第8話 ワンビット・ダイビング(後編)-B

 駆け出したいくらいの気持ちで、正門へ向かう。

 まだ時間が早いので、 このままガイアポリスまで足を伸ばすつもりだった。

 気が早いけれど、さっき見た改造ゴーグルをとにかく早く作ってみたい。

「ちょおっと!!」

「うわっ!?」

 バスの時間を確認しようと立ち止まったところを、何者かに後ろからタックルされて、危うく転びそうになる。

「な、何するんだよっ!」

 突然現れた乱暴者の正体はエリカだった。

 まぁ、案の定というか、予想通りというか。

「ウィルだけずるいっ!!」

 どうやら、エリカは怒っているらしい。

「エリカ……そういや、朝会わなかったね」

 彼女の怒りが何に対してのものだかさっぱりわからないので、とりあえず思い出したことを口にしてみる。

「昼から来たのよ」

「そっか」

 言って先を急ごうとするが、ガシッと腕を捕まれてしまう。

「何……?」

「あんた、サナエ先輩の手作りランチを食べたんだって?」

「あー……その話か……」

 そういえば、あの日に限ってエリカは休みだった。

「残念だったね、おいしかったよ?」

 特に嫌みのつもりはなかったが、エリカは元々つり目なのをさらに三角にして、僕を睨み付ける。

 別に、エリカにどう罵られようとかまわないので、さっさと切り上げて早くエルズへ行こう。けれど……

「ちょっと付き合って」

「は?」

「買い出し」

 それだけ言って、僕の腕を捕まえたまま歩き始める。

「ちょ、ちょっと、冗談じゃない。僕だってこれから行くところがあるんだから」

「先輩のサンドイッチを一人で食べた罰よ!」

 エリカは聞く耳を持たない。

 ああ、彼女には最初から聞く耳なんて付いてないのだった。

「ちょっと、エリカ、買い出しって何をさ」

「差し入れ!」

「誰に?」

「先輩に決まってるじゃない!」

「どうして僕がそれに付き合わなくちゃいけないのさ」

「それは……」

 エリカは怒り顔のまま固まってしまった。

「お……お菓子、作ろうかなって、思って」

「喜ぶんじゃない? 先輩、甘いものよく食べてるし」

「で、でしょ! そうよね! そう思うわよねっ!」

「買い出しって……どこ行くの?」

「大通りのショッピングセンター」

「ふぅん……言っとくけど僕、料理とか全然できないよ?」

「分かってるわよ。私もできないもの」

「……全然だめじゃないか、それじゃ」

「あんたには、レシピ本の選定を任せるわ。わかりやすいやつ」

 今思いついたような顔でエリカが言った。

 あーあ、折れてやらないと恨まれそうだ。仕方ないなあ。

「言っておくけど、買い出しだけだよ?」






「おっ、坊や、こないだの」

 エリカの買い物に付き合ってから大急ぎでバスに飛び乗り、閉店間際のエルズに何とか飛び込んだ。店長は僕のことを覚えていてくれたらしい。閉店前の客に嫌な顔をするどころか、嬉しそうにカウンターから出てきてくれた。

「あ、えと……この間は、ありがとうございました」

「データ、見られたかい?」

「はい!」

「今日は何か、捜し物かい?」

「ゴーグル型のSiNE端末を探してるんですけど……」

「へぇ、そりゃまた珍しいものを」

 こっちだよ、と、店長は迷路のような店内をスタスタ奥へと進んでいく。

 店長に聞いてもらえて良かった。話が早いや。

「欲しいモデルとか、決まってる?」

「いえ、詳しくないのでそういうのは分からなくて……」

「よーし、じゃあ俺のオススメから出すと、これと、これと……」

 ご機嫌の店長がぽんぽんと渡してくるのを、落とさないように受け取って、注意深く脇に置く。

 ジャンク品と同じように雑然と積み上げられていたけれど、きちんとアクリルのケースに収まっていて、動作確認済のチェックメモが添えられている。

「うわぁ……」

 存在は知っていても、買うつもりで実物を見るのは初めてだ。

 SiNEサービス全盛期の機械らしく、コンパクトで洗練されたフォルム。

 モニタのモードを半透明に設定するとサングラスとして使うこともできるようなデザインのものもあり、すごく格好が良い。

「いかすだろー、それはトーツーの603年モデル。空間投影もできるタイプで、テーブルトップの代わりにしたり、ホームシアター機能もついてる」

「へぇ……やっぱり、この時期の機械は今と違って良いですね……」

「だっろー!」

「はい!」

「いやぁ、全く、坊やは話が分かるな! あ、あと、その右手で持ってる方はな、606年モデルのプロ・バージョン! なかなかの逸品だぜ」

「プロ・バージョン?」

「そう。本体が簡単に分解できるから、チップの交換とか、追加とかの改造がしやすい。まぁ、当時のマニア向けだな」

「OSの入れ替えってできますか?」

「おお、勿論できるぜ」

 希望通りの返答に胸が躍る。

「じゃあこれ……これにします!」


「あと、小型SiNEサーバ機用の通信チップってありますか?」

 ウキウキと尋ねると、店長は不思議そうに首をかしげる。

「あるけど、坊や……もしかしてそれ、ゴーグルに組み込むのかい?」

「あ、はい。そうです。ちょっとやってみたい改造があって……」

「ほおぉ……?」

 店長は目を丸くして、何となく歯切れの悪い相づちを返した。




 その後、徹夜でゴーグルの改造をしたせいで、翌日は最高に眠い状態で登校した。

 だから、昼休みは食事を諦めて睡眠に当てようと、一限目の時点で決めていた、はずだった。

「あっ、ねえ、砂糖もふるいにかけた方がよかった?」

 理不尽にも、僕のささやかな昼寝の計画はエリカによって台無しにされた。

「……エリカ、僕さぁ、買い出しだけだって、言ったよね」

「何よ、せっかく先生に頼み込んで調理室借りられたんだから、文句言わないでよ」

「僕が抗議してるのは、もっと根本的なことなんだけど。君、昨日は家で作ってくるって言ってたじゃないか」

 二人は昼休みの調理室で、昨日散々議論を重ねて材料を調達したバナナケーキを制作していた。

「作ってみたけど、うまくいかなかったんだもの」

「レシピを見て作って、どうして失敗するのさ」

「うるさいわねえ、運もあるのよ、こういうのは」

「運、ねぇ……」

 ああもう、眠いのに。

「しっかし、バナナも小麦粉も多めに買っておいて正解だったわぁ……」

「あ、エリカ、それ多い。ちゃんと目盛り見て」

「えっ?」

 エリカは何でも素早くやろうとするせいで計量がとにかく雑だ。これでは昨晩の失敗の原因も想像に難くない。

 仕方なくその後は僕がレシピ本首っ引きでエリカを遠隔操作して、初心者向けのパウンドケーキはどうにか昼休みのうちに完成したのだった。

「ふぅー、できた!」

 エリカは満足げに伸びをして、いそいそと昨日買ったラッピング用品を引っ張り出して、ケーキを箱詰めする。

 洒落たプリントのついたボックスに入ると、不器用な手作りケーキもまるで専門店で購入したかのうように……とまではさすがにいかないが、それでも随分と見栄えがよくなって驚いた。

 料理の才能は絶望的といえるエリカだが、リボンをかけたり、メッセージを書いたりするのはとても器用だった。

「結構、いいんじゃない?」

 それなりに充実感を持って声をかけたが、

「うん……」

 予想を裏切って、エリカの反応は微妙に沈んでいるようだ。

「……どうかした? 何か失敗でも……」

「ううん、そーじゃなくて。ふとこのケーキ、私じゃなくてあんたがあげたら、先輩、もっと喜ぶかなって……思っただけ」

「そんなわけ無いでしょう」

「あるわよ」

 エリカは不満そうだが、怒っているわけではないようだった。

「ほんとにもう、どうしてあんたなんかがお気に入りなんだろう。先輩」

 理解できないわぁ、と、ちょっと情けない声で言う。

「サナエ先輩なら、君のことも充分お気に入りだと思うけど?」

「分かってないわねぇ」

「そう?」

「そーよっ」

 エリカはぷいとそっぽを向いて、焼きたてケーキの入った紙袋をそっと両手で抱いた。



 ――気がついたときには、すでに放課後だった。

 自分がいつの間にか、クラスの自分の机に突っ伏して眠っていたということに、目が覚めてはじめて気づく。

 ああ、考えてみると、最後の授業の内容が思い出せない。

(昼休み、寝られなかったからだ……)

 太陽はすでに沈み、明かりの消えた教室は薄暗い。急いで荷物をまとめて教室を出る。

 思いの外よく寝てしまったせいで頭は冴えていた。

(今からなら、少しくらいなら寄れるかな……)

 廊下を渡りながら時間を確認する。

 もともと、放課後はSiNEルームへ行って、サーチを使える状態でゴーグルの改造の続きをやろうと思っていた。

 うっかり寝過ぎたせいで、もう十九時前。

 SiNEルームの使用は二十一時までだが、確か、延長申請を出せばあと一時間は延ばすことができたはずだ。

(そういえば、エリカはちゃんとあのケーキ、サナエ先輩に渡せたのかなぁ)

 何となく考えながら階段を下りていく。

 付き合いついでに、明日結果の報告くらいは聞いてやろう。

 中庭に出てみると、まだ勉強している生徒がいるのだろう、いくつかの教室に煌々と明かりがついているのが見える。

 そういえばテストが目前なのだ。

 勉強は間に合っているつもりだけど、一応確認くらいしておかないとなぁ、などと考えつつ、中庭を横切って静まり返った西館に足を踏み入れ、薄暗い中を早足でSiNEルームへ向かう。

(部品の組み込みは昨日で終わってるから、あとはソフトの書き換えだけ。サーチに聞きながらなら……今日中に終わるかな)

 ゴーグルの改造が仕上がったら、自分にも1ビット・ダイビングが出来るはずなのだ。

 どんなものなのかはまだ分からないが、マスターすれば今までとは比べものにならないくらい、色々なことができるようになるはずだ。

 まさに夢のような日々に思いを馳せつつ、ウキウキと浮かれ気味に彼女を呼んだ時――最初の異変が起こった。

「サーチっ」

 ――沈黙。

(あれ?)

 彼女は現れなかった。

「サーチ?」

 もう一度呼んでみるがやはりサーチは姿を見せず、その代わり、部屋の空気が一瞬歪むようにグラリと揺れ、瞬間的に風景が一変した。

「えっ……?」

 僕、何も呼び出してはいないぞ?

「な……に……これは……」

 異様な光景が目の前に広がっていた。

 そこは薄暗く、まるで迷路のような図書館だった。

 僕一人やっと通れるか、というくらいに密集して並ぶ、おびただしい数の書架。

 床だけでなく、壁にも、天井にも、草が蔓延るように書架が生えている。

 一体何の資料が収められているのだろうかと、そのひとつに触れようとしたが、その書架に触れることは出来なかった。

(これ……僕に閲覧権限が無いデータなんだ……)

 なぜこんな映像が目の前に現れたのだろう。

 わけがわからないまま部屋を歩き回る。

 何度かサーチを呼んでみたが、やはり反応は無かった。

(どうして……)

 狭い、入り組んだ通路をでたらめに歩く。

 ギリギリ通れる通路がある個所はまだましで、場所によっては斜めに突き出した書架が幾重にも折り重なっていて、通り抜けられないようなところまである。

 これでは図書館というよりは本の森だ。

(何だよ……ここは……)

 まるっきり出鱈目だ。

 SiNEルームのシステムに何か障害でも出ているのかもしれない。

 早いうちに接続を終了してしまおうかと思いかけた時だった。

 視界の隅に見知った姿が目に入った。

「あ……」

 サーチが居た。

 しかし、明らかに様子が変だ。

 彼女の姿は全身が青い光に包まれていた。

 光を纏うその姿には妙な迫力のようなものがあって、僕と話している時の彼女とは別人のようだ。

 そして、彼女が触れている書架も白く光って――

 あれはどうやら、何か……データを読んでいるように見える。

(サーチ……?)

 のぞき見てはいけないものを見てしまったような気がして、思わず身を隠して様子を窺う。

 そして、目の前で再生されているのが何なのかを必死で考えた。

 見渡すと、書庫の迷路は所々画像が乱れ、やはり、意図して表示されているものではないように思われる。

 何か別の通信状況が、無理矢理SiNEルームのインターフェイスを通じて再生されているような。

 けれど、だとしても、なぜそんなことになっているのかは見当もつかなかった。

 僕はただサーチを呼び出そうとしただけなのに。

 とにかく、そうしていても状況が理解できなかったので、彼女の姿がはっきり見える場所まで、そっと、気取られないように気をつけて移動する。

 風景が入り組んでいるせいか、部屋はいつもより広く感じられた。

(一体……あれは、何をしてるんだ?)

 いつもはにこやかな彼女の表情は硬く、大きな目は青い光を受けているせいか、瞳自体が爛々と輝いているようにも見える。書棚に手をかけて、何やら小声で呟いているようだった。

 その声ははじめとても小さく感じられたが、聞こうと意識したら、不思議と脳に直接響くようにはっきり聞こえはじめた。

「…………南極情報通信センターSPICに接続完了」

(SPIC……?)

 最初に彼女に合った時のことを思い出す。

 あのときも、彼女はSPICに接続してログデータを引き出してくれた。

「通信ログファイルを読み込み……成功」

(今日も、クイーンのログを読んでるの……?) 

「ログを最適化、連邦総務省からの通信のみに限定します……送信完了」

 サーチは誰かとやりとりをしているようだったが、相手の姿は見えず、また相手からの声も聞こえなかった。

(誰と、何をやりとりしてるんだ?)

「履歴より管理ポートの認証キーファイルを特定中……特定中……完了。ファイル名特定、これより該当ファイルの検索に入ります」

 鈴のような声が淡々と告げる内容が、妙に不吉なものに感じられる。

 僕は、サーチライトがΩ‐NETの中枢部分に直接接続する機能を持つことを知っている。最初見たときは、政府関連のシステムだと思ったくらいだ。

 けれど、最近は何となく違うような気がしていた。

 なぜなら、彼女は何を尋ねてもあまりに明け透けで、機密なんて概念を知らないようにすら見えるからだ。

 たとえ不特定多数の人間が使うものでないにしても、そういうのは危ういし、あり得ない。

 けれど、だとしたら彼女は、いや、彼女を今使っている人物は・・・・・・・・・・・・、一体何をしようとしているのだろう。

(管理ポートの認証キーって……まさか、SPICの?)

「……該当ファイル無し。引き続き保管場所を検索、開始……」

 言葉と同時にサーチの指がスッと横に動くと、部屋中をでたらめに埋め尽くす書架が一斉にざあっと光を放つ。

「――っ!!」

「……検索終了。認証キーファイルの存在を確認。これよりプロテクトの解除にかかります」

(えっ?)

「解除開始……………………解除完了。

 Queen認証キーファイルを取得しました」

(ちょ、ちょっと……)

「了解。アクセス履歴を消去します」

(履歴を削除? Queen認証キーって……)

「これより送信します」

(……サーチが、総務省をハッキングしてるの?)

 それに気付いた瞬間、僕は反射的に声を上げていた。

 僕の声が届いた瞬間、サーチは動きを止めて振り返った。

「ウィル……?」

 そして、光る目でゆっくりと瞬きする。

「サーチ……君……」

 何が起きているのか見当も付かないけれど、本の森はサラサラと砂のように崩れ落ち、灰色の部屋に僕ら二人だけが取り残される。

「君……今、誰と通信してたの?」

「ウィル……」


「今のが、君の本当の使用者?」

「それは……」

 出会った最初の時と同じように、凪いだ空間で、長い髪がゆらゆらと揺れはじめる。

 複雑に色が混じり合う、星のような目が少し細くなった。

「ノー。ごめんなさい、ウィル。サーチのマスターについて、説明することはできません」

 制服のスカートから伸びる、細くて白い足で、二歩、三歩、僕から遠ざかる。

「――サーチ!!」

 僕が再び叫んだ次の瞬間、サーチの姿は細かい粒子になって、仮想空間に溶けるように消えていった。

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