第7話


 結局、何にも始まらなかった。

 笑っちゃうくらいに。


 さあ、どうしようか。


 たしかにキヨミさんが言っていたように「動物どうしの闘争」はなかった。でも、正確に言えば、争いにさえならなかったのだ。せめて、ミシェルの姐さんと拳で語り合うようなけんかでも出来たら何かが始まったかもしれない。太ってる?って、いったいこの人何冗談かましてるんだろうと思ったけど、どうやら本人的には大真面目みたいだし、なんかウチに頼んでくるにはやっぱりそれなりに理由があるということだな。ニーズに応えて、早めに縁切り!というわけにはいかないみたいだった。それにしても、ネコなんかと関わるとろくなことがない。彼女の中に何があるのかは分からないけど、それは間違いなく冷え切ってカチンカチンに固い“何か”だ。それが何であれ、全く動かせないか、動かすのにすごく苦労することが想像できた。自分がとんでもなく場違いなところにいて、致命的なことをする前に退散した方が良いとしか思えなくて心拍数を300くらいにして逃げてきた。


「だからって、このままじゃマズイよね?」

 ノボルくんが帰りの車の中で言った。ワシだってそんなことは分かっている。

 キヨミさんはずっと黙っている。元来仕事で必要な時以外、饒舌な方ではないが、案外気を遣っているのかもしれない。黙っているだけで、十分怖いのでむしろ、罵声でも、しどろもどろの早口言葉でも何でもいいのでしゃべって欲しい。

 ワシは、もし、ああしていれば、こうなったかもしれないといった類の取り留めのない強力渦巻き水流の洗濯機みたいな思考にはまりこんでいた。もう少しましな展開がきっとあったはずだが、今更どうしようもないじゃないか! 開き直ろうじゃないか! 少し落ち着いてマトモに考えるように一応努力すると、一番シンプルな場合には、患者の本当に求めていることを聞き出せれば、それが患者本人の秘密保持上問題ない場合、飼い主に伝え、それだけで仕事が終わることもある。それから比べれば、今回のケースが面倒なことになっているのは本当で、その点についてキヨミさんやノボルくんに申し訳なく思う気持ちは確かにあった。だって、あの姐さん、口調は穏やかだけど、迫力あり過ぎてすっげー怖いんだもん! でも、この仕事のやり方について、自分が担っている立場が、最初に患者本人とラ・ポール(信頼関係)を築く困難な部分で、同じ関係づくりを行うといっても、病的ではない家族との折衝が中心のキヨミさんや、後から外科処置的な一回性の治療を行うノボルくんの方がよほど自分より荷が軽いのではないかと想像する。「そっちのほうが楽じゃねえの?」と相手の仕事を尊重する気持ちなんかそっちのけで疑ってしまうのだ。そして、ワシはとっても性格が良いので、誰からも実際には責められていないのに、他の人間を妬んだり、こんな仕事の存在を恨んだりする。


 もともと、こんな仕事を考えたのは、精神保健福祉士というなんか、ややこしい仕事をしていたキヨミさんで、やり方自体はは人格障害(人格が障害!ってスゴい名前だ)等の入院治療で用いられるA-T split(エー・ティー・スプリット)と呼ばれる治療システムにヒントを得たものらしい。

 そして、A-T splitというのは、管理医(Administrator) と精神療法者(Therapist)を分ける治療形態で、管理医は投薬や行動制限、医学的管理・指導なんかをやっちゃって、精神療法者が患者の秘密を保持しつつ精神内界の病理を扱うとかなんとかそーんなことがあるらしいけど、とにかくワシが冷や飯くわされてることは間違いない。ワシがもう限界とか不満で吠えると、いつも“おまえがいないとダメだ”とか、ヒモ男のたらし文句みたいな甘言で、ワシをこの職場に引き留めにかかってくる。自分としてはずいぶん寛容な犬のつもりだけど、もうちょっと違うフィールドで羽ばたきたいと思っている今日この頃だ。

 ワシたちのチームにおいては管理医の役割が、さらに全体の管理を行うキヨミさんと投薬的側面を担うノボルくんにsplit(ズプリット)=分割していることになる。さすがにA(管理医)の内でコミュニケーション障害があるのはマズイだろうが、種族の相違による限界から、A-T間の意志疎通に制限があるのは、A-T splitの考え方からすれば、むしろ治療構造上望ましいこともあり得るってキヨミさんが何か理屈をつけてこじつけるときの早口で言ってた。

 要するにワシたちは通常では成し得ないニッチな仕事を、それぞれの守備範囲の能力を提供することで遂行するニンゲンたち+犬一匹のなんちゃってチームであると言える。


 もともと当てにされてないんじゃないかって気が若干しているワシの精神療法の仕事が上手くいかなくても、部分的に治療は可能と思う。主に身体面に働くノボルくんの技術だけでも短期的だったり、対症的になるかも知れないけど、それなりの効果はあるはず。

 ノボルくんが持っているのは、なんでそんなことになっちゃったのきみぃ?という、生命の量をある器から別の器へと移し替える技術、つまり、生命の移植術だったりする。生命そのものを作り出すわけではないから、閉じられた系の中での保存の法則は成り立っていて、このあたりはお取り扱いに注意が必要だ。移すだけなので、片方の生命は減り、もう一方の生命が増える。言ってみれば、生命のお茶くみ嬢という感じなのかもしれないし、全然違うかもしれない。ここで、当然問題が生ずる。どの器から移すかだ。

 ノボルは自分の生命を与えることはできないが、技術的にドナー(あげる側)に制限はない。

 しかし、そこにはよい子のみんなが破ってはならないお約束がある。患者(獣)が生きることを本当に願う者、そこからしか生命を移さない。他のどんな小さな、意志があるのか計ることも難しい生命からであっても生命を奪ってはならない。そういうことになっている。真面目な話、これをし始めると、ドナーをわけのわからんうちに殺してしまうような、ただでさえヤバいのに、もっとたくさんすごくヤバいことになる。

 ここでいうところの生命の量は、完全な比例関係ではないが、基本的に個体が扱う情報量と運動量が多くなるほど増えるようだった。よって、健康な人間のドナーから、脳の重さと体重から算出される値である脳化指数のうかしすうっていう指標の小さな、例えば小型のほ乳動物へと生命の移植を行った場合、少なくとも即効で致命的とならない。

 しかし、そこには二つの大きな落とし穴がある。まず一つは生命が損なわれるとき、それは必ずしも時間の短縮のみを意味するのではない。移植の直後とは限らないが、その後の経過中、ドナーに障害が生じて生活の質が大きく低下することがある。言わば、恐怖新聞的な、後からジワジワくる生命の減損効果があるわけだ。

 そして、二つ目は生命を受け取るレシピエント(もらう側)に起きる一種の拒絶反応だった。特に種族間での移植は生命として扱われる物理量や特性の調整が難しい。適合の度合いによっては、まるで移植された生命が出口を求めるように、レシピエントの動物が本来持っていない能力や技術を獲得してしまうことがある。

 これら二つの副作用を予想したり、抑制する方法は今のところない。なーんて素晴らしくいいかげんなんでしょう! そして、これをノボルくんは自分の父親と、飼い犬であるワシとの間で体験した。

 今、ノボルくんの父親は、退行しまくってやんちゃな小学生程度の知能しか持たず、ワシは、種族を貫く言葉を持ってしまっている。そして、ここにワシたちが、この仕事をしなければならない理由があった。

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