Phase 2 analog hack 2078 03
それから数日が経った。
「…………」
夜は深まり、そろそろ0時を回る。
ここ、渋谷宮下公園付近の小区画は小さな飲み屋が密集していた。
彼女の狙いは居酒屋で働くhIEだ。容姿の整ったhIEはこういった接客仕事にも重宝される。だから多少値が張ろうとも、看板娘代わりにする店も多いのだ。
「…………」
シロガネは苛立たしげにカツカツと靴を鳴らした。
渋谷駅へと向かう電車の音が、それをかき消す。
いつもだったら、ちょっとした雑務だったり客を見送ったりするために外へ出るhIEがいる。それが、彼女が狩りをするタイミングだった。
だが今日に限って、ほとんど外に出てこない。
シロガネは追い詰められていた。
理由は明確だった。シオンだ。
この数日間で、彼女はシロガネにとって大切な存在になっていた。彼女のおかげで、毎日の生活が少し楽しくなった。
それからだ。バイザーにフィルターをかけていても、彼女のカタチがそれを打ち消してしまう。hIEを壊そうとするとシオンの顔が脳裏に浮かんで、壊せなくなる。
つまりは罪悪感だ。彼女と同じようなモノにさえ、アナログハックされてしまっているのだ。
今月は残り5日。ノルマまであと12機。
厳しい状況だ。もしノルマを達成できなければ、たとえ許されたとしても怪しまれる。こんなことはなかったから、なおさらだ。
「……!」
ふいに、1軒の店の戸が開く。
酒に酔って顔を赤くした、初老の男が出てきた。スーツ姿だから会社帰りか何かだろう。
「それじゃあ、ごちそうさまー。また来るよー」
「ありがとうございます」
男に続いて、ラフな格好をした女性が出てきた。店員と思われる彼女の顔は、ピンクのフィルターで塗りつぶされている。
「…………」
シロガネの額を、汗が滑り落ちる。
緊張していた。少し前まではただの単純作業だったはずなのに、今はそれがすごく難しいことのように思えた。
男が去って行く。
それをhIEは、笑顔で手を振りながら見送っている。
「っ……!」
シロガネは自分にのしかかる色々なものを振り払い、hIEに突進した。
重さ100キロのタックルに、ソレはなんなく突き飛ばされて転がる。
「……今度こそ」
シロガネは見下ろし、
hIE店員は動かない。
思わぬ故障によって周囲の人間に被害を与えないよう、一定以上の衝撃を受けると緊急停止するようになっているからだ。
時間がない。
彼女はソレの首筋目がけて山刀を振り下ろした。
だが。
――――オーナー。
「っ……」
まただ。
関節機構がさび付いてしまったかのように、手が動かない。少しでも斬り込もうとすると、
目の前に転がっているのは、ただのモノだ。魂もなければ、命ですらない。だから壊したところでカタチが損なわれるだけだ。
だけどそのカタチが、シロガネに訴えかけてくる。
ソレはシオンと同じモノだ、と。
手が震えた。
「おい! どうした!?」
店の中から呼び声がした。あれだけ大きな音を立てたのだから当然だ。
本当ならすでに立ち去っていなければいけない時間だった。だがシロガネは山刀を振り下ろしかけたまま動けない。
「あちゃー、盛大に転んだなあ……」
ついに、人間の店員が店の外へと出てきた。
光学迷彩服に身を包んだシロガネに、気付かずに近づいてくる。薄暗いおかげで山刀は見えていないらしい。
だがタイムアップだ。
「…………」
シロガネは山刀を鞘にしまい、飲み屋街の狭い道を逃げ出した。
「……クソッ!」
走りながら、叫ぶ。
怒っているのではないし、悲しいわけでもない。
どうすればいいのか、わからなかった。
***
『最近どうしたの?』
「いえ、何も……」
『だったらさー、なんで急にこんなになっちゃったわけさ』
「それは……」
シロガネは口ごもる。
やる気のない口調で、しかし問い詰めるように、頭の中で男の声が響く。
『先月はノルマ達成まで7機を残し、そんでもって作戦でもミスが2回。これ、どういうことかわかるかなー?』
「……はい」
『こっちもさー、一応キミのことは評価してるわけ。だから上はキミを運用し続けるわけだし、賀上重工もサポートをしてくれる。でも義体維持費もなかなか馬鹿にならないんだわ』
男が一度言葉を切る。
通信越しに、退屈そうなため息が聞こえた。
『ま、そういうわけだから。そこんところ、よろしく頼むよー』
「……はい」
『それじゃねー』
通信が切断される。
「…………」
シロガネは天井を仰ぎ見て、深く息を吐く。
「……オーナー」
シオンが心配そうな表情で手を握ってくれる。
彼女の手の温もりに触れ、シロガネは顔をわずかに
「だいじょうぶ、なんでもない」
シオンに、hIE破壊活動のことは話していない。
彼女に心がないってわかっていても、自然と
「最近、こんなことばっかりだ……」
彼女と出会うまで、ここまで物事に悩まされることはなかった。
それはきっと、シロガネがただの道具から人間に戻ったことの証明だろう。
道具は、それ自身の意志を必要としない。
だけど今、彼女は自分で考えている。
シオンと出会い、衝動に突き動かされたあの日から、彼女は感情を思い出した。人間を思い出した。
シオンのおかげで、彼女は人間でいられる。
「……シオン」
「なんですか、オーナー」
「…………」
「オーナー?」
シオンが、彼女の顔をのぞき込んだ。
彼女は目をそらして、呟く。
「……少し、甘えてもいいかな」
少し怖かった。いつか、この生活が終わってしまうのではないかと。
「……よろこんで」
シオンが後ろから、シロガネの首に腕を絡ませた。
「オーナー」
「……なに」
「私に心はありません。だから、オーナーが何を考えているのかはわかりませんし、ちゃんとその意味を理解することはできません。でも……」
シオンが、シロガネの耳元でそっと呟く。
「オーナーが呼んだら、私はどこへでも行きます。ですから、好きなだけ私を使ってください」
まるで心の中が読まれたようだった。
心が通じ合っているような気がして、嬉しくなる。
「……ありがと」
「いいえ、私はオーナーの道具ですから」
シロガネは笑った。
「私、何か変なこと言いましたか?」
「ううん……違う」
そう言ってシロガネは手を持ち上げ、シオンの手にそっと重ねた。
「あんたを、拾ってよかったなって思った。ただ、それだけ」
彼女の体温と体の柔らかさが、その存在を確かなものとしてシロガネに認識させる。
この数日間で築き上げたこの関係性が、とても愛おしかった。この生活がずっと続いて欲しかった。
これだけあれば、他には何もいらない。そう思った。
だが。
14歳の無力な少女からすべてを奪ったこの世界は、まだ彼女を見逃してはいなかった。
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