワードで一致した生徒は一件。
氏名:ルーシー・アファール アカウント種別:生徒
サーバーへの継続接続時間:断線 電脳歴700時間
電脳歴わずか700時間。七才の推奨時間である780時間にも満たない。電脳端末を付けているにも関わらず不良たちがそこを攻めずにやられっぱなしだったことにも納得できた。断線していてはネットワークから手の出しようがない。
しかしそれよりもアキラの注意を惹き付けたのはプロフィールの隅にある部分だった。当人の情報ではなく、一般生徒によって書き換えが可能な付与情報――要は〝評判〟と言えるタグだ。
そこには「被虐待児」と載っている。アキラの机に書かれた落書きと同じ中傷であり、同様のタグがアキラにも付いている。消しても消してもどこかの誰かが更新する陰口。それによれば彼女はアキラと同じ被虐待児だ。
そしてそれは不良たちに襲われる直前、アキラが仮想空間で出会った女の子から引き出した個人情報と合致する。
それがどういうことなのか気になったアキラだったが、女――ルーシーが先に切り出した。
「ゴメン。ちょっとアタシ急いでて、聞きたいことあるんだ」
体を離し、ハチミツ色の瞳で問いかける。
「コイツらが絡んでる相手が他にもいるんだよ。ちっちゃい男の子。仮想空間で一緒だったんだけど、今どこにいるかわかんないから逆にコイツらを探してココに着いたってワケ」
「それ……ボクだけど」
おずおずと自分を指差すアキラを、ルーシーは首を反らし胡散臭い物を見る目で見下ろす。
「なに言ってんの。男の子だって言ってんじゃん。アンタみたいな『男の子っぽい』とかじゃなくて、バッチリ男の子」
「なこと言ったって仮想空間で見た目が違ったのはそっちも――ってぅわぁ! なにすんだ!」
無造作に股間へ手が伸びたのでアキラは悲鳴を上げた。ルーシーは平然としている。
「ホラ、やっぱりついてないじゃん。ノーむんずだよ」
顔を真っ赤にしたアキラが後ろへ飛び退く。
「急になにすんだ! 女がそんなことすんな! 男はスカートめくりとかしていいけど、逆はなんかダメって、そういう空気あるでしょ!」
「ハァ? 裸に引ん剝くわけにもいかないでしょ。上は見るからに無いんだし」
「うるさい! もうお前とは人形遊びしてやんない!」
アキラの一言に、ルーシーがピクリと反応する。
「えっ、ほんとにさっきの子供? 一緒に遊んでほしそうだったから、アタシ粘土で人形作ろうって誘ってあげたのよね」
「『誘った』ってなんだ。全然喋らなかったくせに」
仮想空間でのアバターが自己認識に依るのはアキラも同じく、ルーシーは自分を女児と認識している――かというとそういうわけではない。
電脳歴がわずかなルーシーは仮想空間で自由が利かず、幼い子供のような行動力しか持たない。そのために仮想空間では自分をそういう風に見なしていた。「赤んぼみたいに不自由だ」と。
通常は六才頃から電脳による訓練を積むので、ルーシーの電脳歴から考えればその頃からやり直しているとも言える。
「アタシはあっちじゃまだ喋れないんだよ。ついでに言うとアンタがなに言ってんのかも聞き取れなかったし、動きも時々しかわかんなかった。ブルーハの連中もそうだけど、特にアンタは速すぎ」
処理速度が極端に違うせいで、ルーシーにはアキラがラグで飛んでいるように見えていた。時間の流れがまるで違う。
「そりゃ700時間じゃなあ……」
アキラは電脳歴に関する知識をネットワークから読み込み、納得する。
電脳歴千時間で意識が電脳に互換し、1秒を正しく体感できるようになる。基本的な運動、普通にコミュニケーションができるようになるまではおよそ2千時間――これを六才までに体験しておくことが現在推奨されている。仮想空間でのルーシーはまさに幼児並だ。
「逆にアンタはなんなのさ? コイツらブルーハギルドって言って、仮想空間じゃ無敵だからムチャクチャ調子乗ってる問題児どもなのに」
「へっへー。ボクは誰にも負けたことなんて……ないから」
アキラは話しながら途中で落ち込んだ。現実ではなかった過去を思い出す。
優しかった母親はいない。遊んで競った友達もいない。自分に都合よく作られた仮想空間だと、ゴトウに繰り返し聞かされた言葉が今更胸に突き刺さる。
「ん、元気なくなったんならごはん食べに行こうか。そうしよう」
ルーシーはアキラの背中をポンと押して部屋を出るよう促した。入口へ移動したところで振り返り、床でノビているブルーハ・ギルドに向けて一喝する。
「二度とこの子にちょっかいかけるんじゃないよ! もしまたなんかやったら……端末つけられないような頭の形にしてやる」
アキラはまるで子分のような扱われ方が不服ではあるものの、脅し文句にゾッとしてしまってなにも言えなかった。
<続く>
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