第13話


 キヨミさんのアストン・マーチンでノボルくんを迎えに行き、ル・マンレースの最終コーナー並みにずっと攻め続けても ミシェルのところに着いたのは夜の11時を過ぎていた。彼女の部屋はこの前よりも湿度が高く、病気の動物特有の臭気もさらに強くなってた。「よく今までもったね。苦しむ意味なんて無いのに」ノボルくんが独り言のように呟いた。

「さあ、誰が代わりに死んでくれるの?」

「死ぬって、そんなこと聞いてないわよ!」

 オバサンが食いついてくる。今晩はエリさんも同席し、隣でうなだれていた。

「聞いてなくても、そういうことになるよ。命を分けて、生き物は少しずつ死んでいくんだ」

「生きるとか死ぬとか、そんな大げさな……私は客ですよ。おまじないの前口上まえこうじょうで脅かすのは止めてくださらない?」

「どんなにボクたちが胡散臭うさんくさかろうと、他の生き物のために命を削るのは、ニンゲンに許された最も神聖な行為だ。そんなつもりが、さらさらないって言うんなら、最初っから関わるなよ! これは命のやりとりの話なんだ!」めずらしくノボルくんが大きな声を出した。これがさらにオバサンの火にガソリンとか、核燃料とかを注ぐことになった。。

「もう帰ってちょうだい! 今度からまじないでももう少しマシなのをお願いするわ! どうしてこんな人たちに頼ろうとしたのかしら!?  これ以上、ミシェルに関わらないで!!」

「あのう、おか、おか、……」思わず“救急車呼びましょうか?”と尋ねたくなる発作的な震えを伴ってエリさんが声を出す。

「何? エリちゃん、体の調子でも悪いの? 明日も、実習があるでしょ? 早く準備をして寝なさい」「私が、かわりに、やる。ミシェルを、……」「何言ってるの、エリちゃん。あなた、どうかしてるわ。こんなヤクザな人たちのお遊びにつき合う必要ないの」「おか、おか、おか……」「良いの。黙ってなさい、アナタは」「お母さん! 私、ミシェル、死ぬの……イヤ!!」

 急に静まりかえった。ニンゲンより敏感なワシの耳はピーッとなった。

 雰囲気を読まないメロディ時計がイッツ・ア・スモールワールドを流す。それを聞き終わったところで、キヨミさんが猛獣を宥めるような調子で語りかける。

「奥様。ここは娘さんの気が済むようにさせてあげてはどうでしょう? ここで私たちが帰っても深夜料金と出張料はどのみち後で請求いたします。どうせなら、お支払いいただく料金の分はお楽しみ頂いたほうがお得だと思いますよ。ちょっと、見物みものの“まじない”ですから、話のタネぐらいにはなります」オバサンはしばらく考えた後、呆れたようなため息をついた。「まあ、いいでしょう。勝手にやってくださいな。エリさん。あなたの我が儘につきあうのはこれっきりにさせてちょうだいね」

 ノボルくんはエリさんの顔をじっと見た。

「ミシェルはあなたに勝ったと思ってる。だから、ママの愛情を独り占めにしてさっさと死にたいんだ。もともとは病気で相手の気持ちを支配するのはあなたが得意とするところだろ? ミシェルはそんなあなたを見て学んだんだよ。猫は気が多いなんて言われてるけど、愛情を奪われたときの復讐は激しいよ。相手が死ぬか、自分が死ぬまで手を緩めない。あなたはボクのこと信じてくれてる。だから、本当は怖いんだろ? きみは優しいね。大丈夫だよ。ちゃんと心配した通りになるから」

 ノボルくんの手から黄色い炎が上がる。その炎が天井一杯までゆっくり育つ間、みんなそれを見たまま口をきけなかった。そして、それがちょうど天井に届くくらいの大きさになると急にL字型の輪郭を描いてエリさんの体を音もなく突き抜けた。それから何度も交差して床の上を跳ね回り、大きく円を幾重にも描きながらその中心はミシェルに収束していく。そのあいだ炎は色を青に変えた。

「さあ、ミシェル、少しは栄養のあるものとらなくちゃ」

とノボルくんが歌うように言うと、ほとんど透明になった炎がミシェルの鼻と口から滑り込んでいく。もともと疾走した後のようだった呼吸がさらに浅く早くなり、小刻みな胸の動きが、さらに呼吸と言えない痙攣となって止まった。そして、わずかに残っていた生気が完全に失われた。

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