第4話 魔法の杖(マジック・ワンド) -B



「ほんっと、多いですよね、間違い電話!」

 特大パフェに遠慮無くスプーンを突き刺しながら、エリカが口を尖らせた。


 僕らは放課後に集まる時は、生徒会室ではなくて街に出てカフェに陣取ることも多い。

「ええ、そうね。最近、私のところにもちょくちょくあるわ」

 サナエ先輩は運ばれてきたケーキを眺めつつ、ポットの紅茶を注ぐ。

「……俺は寿命が縮んだよ、ねぇ、ウィル~」

「くっつかないで下さい。エンジェル先輩」

「何だよ、リュリュって呼ぼうよぉ」

「嫌です、エンジェル先輩」

「つれないなぁ、このこのっ」

 エンジェル先輩は、このメンバーでいる時は僕にやたらと絡んでくる。サナエ先輩が恐ろしいので、結果的にそうなるらしい。

 エリカには振り回されっぱなしだし、僕が一番貧乏くじを引いているような気がしてならない。

 ともかく、生徒会メンバーが全員集まると騒々しいのだ。

 サナエ先輩と二人なら平和なのにな、と、思いつつ、僕も先刻の電話のことに思いを巡らせていた。

 やはり、ああいう間違い電話が頻発するというのはおかしい。

 大昔のように通信先を自分で入力する方式ならば、間違って見知らぬ相手に繋がることもあるだろうけど……通信に混乱でも起きているとしか思えない。

 SiNEルームで見つけた《サーチライト》といい、最近Ω‐NETの様子が何となくおかしいような気がする。

 家に帰ったら、少し調べてみよう。




 三時間近くもお喋り、もとい、会議に費やした後に店を出て、家までは歩いて三十分あまり。普段はバスを利用するのだが、その日はあいにく時間が合わなくて、徒歩で帰った。

 日が暮れた後の風は少し冷たい。そろそろ薄手のコートが欲しいところだ。家々から漏れる暖かそうな光を横目に、早足に歩く。

 僕の家は静かな住宅地の一角にある。一人っ子の僕は、両親との三人暮らし。ごくごく平均的なネオポリスの中流家庭だ。

「お帰りなさい、ウィル、遅かったわねぇ」

「ただいま母さん、父さんは?」

「もう帰ってるわよ、だから、お夕飯、先に頂いちゃったけど……」

「僕の分、まだある?」

「あるわよ、ちゃんと」

「じゃあ今から食べるよ。今日は何?」

「クリームシチューだけど……それで良かった?」

「寒かったから丁度いいね」

 和やかにそんな会話を交わしながら、階段を駆け上がって自分の部屋に入る。

 無造作に鞄を放り出して、上着を脱ぎながらテーブルトップコンピュータの電源を入れた。

「ええと……」

 明かりもつけずにΩ‐NETにアクセスする。

 あまり一般的には利用されなくなったけれど、現在も一応、メールや電話以外のΩ‐NETサービスはある。

 それらも原理的にはSiNEを利用した情報サービスで、学校のもののように大規模ではないけれど、特別な知識が無い人間にも簡単に利用できるという意味では同種のものだ。

 ただし、ごく機能の限られた、しかも実生活に必要充分なオンラインサービスのみであり、あまり面白いといえるものではない。

 けれど、一箇所だけ例外があった。『NeiN-Thousand(ナイン・サウザンド)』というコミュニティだ。

 噂によると(本当の所は誰も知らないみたいだけど)誰かが個人で立ち上げた草の根ネットサービスで――世界中のΩ‐NETフリークが集まる場所だ。

 ユーザー同士が雑談したり、情報交換したりする掲示板サービスがメインであり、誰もが自由に利用できるおかげで情報の信憑性はまちまちだが、間違いなく現在、世界で一番雑多な情報が集まる場所だった。

(あ、売れてる売れてる)

 この間修復して売りに出していた電子書籍も、もう八割方世界の誰かが買っていったようだ。

 ここは、僕にとっては実益を兼ねた遊び場のようなものである。そして、ここで得た売り上げは、いつもあっという間にコンピューターの部品代に消えていた。

「さて、と。今日のところはこっちじゃなくて……」

 不可思議な間違い電話について、何か原因が分かるような情報が流れていないか、調べてみようと思っていたのだ。

(同じようなケースの情報、あるかな……)

 キーワードで検索をかける。

 結果はすぐに表示された。


『最近、発信元を偽った間違い電話が頻発するんですが……』

『ネオポリスでの不可解な間違い電話は夕方以降に頻繁の模様』

『今回の通信混乱はおかしい』

『間違い電話が多すぎるんだけど、クイーンシステムって今もちゃんとメンテナンスしてるの?』

 リストに並ぶ記事タイトルを見ただけで、間違い電話が僕の周りだけの現象ではないことがわかる。

 やっぱり、何かがおかしい。とりあえず片っ端から読んでみようか。




 ――そして翌日、僕は午後の授業を欠席した。

 サボりなんてどうかしてると我ながら思うけれど、誰にも邪魔されずにSiNEルームに篭もるには、こうするしかないと思ったのだ。

 サーチライトを使っているところを、誰にも見られてはいけないと思った。

 昨夜、コミュニティの書き込みを隅から隅まで目を通してみたけれど、結局、通信混乱の原因は分からずじまいだった。

 僕が感じているのと同じように、Ω‐NETのゲートウェイに何かが起きているんじゃないか、ということを指摘する人は多いのだけれど……何が、なぜ起きているのか、肝心の情報については皆無なのだ。

(仕方ないかな、あそこも所詮はただのユーザーの集まりなんだし)

 Ω‐NETのゲートウェイは南極にある。

 閉鎖法の施行により通信トラフィックが激減した今は、設備の半分しか起動していないといわれるが――実に四百年以上も稼働を続けている、女王QUEENーSYSTEMと呼ばれる、怪物的な代物なのだ。

 過去の技術の粋を集めて作られた、鉄壁の四つ子システム。そんなのに不具合が起きているのに、放置されているのだとしたら……。

(あの子なら、何か……)

 そそくさと部屋に入る。西館がいつもほとんど無人なのは、こんな時にはとてもありがたい。

 もっとも、今は授業中なので、無人なのは当たり前なのだけれど。


「ウィリアム!」

 呼ぶとどこからともなく現れて、パタパタと駆け寄ってくる。彼女を目にするのも三度目だ。さすがにもう驚きはしない。それに、覚悟だってできている。

 僕は馬鹿だ。

 興味とリスクを天秤にかけて、興味の方を選ぶくらいには。

「お待ちしていました」

 それにしても良くできたインターフェイスだなあ。

 髪をもうちょっとまともな色に変えて、その辺に座って本でも読んでいたら、生徒がこの部屋を使っているようにしか見えないんじゃないか。

「えーと……」

 そういうこともあって、覗き込まれると、妙にドキドキしてしまう。サーチライトの不思議な瞳は、きれいな青い光で満ちていた。

 僕の大好きな、光子構造体エディタのウィンドウみたい。

「……僕のことは、ウィルでいいよ」

 何となく言葉に困ってそう投げかけてみると、少女は嬉しそうに頷いた。

「わかりました、ウィル」

 丁寧な言葉と自然な笑顔に、思わず見とれる。

「何か、不都合がありましたか?」

「えっ? あ、いや、そんなことは……」

 僕はよっぽど変な顔でもしていただろうか。

「じゃあ、君は?」

「私?」

「名前。その……なんて呼べばいい?」

 彼女は少し考えて、得意げな笑顔で口を開く。

「私はΩ‐NET自動巡回システム対話インターフェースユニット、コードネーム『サーチライト』……」

「……さすがにそれはちょっと」

 拍子抜けして苦笑する。少女は少し困ったような顔で、「不都合がありましたか?」と首をかしげた。

 ぎこちないけれど一応会話は成立している。とはいえ、彼女の声と容姿があまりに自然なせいで、どうにもちぐはぐな印象を受けた。

 それに、言葉は拙いのに黙っているとだんだん不安そうになる表情なんかは、見れば見るほど可愛い。

 なんだよもう。本当にもう、困ってしまう。

 普段、他の女の子に対してはこんなことは全然思わないのに。

「すみません……」

 しょんぼりする少女に、慌てて違うよと付け加えた。

 けれど、彼女は僕の言葉の意図をつかみきれないらしい。うっかり、人間を相手にするつもりで話を振ってしまったかなと反省して、図書室の高い天井を仰ぐ。

 静かな吹き抜けの天井は、この部屋の本当の天井よりもずっと高い。

 全部、SiNEの光が見せるニセモノの世界だ。

 けれど――――

「……じゃあ、『サーチ』」

「え?」

「だから、君の名前」

 サーチは再び大きな目を見開いて驚き、それから、ぱあっと花がひらいたように笑った。

「ありがとう、ウィル」



「前回の資料の閲覧を続けますか?」

「いや、それも気にはなってるけど、今日は別のこと」

「イエス、了解しました」

 名前をもらったことを喜んでいるのか、サーチはウキウキしているみたいだ。

 僕の考えすぎだろうか?

「南極のクイーンシステムに関する情報とかって……分かる?」

 おそるおそる尋ねてみると、

「イエス、オフコース」

 さも当たり前のことのように、軽く頷く。

「ここしばらく、通信混乱が起きているんじゃないかと思うんだけど、その原因が知りたいんだ」

「通信混乱……では、総務省SPICデータバンクより、QUEENーSYSTEMの通信ログを取得します」

「う、うん……」

 感情すらにじみ出るような自然な対話AIといい、認証情報付きでどこからでも情報を引っ張り出してくる出鱈目な機能といい、彼女は本当に一体……何者なんだろう。

「直近二十四時間分でいいですか? それ以上はこの部屋の一時メモリに乗りません」

「えええっ!?」

 良くない。そんなには読み切れない。

「ちょ、ちょっと待って。できれば……パケットの流れに途中で変更があった個所だけとか、抜き出せる?」

「イエス」

 彼女がたおやかな腕を天へと広げる様を、僕はただ呆然と見つめていた。

 サーチの腕いっぱいに光が集まり、一瞬後には視界一杯にホログラフィモニタが展開される。無数の光の窓に囲まれて、彼女はにっこりと笑顔を見せた。

「完了しました。情報を抽出するにあたり、認証は全て解除しています」

「あ……りがとう」

 通信ログなので、SiNE用のインターフェイスが無かったのだろう。それらはここにある他の資料のように、本やファイルの形態はしていなかった。

「………………」

 それにしてもすごい。

 世界の通信全ての玄関口である、女王クイーンの通信データログ。

 やはり、この少女は魔法の杖だ。




「サーチ、ちょっとここの前後0.1秒分の全データを見せてくれる?」

「イエス」

 とにかく、必死でログを読んだ。

 こんなものを読み解くのは初めてのことだけど、サーチのおかげで資料がいくらでも出てくるので何とかなりそうだ。

 古本データの修復のために光子構造体エディタの使い方をだいたいマスターしていたことも役に立った。

 独学で得た知識がこんな風に通用すると、ちょっとどころでなく気分が良い。機密データに手を触れることに対する恐怖心もほとんど消え去っていた。

 それにしても、全世界分となると、0.1秒分のメールと電話だけでも、恐ろしい量がある。

「でも……何となく分かってきたかも……」

 今は昨日の、エンジェル先輩にサナエ先輩の名前で電話がかかってきたところを中心に調べている。

 時間もハッキリ覚えていたし、二人ともその場に居て、僕も現場を見ていた。サナエ先輩は通信機を手にとってすらいなかった。

 あの不可解な現象の裏で、通信がどんな風になっていたのかが分かれば、たぶん、他の通信混乱についても説明ができるはずだ。

「これ……って……」

 音声通信の記録を表す、光子の羅列。

 僕はそこに、小さな傷跡のような、干渉の痕跡を見たのだった。

「ねぇ、サーチ、これって何だろう」

「A3ブロックの53567行目ですか?」

「うん。外部干渉があるみたいに見えるんだけど」

「クイーンからの認証を受けた直後にパケットの流れが変わっています。何らかの干渉があると考えて間違いありません」

「うん……僕もそう思う。でも、これ、おかしい気がする」

「何がですか?」

「干渉が不安定っていうか、全く不規則だから。例えば君みたいなソフトウェアが何か悪さをするとしたら、ログにこういうのは残らないよね?」

 指差した先には、干渉があった後、再び手が入って、パケットの流れが正常に戻った記録がある。

 何となく、間違って干渉したデータを、慌てて元に戻したかのような痕跡だ。

「これじゃまるで、人が直接パケットを触っているみたいに見える」

 けれど、口にしてから有り得ないことだと改めて思う。

 なぜならこれは、人間が操作できるSiNEインターフェイス上での現象ではなくて、もっと下のレイヤーの……Ω‐NETの《内側》での出来事なのだから。

「うーん、おかしいなぁ……」

 何か、思考に穴があるはずだ。

 僕は唸るけれど、サーチは軽やかに首を振った。

「ノー。おかしくありません、ウィル」

「えっ?」

 彼女はストンと隣に腰掛けて、僕が睨んでいたログにスッと指を添える。

「ここは、一般ユーザーによるパケット操作が行われています」

「……えっ!?」

「だから、ウィルの推測は間違っていません」

「や……でもっ、それは、おかしいよ!!」

 サーチはウンウンと感心したように頷いてくれるけれど、僕は思わず悲鳴のような声を上げて立ち上がった。

 Ω‐NETの内部に人間が直接手を下すなんて、聞いたことがない。



 閉鎖法以降、広大なネット世界、SiNEサービスの下のデータ領域は、ほぼ閉鎖時のまま残っているといわれている。

 SiNEという、データサーバから情報を引き出す手段が消え去っただけで、そこには未だ、四世紀分の膨大な情報が眠っているのだ。もし人がSiNEを介さずデータに手を触れられるのであれば、それは……Ω‐NETが再び目を覚ますということと、同義じゃないか。

「そんな……そんな技術が……存在するの?」

「イエス。一般ユーザーからのアクセスは『1(ワン)ビットモード』で行います」

「1ビットモード?」

「はい。《1‐bit》通信方式です」

 サーチは彼女らしいおっとりとした笑みを浮かべたまま、そう答えた。

「それ……それに関する、詳しい資料はある!?」

 思わず、サーチの両肩を思いきり掴んで詰め寄っていた。

 そんな方式があるならば、僕にだってΩ‐NETのデータ領域に直接触れることができるということになるではないか。


 光の色をした大きな目が、間近でパチリと瞬きする。

 吐息がかかりそうな近い距離にハッとして体を離そうとする……が、サーチの手が僕のそれに重なって、引きとどめた。

 そしてそのまま彼女は立ち上がり、澄んだ声で静かに告げる。

「閲覧可能な資料は、存在しません」

「え……」

 意外な答えだった。

 先端技術研究所の部外秘データも、クイーンシステムの通信ログすら、難なく引っ張り出してくるような彼女なのに。

「でも、じゃあ、その技術は……」

「1‐bitモードに関する詳細は……――」


《命令の割り込みを承認》


「っ!?」

《認証されました》


 一瞬、何かのメッセージが流れたかと思うと、言いかけたサーチの言葉が途切れた。見開いた目の光がスッと消えて、体から力がガクンと抜ける。


《強制リターン》

《実行開始》


「ちょ……どうしたっ!?」

 崩れ落ちようとする体を慌てて抱き留める。

 一瞬、女の子らしい柔らかな重みが腕に伝わったが、すぐにそれは消え――――

「サーチっ!!」

 空しく響く声。

 揺らぐバーチャルの日差しの下、僕の腕の中で、サーチの身体は、光る砂粒のように霧散してしまった。

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