第10話 サーチの正体-B

 ――それから、どのくらいの時間が経ったのか。

 遠く、チャイムの音を聞いた気がした。

 一体いつごろからこうしているのだろう。

 気が付くと、真っ白な世界を一人で漂っている。

 体が羽根のように軽い。

 死んで魂だけになったらこんな感じなのかもと、ぼんやり物騒なことを考える。

 このあやふやな世界がどこなのか、どうしてこんな所に自分がいるのか、はっきりと思い出すことができない。

 元々ここにいたような気もするし、そうでなかった気もする。

 何もかもがいい加減で曖昧だった。

(……気持ち良いな)

 ――考えなければならないことがあったような。

(そういえば……ランチ、食べないと)

 ――そんなことだっただろうか?

(褒めないと、エリカとサナエ先輩、絶対、怒るし……)

 思い出す。可愛らしい模様の入った布できちんと包まれた、二人分のランチボックスだ。あれを食べようと思っていたんだ。

 先輩たち、最近料理にでも凝ってるんだろうか。

(ああ……そうだ……)

 そこまで考えてやっと繋がる。

 僕は生徒会室であのゴーグルを使って――そして、失敗したんだ。

 1ビット・ダイビングが危険だなんて思ってもみなかったことだけど、実際やってみて理解した。

 意識と感覚を直接Ω‐NETに接続するというのがどういうことなのか。

 あの男がやめろと言っていた意味も、今ならよく分かる。

(ああ、もしかして、じゃあ……死んだ?)

 痛みも苦しみも無いので、自然とそんなことが思い浮かんだ。

 死んだとしたら困ったなあ。

 何より、両親が悲しむ。母さんなんか、僕が死んだりしたらどうなってしまうんだろう。

 それに、せっかく用意してくれたランチを食べずに死んだりしたら、二人は怒るに違いない。困ったなあ。


 《サルベージ、成功したか?》


 暢気な後悔に身を任せていると、音がした。

 言葉のようだったけれど、その音は意味として結実しない。

「ああ。まぁ、大丈夫だろ」

 何だろう。

 誰?


 《 、ハロルド》


 馬鹿じゃないの? ぜんぜん良くないよ。

 僕なんか死んじゃったんだから。

 あーあ、できれば、もう一度サーチに会いたかった。

 何だか不本意な感じで途切れてしまって、けど、別に彼女に対して怒ったりしてないから、それを伝えておきたかった。

 けれど、不意に、白が途切れた。

「…………?」

 目が開いていた。天井が見える。

 そして、体があった。

 ベッドに横たえられているようで……かけられた布団が暖かくて少し重い。

「う……」

 かすれた声。自分の声だ。

「……ウィル?」

 すぐ近くで、女の子の声がした。

 そっと視線を移すと、僕を覗き込んでいる、サナエ先輩の顔があった。

「先輩……」

 身を起こすと、ベッドの脇に座っていたらしい先輩がカタンと立ち上がる。

「あ……」

 艶やかな黒髪が頬にかかる。

 ずっと窓際に座っていたのだろうか、差し込む太陽に暖められた、甘い日なたのにおいがした。

「馬鹿! もう、冗談じゃないわよ!」

 怒ってる。

 そりゃあ、そうだよなあ。

「もし起きなかったら……どうしようかと……!」

 でも、だったら先輩どうして僕に抱きつくの?

「……すみ……ません」

 ちょっと息苦しい。

 だけど、文句は言わずに素直に謝った。

 それから、先程夢の中で考えていたことを思い出して、

「……ランチ、食べちゃいました?」

 と、尋ねてみた。

「え?」

「先輩が来てから頂こうと思ってて……」

 真面目に言ったつもりだったんだけど、サナエ先輩はパッと顔を上げて僕を睨んだ。ウサギみたいに赤い目。

 泣いてたんだ。

「ば……馬鹿なこと言って……こんな時に、何言ってるの!」

 再び怒鳴られて、ようやく僕は、先輩が僕をものすごく心配してくれてたんだってことに気付いた。

 ごめんなさい。

 言おうとしたけれど、言葉が続かなくて、仕方なく視線を泳がせると、時計が目に入った。

 十七時。もう今日の授業は終わってしまったらしい。

 思ったよりずっと長い時間が経っていることに、改めて驚いた。

「もう……夕方だったんですね」

「……そうよ」

「僕……どうなってたんですか?」

「……私が見つけた時にはもう倒れてて、お医者様を呼んで診てもらったんだけど、意識が無い以外は正常だって言われたのよ。深く眠っているようなものだから、様子を見てくださいって話で、様子が変わったらすぐ病院に連れていくことになって……」

 それで、ついていてくれたわけだ。

 先輩に午後の授業を休ませてしまったとしたら申し訳のないことだ。

 けれど、彼女はそんなことは少しも気にしていない風で、目が覚めて良かったと微笑んだ。

「それにしても」

 安堵の表情で、サナエ先輩が呟く。

「二度目ね」

 先輩はしみじみと言ったけれど、僕にはさっぱりわからない。

「……何がですか?」

「あら、やっぱり憶えてないんだ」

 あっさりそう言って苦笑する。

「まぁ、無理も無いか」

 ますますわからない。

「入学試験の日よ」

「え?」

「あなたが今日みたいに倒れて、保健室に運ばれて、私がこうして付き添いをして……みたいなこと」

「あ……」

 言われて、思い出した。

 入試の日、確かすごく体調が悪くて、数学か何かの試験が、半分しか受けられなかったのだ。

 ちょうど一年くらい前の話で、気分が悪くて――覚えているのは保健室のベッドの、乾いたシーツの感触が心地よかったことくらいだ。

 けれど、思い出してみると、確かに誰か、在校生に付き添ってもらったような記憶がある。

「あの時の……先輩だったんですか」

「そうよ」

 考えてみれば、入学試験中の雑用は生徒会の仕事だから、先輩がいたというのも、納得できる。

「そんなこと、よく憶えてますね」

「だって、ちょっと衝撃的な病人だったもの」

 言って、先輩はクスクス笑う。

「だって君、再試験の手続きしておこうかって聞いたら、いらないって言ったのよ。まだ試験時間半分も残ってたのに」

「あー……そうでしたっけ。そうだったかも」

「その時は、何て余裕かましてる子なのかしらって呆れたんだけど、そのあと入学式で、君が新入生代表の挨拶したじゃない? よっぽど頭のいい子なのねって、二回驚いちゃったわ」

「たまたまですよ。数学は得意だったから」

 言いながら、身体を起こす。

 髪がフワフワする感じがして、跳ねてるのかなと気になって頭に手をやる。

 それを先輩は勘違いしたみたいで、パッと不安そうな顔になってのぞき込む。

「痛いとことかない? もう少し寝てれば良いわよ」

「大丈夫ですよ、どこも平気です。それより先輩、ランチにしましょう。僕の分、まだありますよね?」

「は?」

 先輩は間抜けな声をあげて、それからなぜか赤くなって、ぶんぶんと首を振る。

「も、もう夕方だから!  だめだめ!」

「ええ……もったないですよ」

「だめだめ、これ以上何かあったら嫌だわ、ま……また明日、作ってくるから!」

 どうしてこんな大げさに拒否するんだろうか。

「もうこんなに涼しいんですし、そんな簡単に悪くなったりしないですって。それに、エリカにも感想伝えないと、明日怒られそうだ」

「えええ……」

 先輩は何をそんなに気にしているのか、小さくなって俯いてしまう。

「サナエ先輩、お願いします。お腹空いたし、食べたいから」

「あ……」

「手作りなんだし」

 困り果てた顔のままで、先輩は目を丸くした。

 それから、きょろきょろと辺りを見回し、生徒会長様には似合わない気弱な顔で、自信なさそうな声で呟く。

「……お腹痛くなっても知らないわよ?」

 なんだ。そんなこと気にしてたのか。

「はい」

「時間経ってるし、食べてから苦情は受け付けないからね?」

「はいはい」

 中庭に面した明るい保健室に、色づきはじめた夕方の光が深く差し込んでいた。

 弁当を取ってくると言ってサナエ先輩が部屋を出ていった後、ふと、枕元にゴーグルが置かれているのに気付いた。

 手に取ってみると、何やらランプが点灯している。

「これは……」

 チカチカと瞬く、緑色のインジケーター。

 おそらくメールの着信を伝えるものだろう。

 メール? 誰だろうか。

 開いてみようと思った所で手がとまる。

「…………」

 昼休みの悪夢が思い出される。あんなのはもう二度とごめんだ。

「……1ビットモードにしなければ、普通に使える……はず……」

 おそるおそるゴーグルをかけて、注意深く新着メールを開けてみる。


 《命拾いしたなら、潜り方を教えてやるから明日うちに来い。

  決して勝手にそのゴーグルを使うな。今度は死ぬぞ。

  マクスウェルアベニュー七番街二十四 三〇七号室 Harold》


「な……」

 内容から考えて、昨夜のあの男からのメールだろう。

 偉そうな言葉が思い出されてムッとするが、それよりも、僕が1ビットダイビングに失敗したことを知っているような文面に、首をひねる。

 どうしてアイツはそんなことを知っているんだ。

『サルベージ、成功したか?』

「え……?」

 確か、そんな声を聞いた気がする。

 いつだ?

 気を失っていた間のことだよな。

『良かったなぁ、ハロルド』

 あれ……って、夢じゃなかった? だったら――

「もしかして……助けられた?」

 あんな男に?

 けど、あいつがこのゴーグルの設計者で、サーチライトの開発者だ。

「……潜り方を教えてやる、って……」

 本当だろうか?

 信用できない男だと思う。けれど、Ω‐NETについて僕の知らないことを沢山知っている、ということだけは確かのようだ。

 それに、本当に助けて貰ったのなら、嫌いな奴でも、礼は言わなければ。

「どうしよう……」

 マクスウェルアベニュー……といえば、ガイアポリス北側の地区だったはず。

 うちに来いと言ってきているのだから、この住所が男の自宅なのだろう。

「でも……」

 行くとも行かないとも決められないうちに、グラスの向こうでガラリとドアが開いて、鞄を抱えたサナエ先輩が入ってくる。

 慌てて端末の電源を切って、ゴーグルを外した。

「エリカも探したんだけど、今日はもう、帰っちゃったみたい」

「じゃあ、彼女にはまた、明日お礼を言っておきます」

「あと、一応試食してみた。大丈夫だと……思う」

 恥ずかしそうに笑うサナエ先輩。

「ふふ、楽しみです」

 とりあえず他のことは置いておいて、ありがたく味わうことにしよう。

 しかし、今度は死ぬ、なんて恐ろしげなことがメールには書いてあったけれど、身体はどこもおかしくはなっていないようだ。

医者も眠っているようなものだと言ったそうだし、一体、僕に何が起きていたのだろう。

 その答えを知る術は、ひとつしかなかった。

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