第7話 ワンビット・ダイビング(後編)-A
(あ、やっぱりビジュアルヒストリーシリーズ……)
帰宅後、エルズの店長にもらったデータを開いてみた。
学生用の映像歴史教材だと聞いていたが、知っているシリーズのようだ。
(すごい。西暦代のやつだ)
有名な歴史ドキュメンタリーの映像教材だ。
とても長い歴史があり、かつては千巻以上が刊行され、Ω‐NET経由であちこちの教育施設で利用されていた。
しかしネットの閉鎖を受け、今閲覧できるのはごく一部の、新しい年代の教材だけだ。学校のSiNEルームから見ることが出来るのも、確か五十巻分くらいだったと思う。
もらったデータは西暦代の大事件を取り上げたものすごく古い巻のひとつで、どこからこんなものを手に入れることができたのか不思議な、非常にレアな代物であった。
僕は特別歴史マニア、というわけではないけれど、こういう記録映像の類は文字による記録を読むよりずっと知的好奇心を刺激されるから好きだ。
下手な教師の授業を受けるより、ずっと面白い。
(せっかくならこれは、学校のSiNEルームで再生した方が楽しそうだなぁ)
家のテーブルトップ・コンピュータでもデータ再生はできるけれど、学校のSiNEルームで見たほうが大迫力できっと面白い。
データに問題が無さそうなのは分かったので、これを見るのは明日学校でにしようと思って、ふと、画面の隅に見慣れないアイコンが浮かんでいるのに気付いた。
(これ、なんだ?)
妙に可愛らしいマスコットが描かれたアイコンで、ゲームか何かだろうか。
インストールした覚えが無いものだったので、不審に思って手を伸ばす。
まもなく、ラベルに書かれた《SearchLightt》の文字に、思わずあっと声をあげた。
「サーチだって!?」
慌てて開いてみると、何も表示されない……――と思った瞬間、ウインドウの向こう側に彼女がひょこっと顔を出した。
「うわっ!!」
『お待ちしていました、ウィル』
スピーカーから、知っている声が流れる。確かにサーチライトだ。
「サーチ……! 君、どうして、ここに……」
驚く僕に、サーチは首をかしげる。
『Ω‐NETに接続されていれば、どこからでもサーチの利用は可能です』
何事も無かったかのように、彼女は言った。
もう二度と会えないのではないかとまで思ったのに。
「……僕がまだ、君の使用者だってこと?」
『イエス』
「じゃあ、これからも呼べば出てきてくれるの?」
『イエス。オフコース』
SiNEルームで見る《実物大の》彼女と、小さな画面の中のサーチとでは、サイズが随分違うけれど、二次元平面上で見る彼女の笑顔も可愛い。
や、重要なのはそこじゃないけど……。
けれど、今夜のところは彼女に探し物を頼むのはやめておいた。
家のコンピュータは容量が小さいから、ちょっと命令を間違えると大変なことになりそうだし。
調べたかったことについては、また学校のSiNEルームで調べることにしよう。
代わりに、読みかけだった本のデータを引っ張りだして読み始める。
新しく開いたホログラフィウインドウが、ごろんと仰向けになった僕の目線の先にフワリと浮かぶ。昔雑誌で見かけて気になっていた、五十年ほど昔のΩ‐NET関連の技術書だった。
ウインドウの向こうのサーチは、僕が読書をするのを黙ってジッと眺めている。用の無いときは本当に大人しくしていてくれるので、一緒にいるのがとても楽だ。
女の子の姿をしてはいても、コンピュータ・ソフトなのだから、当たり前なのかもしれないけれど。
昔の本は、技術レベルが非常に高く、僕では読みこなせないものの方が多かった。
最近のものであれば、かなり専門的なものでも大抵理解することができるのに。
「……あーあ、僕もあと百年くらい早く生まれていればなあ」
呟く言葉に、サーチが反応する。
『百年ですか?』
「そう」
『どうしてですか?』
「今よりずっと技術が進んでいたから」
サーチは言葉の意味を理解したのかいないのか、読みにくい表情で黙り込んで、
『でも、一一六歳のウィルは、サーチには会えませんね』
と、なんだか勘違いしてしまいそうな台詞を口にした。
午後のSiNEルームは、今日は図書館ではなく、ただの灰色の箱だった。
床も壁も天井も光沢の無い、無個性な灰色で埋め尽くされており、壁には窓がひとつも無い。照明設備もないけれど、壁や床が微かに光を放ち、辺りは暗くも明るくもない。
これがこの部屋本来の姿である。
僕は、授業を半日さぼってここを訪れていた。全く、最近どうにかしてる。
「サーチ」
意を決して彼女を呼ぶと、何もなかった灰色の空間に青い光の粒子が生まれ……あっという間に膨大な光を集めて、少女の姿を形取った。
夢のような水色の髪をたなびかせ、すとんと床に降り立ったサーチライトが、にこりと微笑む。
「こんにちは、ウィル。何をお探しですか?」
「教えてほしいんだ。1ビット・モードのこと」
「……1ビット・モードは既に実用化されています」
澄んだ声が静かにそう告げる。予想していた答えだ。
けれど、だとしたら、どうして一切具体的な情報がネットに上がっていないのだ。
「それは、軍とか、政府とか、そういうところの秘密技術だってこと?」
「ノー。違います」
「Ω‐NETの内部に、直接アクセスできるって?」
「イエス」
「じゃあ……1ビット・モードがどんなものか、概要を教えて?」
「イエス。オフコース。説明します」
サーチは、全く拍子抜けしそうな明るい声で答えた。
「1ビット・モードでは従来のSiNE系ファイルシステムを介さず、中央認証を受けた後、直接データホストにアクセスします」
「直接……」
この間見た、クイーンシステムの通信ログを思い出す。
一般ユーザによるパケット干渉なんてものが起きているとすれば、それはまさに、彼女の説明通りのアクセス方法が存在していることの証明になる。
「じゃあ、もしかしたら君も、1ビット・モードを使ってアクセスしてる?」
「イエス。私は1ビットモードで得た情報をSiNEインターフェイスを通して出力する機能を持っています。それがあなたのサーチです」
どこを探してもまともな情報が出てこなかった、1ビット・モード。
ああ、やっぱり何だか、大変なことになってきたような気がする。
「……技術の仕様書なんかも、あったりする?」
恐る恐る尋ねてみる。
そんな革新的な技術の詳細が、簡単に手に入るとは思いにくい。けれど……
「…………開示可能な情報があります」
「えっ!?」
返ってきたのは、あっけないイエスだった。
「ご覧になりますか?」
笑うサーチに後光が差しているような気がする。
一も二もない。見たいに決まっている!
「……もちろん!」
視界いっぱいに広がるデータファイル。内容は難解なものだった。
もっとも、今こんな技術仕様書をすらすら読みこなせるようなら、僕は間違いなく天才だ。
やっぱり、圧倒的に経験が足りていない。
つまり、これを理解するには時が足りない。
「……ウィル?」
諦めて床に転がっていたら、サーチは不思議そうに覗き込む。
「難しいよ……」
「じゃあ、サーチが教えてあげます」
そして、僕のための即席講義がはじまる。
とはいえ、残念ながら彼女の説明は文字が声になっただけでやっぱり難しくて、今の僕に理解は困難な内容だ。
けれど、黙ってその言葉に耳を傾けた。
高い、甘い、優しい声。
少しだけぎこちない言葉で、僕に語りかける可愛くて不思議なプログラム。
彼女のこの容姿や性格には誰かモデルでもいるのだろうか。
最初はインターフェイスを若い制服の女の子にするなんて、作った奴は絶対ロリコンだと思ったけれど、今は何となく、彼女がこんな風に作られたことは自然で、良かったことのように思われる。
なぜなら、この虚実の狭間の空間で、彼女が機械でなくて人の姿をして同じ言葉を話すということが、何かとても、前向きな意志表示のように思えるからだ。
人工知能の話す言葉に人間性を感じることに戸惑う僕の迷いを、彼女の笑顔はひょいと乗り越えてくる。
人の五感とは、脳の電気信号が見せる天然のSiNEだ。
だったら、この部屋が見せる幻も嘘じゃない。
サーチは確かに、ここにいるのだ。
「ウィル、聞いていませんね?」
「聞いてるって」
何だか、世界の秘密に触れてしまったようで、色々満足してしまったような気がしていた。
今は、1ビット方式というものが実在すると分かっただけでも充分だ。
そう言おうとしたところで、サーチが不意に興味深いことを口にした。
「――ですから、1ビット方式通信を人が生身で行う場合、それは1ビット・ダイビングと呼ばれる技術になります」
出かかった言葉を飲み込む。
「人が……生身で?」
「イエス」
それはつまり、どういうことだ?
「1ビット・ダイビングとは、人間が感覚を直接Ω‐NETに接続して、1ビットモードで通信を行う場合のことをいいます」
「それってもしかして、この間のクイーンの通信ログは、それ?」
「イエス」
「……ちょっと、想像がつかないんだけど、感覚を繋ぐっていうことは、SiNEみたいなもの?」
「原理としては近いものになります」
「……SiNEみたいなんだったら、僕にもできる?」
「おそらく、ウィルには適正があると思います」
彼女はいつも大切なことをサラッと口にする。
僕にもできるだって?
詳しく教えて、と、勢いよく起き上がって尋ねると、サーチは広げた手をスッと伸ばして、新しい何かのファイルを取り出す。
「説明しましょう」
にっこり笑ってそう告げた。
彼女によると、人間による1ビット通信は、ここのようなSiNE施設や、通常使われているテーブルトップ・コンピュータなどではなく、専用の端末を用いるのだそうだ。
脳波を使って高度な操作を行うため、外界からの情報が入りやすい形式では不向きなのだという。それを聞いて、僕は少し落胆した。専用端末が必要なのでは、自分には手が出せない。
「設計図がありますが、見ますか?」
「……そんなものまであるんだ」
「1ビットダイビング用の端末は、一般に販売されていたゴーグル型コンピュータを改造して作ります」
「え……っ?」
ゴーグル型コンピュータなら知っている。
確か、『自室でSiNEルーム並みの臨場感』が得られるエンドユーザー向けの小型端末として、何十年か前にはかなり流行していたものだ。
今はもうほぼ製造されていないが、色々なモデルがあって、Ω‐NET系古物マニアの間では割と人気がある。
サーチが見せてくれた設計図は、設計図というよりも改造マニュアルのようなもので、思いの外単純というか、普段やっているコンピュータの改造とさほど違いの無いものだった。
部品の取り替えとソフトウェアの上書きによって、通常行われるSiNEサーバとの通信をバイパスして、Ω‐NETに蓄積されている生のデータをそのまま読めるようにする――おおよその理屈としてはそういうものらしい。
SiNEサービスではサーバ側が処理して組み立てていた仮想空間に近いものを、生身の感覚を直接つなぐことで再現する……というのが基本的な理念のようだ。
仕様書を読む限りではひたすら難解に思えたが、こうして実際使っている機械やソフトウェアに応用してあるとすんなり理解できる。
どれも現存する技術の応用だが、今まで誰も思いつかなかったものだ。
「こういうこと、可能なんだ……」
目から鱗というか、コペルニクス的転回だ。
これを考えた人はすごい。
ゴーグル型端末は持っていないものの、売っていそうな場所なら心当たりがあった。昨日サナエ先輩と行ったばかりの、ガイアポリスのエルズ。あそこにいけばきっと置いてあるにちがいない。
それに、ゴーグル端末は数多く出回っていた機械であり、また相当な古物であるので、手が出ないほど高価な品物でもなかったはずだ。
「いかがですか? ウィル」
「うん。これなら……わかる。ありがとう」
「どういたしまして」
「これ……で、本当にΩ‐NETのデータサーバにアクセスできるん、だよね」
興奮に震えそうになる声を抑えつつ尋ねると、サーチは自信たっぷりにイエスと答えた。
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