第9話

 訪れる、静寂。デジタル時計の表示が進み、絶えず変化するときを機械的に刻んでいく。


 やがて沈黙は、美優によって破られた。


「陽は、年上のひとが好みなの?」

「……え?」


 俺はぱちりと目を瞬いた。

 年上が好きなんて俺、言ったことあったかな……?


「っ私は、年下だから……陽には、相応しくないんじゃないかってずっと思ってた。浮気したのも年上で……陽、は、私じゃ足りないんだよね。大人なひとの方がいい、んだよね……」

「……美優」


 密着させていた体を離して、いつもの夜と同じ向かい合った体勢になる。

 昨夜、睫毛を伏せて儚げだった美優の表情は、底のない悲しみに溢れていた。


 ……『ずっと』ってことは、今までの浮気にも気付いてたのか。

 そうか――――だとすると、計画通り、、、、だ。


 俺は美優の頬に触れ、屈託なく笑ってみせた。


「馬鹿だなあ。俺には美優だけだって言ってるだろ?本当に好きなのは美優だけだよ」

「……嘘」

「本当。信じてよ」


 涙で濡れた瞳が俺を捉える。

 その瞳は真偽を探ろうとしているというより、縋りつこうとしているように見えた。


 愛らしくて、愛おしくて、俺は気付けば身体中に広がる恋心おもいを吐き出していた。


「好きだよ。美優が好き。大好き」

「……またそんなこと」

「嘘じゃない。本当だから、何度でも伝えたくなるから言ってるんだ」



 美優が「好き」、その気持ちを。



 漆黒の双眸が大きく揺れた。まだ何かを紡ごうとする震えた唇を塞いで思考と言葉を奪う。

 俺しか考えられなくなるように。


「美優……好きだよ。美優の全部を含めて、愛してる」


 本心を全てさらけ出して美優に微笑む。

 美優が瞼を閉じて、暗い室内で輝く温かい雫を落とした。


「……私も、好き。陽が好き」


“それ”を目にした瞬間、心臓の鼓動が加速して安定性を失い顔が熱を帯びた。

 滅多にない美優の満面の笑みが、世界でただ一人、俺に向けられている――。俺の心には、計り知れない幸福感があった。


 俺は犯したい衝動を抑えて、強い力で美優を抱きしめた。

 美優も強い力で抱きしめ返してきた。


 互いの想いが交わった、久しぶりの夜だった。






「こんばんは。今夜飲みませんか?まあ、飲むだけでは終わらないかもしれませんが……」


 そして――……俺はまた、浮気をする。

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