第6話

 午後七時頃のキッチン。そこには、晩ご飯の食材を目の前に並べて気合い充分な私の姿があった。


「……よし」


 とりあえず、陽の好きなものを作ろう。食べ物で好きになってもらえるとは思ってないけど、他に方法が思いつかないんだから仕方ない。



 陽へ一番最初に手作りした料理でもある、煮込みハンバーグ。至上最高の出来にする。



 まずサラダから、と野菜を切ろうとして、あることが引っかかった。


 ……陽に帰ってくる時間聞いた方がいいかな?という疑問だ。


 私は毎日、陽が帰る時間に合わせて料理を作っている。ご飯は出来たてが美味しいと思うから。


 ただ編集者はかなり大変な仕事のようで、仕事が終わらず会社に泊まり込み、徹夜することは普通だそう。特に上旬と下旬が忙しいらしく、その二つの時期は陽の浮気が減って帰りも遅くなるのだ。


 浮気性も忙しさには勝てない。……負ける相手が忙しさだけというのは、悲しい話だが。


 電話かけて大丈夫かな……。LIMEにしとこうかな?でもそれだと気付かない可能性あるよね……。


 悩んで、迷いに迷った末。


「かけよう。電話」


 電話をかけることにした。


 スマホの電話帳から陽の名前を探し出し、発信マークをタップする。

「発信中」の文字が表示されたそれを耳に当てて、やや緊張しつつ応答を待った。


 六回目が鳴っている途中だろうか。突然その音が途切れ、僅かなノイズが聞こえてきた。

 出てくれたことにホッとし、私は画面の向こうへ呼びかけた。


「もしもし陽?ごめんね仕事中に……今日帰るの何時になりそう?」


 返事を待つが、何も聞こえない。

 一旦スマホを耳から離し、通話中になっているか確認する。間違いなく陽と繋がっていた。

 私は不思議に思いながらスマホを耳に当て直し、名前を呼んだ。


「陽?」

『――あなた、陽の彼女?』



 女の人の声がした。



 ドクン……と、心臓が嫌な音を立てた。


「……誰……ですか?」

『誰って、私が聞いてるんだけど。あなたが陽の彼女なの?』

「……はい。そう、です」


 答える声が震えて情けなく空気を揺らす。


 なんで陽のスマホに女の人が出てるの……?まだ会社にいるんじゃ……。いや、今までも九時過ぎに帰ってきて、その前に浮気してたから――え?待って、そもそも陽っていつまで仕事してるの?


『ふぅん……で、何?陽に何かあるの?』


“陽に何かあるの?”


 なんでその言葉をあなたが言うの?


 陽の「彼女」は私なのに。


 そう言いたいのに、反論したいのに声が出せない。


『……何もないの?じゃあ切――』

華奈かなさん?何してるんですか?』


 奥から小さく響いた聞き慣れた低音。胸の辺りがざわりと波立った。


 ――陽の、声。このひと、華奈さんっていうんだ。


 ……下の名前で、呼んでるんだ。


『あなたの彼女と話してたの。電話がかかってきたから』

『……それはわざわざありがとうございます。代わってもらっていいですか?』

『ええ。どうぞ』


 ――陽に代わる!?


 嫌だ、今陽と話したくない……!


「っ!」


 思わず通話を切ってしまった。


 直後、どっと感情の波が押し寄せてくる。


 後悔。罪悪感。嫌悪感。悲しさ。寂しさ。……愛情。


 私は寝室に行き、スマホを持ったままベッドに倒れ込んだ。

 ごめんね陽……電話切って、ごめん。でも、どうしても陽と話したくなかった……。

 陽の前で泣くのだけは嫌だった。面倒くさい女だって思われたくない。嫌われたくない……陽にだけは。


 瞬きをすれば、いとも簡単に涙が零れ落ちる。布団の染みが濃くなるにつれて、頭の痛みが強くなる。


 陽……あのひととどこにいたんだろう。

 もしかしたらホテルかな。今夜は帰ってこないのかな。

 それとも、もう二度と帰ってこないのかな。


「……っ」


 じわり、また視界が滲む。


 お願い……帰ってきて。陽……。

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