第16話 ビットシフト-B

 サーチの横顔を、ジリジリとした焦りの中、ただ見守っていた。

 残り時間はみるみる減っていく。信じるしかなかった。

(サーチ……)

 ダイブ先で攻撃を受けるたび、サーチの体は崩れていく。指が欠け、肩が崩れて、腰から下も殆ど消えかけてしまっている。その姿は、まるで風雨に晒され風化した古代の彫像のようで、息苦しいほど痛々しく感じる。できることなら、手を差し伸べて抱きしめたい。

「……よし。復旧したぞ」

 ハロルドが顔を上げた。残り三五秒。

「ハル、サーチは……」

「ボロボロだな。傑作なのに……」

 三十秒、サーチライトはまだ動かない。

 二十五秒、美しい緑の目がひとつ崩れ落ちた。

 二十秒、すんなりした両足はもうどちらも無い。

 十五秒、十秒……はじめに彼女が言った予定を過ぎてしまう。

 もしかして、彼女は失敗してしまったのだろうか。

「サーチ……」

 五秒、四秒、三秒、人の形を保てなくなってもなお可憐さを失わない彼女に、思わず手を伸ばした時だった。


「――――終了しました」

 澄んだ声が、光子フォトンの満ちた空間を揺らす。

 サーチはにっこり微笑みながらゆっくり僕の方を向き、そして、ボロボロの両手を広げて、そして――

 僕の意識は、そこで途絶えた。


 その日、その時間、ネオポリスの広域で停電が起きていたことを、僕は後になって知った。僕が起動させてしまった首都防衛システムが、カツカツで回しているネオポリスの電力をごっそり持っていってしまったのが原因らしい。

 だが、そのことは、その後も決して表に出ることは無かった。




「おい、起きろウィル」

「う……」

「おい」

 目覚めは、最悪だった。

「気持ち悪……」

 強烈な乗り物酔いのような吐き気に見舞われているのは、たぶん、最後ハロルドに強引に強制終了させられたからだ。その上、突然生身の感覚が戻ってきたものだから、普段の三倍くらい体が重い。

「うう……」

「ほらほら、吐くならあっちいけ」

 息も絶え絶えなのに、ハロルドに容赦なくトイレに連行される。体はだるく、ちょっと動かしただけでズキズキと頭が痛む。息を吸っても胸がむかつく。

 そして、まるで脳が生身の体を拒否するように、胃が空っぽになるまで吐いた。

「……ウィリアム、生きておるか?」

 しばらくして、水を片手にゴドウィンさんが声をかけてくれた。背中をさすってもらって少し楽になると、冷たい瓶を受け取ってホッと息をつく。

「すみません……」

「いや、お前さん大したもんじゃよ。そもそも、最初の頃は誰でも酔うもんだ。横になったら治るから、大人しくしていなさい」

 言葉通り、吐き気が治まった後は急激に眠くなる。けれど、今すぐ聞いておかなければならないことがあった。

「ハル……」

 頼りない足取りで、ヨロヨロと居間に戻る。

「おう、復活したか、問題児」

 テーブルトップコンピュータの前に座って、ハロルドもさすがに疲れたのか、水を片手に、だるそうにモニタを見ていた。

「あれから……どうなったんですか……」

「見ての通り」

 ピッとテレビモニタを点ける。深夜のスポーツニュースが、今日のフットボールの試合結果を淡々と流している。

「世界は平和そのものだぜ」

 良かった……と、その場にへたり込んだ。そして、

「サーチは……? 無事ですか?」

 情けない声で言うと、ハロルドは苦笑した。

「今見てる。……ま、無事とは言えん状況だがな」

 全部僕のせいだ。

 あんなに酷く壊れてしまったのだから、もう元通りには直らないということも不思議ではない。信じたくは無いけれど。

 別れる瞬間、差し伸べられた彼女の手に触れることが出来なかったことがひたすら悔やまれた。

「サーチ……」

 ソファに座り込んで呟くと、ハロルドは長い指で僕の髪をぐしゃっと掴んで、ぐりぐりかき混ぜながら言った。

「死んだみてーな声、出してやるなよ」

「助かるんですか!?」

 僕があまりに必死なのが面白かったのか、ハロルドは少し笑って、それから、彼らしい尊大な調子で言った。

「俺を誰だと思ってるんだ。助けるよ」

 それから、からかうように口を歪める。

、可愛いサーチだしな」

 嫌みったらしい言葉。何か言い返したかったけれど、それは叶わなかった。

「ん……?」

 そのとき僕はもう、力尽きて眠っていたからだ。

「……ま、上出来だな。今日のところは」






 目が覚めたのは、翌日の朝だった。

「え……」

 周囲を見回す。状況を理解するのに随分かかった。

 まず、自分の部屋でない場所で目覚めたことにぎょっとして、少し考えて、ここがハロルドの部屋であることを思い出した。ゴドウィンさんとアリスの姿はもう無く、ハロルドはソファで寝ている。

 窓から差し込んでいるのは紛れも無く朝日で……

「えええっ!」

 思わず小声で叫んだ。どうしよう、泊まるつもりなんて毛頭無かったのに。

 当然、家に連絡もしていない。慌てて起き上がる僕の頭に、何か貼り付けられているらしいものがひらひらと揺れた。

「ん……わ、いてて……」

 酷いことに髪の毛にテープで貼り付けられていたらしいそれを剥がすと、ハロルドからのメモだった。


『起きたら起こすな。

 ハイスクール行きはマクスウェルアベニューからメインストリートに出たところのバス停から直通が出てるのでそれで行け。

 あと冷蔵庫のものは適当に食ってもいいからな。ビール以外』


「……ビールなんか要らないよ」

 どうやら一応気遣ってくれたらしいハロルドの、愛想が無いほど長い足をぼんやり眺めつつ、とりあえず母さんにする言い訳から考えはじめる。こんなことになるなら、昨日のうちに何かしら連絡を入れておけば良かった。

 シンとした室内は薄暗く、朝の清らかな雰囲気の中では、雑然とした部屋もどことなく美しいもののように思われる。

 そっと自分のゴーグルを拾い上げて鞄に入れ、外してあったタイをつける。空っぽの胃が食欲を訴えて来なかったので、少し考えて、水を一本貰って行くことにした。幸い時間はまだ早いから、学校にはどうにか間に合うだろう。

 サーチのことをもっとちゃんと聞きたいけれど、起こしては駄目だそうだし、また放課後にでも来てみよう。

 彼が助けると言ったのだから、きっと、彼女は大丈夫だ。

 そんなことを考えながら玄関ドアを開けると、気持ちの良い早朝の空気がフワリと僕を包んだ。ああ、清々しい朝だなあ。

 ハロルドに感謝しつつ、彼のアパートを出た僕だったが……


「あ、先輩、すみません!」

 学校近くのバス停で降りて、大慌てでガイアポリスへ引き返す羽目になった。

『どうしたの?』

 そして、慌ててサナエ先輩に電話をかけている。

 学校は今日から試験だ。

 だけど僕は今、それよりも重要な案件を抱えている。

「あの、今日、僕、学校休むんで、病欠ってことで、再試申請の届け、出しておいてもらせませんかっ?」

 我ながら、病欠には聞こえない声だ。

『何言ってるの!?』

 当然、先輩はびっくりして、もうこの次の瞬間には怒られそうな感じ。

「先輩しか頼める人居なくて!」

 素直にお願いして押し切るしか無い。

『えっ……』

 先輩はなぜか戸惑うように口ごもって、それから、

『君! そんなことを、よくこの私に頼めるわね! 試験をさぼるなんて、許さないわよ、出てきなさい! 今どこなのっ』

 やっぱり怒られた。ああ、でももう反対向きのバスが来るぞ。急がないと。

「学校の前です!」

『は? 学校って、何を……』

「とにかく、お願いしますっ! この埋め合わせは、今度絶対しますから!」

 今日は、底なしに気持ちの良い秋晴れだった。

 けど――ああ、全く、なんということだ。

(あいつ……!)


 バン、と、開けっ放しだった玄関ドアを遠慮無く開けると、丁度、シャワーでも使おうと思っていたのだろう、シャツを脱いで廊下を歩くハロルドと目が合った。

「ハル!!」

 思い切り怒鳴る。けれど、走ってきたせいで息が上がっていて、それ以上続かなかった。せめて睨み付けるとハロルドは、

「随分早い放課後だな?」

 僕の登場に驚きもせず、皮肉っぽく言った。

 部屋を出るとき、彼を起こさないかわり、放課後また来ますと書き置きを置いてきたのだ。

 僕は慌てた様子で鞄を探り、ゴーグルを取りだして突き出す。

「何したんですか! 僕のゴーグル!」

「お、気付いたか。早いな」

 ハロルドは面白そうだ。

 ああもう、お見通しってわけなのか?

「システム、空なんですけど!!」

 そうなのだ。バスの中で何となく確認したら、僕のゴーグルの基本システムは初期化どころでなく空。なぜか再設定の命令すら通らなくなっていて、僕ではちょっと手も足も出ない。

 ハロルドが何かしたに違いないのだ。

「入って適当に座ってろ、俺はこれからシャワー」

 言って、ハロルドは浴室に入っていった。

 僕は怒りに絶句して立ち尽くすが、まもなくザアザアと水の流れる音が聞こえはじめたので、仕方なく部屋に入る。

 朝出てきた時とほぼ同じ状態の居間に入ると、テーブルトップが立ち上がっていたので、心を静めつつそっと覗き込んだ。

 プログラムコードが表示されたウインドウと、何かの進行状況を表すメーターが表示されていた。その周囲には数え切れないほどの小さなファイルが散乱しており……どうやらそれらは、バラバラになって壊れたサーチの欠片のようだ。

「あ……」

 学習型AIは自律的に情報を収集して成長するので、彼らを記憶したメモリデータが消えてしまえば、二度と《同じもの》には戻らない。ハロルドは、彼女を本当に元に戻せるのだろうか。

「サーチ……」

 ほのかに光るウインドウに指をかざす。

「心配すんなって」

 真後ろからハロルドの声が飛んできた。

「僕のゴーグル……」

「ああ、俺がデータ消した」

 濡れた髪をタオルで乾かしながら、悪びれる様子も無くサラリと言う。

「どうして!?」

 意味がわからない。やっと昨日、まともに潜れたところなのに。

「お前、それ使わせると勝手に潜るだろ」

「当たり前じゃないですか!」

「駄目。不許可」

 怒鳴る僕に取り合う様子も無く、ハロルドはどっかりとソファに腰を下ろす。復旧の進行状況を確認しつつパパパと別のウインドウを開いて何かしている。

 僕が居るのを全く無視して作業をはじめそうな勢いに、頭に来て男の目の前に空になったゴーグルを差し出す。

「元に戻して下さい!」

 1ビットダイビングを実現するソフトウェアはハロルドのものであり、彼に消されてしまうと、おそらく二度は手に入らない。

「……そんなに潜りたいのか?」

「当たり前じゃないですかっ!」

「へぇ……」

 ハロルドはニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべて僕を見る。

 それから、いかにも足下を見るように、偉そうな口ぶりで言った。

「じゃ、弟子になれ」

「はぁ?」

「だから、弟子だよ弟子。俺の忠実なしもべ。使いっぱしり!」

「……後ろ二つは違うんじゃないですか?」

「それ以外では直してやれんなぁ」

 それは、僕の好奇心を人質に取った、卑怯な脅しに等しい。

 弟子はともかく、ハロルドの使いっぱしりになんてなるくらいなら、サナエ先輩の奴隷になった方がいくらかマシだ。

 けれど、ここでゴーグルを直してもらえなければ、僕はもう、二度と1ビットダイビングは出来ないのだ。

「うう……」

「どうする? ウィル」

 ハロルドの声がまるで悪魔のように思える。けれど、やっぱり僕は、僕の好奇心に抗えない。

「………………」

 恨めしそうにハロルドを睨んで、けれど、僕はがっくり肩を落とす。

「……弟子にしてください」

「ふふふふ、仕方ねぇなぁ」

 ハロルドはわざとらしくそう言うと、邪悪な笑みを浮かべて頷いた。

 これからこの男の使いっぱしりだなんて、気が遠くなりそうだ。絶望にこめかみを押さえつつ、けれど、僕はふと重要なことを思い出した。

「……あ、そういえばハル」

「何だ?」

「昨日のあれ……管理者権限……どうなりました……?」

 少し言いにくそうに口にする。昨日のあの騒ぎは僕のせいなので、失敗してしまったのだとしたら申し訳ない。

 僕の気持ちを察したのか、ハロルドはひょいっと作業中のウインドウをしまって、テーブルトップからΩ‐NETに接続してみせた。

 ゴーグルで繋いでもテーブルトップでつないでも、認証をくぐる辺りまでは同じ画面である。

「あ……!」

 QUEENシステムからのメッセージが表示されると、僕は短く叫んでいた。


《Hello Wizard! Welcome to the Omega-Net.....》


 定型の認証メッセージが書き変わっていた。

 これが意味することは分かる。

 今、ハロルドは一般ユーザーではないのだ。

「ふふん、女王も可愛いこと言ってくれるじゃねーかよ、なぁ?」

「すごい……」

 素直に感嘆の声を上げる、弟子であるところの僕に、師である魔法使いは彼らしくニヤリと笑う。

 一瞬尊敬の眼差しで見つめそうになったけれど、脇にあるウインドウに目をとめ、背後から手を伸ばしてそれを奪った。

「……何ですか、これ」

 尊敬の眼差しを封印してウインドウを見つめる。

 どうやら、何かの請求書のようだ。

 日付は昨日になっていて、振り込みは今日――

「ふふ、五十万マール。高く売れたぜ」

「何がですか!」

「何って、お前が昨日読みたがったあれ。データが出回ってないレアな巻を見繕って……」

「売り飛ばした!?」

 青ざめる弟子ぼくに、

「おう」

 笑顔で頷くウィザードせんせい

「な、な、何ですかそれっ!!」

 開け放たれたベランダから、カーテンを揺らして吹き込む気持ちの良い秋風。

 僕の悲鳴は微かに外の路地まで届いていた。通りかかったマクスウェルアベニューの住人達が、不思議そうに見上げては通り過ぎていく。


 ――そうして僕は、魔法使いの弟子になった。

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ビットシフト〜マクスウェルアベニューの魔術師〜 二月ほづみ @fsp

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