第4話 クエストマーカー喪失
食堂のテーブルで湯気を上げるスープに手を付けず、アキラは向かいに座っているルーシー・アファールについて詳しく検索する。自分と同じ「被虐待児」というタグが気にかかったからだ。
情報源は学校のデーターベースや共用・個人を問わない電子掲示板。
一般の接続ユーザーとは桁が違う電脳歴の前では並の防衛網は障害にならない。アキラがその気になれば学校の極秘情報から非公開に設定してある生徒や教員の完全な個人情報、入室制限をかけている個人チャットに至るまで覗き見ることができる。
しかしアキラはそうしなかった。良心の選択というより、目当てとするルーシー・アファールの情報がそこまでしなくとも簡単に手に入ったからだ。
彼女が有名人であることは周囲の様子にも充分に見て取れた。昼時で同じく食堂にいる他の生徒たちの視線が集まっている。近くに誰も寄り付かない空席の層が注目の意味まで伝える。
「……メチャクチャ恐がられてるね」
視線の多くは畏怖。しかしながら、ルーシーひとりならこれほど酷くはなっていなかった。混じる嫌悪がアキラを向いていることに当人は気が付かない。
「でもしょうがないよね。動物園の飼育員さんってスゴイ勇気あるんだってわかったよ」
ルーシーに付けられた評判タグは〝被虐待児〟の他に〝原始人〟〝お利口メスゴリラ〟〝昔々ある力こぶ〟などなど。これがどういうことかと言えば、もちろんアキラが目撃した彼女のムチャクチャな身体能力に由来する。
人類の歴史は技術の進歩と共にあり、効率化・負担を軽減する新しい道具の発明によって生まれる〝便利〟は人々から少しずつ運動機能を奪っていった。学童体力測定の数値は右肩下がりに落ちている。その流れの中で、千年昔の水準と張り合うポジティブイレギュラーが忽然と現れた。ごく一部のメジャースポーツを残し絶滅の過渡期を下る体育会系の先祖返り、それがルーシー・アファールという女だ。
「昔はアタシくらいが当たり前だったってコトでしょ? 大ゲサなんだよね」
学友たちが彼女に貼り付けたタグが大ゲサなものかと言えば、アキラにはとてもそうは思えない。
「マンモスを石の槍で倒せるわけないと思ってたけど、なくてもできそう。できたんでしょ?」
「アタシに古代の疑問をよこすんじゃない」
現代人離れした身体能力の秘訣は、彼女に〝被虐待児〟のタグが付いた理由と由来を同じくする。
ルーシーの両親はいわゆる〝ナチュラリスト〟だ。ヒトは自然と共に生きるべきと考え、それを実践して暮らしていた。農作業や狩猟、綿生産までに至って自給自足の生活で、就学はしていなかった。他の科目は親から学べても電脳技能だけは自然からの恩恵で
故にルーシーの電脳歴は半年前にこの高校へ編入して以来となる。同じ被虐待児でも、アキラとは正反対と呼んでいいほどに事情が異なっている。
アファール家の生活は〝狩猟〟の点で法に触れる部分があり、社会ニュースにもなったせいでアキラが情報を検索するうえで苦労はなかった。
事情を知ったアキラに仲間を見つけた喜びはなかった。
「そっちは……最初からちんこなかったんだね」
「んあ、なんか言った? っていうか、ジャマしないでよ」
ルーシーはこめかみをぐっと押さえて目を細めている。皿に山盛りのパスタを秒殺してからずっとこの姿勢でいる。
この奇行には意味があって、電脳深度を上げるべく意識を集中しているからだった。電脳技能が未熟な彼女がネットワークと繋がるにはかなりの集中を必要とする。
目的はアキラの個人情報にアクセスすること。簡単な試みにも関わらず進展がないのは電脳深度の問題だけでなく面白がったアキラがアクセスを弾いてしまうからで、そのせいでなかなか一般公開範囲にすらたどり着けない。
妨害なしでもたどり着くか怪しいヨチヨチ歩きを例えるならスイカ割り。メニュー画面から3ステップで踏破するルートをひとつ進むのもおぼつかない。
「おかしいな……。おりゃっ!」
「気合いはいいけど体まで動かしたら気が散るでしょ」
見かねた周囲のギャラリーたちが手を貸し始めたことで増々スイカ割りの様相を呈してきた。「あっちだ」「こっちだ」「そうじゃない」と飛び交う指示を聞き取るだけでも、処理速度の乏しいルーシーはダウンロードに追われて混乱する。そして拒否する技術もない。
「電脳深度は充分なのに、全然できない……。あっ、もしかしてアンタ、ホントにジャマしてるんじゃない?」
「もうやってないよ。みんなもそんなつもりないって」
「みんなって誰? 恐いこと言うのなし……」
結果的に情報量を増やして混線させているとは言え、誘導は善意で行われている。
どうやらルーシーは恐れられているわけではないらしい、ということにアキラは気が付き始めた。がんばるルーシーと手伝うみんな――という図式になればゴールで待ち構える自分が悪者のように思えてくる。
「ちぇっ、なんだよソレ。……そんなことより処理を速くしたほうが簡単だよ」
悪者でいたくないアキラが立場を改善しようと動いた。
処理能力を補強するアプリをネットワークから拾ってきてルーシーに送りつける。それは、とてもではないがルーシーが許容できる通信量ではなかった。
「んんっ」
途端にルーシーの顔色が紫色になり、今食べたばかりの昼食がテーブルに吹き出た。ろくに噛まずにかき込んだパスタがほとんどそのままの形で広がって、ミートソースが絡んでいるせいで一見猟奇的な光景に食堂が騒然とする。
「うわっ! ゲーロゲロ、ゲロ吐いたコイツ!」
事件の中心で子供のようにはしゃぐアキラに冷ややかな視線が刺さる。
「え……なんで? ゲロ吐いたりもらした奴は『ゲロ太郎』『おもらしマン』に決定でしょ?」
身についている十才児のノリと周囲の反応の差異に戸惑うアキラ。その横を数名の女子生徒がすり抜けてルーシーに駆け寄るとハンカチを渡して気遣った。
「ん。あー、ダイジョブダイジョブ。ちょっとビックリしただけだから。それよりこういう場合……ココっておかわりとか貰えるのかな?」
ルーシーは避けられていた状況から一転して、冗談を言って笑い合う関係に打ち解けた。
それに比べて――とアキラは相変わらずの立ち位置にいる自分を惨めに感じた。
午後の授業は体育から始まり、アキラは周囲から浮いた。なにしろ男子に混ざろうとするので本人が進んで孤立している向きもある。当然、準備体操のために作る二人組にもあぶれた。
「やっぱりこの世界が現実はウソだ。あっちが仮想世界だからって、前いた所までそうとは限らない。うん、きっとそうだ」
男子には断られ教師からは叱られ女子の集団に加わる発想も持てず、校庭の中心でぽつねんと途方に暮れる。そのうちに受け入れがたい状況が思考を現実から逃がし始めていた。
そこへ現れたルーシーが声をかける。
「なにしてんの。準備運動は大切だよ?」
「心がぐしゃぐしゃだから大丈夫」
アキラはふてくされて目も合わせずに靴ひもを結んだり解いたりしている。ルーシーは気にした様子もなく話し続けた。
「アンタさ、今日転校して来たんだって? 実はアタシも最近来たんだ」
ルーシーがこの学校に越してきたのは半年前。それはアキラも既に把握している。しかし黙っていた。食堂での出来事が罪悪感を作っていて、なにを言ったらいいかわからないのだ。
「他の生徒にはなんか怖がられるし電脳には慣れないしで色々辛かったんだけど、アンタのおかげで他の子とちょっと仲良くなれた。ありがとね」
言葉の真実を笑顔が保証している。体育だからというわけではなく、運動着に着替えるハメになった食堂での一件に恨みを残していない。
その朗らかさがアキラの心を
「あの、えっと……さっきは、そのぅ……」
仮に相手が怒っていないとしても、謝らなければならない。そういう気持ちでアキラが口をモゴモゴさせていると、ルーシーはアキラの背後へ回って腕を取った。
「さぁっ、今は体育の授業中だよ! 準備運動は大切!」
背中に乗せて前へ倒す。それは体を伸ばす柔軟体操だが、固い体を軋まされたアキラは「ゆるしてもらえない」と感じたのだった。
ラインで区切られたバスケットボールコートをボールが叩き、女生徒たちが駆ける。その中で異彩を放っているのは、やはりルーシー・アファールだった。
「こんなちゃんとした場所で、ちゃんと人数揃ってやるの初めて! アハッ、たのしー!」
ボールは彼女に集められゴールが量産されるサマは敵チームですら歓声を送っている。
そんなルーシーの姿に悔しげな視線を送るのは、同じコートの隅で棒立ちしているアキラだ。両手はボールを受け取ろうと広げたポーズのまま、商品棚で乾いた野菜のようにしなびている。
ルーシーと張り合おうとしても退院直後に近い体が要求に応えられるはずもなく、クラスメイトから散々に嫌われてしまったこともあって早々に風景と化した。試合を眺めるだけでスコアボードよりも動かない。
自分が関わらない盛り上がりに仮想空間で培った主人公のプライドが揺らぐ。なにをしようとしたところで大成功のイメージはひとつも実現しない。思うように体が動かない。アキラは初めての感覚に襲われて動揺していた。
「おうち帰る……。早引け、早引けします」
コートを出るアキラに声をかける者は誰もいない。ルーシーだけが気にしはしたが、チームメイトに声を掛けられてその気を逃してしまった。
電脳深度を30%に上げた複合現実の世界で目的を「帰宅」にしてルート検索すると視界に矢印が浮かぶ。その先にあるのは学生寮だ。
そこより他に居場所などないのだと、逆らうことのできない運命を教えられている気がしてアキラは目を背けたい衝動に駆られる。
しかし案内矢印は首を振った先の視界にもついて来る。目を閉じても電脳深度をゼロに閉じない限り自分の現住所がどこかを告げる。監禁されていたマンションは現在も捜査中である為立ち入ることはできない。他に居場所を求めるとしたら、ゴトウを頼ることになる。そんなことをしたところで状況は変わらないことをアキラは悟っていた。
ここは異世界で、クエストを順当にこなしていけば元の場所に還れる。この妄想に縋りつこうとしても課題を突破できる気がまるでしない。なにもできない。現実での無力をアキラは思い知った。
逃げ出す当てもなく、アキラは矢印に沿って校舎の廊下を進んだ。どれだけ足を前へ運んでも行先に希望はないとわかっているから、一歩ごとに気持ちは沈んだ。
たどり着いた建物は表札に「イタハネ高校〝女子〟寮」と冷徹な一文。増々アキラの心は荒れる。
その気になれば学校の登録情報をいじり、自分の籍を男子寮に置き換えることも可能だ。そんなことをしてもなにも解決しないことはもう分かり切っていた。
戸を押して中へ入ると、玄関のセンサーが電脳端末と交信してアキラの在室状況を更新する。そんなやり取りを感じ取って、アキラは息苦しさを感じた。見張られている気持ちにしかならない。
立ち止まらずに自分に割り当てられた部屋へ移動。中に入ると手前からベッド・戸棚・机と、両側で対になっている。2人部屋らしいが私物は見当たらないところを見る限りルームメイトはいないらしい。
そこだけはよかったと、アキラは学校の配慮に感謝した。「生徒側が嫌がっただけかもしれない」と自虐を感想に付け足す。
ベッドで横になってただただ天井を見つめる。考えることもない。いや、考えたくはなかった。悪寒と不安ばかりが押し寄せてきそうで心が重い。
そうして無心に浸っていると、通信が入った。
寮内では電脳端末の通信が制限され、外部からの連絡は一度寮サーバーの管理を通し〝外線〟として処理される仕様はアキラも既に情報を引き出して確認している。
ところが、この通信はその制御をすり抜けて直接アクセスしてきている。不審だ。
内容は簡素なテキストメッセージのみで文字数も少ない。差出人は「ブルーハギルド」となっていた。
≪学校をメチャクチャにしたくないか?≫
表題を読み込んだ時、アキラの心が少し上向く。イタズラで教師をおちょくり、クラスメイトをからかうことは10才男児の真骨頂たるところだ。
すぐさま返信しようと思ったが、内容には迷う。
ブルーハギルドが戦力としてアキラの力を求めていることは明らかだ。アキラが加われば、それこそ学校を「メチャクチャ」にすることも可能になる。
しかしアキラは大勢の中に埋もれることも、易々と暴力を選ぶ彼らのやり方も好まない。
しばらく熟考したうち、ブルーハギルドの情報を拾ってその構成人数を知った時、アキラの心は動いた。
その人数は丁度百人となっていた。
<続く>
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