第14話 Ωの海-B

 腕を掴まれたと思った瞬間、まるで床が抜けたように突然身体が落ちる。

「わっ!! ちょ、さっきもですけど、転送する時は前もって何か言ってくださ……」

「慣れてねーのにごちゃごちゃ喋ると舌を噛むぞ」

 今度は、先程とは少し違って、延々と落ちる感覚が続く。

 ああ、こうやって都度都度感じかたが違うのはなぜなのだろう。

 それに、落ちてるわけでも飛んでるわけでもないというのに、そういう感覚を選んで感じるっていうのは、何か個人差があったりするのかもしれない。

 しかし……これってあれだろうか、飛行機からパラシュートを背負って飛び降りるやつ。アレみたいかもしれない。

 ああ、でも、空気抵抗が無いからちょっと違うか……?

 一瞬が永遠のように引き伸ばされた、走馬灯のような混乱の中で、何故かそんなことを色々と考えていた。

 だけど、さっきもそうだったけれど、意識への負荷が大きい割には、始めの頃ほどひどく体の感覚がバラバラになったりしない。ゴーグルを調整してもらったおかげなのかもしれないが、たぶん、それに加えてハロルドが腕を掴んでいる感じがあるのが大きいように思える。捕まれている所の感覚がハッキリ保てるので、姿勢が乱れないのだ。

(この人って……)

 本当にすごい人なのかもしれないと、改めて思う。どうにもこうにも、素直に尊敬できない人物ではあるが、自分が求めてきた道の、ずっと先に居るのは確かだ。



 だんだん感覚が慣れてくると、気が遠くなるような不快な感じが消えてくる。

 自分の意識がどこかへ移動していることだけが感じられ、今度はようやく、周囲を見渡す余裕も出てくる。

 全く、不思議な光景だった。

 まるで、星空の中を、流星と一緒に飛んでいるようだ。無数の光の粒子が、キラキラした尾を引きながらそこらじゅうを流れている。この一粒一粒が、Ω‐NETを行き交うデータなのだ。同じような光景を目にしたことが無いのでうまく形容できないが、もし夜風に光や色がついていたら、こんな感じかもしれない。暗闇の中で光を楽しむものは、他にも花火とかイルミネーションとか色々あるけれど、そのどれとも違うものだった。

 それにしても、さっきの光の川といい、この景色といい、何て美しい世界なのだろう。SiNEルームも素晴らしいものだけれど、これは比べ物にならない。第一、感覚が殆ど全て直接ネットワークの中に入り込んでいると思うだけでわくわくする。感動しながら景色を眺めていた僕だったが、やがて、意識の移動が終わっていることに気がついた。

「あ……」

「着いたぞ」

 いつの間にかハロルドは少し離れた所にいた。三度めの正直で移動に慣れ始めていたのか、静止した感覚にも気付かないところだった。

「これは……?」

 目の前には壁のようなもの立ちはだかっていた。一見、ツルンとしているがよく見ると窓かドアのようなものが一面についている。

「この壁の向こうがデータホストだ。ま、ゴーグルのOSで分かりやすく視覚化してるだけだけどな」

 コンコンと壁を叩いて、ハロルドが言う。

「で、このドアの向こうが、だいたいお前が言ってたデータがある辺り」

 自信満々だった。

「そんなことどうやって?」

「どうやってって、さっき俺が探してただろう。ま、これはそう面倒な所に保管されてるデータじゃなかったから、すぐだったな」

 全然説明になってない。

「これって、どこのホストなんですか?」

「国立中央ライブラリーの、オープンホスト内だ。今は非公開になってるけど、パブリックドメインの資料ばかり保管してあるところ」

「へぇ……ここが、ライブラリーの……」

 頷きながら壁にそっと手をつくと、ハロルドはチラリと僕を見る。

「……しっかしお前、もしかして学校では秀才良い子ちゃんタイプか?」

「はぁ?」

 意味の分からない質問に眉をひそめると、ハロルドは例の嫌みなニヤニヤ笑いで続ける。

「いや、歴史ものなんて、ガキのくせに妙に行儀の良いものを見たがるなと思って。あ、それとも、歴史マニアか?」

 からかわれても前ほど腹は立たなくなっていた。そのかわり呆れて息をつく。

「違いますよ」

「若いくせに可愛げがねぇなあ」

 ハロルドは不満顔で大げさに手を広げる。

「もっとこう、心ゆくまで女の裸を見たいとか、そういうリクエストを俺は期待して……」

「……何でそんなものをわざわざ見ないといけないんですか」

「何だお前、その反応はちょっと問題だぞ」

 一転して心配そうに眉をひそめるハロルドに、僕は本格的に呆れ果て、言い返す。

「意味がわかりません。というか、サーチを作ったのハルなんですよね。そっちの方が問題ですよ」

「何がだよ」

「ロリコン」

「はぁ!?」

「変態だって言ったんですよ」

「ンだとっ、あいつはロリコンって外見には作ってねえぞ!」

「……あなたの年齢を考えれば、充分犯罪だと思います!」

「俺はまだそんな年でもねえ!」

 子供同士のように言い争っていると、やがて見かねたゴドウィンさんが「そのくらいにしておけ」と、割って入る。

 穏やかに諭され、気を取り直したハロルドは壁に向かって何やら細工をはじめた。

「……何やってるんですか?」

「中に入らないといけないからな。鍵作ってる」

「それも違法行為じゃ……」

「何だと思ってたんだよ」

「でも……」

「それを言ったら、そもそも、閉鎖されたネットワークにアクセスすること自体、限りなく黒に近いグレーなんだからな」

「い、言われてみれば……」

「だろ」

「うーん……」

 頭を抱える僕を小突いて、ハロルドはあっけらかんと言った。

「仕方ねぇだろ」

 ピッと小気味よい音がして、即席で作ったらしい、アクセスキーが適合する。

 僕の目の前で、ドアは開くのではなくてかき消えた。

「俺もお前も、この先にあるものが、見たいんだから」


 壁にポカリと開いた穴をくぐって中に入ると、そこは巨大な円筒形の空間だった。壁の外に比べると幾分明るく、よく見ると周囲の壁にはびっしりと何かのデータファイルらしきものが詰まっている。僕にはどれが何かサッパリ分からないけれど、ハロルドはひょいひょいと物色しているから、彼にはたぶんデータの中身も判別できるのだろう。

「さぁてと、……まず、何が見たい?」

 どことなく芝居がかった口調で、ハロルドが問う。

「1000巻、全部……あるんですか?」

 ある、と、男は短く答えた。

 見られるなら、古いものが見たい。

 自分たちの世界に繋がる人の歴史の、ずっとずっと最初の方。

「……古いやつがいいです」

「そうだなあ……じゃあ、これとかはどうだ」

 ファイルのひとつを手に取って、ポンと投げる。アッと思った瞬間に辺りはフッと暗くなり、花火が開くように映像が再生される。

「あ……」

 カラーの映像だった。保存状態は悪くない。晴れた屋外、赤いカーテンの向こうから、痩せた男が姿を現す。割れるような歓声。大統領と紹介されたその男は、僅かに緊張した面持ちで壇上に上っていく――

「これは……」

「大統領就任式だとさ。えーと……西暦二〇〇九年一月二〇日」

「西暦!?」

 西暦二〇〇九年といえば、今から八百年近くも昔の、今のガイア連邦共和国が生まれる以前の映像だ。

 西暦代なんて、歴史の授業でもまともに扱わないし、当然、そんな時代の映像なんて、初めて目にするものだ。

「アメリカって知ってるか?」

 演説を眺める僕に、ハロルドが言う。

 大陸の名前ですかと答えると、昔の国の名だと言った。

「タウラビア自治区が出来る前にあった、当時の大国だ」

「へぇ……詳しいんですね」

「俺は歴史マニアだからな。どっちかというと」

 何世紀か前に南北アメリカ大陸は閉鎖されており、現在は人は住んでいない。

 タウラビアに人が住んでいた時代のことだって、僕らにすれば歴史の中での話なのに、そのもっともっと前なんて、何だか、別の世界の話のようだ。

「でも……案外変わってないんですね、大昔から」

「ま、あんまり進歩もしてねぇからな」


 言いながら別のファイルを放り投げる。

 大統領の演説に変わって現れたのは、国際月面基地の完成記念式典。これは確か、二十一世紀の終わりの方のはず。歴史の授業で写真を見たことがある。年号も憶えた気がする。何年だったか思い出そうとしたけれど、興奮しているせいか、パッとは出て来なかった。

「すごいな……月……」

 今も月面にはかつての基地が残っているはずだが、人類はもう何百年も月に降り立ってはいない。宇宙船どころか、現在は大陸間移動にすら、かつての時代と比べ。何十倍もの時間がかかる。

 人類は、泥沼の戦争の果てにひとつになり、輝かしい発展の歴史を進んで、そして、いつしか立ち止まった。

 僕たちは今、その長い長い長い時間の、一番先端に立っている。

「昔の映像ってのは、面白いもんだよな」

 言葉を失う僕の隣で、ハロルドが言う。

「そういえば、サーチライトのコアAIな」

 言葉を聞いて、僕は映像から目を離した。

「怖くなった、って、前言ったけどな。俺はあれの中身を、正直、半分も把握出来てない」

「え……?」

「あれは前に、開発者のクライトン博士の論文を読み漁ってる時に、偶然試作プログラムを見つけてな。完成したマーキュリーAIの、何代か前のデータだったらしい。そのまま組み込める状態のものだったから、使わせてもらっただけでな。少しずつ解析はしてるが、どうしても資料の見つからないライブラリなんかが多くて、なかなか進まねぇ」

 情けねえよな、と、ハロルドは呟いた。そして、頭の上をゆっくりと飛んでいく宇宙船の映像を見上げる。

「たった一世紀前の技術ですら、今の俺達は追いつけない。どうしてか分かるか?」

 男の横顔は真面目だった。そして、腕を伸ばして映像の端をちょっとつまむ。

「忘れるからだ」

 スッと引いた手の動きに合わせて、映像は無数の光の粒に分解され、火の粉のようにゆっくり落ちながら消えていく。

「人間なんてあっという間に死ぬからな」

 光の名残を手のひらで受け止めて、少しだけセンチメンタルな口調で、静かに続ける。

「ここは海の底だ。俺達が失ったものが殆どぜんぶ沈んでる。失ったってことすら、忘れてるものもな」

 言葉は次々と暗闇に放り出されては、すぐに消えていった。

 口を挟む気にはなれず、僕は黙ってハロルドの話を聞いていた。

「科学とか、技術ってのはな、長い時間がいる。そうしないと前に進まん。だから記録が必要なんだよ。情報は人と違って残るからな。文明が生き永らえていくための、遺伝子みたいなもんだ。死んでも死んでも続く」

 抽象的なたとえ話だったが、何となく、僕にも分かる気がする。

 たぶん、同じ理由で僕はSiNEルームあの部屋に惹かれたのだから。

「1ビットダイビングっていうのは、それを掘り起こすためのものだ。俺は知りたいからな、もっともっと」

 わかったか、と、偉そうに言ってハロルドは笑った。


 フワフワと空間に身体を浮かべて、しばし思い思いの映像を引っ張り出しては見ていた僕らだったが、やがて外からの通信がそれを邪魔する。

《ハロルド、そろそろ時間だ。準備も出来とる》

「ん……おお、わかった」

 見ていた映像を消して、ハロルドは何やらゴドウィンさんからデータを受け取っているようだ。

《気をつけろよ》

「ああ、大丈夫だ。もうポートは分かってんだからヘマはしないさ」

「……ハル?」

 僕は見ていたファイルを閉じる。準備とは、何のことだろう。

「ちょっと行ってくる。お前はここで適当に遊んだらジョージに終了してもらえ。制限時間も教えてくれるだろうから、無理して長居はすんなよ」

 不思議そうに見つめる僕に気付いたらしいハロルドが、そう言ってスッと手を上げる。それから、ふと思い出したように口を開いた。

「あ、そうだ。気にしてるみたいだから一応説明するが、1ビットダイビングは確かにグレーだが、違法行為にはあたらないぞ。閉鎖法ではデータへのアクセス手段が禁止されただけで、アクセス自体は規制されてないからな」

「へ理屈……?」

「うるせぇな。立派な抜け穴ってもんだ」

《ハロルド、まだか?》

「あー分かった分かった。すぐ行く」

「行くってどこへ!?」

「いいトコ」

 不敵に笑うハロルドの前に、パッと彼一人まるまる入るくらいの大きなウインドウが現れたと思うと、ザアッとハロルドが入力した何かのコマンドが流れ、ウインドウの形に空間が切り取られる。

 ハロルドの肩越しに向こうが見えるけれど、眩しくてよく見えない。

 先程見た通信パケットの川のような、強い光だ。

「じゃあな――」

「あ!」

 光の渦の中へ、すうっとハロルドの姿が消えていく刹那、僕は反射的に、彼の腕を掴んでいた。






「こんの……ど阿呆っ! 何でついてくんだよ!!」

「知りませんよっ! ……まさかちょっと触っただけで僕まで移動するとか、思いませんしっ!」

「フツーはしねぇよ! 今日はお前が初心者だからって、俺側のコマンドが直接お前に通るように設定してたんだよ!」

「じゃあ僕、悪くないじゃないですかっ!」

「悪い悪くねぇの問題じゃねえ!」

「知りませんよっ だいたい、教えてくれる気がないなら、僕が居ない時にやってくださいよ! 気になるじゃないですか!」

 光の中、言い合う僕とハロルドはどこかへ運ばれていく。

 轟々たる光子の濁流に四方を囲まれているのに、彼の怒鳴り声の他は、奇妙なほどに静寂。視覚と聴覚が同期していないような、妙な違和感に囚われてしまう。最初は僕にも口ごたえする元気があったが、やがて、フッと意識が遠のくような感覚に襲われる。

 ぐらりと揺らぐ僕の肩を、ハロルドが慌てて掴んだ。

「あ……」

「おい、しっかりしろ。こんな所で落ちられたら、さすがにサルベージできねぇぞ」

 さっきまで怒っていたのに、心配そうに低く言う。

「サルベージって、何を……」

「お前の意識だよ。廃人になりたいか?」

 先程と同じように、ハロルドに捕まれる感覚を頼りに意識を持たせる。

 彼の手はやたら大きくて、ふうっと落ちていきそうになる体が吸い寄せられる、そんな感じだ。

「……危険だって言ってる」

 真面目に言ったハロルドに、僕が馬鹿なことをしでかしてしまったのだと知る。 彼の邪魔をしてしまった。

「……すみません」

 素直に謝ることしかできなかった。

「……転送中だから、今強制終了するのはまずい。持ちそうか?」

 ハロルドは怒らず、かけられたのはむしろ、気遣うような優しい言葉だった。

「今のところは」

「じゃあ我慢してろ。すぐに済ませる。離れんなよ」

 そして、気を取り直したように、彼らしくあっさり言う。

 僕も覚悟して頷いた。これ以上、迷惑をかけないようにしなければ。

「どこへ行くんですか?」

「南極だ」

 短い答えに、先日学校で見た光景を思い出す。

「SPIC……」

 入り組んだ本の森で、サーチは誰かにそれを探していた。連邦政府の最重要施設のひとつである、南極情報通信センターS P I Cの――

「管理ポートの……認証キー……」

「あ?」

「この前、サーチが探してた……」

「あー……そういや、お前、見てたんだったな」

「この……悪党。あれは、正真正銘、犯罪ですよ」

「……全くだ」

 ハロルドは少し笑った。生意気な台詞を吐いたくせに、僕は弱々しく微笑む。

 全く、出鱈目な男だ。

 けれど、すごい。

 彼が目にするものを、自分だって見たいと思った。

「何、しに……いくんですか。Ω‐NETの中心に」

 曖昧になる意識を手放さないように、必死に言葉を絞り出す。

 ハロルドはきっぱりと答えた。

「会いに行くのさ、女王に」

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