第2話

 課題と夕飯作りを終え、適当なテレビを眺めながら彼の帰りを待つ。

 好きなバラエティ番組だったが、今日は「面白い」と感じられなかった。番組終了まで見届けることなく、曲でも聴こうとテレビを消した。


 鍵が開けられる音がした。

 私はリビングを出て、玄関で彼を出迎えた。


「おかえり」

「ただいまー……ああ疲れた」


 ぎゅううっと、少し細いがしっかりした腕で抱きしめられる。私は労うように彼の背中に手を回した。


 ふわふわした焦げ茶の短髪、誰もが綺麗だと思うだろう整った顔立ち。高身長でスタイルも抜群に良く、落ち着いた雰囲気を持つ“大人”な反面、子供のように甘えてきたり、笑顔が無邪気だったりと可愛いところもある。


 この人が、同棲中の私の彼氏。矢取やとりよう、大手出版社で働く漫画編集者だ。


「お疲れ様。ご飯出来てるよ」

「ありがとう……今日は何作ってくれたの?」

「かぼちゃコロッケと、軽いサラダと、れんこんとこんにゃくのきんぴら」

「そっか。いいねえ」


 会話が途切れ、離してくれるかと思いきや……陽は、全く動かない。


「……陽?」


 呼びかけてみても、陽は「んー……」と甘えるような声を出すばかり。


 ……疲れてるんだから仕方ないか。それに――今日は香水の匂いがしない。

 それがたまらなく嬉しくて、思わず頬が緩んだ。


 最低だ、私。


「そういえば今何時?」


 私を抱きしめていた腕を解き、思い出したように陽が尋ねてきた。

 本当は名残惜しかったが、私は平然とした表情を装って答えた。


「九時半過ぎだと思う。車に乗った時とか、時計見なかったの?」

「んー、そうだね。時計を見る時間も惜しかった。美優みゆに早く会いたかったから」


 笑顔で言った陽に、ドキンと心臓が高鳴る。

 けれどその後、寂しいような悲しいような感情に襲われて、胸が苦しくなった。


 他のひとにも言ってたら……嫌だな、って。口に出せないくせに思うのはいい加減やめたい。


 だけど、結局思ってしまう。考えてしまう。顔も分からない誰かに嫉妬してしまう。


 こんなだから、陽は私じゃなくて、他のもっといいひとといたくなるんだよね。


 機嫌よく奥へ歩いていく陽の背中が、これ以上遠くならないよう後を追いかけた。




 ◇◆◇




「いただきます」

「いただきます」


 手を合わせて、陽、私の順でリビングに言葉が響く。


 お腹は空いていたが、陽がコロッケに箸を伸ばす様子が視界に映り、つい気になって動きが遅くなった。


「んー、美味しい。美優は本当に料理上手だね」

「ありがとう」


 内心ホッとしながら笑顔を浮かべ、れんこんを口に運ぶ。

 せめて料理は彼を満足させられるものを作っていたい。


 晩ご飯を完食すると、二人でまた手を合わせた。

 使った食器類を洗っている時、陽が近くにやってきて言った。


「明日は大学いつから?」

「一、二時限目は授業入れてないから、十時に大学行くつもり。どうかしたの?」

「――今夜、いい、、かなと思って」


 耳元でそっと囁かれた。

 危うく茶碗を落としかけるが、ギリギリのところでとどめた。


 いい、って……。


「……明日も仕事あるんじゃないの?」

「俺は大人だから。大丈夫なんだよ。そんなことよりも美優が欲しい」


 陽が髪に触れてきたのが感覚で分かった。ちゅ、と小さなリップ音が遅れて聞こえる。


「仕事中も美優のことばかり考えてたけど、考えるだけじゃ足りない。本物を……美優を全部、感じさせてくれよ」

「っ……」


 ずるい。そんな誘惑……拒否出来るわけない。


「……いい、よ」

「本当?やった!ありがとう美優、大好き」


 後ろからぎゅっと抱きつかれる。危ない、またお皿を落とすところだった。


「あ、そうだ。お風呂入れてくるね」

「うん。ありがとう」


 陽の足音が遠ざかり、脱衣所のドアが開いてバタンと閉まったのを聞いてから私は一旦食器洗いをやめ、両手をタオルで拭いて顔を覆った。


 もう……陽といると心臓もたない。顔熱いし。恥ずかしい……。

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