第6話 ワンビット・ダイビング(前編)-B
休憩後、教室に戻ると、クラスは未だかつて無い雰囲気に包まれていた。
普段言葉を交わすことの無い人と次々目が合うし、そこここでヒソヒソ話し合っている。何か事件でもあったのかな。
そして、近くの席の人に何があったのかと尋ねて、まさに事件の中心に自分がいるということを知ったのだった。
「レリック、君……ノースランド先輩と付き合ってるのか?」
その言葉に、きゃあ、と女生徒が騒ぐ。
「サナエ先輩と僕が? どうしてそんな話に?」
「なぜって……かの生徒会長に告白まがいの呼び出しを受け手おいて、何てことを!」
それが先程の手作りランチを指していることに、そこでようやく気がついた。
ああ、駄目だ。ほとんど思い出せない。
先輩が教室に来た時、何か言われたんだっけ、とは、いくらなんでも聞けやしない。
「えーと……その、みんな多分、誤解してるよ」
いつも生徒会室で食堂のテイクアウトを食べてたから、先輩が差し入れてくれただけだよ、と、もっともらしく言い訳をしてその場を収める。
サナエ先輩は我が校のマドンナ的存在だ。
男子はもちろん、女子にも大変人気のあるカリスマ生徒会長。
恋人はいないというプロフィールが浸透しているし、キリキリと職務をこなす姿は、確かに後輩に手作り弁当を差し入れるようなタイプには見えない。
改めてそれに気付くと、先程のサナエの様子が気になった。
(先輩、もしかして何か聞いてほしい悩みでもあったのかな……)
自分の考え事に手一杯で、先輩を少しも気にかけていなかったことに、今更ながら反省する。
今更かもしれないけれど、明日会ったらそれとなく聞いてみようか。
秋らしい、抜けるような青空が高層ビルの合間に広がっていた。
幸いなことに素晴らしいお天気。ランチタイムが始まる二時間ほど手前、待ち合わせは新都記念公園の噴水前だった。
「あ、来た来た」
一応遅刻はせずに着いたのだけれど、どうやらサナエ先輩の方はとっくの昔に来ていたらしく、僕の姿を見つけると飲み物を片手に手を振った。
「待たせました?」
「待ったけど、私が早かっただけよ」
私服のサナエ先輩なんて、初めて見る。
スラリと背が高いせいか、制服を着ていない彼女は随分と大人びて見えた。何だか別の人と話している感じがして不思議だ。
「そういえば、どこに行くかとか、全然決めてませんね」
来る途中に気付いたことを口にすると、そうなのよね、と先輩も苦笑する。
「ええと……そうだなあ。映画でも見ます?」
言ってから、それではまるでデートのようだと思う。
先輩もそう思ったのだろうか、少し焦ったような表情で瞳を泳がせ、持っていた紙コップをパキパキ壊しながら、
「や……やめとく。なんか時間もったいないでしょ」
と、言った。
僕も先輩もこの街で生まれ育っているから、どこの娯楽施設にもなじみがある。
なじみがあるから行ってはいけないわけではないけれど、放課後ちょっと立ち寄って時間を潰す、とかそういうことならまだしも、休日に朝からわざわざ足を運ぶならどこだろう。
そう考えると微妙に難しい問題だ。
いつもは何でもさっさとテキパキ決めてしまうサナエ先輩が、今日はそわそわと落ち着かない。でも、何となくそれについて突っ込むと怒られるような気がしたので、見ていないフリをして話をふってみる。
「いい天気だから、やっぱり外の方が良いですね」
行き先のことはあまり考えずに言う。
「え……あ、うん。そうね。そうしましょう」
ホッとしたようにそう言って、サナエ先輩は少し考えて「そうだ」と一人頷く。
「ねぇ、せっかく時間があるから、ガイアポリスまで行ってみない?」
ガイアポリスは、この街――ネオポリスから、川を挟んだ隣にある、とても古い街だ。少し距離があるのでバスを乗り継いで行かなければならず、ちょっとした遠出になるし、雰囲気のあるレトロな街並みが残り、有名な公園だってある。
なかなか気の利いた提案であった。それにそこは、僕にとっては、好みの古データ屋が沢山ある、魅力的な場所なのだ。
「良いですね、川向こうまで行くなら、寄りたい店もあるし……」
「ガイアポリスに?」
ネオポリスの住人にとって、この街にいて足りないようなものは普通無いので、先輩は少し不思議そうだ。
「はい。あっちの街には面白いデータ屋があって……あっ、でも、最後にちょこっと寄らせて貰えればそれでいいので、他は先輩の好きな所に行きましょう」
ガイアポリスのジャンクショップは気合いの入った店が多く、とてもネオポリスでは買えないような古いデータや機械が手に入るのだ。
「なるほどね。分かったわ。そうしましょ」
サナエ先輩は、いつもの彼女が戻ってきたように余裕のある笑顔を見せた。
待ち合わせた新都記念公園からガイアポリスまでは、バスを二回乗り継いで一時間くらい。途中、ヴィーナスブリッジというとても大きな橋を渡るので、その眺めなんかもちょっとした観光気分だ。
「見て見て、船が出てる」
窓際に座った先輩が、華やいだ声でささやく。
身を乗り出して彼女が指差した方を見ると、午前の光を水面に映すファーストキャピタルリバーに、小さな遊覧船が何隻も浮かんでいた。
「ほんとですね、あんなのあるんだ……」
青に映える白い船体。
遠い船はミニチュアのようで、穏やかな水面に引っ掻いたような軌跡を残しながら、どの船も海へと向かっているようだ。
「ふふ、ちょっと乗ってみたいかも」
窓を覗き込んだせいで、自然と僕らの距離は近づく。目線のすぐ下に先輩の頭があって、ちょっと覗き込むと、伏せた瞼に薄く重ねられた銀色のアイシャドウが控えめに光る。
あっと思ってそれとなく見てみると、形の良い唇にも薄い桃色が重ねられていた。
いつもと別人のように思えたのは化粧のせいか、と気がつく。おかしなもので、そう思って見ると、妙に仕草のひとつひとつが女の子らしいものに思えてきた。
「先輩って」
「え?」
「案外、可愛いところもあるんですね」
昨日のお詫びもこめて、思った通りの賛辞を口にしたつもりだったが、サナエ先輩はパッと赤くなる。思ったのと違う反応だった。
そして、随分しばらくしてから憤慨した様子で目を細め、口を尖らせて小声で抗議する。
「……案外は余計だわ」
古い建物を利用したカフェでランチにした後、ガイアポリスの中心にある大きな公園を一回りして、屋台でソフトクリームを買った。
美味しかったけれど少し寒くなってしまって、慌てて暖かい店を探して入る。入った先で温かいコーヒーを飲み直してホッとした時には、さすがに二人で笑ってしまった。
その後も何だかんだと慣れない街を歩き回って、最後に僕の目当てのジャンクショップに立ち寄った。
エルズと言えばその筋では有名な店だ。
一応雑貨屋ということになってはいるが、はっきり言って店内はほぼがらくたの山。雑然と機械が積み上げられている様子は、お世辞にもまともな店には見えない。
「ウィル……ここって、大丈夫なわけ?」
不審そうに辺りを見回して、先輩が耳打ちする。
大丈夫ですよと小声で答えてから、ウキウキと店内を歩きまわった。
こういう店は楽しい。
それに、店内の古道具はパッと見とても動きそうにないように見えて、実はほとんどが店長の手によって修理、調整されているのだ。
ロマンだ。
あんな古い機械をどうやって修理しているんだろう。
いつ足を運んでも店の奥で眠そうに店番をしているここの店長に、いつか話を聞いてみたいと密かに思っていたりもするのだ。
「わ……ここの修復済みデータ、すごいな」
古データ入りメモリのコーナーに、ちょっと仰々しい鍵付きのショーケースが置いてあって、その中にいくつか、修復済みと書かれたデータが並んでいた。
見ると、どれも数十万マールという法外な値段がつけられている。
驚いて覗きこむと、どれも恐ろしくレアなデータばかりだった。
「420年代のヒット曲詰め合わせ……370年発行のSiNE図鑑セットとか……500年のドラマ全話集!? うわぁ……こんなのあるんだ」
並んでいるデータメモリに入っているのは、どれもとても古い。軒並み百年以上前のものだ。
古データの修復販売は自分の小遣い稼ぎでもあるからよく分かる。
ここまで古いものなんて、壊れているものですら、普通ほぼ手に入らない。何しろ、一定以上昔のデータはほとんどがΩ‐NETの奥底に沈んだままなのだ。
「すごいな……」
「坊や、古いデータに興味でも?」
ガラスケースに張り付いていると、誰かが真後ろから声をかけた。
見ると、いつもレジの向こうに座って機械いじりをしているここの店長だ。
「あ……えと、はい。僕も少しデータ修復とかやるので……」
話してみたかった人物に唐突に話しかけられたもので、ビックリすると同時に緊張する。
けれど、店長は嬉しそうに笑った。
「へええ、珍しいなあ、君みたいな若い子が!」
たった一言だけで、彼が人当たりの良い人物なのだというのが分かる。若そうなのにこんな店をやっているなんて、相当変わり者なんだろうか。
「あの、これって、すごい古いデータみたいですけど……ホントに全部見られるんですか?」
ホッとしつつ、気になっていたことを聞いてみた。
「そうだよ、どれも高いだろ、俺もびっくりだよ」
言いながら店の奥に引っ込んで行ったと思うと、何かが崩れるような音がする。
あっけにとられて見ていると、男はすぐに戻ってきて、ヒョイとメモリを一つ投げてよこした。
「あげるよ」
「えっ?」
予想外の台詞に、驚いて渡されたメモリを見る。ラベルが貼っていないので中身が分からない。
店長を見ると、彼はニカっと歯を見せて人好きのする笑顔を見せた。
「確か内容はねえ、学生向けの動画歴史シリーズ。かなり古いやつだよ」
「で、でも……」
いくら位で売られるものかは見当がつかないが、古いデータは概して高価だ。
慌ててメモリを返そうとしたけれど、店長はヘラヘラ笑いながら突き返した。
「いーっていーって、うちはこの通り、ハードウェアメインの店だからさあ、データなんて売らされていいメーワクなんだよ。しかもこんなボッタクリ価格でさ。その上、案外売れるんだぜ、信じられないよなー」
まるで、データを持ち込んだ売り主と親しいような物言いだ。
店長はそのまま、嬉しそうに喋り続ける。
「でも、俺は若い知的好奇心は応援したいからさ。ほら、最近の高校生とか、全っ然コンピューターに関心持たないだろ? 寂しいよなぁーって、思ってるわけ。だから、嬉しいんだよね、こういうのに目を輝かせてくれる若人が」
若そうなのに、老人のようなことを言う人だ。やっぱり変わり者なんだろう。
「い……いいんですか? ホントに?」
「遠慮しないでよどうせこんなデータ、元手は一銭もかかってないんだから。で、またうちにコンピューター部品買いに来てよっ」
そして、君、今までも時々来てくれてたよねー、と、店長はニコニコ顔で付け加えるのだった。
「先輩、すみません。待たせちゃって」
「ううん。面白かった。変なものばっかりで」
帰りのバスは混んでいた。僕たちと同じようにネオポリスに帰る人が多いのだろう。もう少し遅い時間ならば空いているのかもしれないが、家に帰り着く時間のことを考えればこのくらいが限界だ。
夕方の時間はとうに終わり、まばらな街灯が窓の外を流れていく。
何か話そうかと思ったけれど、車内がとても静かなので憚られる。
仕方なくじっと時間が過ぎるのを待っていると、不意に、先輩が思い付いたように口を開いた。
「ねぇ、次で降りない?」
まだここはガイアポリスだ。
一体何を言い出すんだろうと、思うと同時にバスは速度を落とす。次って、もう着くのか?
「先輩……?」
「いこっ」
僕の同意を待たずさっさと乗客をかき分けてバスを降りてしまうので、慌ててそれを追う。
そのバス停で降りたのは僕ら二人だけだった。
「サナエ先輩、ここはまだ……」
僕が不満の声を上げると、先輩はクルリと振り返って、それからバスのいなくなった道路の先を指差す。
「橋。渡りましょ」
街灯も、人通りも、車の通行だってまばらな日暮れ後のガイアポリスで、彼女の差す先には華やかなライティングを纏ったヴィーナスブリッジがあった。
ここを歩いても渡れることは知っていたけれど、実際試してみるのは初めてのことだ。
車で通り過ぎるとあっという間だが、立ち止まってじっくり見ると、ライティングで浮かび上がる遠くのビル街へと真っすぐ走る道が、道路灯とハンガーロープに取り付けられたライトによって、幻想的な光のラインに見える。
思いの外に美しい光景に、知らず、ため息がこぼれた。
「結構、風が強いわね」
車がどんどん僕らの隣をすり抜けていく。
一キロ近くもある長い吊り橋を、こんな時間に歩いて渡ろうという者は他にいなかった。
「でも、悪くないですね、歩くのも」
「そう思ったのよね、私ってば、冴えてるわ」
風に乱れる髪を手で押さえて、サナエ先輩が言った。
ああ、そういえば聞くべきことがあったんだ、と、その横顔を見て思い出す。
「そういえば、先輩」
「なあに?」
「何か悩みとか、あるなら聞きますけど。僕でよければ」
どういうこと? と、先輩は首をかしげる。
あれ、違ったのかな?
「……先輩、昨日何だか様子がおかしかったような気がしたから」
「私が?」
「サンドイッチ。……あの時は殴られるかと思ったのに」
「あ……」
「だから、もしかして、元気無いのかなと思って」
スピードを出した車が一台、ビュンと通り抜けた。
サナエ先輩はしばらく黙っていたが、やがて、ニッと笑い、拳で僕の肩を軽く小突いた。
「生意気な子ね」
「すみません」
「ありがと」
夜を照らすライトを受けた先輩は、スッキリした声で短く言った。それから、
「別に、誰かさんに心配されるようなことは無いわ。それとも、サンドイッチがそんなに意外だった?」
悪戯っぽく笑う。
「意外でした」
正直に答えると、
「なるほど。じゃあ、今度はもっと驚かせてあげようかしら」
機嫌よくそう言って、タタタと先に駆けていく。
遠ざかる背中の向こうに、高く丸い月が上がっていた。
街を繋ぐ橋の真ん中辺りに指しかかるころ、黙って先を歩いていた先輩がパッと振り返って、そういえば私も、と切り出した。
「前から一度聞いてみたかったんだけど」
「何ですか?」
「君ってどうしてあんなにSiNEルームとか、Ω‐NETとかにこだわるの? どの辺が魅力? そういうのって」
そんなことをダイレクトに質問されたことは無かったので、ちょっと面食らった。
今まで周囲に僕の趣味を理解してくれる人がいなかったわけではないが、よくあるコンピューターマニアだと単純にカテゴライズされていて、それについて「なぜか?」なんて、誰も言わなかったからだ。
ただ単に、面白いから好きなだけです、と適当に答えても良かったけれど、何となく今夜はそういう返答がふさわしくないような気がして、満月を仰ぐ。
「そうだなぁ……」
それから、今日偶然貰い受けることになったデータのことを思う。
答えは自分の中にあるのに、人に伝える言葉を探すのは難しかった。
「先輩は、Ω‐NETが閉鎖された時のことって、憶えてます?」
足が止まっていた。
「うーん……まぁ、一応、記憶はあるわよ。結構大騒ぎで毎日ニュースになってた……気がするし」
腰に手をやって、遠い記憶を辿るように呟く言葉は頼りない。
それはそうだ。十代の僕らにとって、十年前のニュースなんて遙か昔の話。
「……一万分の一」
月を見上げる。
たとえ記憶はおぼろげでも、僕にとっては今も重大ニュースだ。
「今、僕らがΩ‐NETを通じて得ることができる情報です。十年前と比べて、一万分の一」
「え……」
「って、言われたら驚きますよね、そんなに!? って」
それは驚くわよ、と、先輩は頷く。
「最初はみんな慌てて問題にしたのに、数年したらその情報量が当たり前になって、結局みんな忘れてしまった。『生活に支障はないし、まぁいいや』って。
でも、僕はなんか、違和感あるんですよね、そういうのって」
「違和感?」
「世界はもっと広いはずだって。先輩だって思いませんか? 例えばほら、一度、飛行機に乗ってみたいとか、月に行ってみたいとか……」
「飛行機? 大げさねぇ」
「そういうことですって」
僕らの頭の上を飛行機がほとんど飛ばなくなってから、夜空に浮かぶ月に人が立てなくなってから、本当に長い時間が流れていた。
――そんなことを、誰も夢見なくなるほどに。
「僕は、もっと知りたいんです」
大まじめに言った。こんなこと、他人に話したのははじめてかもしれない。
「進歩的なのね、君は」
笑われるかなと思ったけれど、先輩はちゃかさずに応えてくれた。
「いや、臆病なだけです。僕はたぶん、他のみんなより意気地なしで、迷ってばっかりなんですよ。
だから、何か、道しるべが欲しい。情報が多すぎた時代の人は逆のことを考えたのかもしれませんけど、僕にとっては、たぶん、Ω‐NETは行く手を照らす明かりのようなものなんです」
月の光が川面をキラキラ光らせるのが、橋の上からもよく見えた。
僕らは何となく肩を並べ、静かに流れる夜の川を眺めた。
その後、どちらからともなく会話は学校の話題になって、生徒会で今後企画することになる行事の進行とか、冬季休暇中の活動はどうしようかとか、今度のアーチェリー大会の応援に行く約束とか……とにかく、他愛も無い話をしながら橋を渡った。
思いの外清々しい夜だ。
今日一日、そんなに特別なことをしたわけではないのに、ものすごく良い気分転換になったみたいだ。
サナエ先輩のおかげだな。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます