第6話 さくせん:せいとかいがんばれ

 イタハネ高校は寮舎と運動施設から挟まれる位置に通常校舎を構え、更に中央の2年棟に生徒会室が備わる。その室内に席は四つきりしかない。

 生徒会役員の業務は会員である全生徒の希望と運営体制の学校が抱える職員や設備上の都合を擦り合わせることにある。つまり環境の最適化であり、具体的な作業の大部分は意見の集計となる。

 電脳システム隆盛の時代にあっては書記も予算管理もAIが肩代わりできる関係で構成人数は少数、ひとりでも事は足りるだけに会長以外には役職も与えられない。

 とは言え学校環境改善を図る一方でその他の雑務も対応を求められる。だが、この放課後に持ち上がった案件に関してはとても〝雑務〟と呼べるスケールではなかった。

「傾聴! これより電脳闘争の作戦を指揮する!」

 1年校舎を窓の外に眺めて立ち、腕組みの生徒会長デイジー・グレースは一喝する。

 語気の強さは自らを奮い立たせるためで、その顔つきは緊迫し鬼気迫っている。それもそのはず、生徒会が狙われているとの情報が入ったからだ。

 実はそうした事案は珍しくない。ブルーハギルドが彼らにとって慣れた宿敵だ。幾度となく彼らと争い、今のところ一度も敗れてはいない。

 ただしブルーハギルド自身それを狙ったこともなかった。放任気味の校風と言えど、違反行為が行き過ぎれば自分たちの立場が危うくなると危惧する為だ。

 学校内の体制を転覆させたところで報酬は一時的な高揚感以外にない。それでいて悪くすれば学校内の処分では済まず国法で裁かれることになる。卒業してからのほうが長い人生においてそれは重大な問題だ。

 今度の相手はそういう意味でも脅威と言えた。アキラ・シラユキ。親の愛情を受け損なった〝被虐待児〟はなにをするか知れず、しかも電脳歴は突出している。多くの生徒が不安を感じていた。

 だが生徒会が息を殺し身を潜めるわけにはいかない。デイジーには「それが生徒会だから」というだけで立ち向かう理由となる。まして相手は一生徒だ。一応は。

「敵は話題の転校生。下種なメディアを信じるならば、違法な生い立ち故に獲得した電脳歴はなんと12万に達する超大物スーパーヒュージだ。現時点で2万に届かない私がアプリで多少の補強をしたところで、メガにひとつも勝てる見込みはない」

 悲観さえ忘れて即逃げ出しても仕方がないような戦力差がある。だが部屋の空気は重くならない。

「12万か~。電脳歴は基本先に始めたモン勝ちだから、唯一後輩に威張れるポイントなのに、会長残念でしたね」

「会長だけを言えませんよ。そこだけで計れば彼女には誰も勝てないじゃないですか。虚しい価値観は捨ててください」

「なんだとコンニャロ」

「電脳歴12万となると、二才から十五歳までの期間を24時間仮想空間で暮らし続けた計算になるっスね。まさに電脳育ちサイバーネイティブ。一般ユーザーが〝行先のアドレスを確認する〟〝アクセスする〟っていう手順で移動する仮想空間を、現実と変わらない感覚で歩くんスかね。わかんないスけど」

「推奨時間に則ると、今の彼女に追い付くのは50歳頃になりますよ」

「50歳ぃ? じゃあいっそそれまで待ってもらおう。『決着は同窓会で』なんつって」

「どの面下げて参加するつもりなんですか。私は嫌ですよ。そんな先までみなさんと付き合いが続くの。私は不参加とさせていただきます」

「なんだとコンニャロ」

「いやそうじゃないっスよ、おふたりさん。時の流れは平等だからいつになっても追いつかないって話っス。何日も前に出発したタカシくんを同じ速さで追いかけてるの。ご理解いただける?」

 執行役員の間で飛び交う軽口を聞き届け、デイジーは微笑んで頷く。

「つまりトンデモ転校生に比肩するのは『50歳以上の電脳上級者』ということだ。ところが電脳システムは世に出てまだ二十年しか経たない。都合の良い人材は望むべくもないということだ。職員室はもちろん、世界中を探したところでこの危機を打開してくれる救世主はいない。負け戦だ」

 仮想空間はなにをされたところでバックアップからの復旧が可能な失うことのない世界。そこで残る結果は取るに足らないことかもしれない。だが、譲れないものは確かにある。

「作戦はいつもと同じ、奥の手は使う。それでは電脳深度上げて潜航する。……今回ばかりは勝ちに行くぞ」

 強い頷きは、やはりデイジー自身を奮い立たせる為のものだった。


 デイジーを含め、まっとうな電脳教育を受けている生徒とアキラには仮想空間での行動力には比較不可能ほどの差がある。だが数字のうえでの逆境なら生徒会にとっての常であり、慣れた戦場と言える。なにしろ普段相手にしているブルーハギルドからして倍以上の電脳歴を有しているのだから、むしろ大きな不安材料は相手の出方が読めないところにある。

 なにが起きても動揺はすまいと心の準備をしていたにも関わらず、仮想空間に広がる光景はデイジーの覚悟をあっさりと揺るがした。

「……これほどとは思わなかった」

 視界は暗く、昼夜の概念がない仮想空間がまるで夜のような闇に落ちている。

 生徒会4名のアバターが立ち尽くすのは見渡す限りの草原。そして彼らの眼前には朽ち果てた洋館が佇んでいた。ぼんやりと不自然な明かりに照らされ、ホラーの雰囲気に満ちている。

「……いかにも『これぞ仮想体験』といった趣だな。古臭く、そう『ダサい』というやつだろう」

 のんきな感想を述べている場合ではない。

 生徒会サーバーにアクセスしたのだから本来なら生徒会室と変わらない環境の空間に意識が飛ぶはずだった。だと言うのにこの有様である。暗闇で見通せない視界は広域へのアクセスが制限されている証であり、これほど環境を改変されている状況は管理権限が犯されている事実を示していた。

 枯れ木に止まった痩せたカラスが「あー」と鳴く。まるで人間の嘆き声のようで生々しい。

「あ、会長。私、ただ今をもってムリになりました」

 役員の一人がスッと手を挙げる。背の低い三つ編みの女子生徒だ。腕の先はまっすぐに伸ばしても隣の肩へ届くかどうか。普段の無表情が崩れ、引きつって青い。

「例え火の中と最期まで会長と共にある覚悟でいたのに無念ですが、次は50歳の同窓会でお会いしましょう」

 怯える女子役員に、隣のニヤけた長身男子が声をかける。

「まあまあ、恐かったらボクの後ろに隠れてもいいから――って、うおっ! ホントに来た。ヤバい、惚れてしまいそうだ」

「それはこの状況よりホラーです」

「なんだとコンニャロ」

 この期に及んで変わらない軽口に平常心を呼び戻され、デイジーは館を改めて眺める。

「転校生は子供っぽいという話だったが、これは『ホラーハウスに挑戦しろ』ということか」

「んぅー……そうじゃない気がするんスよね。ホラ、あれ」

 陰気な男子役員が館の上を指差す。アバターでなければ長い前髪に遮られそうな視線の先には〝Wave1〟と表示が浮かんでいる。

 段階的に押し寄せる敵を撃退し続けるルールのゲームで、進行度や徐々に増していく敵の強度を示す値がこう表記される。

 しかしゲームに疎いデイジーは怪訝な顔をした。

「なんだ。あれはどういう意味だ。波が来るのか」

「ちょっとお待ちなせえっス。チャットで説明すると長いんで、テキストファイルを送るっス」

「……ははあ、なるほど。となるとこの様子から予想される敵は――」

 渡されたデータで事情を把握したデイジーが話しかけたところ、予想そのままの姿が洋館から現れた。肌が土気色でところどころ欠損した人間――否、ゾンビだ。

「わぁ、ホントに出た」

「こんなにもダメになっているというのに!」

「認めないっス! 歩くゾンビしか認めないっス!」

 錆びた蝶番から外れた扉を横へ倒し、不自然に大量のゾンビが一同目がけて襲い来る。

「――助言はあるか!」

 恐慌状態に陥る直前に、デイジーは一喝して平静を保った。

 反応した陰気役員が前方、大きな箱を指差す。草原に脈絡もなく置かれた存在感がこれもまた景色に浮いている。

「多分アレに武器が入ってるんス。ホントは待ち時間に準備してなきゃいけなかったんだ。みんなしてムダなリアクション取ってるから」

 箱はもうゾンビの群れに飲まれた。普通ならもう回収はできない。普通なら、現実ならだ。

 だがここは仮想空間。距離は見せかけに過ぎず、そして時間は現実通りに流れない。離れた箱にも問題なくアクセスでき、ゾンビがすぐそこまで迫っていても処理速度を加速させて体感時間を引き延ばせば備えるに充分な猶予が生まれる。

 デイジーが手をかざすと独りでに箱が開き、例によってそこには収まり切らない量の中身が宙へ飛び出した。拳銃から火炎放射器、電磁ミサイルなどという架空の武器に至るまで豊富な銃火器群。

 すかさず情報を書き換え、自動射出・弾数無限・無反動・同士討ち無効・一撃必殺の属性を付与する。徹底した接待イージーモードだ。

「よし! この程度なら権限が残されている。ゲームマスターのお叱りがないうちにこのまま迎え撃つぞ! 前方の目標を各個に撃破、直ちにかかれ!」

 銃火器を手元へ転送する。デイジーが選んだのはオーソドックスなアサルトライフルだ。腰だめに構え、迫りくる群れの先頭に銃口を向ける。

 ためらいがないわけではない。相手がNPCで、かつゾンビのアバターならミキサーのスイッチを押す気軽さでミンチにできる――とはいかない。

 他者を屠殺する映像が信号となって、現実で目にするよりも鮮明に脳へと焼き付けられる。その苛烈な体験が気軽に済まされるはずがない。ここでの勝ち負けに意味を感じる以上、行為と結果には必ず影響が残る。

 だが、デイジーは引き金を引いた。恐れは目を細めるに抑え、消しているはずの発射の反動に身を震わせる。

 当たれば必殺判定の弾雨。ほぼ直線を成したゾンビの群れを呆気なく溶かしていく――と言うのは比喩ではなかった。実際に溶けるようなエフェクトで、肉片が吹き飛んだり手足がもげたりすることなく、ゾンビたちはサラサラと砂のように崩れ風に消えていく。

「なんだこの目に優しいトラウマ対策は。誰か設定をいじったか」

 これならば心の傷にならない。デイジーは心の内で「でかした」と叫ぶ。

 だが、そうではなかった。陰気役員が首を振る。

「なんかココ、元からR指定かかってるっスよ。暴力表現サッパリ禁止の10才以下向け。もしかしてナメられてるんスかね? 戦力差的にどんだけ慢心しても妥当っスけども」

 設定の理由はともかくとして、グロテスク緩和を喜ぶ声が聞こえてこないことがデイジーは気になった。三つ編み役員が大人しい。逆に悲鳴も聞こえない。

 もう一度掃射してゾンビの波が引けたと確認してから見回すと、あるべき味方の姿がひとつ減っていた。三つ編み役員がいない。ゾンビは近づけさせなかった以上やられたはずはないというのに。

「おのれ! 勝手に業務放棄ログアウトか! これが終わったら全サーバーをデフラグさせてくれる」

「いやぁ、あそこにいますよ。でもおしおき回避かは疑問かな」

 長身役員が掌を逆さに軽薄な手つきで洋館を指差す。ゾンビの出現位置である扉、その横にいた。

 勇敢な突出かと言えばそうではない。背中をピッタリと壁に貼り付け、瞼を閉じ息を殺すサマから「私は壁」と念じる自己暗示が伝わってくる。

「私は壁。壁はゾンビに襲われない」

 口にも出して言った。デイジーは激昂する。

「なにをしている! 攻勢が止まっているこの隙に戻れ!」

「リクエストには応えられません。ビジー状態です。不都合な命令は通さない、今の私はファイアーウォール」

 同僚を囮にゾンビ発生源のすぐ横でやり過ごす腹づもりだ。自身のアバターに保護色のテクスチャを重ねる小細工まで仕掛けている。

 無論、そんな単純な所が安全地帯になるわけがない。

 頭上で表示が〝Wave2〟へと切り替わり、三つ編みの足元の小窓からヌッとゾンビの腕が生えた。足首を掴まれ初めてそれに気が付いて、悲鳴をか細く伸ばして横倒しになる。

「あの役立たずを見捨てるな!」

 デイジーは両脇に銃を抱え乱射して玄関から溢れる新手を抑え撃つが、進路を横に変えた標的の群れに照準が追い付かない。さっきよりも流れが速い。同士討ち無効にしてあるとわかってはいても、諸共に弾幕で包む非情を彼女は実行できなかった。

 直接助けに向かおうとした残りのふたりも、今度は地面を割ってゾンビが現れ行く手を阻まれてしまった。完全に分断された形からひとりで合流できる望みはない。

 1名脱落。その結果が目前に迫ったとき、架空の空に声が響いた。

「い――やっふぅうう!」

 同時に弾丸の雨。ゾンビの群れは一匹残らず撃ち抜かれ、つむじ風が渦巻いて砂を浚う。一瞬視界を覆い隠し、晴れたあとには少年のアバターが現れる。

「初めまして、おにいちゃんおねえちゃん! ボクはアキラ・シラユキです。ヨロシクね!」

 体格に不似合いなベルト給弾の機関銃を肩に担ぎ勝ち気に笑う。突然現れた今時珍しい半袖半ズボンを見てもデイジーは「誰だ貴様」とは動転しなかった。

 ただ一応、部下へ視線を振って確認する。

「生徒IDは間違いなく『アキラ・シラユキ』っスね。っていうかこの電脳歴じゃ間違えないっス」

 陰気役員が頷くのを見て、深いひと呼吸のちにデイジーはアキラへと向き直る。

「初めましてシラユキ君。主要な管理権限を奪われた立場でこういうことを言うのもなんだが、生徒会へようこそ。それで、用件はなんだ? このゲームで競って、要は私たちと『遊びたい』ということか。それだけならば歓迎する」

「ううん、違うよ。おねえちゃんたちのアカウントを消すって約束したんだ」

 クラッキングによるアカウントの不正な失効。紛れもない違法行為だ。

「生徒アカウントを管理しているのは学校のメインサーバーだし本当はこっちに用はなかったんだけど、いきなり消してもつまんないでしょ? ちゃんとやっつけてからにしようと思って」

 学校が発行する生徒アカウント。これを消されたところで現実に居場所を失うようなことはない。学校サーバー群へのアクセス権を一時的に失うだけで、不可欠な個人情報は戸籍と同等の市民アカウントから復旧できる。電脳技能については脳が獲得する技術なので、電脳上のデータが消されようと書き換えられようと影響は皆無。つまりほとんど意味はない。

 だと言うのにわざわざ目的を明かした。愉快犯的で、いかにも厄介な子供らしさだ。

(前情報通り……か)

 での独り言。

 脳信号が展開される仮想空間にあっては、言語チャットとして発するつもりの気持ちもただ考えるだけの思考も本来は区別がない。それらを垂れ流しにせず心の内を制御するにはある程度の熟練が必要だ。具体的には電脳歴2千時間程度となる。

 ただし今ここにいる相手はサーバーを掌握しアカウントを削除するとまで宣言した、秘めた心を暴くくらいは造作もない電脳の怪物。デイジーはこれから脳裏に思い浮かべる内容でさえ厳選しなければならない。

「ずっと見てるつもりだったんだけど、なんか面白くなりそうにないからルールを変えるね?」

 アキラが瞬時に表したホイッスルを吹くと、屋敷の上に「ゼロ」の列がふたつ浮かんだ。それがなにを意味するのか、デイジーにも察しがついた。

 Waveが次の段階へ移る。

「ここからは競争だ! ひゃあっほぉーう!」

 楽しげに叫んで、アキラが真上に向けて乱射する。弾丸は銃身に従ってほんの少しまっすぐ進んだところから、デタラメな角度で曲がり館から溢れたゾンビを撃ち抜く。

「弾丸の一発一発を……制御できるのか?」

 見せつけられた光景にデイジーは唖然とした。

 銃の発射方向を変えるだけならデイジーにもできる。ただしそれは一斉に、一方向に向けた単純な変化でしかない。毎分数千発のオブジェクトの行先を演算し複数の標的にぶつけるなどという離れ業は到底不可能だ。ムリヤリ現実に例えるなら雨を避けて歩くような奇跡の芸当と言える。

 屋敷の上の数字が片側だけ見る見る増えていく。跳ね上がっていく。予想した通り、これはゾンビを倒した得点表示らしい。

「ホラホラ、ボーっとしてると終わっちゃうよ! ねえ、一緒に遊ぼうよ!」

 焦って構えた銃をどこへ向けたらいいかわからない。ほとんど出現と同時に砂と化していく。電脳歴12万超のスピードに追い付けない。

 この環境を設定しているのはアキラだ。ゾンビの出現パターンを予め把握している可能性もある。その必要がない実力差だとしても、これは最早「ゲーム」とは呼べない。

 それでも、と言葉に発したのか胸中で留めたのか。デイジー本人でさえ判断がつかない。

「つくづく君には負けられないな」

 独りよがりなところも含めて、胸が痛くなるほど自分と通じるものを感じた。


<続く>


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