Phase 3 trash and trash, and love 03

 急な雨に、人々は足早に大通りを歩いていた。

 それでもシロガネ白銀シオン心音に気づいた人たちは、ぎょっとして視線を向ける。


 右腕を失くした少女と、すり切れた服を着たhDEが並んで歩いていれば当然だった。


「なんか、すごく見られてるね……」

「でも、こちらの方が都合がいいのでしたよね?」

「うん……」


 こういう人通りが密集したところでは、いくら《人類共同戦線》でも手が出しづらい。彼らが1番恐れることは、無関係な一般人を巻き込んで負傷させることだからだ。


 雨は激しく、空は薄暗い。

 なんとなく嫌な予感がした。


「……急ごう、シオン」

「はい」


 ひとまず目指す先は新宿駅だ。電車なら人も多いし、移動も早い。総武線に乗って秋葉原地下街に行けば、安い義体パーツやらhDE用の服も手に入る。


 しばらく歩き続けると、ようやく新宿駅が視界に入った。自然と早歩きになる。

 

 そのとき、正面数十メートルの地点にいた一人の少女が、頭上に黒い塊をかかげた。

 それはただのアタッシュケースだった。


「っ……!」


 しかしシロガネは、とっさに地面に伏せる。

 周囲の人たちは驚き、困惑したような表情でシロガネたちを見た。


 だが次の瞬間、新宿の街に銃声が響き渡った。

 1発や2発程度の甘っちょろいものではない。フルオートの銃撃で、辺りは一瞬のうちに戦場へと叩き落される。


 少女の持つアタッシュケース。その中に小型の短機関銃サブマシンガンが仕込まれていたのだ。

 

 どこかで悲鳴が上がった。それを合図に皆、少女からいち早く逃れようといっせいに走り出す。

 大混乱だった。


 そんな中、その少女とシロガネの目が合った。

 少女がわずかに口を動かした。たぶん仲間に連絡をとっているのだ。


「…………」


 その少女が《人類共同戦線》の人間だとすぐに察しがついた。

 彼女はその銃口を雨空に向けているだけで、未だに誰一人として撃っていないからだ。

  

 まるで、ただ人払いをしようとしているかのように。


「シオン……!」

「はい」


 2人は立ち上がり、駅に背を向けて走り出した。少女から逃げる人混みを盾にする。


「……くそっ」


 シロガネは自分の見通しが甘かったことに、今さらながら気が付いて舌打ちする。

 彼女は自分で思っている以上に、組織にとって消さなければならない存在だったのだ。


 hIE排斥組織・《人類共同戦線》と大企業・賀上重工の繋がりは組織内でもあまり知られていない。それを知る人間の1人であるシロガネがそれを漏らせば、組織だけでなく日本経済にも大きな影響が出かねなかった。


 賀上重工は《人類共同戦線》に協力する一方で、スタイラスや桜木テクノロジーのようなhIE開発企業とも提携している。排斥運動に加担しているのは、武器や義体パーツを売る、つまりはビジネスのためだ。


 だがもし、《人類共同戦線》との繋がりが明るみに出れば、賀上重工は大きな損害を被ることになる。社会的信用を失い、さらには提携企業をも失う。そうなれば倒産まではいかなくとも、事業縮小は免れない。


 だから、シロガネを追っているのはたった1人の少女だけではない。とてつもなく大きな経済の力までもが、彼女の存在を抹消しようと躍起になっているのだ。


 たぶん警察もあてにはできない。賀上重工ほどになれば、公に圧力を与えることだって可能だ。


 気が付けば、あちらこちらで銃声が上がっていた。そのどれもが人を撃っているのではなく、ただ誘導するためのものだった。

 

 群衆の中にいるシロガネたちもまた、誘導されている。だからこのままでは、いつか敵に追い込まれてしまう。


 そうなる前に逃げ出さなければいけない。

 

 わたしたちは人混みを追い越し、交差点に差し掛かった。少し迷ってから左折することにした。そっちの方に少しいけば、参宮橋にたどり着くはずだった。


「シオン――」


 彼女の手を引いて、角を曲がりかける。

 だが突如、彼女はシロガネの目の前に飛び出した。


「オーナーっ……!」

「え……」


 あまりにも突然で、シロガネは反応できなかった。

 唯一わかったのは、出会い頭に銃口から噴き上がる赤い炎マズルフラッシュ。それと、いくつかの銃声だけだった。


 シロガネをかばったシオンが、倒れた。

 彼女は背中と足に計5発の銃弾を受けていた。銃創からは火花が散り、あるいはぬるぬるとしたオイルのような液体が漏れている。


 シロガネは目を見開いて、シオンを抱き上げた。

 彼女が壊れてしまったかと思うと、怖くてたまらなかった。顔が青ざめた。


「……シオンっ」

「オーナー、私は大丈夫ですっ! それよりも……」

 

 彼女は力強く答え、彼女を撃った人影を睨んだ。

 どこにでもいるような小太りの男だった。


 シロガネは彼から銃を奪い取ると、腹に強く前蹴りを入れて動けなくさせる。殺そうとも思ったが、彼女の前でそれはしたくなかった。

 

 振り返ると、群衆はすぐそばに迫っていた。そしてその奥にはさっきの少女がいる。


「こっちに来ないで、撃つよ!」


 シロガネは向かってくる人たちの上方に、フルオートで掃射した。

 人々は再び悲鳴をあげ、その動きが嵐のように乱れた。


「……シオン、大丈夫?」

「はい……なんとか」

「ごめん、もう少し我慢して」


 シロガネは、顔を歪めつつも笑うシオンに謝る。それがアナログハックだとわかっていても、そうせざるを得なかった。


「……行こう」


 彼女に肩を貸しながら、再び走り始める。

 彼女は足を引きずりながらも、懸命にシロガネについて来る。


 シロガネは組織のサーバーに侵入してみようとした。向こうの部隊の情報が少しでも欲しかったからだ。


 だが入り込めたのは一瞬で、すぐに追い出されてしまう。向こうもハッキングしてくることを織り込み済みだったのだろう。プロのハッカーではない彼女が攻勢防壁を突破するのは無理があった。


 しかしその一瞬でも、いくつかわかったことがある。


「シオン、方針を変えるよ」

「オーナー?」

「近くの駅はどこも敵に押さえられてるみたいだから、たぶん電車では逃げられない。それから、このあたりも包囲されているから徒歩も無理。……だから」


 そう言って、彼女は周囲を見回した。

 このまま進めば敵の部隊が待ち伏せしていて、戻ってもあの少女や他の部隊がいるという。


 そして彼女たち2人がいるのが陸橋の上だった。

 下には、首都高速が走っている。


「オーナー……」


 シオンは、シロガネが言わんとしていることを察し、心配げな顔をしていた。

 シロガネは彼女の手を握る。


「大丈夫だよ。わたしとシオンなら、きっと大丈夫」


 そう言いつつ、本当はシロガネも不安だった。

 でもこうする他に道はないから、するしかないのだ。


 いつの間にか、敵が来ていた。まだ遠くてよくは見えないけれど、じわじわと距離を縮めている。


「行こう、シオン」

「……はい」


 2人はもう一度強く手を握り直し、それから陸橋の落下防止柵から身を乗り出した。

 車がものすごい速さで道路を行き交っていた。


 雨で濡れた柵で滑らないように、しっかりとつかんでおく。


「あれにしよう」


 遠くから走って来る軽トラックを指さした。荷台にも2人分の空きはありそうだ。

 

「…………」


 タイミングは一瞬だ。少しでもずれれば、彼女たちは等しく破砕される。

 それを急かすように、敵部隊の銃撃が始まった。弾丸が横殴りの雨のようだった。


「……シオンっ」

「はい……!」


 意を決し、2人は飛び降りた。

 長い長い落下のように思えた。時間が何倍にも伸びたように感じられる。

 それでも、手だけは離さない。


 背中に固い衝撃を受けた。同時に、とてつもない轟音。

 2人はともに軽トラックの荷台に倒れていた。


「オーナーっ!」


 息つく暇もなく、シオンがシロガネの上に覆いかぶさった。陸橋の上から銃撃が浴びせられていたのだ。

 弾を受け、彼女の機体から破片が飛び散る。


「シオン……やめてシオンっ!」


 彼女は悲鳴を上げながら、逆にシオンをかばおうとする。だけどそのときには、既に陸橋からは遠く離れていた。


「オー、ナー……」

「シオンっ……!」


 彼女はぐったりとしたまま動かない。先ほどよりもさらに多くの傷を受け、全身がずたずたになっていた。



 ***



 しばらく移動してから、2人は軽トラックを降りた。

 

 あの後、当たり前のことながら運転手に気づかれてしまった。だがシロガネは持っていた短機関銃サブマシンガンで脅し、そのまま走り続けさせた。


 ここがどこなのか、彼女にはわからなかった。ずっとシオンのことで気が気ではなかったからだ。


 たぶんどこかの旧市街だろう。ビルの壁面塗装は剥げ、亀裂が入っている。

 かつてはそれなりに人通りが多かったであろう道にも、今は人がいる様子はない。捨てられたゴミや、自動車なんかが街のいたるところに落ちている。


 まるで、街そのものが捨てられたみたいだ。


 急速に進む少子高齢化、それに伴う人口減少で、この国の市街地は縮小化した。

 半世紀前の東京は、都会がずっと続くような大きな街だった。だけど今では、その中に穴が空いたように過疎化した地域が存在している。

 

 ここも、そんな場所の一つだ。

 そして組織は、そのうちここにもやって来る。だから早く逃げなくちゃいけなかった。


 だが――


「オーナー……私を、置いて行ってください……」


 今までシロガネが肩を貸してなんとか歩いていたシオンが、ついに歩を止めた。


「シオン、何言ってるの……? 大丈夫だよっ、ね?」

「これ……見てください……」


 彼女は腰を下ろして、自身の大腿部をさすった。

 雨に濡れた白い肌に、いくつもの弾痕が穿たれていた。


 そのあまりの痛々しさに、シロガネは息を呑んだ。

 

「……私は、もう歩けません。これまではここにかかる負担を減らしてなんとかしていましたが、それももう限界です……」

「で、でも、そんな……」

「オーナーもわかっているでしょう……もうじき、先ほどの武装集団がやってきます。損傷した私を連れて、それを突破することは恐らく不可能です……」


 シロガネにも理解できた。

 彼女1人でならともかく、まともに動けないシオンはただの足手まといだ。

 それでも彼女自身の感情は、それを拒否していた。

 

 シオンの振る舞いはプログラムだ。そこにはいかなる感情もなく、ただカタチがあるだけだ。


 だけどシロガネは、それに心を動かされてしまった。好きになってしまった。

 この感情を教えてくれたのはシオン。彼女が、シロガネにとっての人間として生きる道しるべなのだ。


 だから、置いていくなんてできるわけがない


「そんな、やだよ……シオンがここで死ぬなら、わたしだって死――」

「――わかってください」


 シロガネが言い終わる前に口が、シオンの唇によって半ば強引にふさがれる。


「――っ」


 不意打ちに、シロガネは目を見開いた。

 シオンの端整な顔が目の前にあって、シロガネを下から見つめている。だけどそのキスはとてつもなく切ない味がして、苦しいくらいに胸が締めつけられた。


「……こんなときに、ずるいよ」

 

 彼女を黙らせるためのアナログハックだった。

 シオン自身も、それを肯定する。


「私はモノです。だから死ぬような魂もありませんし、私はによってオーナーをアナログハックしつづけました」

「わかってるよ……でも、わたしはあんたが……」

「……では、連れて行ってくれますか、オーナー」


 彼女は真剣な眼差しで、シロガネを見据える。


「私には魂がありません。ですがその本質はオーナー、あなたが私のに見出したです。だから、オーナーが私のことを覚えていてくだされば、私はいつだってあなたのそばにいることができます。だから……生きてください」


 彼女は優しく微笑むと、シロガネの身体を抱き寄せた。

 

 シロガネは、何も言えなかった。

 シオンの温かい身体に包まれ、彼女の中のありとあらゆる感情がないまぜになる。


 どこかで銃声が聞こえた。

 たぶん、組織がもうすぐそこまでやって来ているのだ。


「…………」


 簡単に割り切ることはできない。できることなら、2人でまだ生きていたかった。


 でもそれができないことはわかっている。シオンは、シロガネが生き延びることを望んでいた。hDEにとって、所有者であるオーナーは自分以上に優先順位が高い存在だからだ。


 それでもシロガネは、シオンが自分のことを想ってくれているような気がした。


「……わかった、シオン」


 なんとか一言をしぼり出した。

 その瞬間、涙が溢れ出した。頬を伝って熱を持った雫がシオンの顔に落ちる。すぐに涙は雨に溶け、消えてしまう。


「オーナー……ありがとうございます……」


 だけど彼女は、シロガネの目元をそっと拭った。

 シロガネは嗚咽をこらえ、必死に言葉を紡ぐ。


「……だけど、あとほんの少しだけでいいから、わたしと一緒にいて……シオン」

「はい、オーナー」



 ***



 2人が別れの場所に選んだのは、表通りに直接面していない裏路地だった。

 もうすぐ表の方に、敵部隊が集まって来る。ここなら、わずかだが時間が稼げると思ったのだ。


 彼女たちは並んで、壁に背中を預けて座り込んだ。互いに指を絡ませて、強く手を握る。


 周りはゴミの山だった。使わなくなった家電やhDEがそこかしこに積み上げられている。誰もいないから、不法投棄にも最適なのだろう。


 シロガネは、自分までもがそこにあるゴミの仲間のような気がした。

 両親が死んでからすぐ組織に売られ、そこで人形として使われた。そして使えなくなったら、こうして処分だ。


 彼女がいなくなっても、世界は回り続ける。他の誰かが代わりとなり、そこにうまくはまり込んで世界という歯車を動かす。

 自分はそういうパーツだったのかもしれない、と彼女は思った。


「……そっか。だからわたしは、シオンを拾ったんだ」


 ずっとわからなかったことに気づいて、彼女はぽつりと呟いた。

 

 彼女がシオンに惹かれたのは、そこに、彼女自身の未来を見たからだ。

 あの日シオンがそうだったように、彼女もまた組織に捨てられた。たとえhIEを殺せなくならなくても、いつかは限界を迎えて使用済みになっていただろう。


 でもシオンのおかげで、最後にシロガネはヒトとして生きることができたのだ。

 だから今は、シオンのことが大好きだった。


 表からトラックの走行音が聞こえてきた。敵はビルを1つ挟んだすぐ反対側にいた。


 時間切れだ。


 シロガネは立ち上がり、短機関銃サブマシンガン山刀マチェットを拾った。山刀はベルトから下げ、短機関銃の残弾を確認する。


「それじゃあ、シオン……」

「オーナー」


 去ろうとしたシロガネを、シオンが呼び止める。髪に手をやり、そっと何かを外してシロガネに手渡した。


「……私は行くことができませんが、せめてこれだけでも」


 それは、赤いヘアピンだった。シオンと出会った翌日に、シロガネが買ってやったものだ。

 シロガネが受け取ると、シオンは安心したように笑った。


「……行ってください、オーナー。私は、幸せでした」

「……シオン」


 それ以上、言えなかった。

 この先を口にしてしまえば、別れるのがつらくなってしまうから。


 シオンに背を向けて、シロガネは歩きだした。

 上を向いて振って来る雨粒で顔を洗い流しながら。そうしないと、また泣いてしまいそうだった。


 表通りには、多くの敵がいた。

 武装し、今もシロガネたちを探している。


「…………」


 彼女はそのうちの1人に照準を合わせた。

 顔は隠しているが、たぶん男だ。彼にも色々な事情があって組織に入ったのだろう。もしかしたら家庭も持っているかもしれない。


 だけどそんなの、シロガネには関係なかった。

 彼がシロガネとシオンを殺そうとしている。その事実だけで十分だ。


 彼女はトリガを引いた。

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